【佳作】望月の下人語る(著:本江蛹子)


‌ そこなお方、今、(やす)()家の(あだ)()ちの話をしておられたな。待て、待て、()(ざけ)(さかな)(うわさ)(ばなし)(とが)めようというのではない。なに、()みながらでよい、おれの話を聞いてほしいのだ。いいや、なんとしても聞いてもらわねばならぬ。おれの主人は何を隠そう、(もち)(づきの)(あき)(なが)その人なのだ。そう、その、十三年前に安田(しょう)()(とも)(はる)どのを殺し、先だって安田どのの忘れ形見、(はな)(わか)どのに討たれたその望月さまこそ、わが殿なのだ。
‌ いや、謝らずともよい。仇討ち物はみな好きよな。おれも他家でのことであれば、見上げた孝行息子よと花若どのを()めそやしたやもしれぬ。いいや、望月家のことであっても、都で殿様にお目にかからなんだら、内心密かに(てん)(ちゅう)よとほくそ笑んだに違いない。自分のあるじのことながら、おれもそなたらと一緒になって殿様を笑っておったに違いないのだ。だからこそ、だからこそよ。どうかおれの話を聞いてくれ。

‌ かくいうおれも、殿様に仕える身でありながら、心中はずっと殿様に味方して参ったわけでもない。国にいた時分、正直に申せばおれは、殿様を()(そこ)なっておった。
‌ おれは母に、「人様に分かってもらえなくても、心正しくあり続ければいつかきっと報われる」と聞かされて育った。今思えば、あれは母が自らにも言い聞かせておられたのかもしれぬ。母は父の(めかけ)であったから、おれの知らぬ苦労をなさっていたのかもしれぬ。女だてらに、きらびやかなものよりどっしりとした、確かなものを好まれる人であった。子供の目にも、見かけにとらわれず真っ当にあれこれ仕事をこなす、賢い人と見えた。結局は報われることもなく早死にされたがね。
‌ 母が亡くなって、おれは殿様に仕える父のもとに引き取られた。継母と腹違いの兄と暮らすことになって、おれは母の教えをよく思い出すようになった。なんとなれば、「人様に分かってもらえない」とはどういうことかを思い知ったのだ。例えば、腹違いの兄と並んで字を習うとしよう。兄が字を三字、四字、間違える。それでも(おおむ)ねの出来が良ければ、その出来を褒められる。ところがおれは、一字間違えればもうだめだ。どれだけ全体の出来が良くても、一つでも間違いがあれば、そればかりをあげつらわれる。始めは継母の(しょう)(ふく)憎しのこころが生んだ、単純な意地悪であったかもしれぬ。しかしそれが続くと、次第に周りの連中もおれのことは馬鹿にしてもよいものと思い始める。兄とおれ、同じことをやっても兄は美点を見いだされ、おれは欠点を強調される。そのうち誰もがおれのことを間抜けと信じて疑わなくなる。神かけて言うが、おれは兄に少しも劣っていなかった。だのに、あの頃皆がおれのことを間抜けと思い、おれのよくできたことは見なかったことにし、おれの失敗ばかりを面白がった。おれがどんなに(はげ)んでも、もうおれを認める者はおらなんだ。元は母が亡くならねば殿様に仕える身分にもならなかったおれだ、出世に()(まなこ)になろうわけもないが、ただ自らの行いをまっすぐに見てもらえぬことが、おれには何より(つら)かった。それでもいつか、いつかは正しく報われるはずと、幼心にぼんやりと信じ続けておった。
‌ そんな中で、おれは会ったこともない殿様の幻を自分の中に育てていった。父や継母は、何につけても殿様の名君ぶりを語って聞かせ、殿様の御為になることをせよと言い含めた。おれや兄の命など、殿様の前では枯れ葉のようなものとも聞かされた。幼いおれには、それが神仏の(たぐい)と区別がつかなかったのかも知れぬ。いつしか、誰が認めてくれなくとも、きっと殿様はおれの心の正しさを見ていてくださると、密かに心の支えにするようになっていった。

‌ そうして子供にとっては長い月日が過ぎた。おれも兄も十七の正月であった。おれと兄と、それから兄の従兄弟(いとこ)()()(もん)とは、正式にお役目に加わってから初めての正月であったから、殿様に新任のご挨拶(あいさつ)に上がることになっておった。兄、兄と申しても、おれはその少し前に、跡継ぎのなかった父の朋輩(ほうばい)の養子に入ったから、ほんとうの間柄はもう兄でもなかったがね。
‌ おれは我知らず、今日こそが報いられる日かもしれぬと密かに期待しておった。殿様は名君の(ほま)れ高いお方だ。きっと一目でおれの優れたところに気づいてくださる。もしかすると、兄と左衛門を差し置いておれを取り立ててくださるなんてことも、あながちないとは言えぬ。おれは()(たく)をしながら、早くも()(ちょう)(てん)であった。まったく、今思えば一度もお目にかかったこともないのに、よくも都合のいい夢を見ておったものだ。
‌ おれ達三人が通されて型通りの挨拶が済んだ後、許されて顔を上げると、殿様は真っすぐにおれ達を見据えていらした。初めて近くで(あお)ぎ見た殿様のお顔は、冬の光に似て、(たと)えようのないほど高貴に思えた。殿様は、おれ達への()()()の品に目を()られて、ふと、
‌「ときに、この包みはそなたらの誰ぞが致したものかな」
‌ とお尋ねになった。
‌ それはおれの調えた包みであった。年始に御家臣に配る御下賜の品を調えるのが、おれ達の年末のお役目であったのだ。兄の選んだ(じょう)()向けの包みはいかにも正月らしい華美なものであったが、下士(かし)向けの包みは、おれなりに質素ではあるが端正に見えるよう工夫(くふう)したつもりであった。しかし、おれも兄も言葉が出なかった。お褒めのお言葉かお(しか)りのお言葉かを測りかねたのだ。殿様もそれにお気づきになったのか、屈託なく微笑(ほほえ)まれながら、
‌「武士らしく、見事であるな」
‌ と付け足された。
‌ それはおれが父に引き取られてからずっと、我知らず求めていた言葉であった。思えばおれは、武家の子として認められたかったのかもしれない。おれが一番恐れていたのは、おれが武家の子として上手(うま)く振る舞えないことで、武家育ちでなくとも立派でいらした母の顔に泥を塗ることであったから。こんな簡単な一言で、おれは天にも昇る気持ちになった。五体全部が内側から光で照らされたようだった。ようやくだ。ようやく、この一言でおれは救われた。俺の子供時代全てが、この一言で全部。やはり今日こそが報われる日であったのだ。頭がのぼせたようになったままのおれが夢うつつで口を開いた(せつ)()
‌「これなる(まさ)(つぐ)()(はい)にございます」
‌ と得意気な左衛門の声がした。正嗣というのは兄の名だ。おれが(ぎょう)(てん)して左衛門の方を振り向く間に、殿様は、
‌「そうか。(たい)()である」
‌ と(おお)せになり、そのままその場はお開きになってしまった。下がる道すがら、おれは全身から血が引いた心地で、はしゃぐ左衛門と、左衛門に小突かれて曖昧(あいまい)に微笑む兄を見ていた。
‌ 後から分かったことだが、左衛門は特段嘘をついたつもりはなく、あの包みが兄の差配だと本気で思っておったらしい。左衛門はおれと兄の包みの分担を知っていたわけではなかった。ただただ、褒められるようなことをしたのであれば、それはおれではあり得ず、兄の方に違いないと頭から決めていたのだ。
‌ おれは憎んだ。後でどんなに言い(つの)ってもおれに謝らぬままの左衛門も、真実を知りながら手柄を否定しなかった兄も憎んだ。けれども一等殿様を憎んだ。何が名君であるものか。結局、結局同じではないか。おれを見ず、おれに割り振られた「間抜け」という役だけを見る連中と、何の違いもないではないか。(しょ)(せん)(はん)(しゅ)さまといってもこんなものよ。権力があるからといって、物を正しく見る力などありはしない。周りの言うことを真に受けて、それでいて周りから公明正大と持ち上げられる。その勘違いに下々(しもじも)の者まで巻き込んで、なお明君の名声を甘受(かんじゅ)する。そうでなくては、(たみ)(ぐさ)の汗水垂らした米を、侍どもの一心な忠義を、平気な顔で道具のように処分するお役目などとてもとてもやってはいられまい。正しい心を持つものが、お大名などやっていられるはずもないのだ。

‌ だからおれは、殿様が安田どのをお斬りになったと聞いた時、さもありなんとしか思わなかった。()(そん)な大名が、ちょっとした(いさか)いで格下と見た相手を殺す。そんな話は世間にいくらでもある。殿様は安田どのと従兄弟同士だのに、ご自分の領地の方が立派だからと見下していらしたに違いない。安田どのは素行にまで(なん)(くせ)をつけられがちであったとも聞く。(こく)(だか)の劣る藩主の安田どのを(あなど)る向きがあったのであろう。おれはしかし、少しく期待した。(しな)()の小国とはいえ、藩主が殺されたとあってはお(かみ)が黙ってはおらぬ。安田どのの無念と殿様の無法は、お上の沙汰(さた)によって白日にさらされ、正義の下に裁かれるのだと信じた。
‌ だから、殿様に都預かりの沙汰が下ったと聞いた時には、おれは斬られたのが自分ででもあったかのように憤激(ふんげき)したものであった。ご自分の従兄弟を殺したのに、殿様は切腹もなさらなんだ。(けん)()(りょう)(せい)(ばい)はどこへ行ったのだ。よその藩主を斬っておいて、都で悠々(ゆうゆう)(いん)(きょ)のような生活が許されるのか。ああ、お上のお沙汰も()(さん)なものよ、殿様の「名君」の役に、安田どのの「素行不良」の役に、目を(ふさ)がれておるわ。あの時ばかりは、おれはおのれの浅はかさがほとほと嫌になった。おれは権力者が正しい目を持たぬと知っておりながら、お上だけはそうでないと何故か無邪気に信じていたのであったから。いいや、夢想の中の殿様に見ていた幻が、お上にすり替わっていただけのことであった。結局人は、押しも押されもせぬ世の中の道理のようなものを見抜く目が、藩主やお上といった権威ある役に備わっていると信じるものなのだ。そんなもの、生身の人間にあろうはずもないのに。

‌ 殿様が都へ(しゅっ)(たつ)されるかされぬかの頃、安田家の残された奥方と御子息、それに主だった家臣の幾人かが逐電(ちくでん)したとの噂が広まった。城では仇討ちを警戒して警備が増えた。仕事の上では警戒と申すものの、みなどこか安田家に同情して、いや、むしろ仇討ちという考えそのものにある種甘美な憧れを抱き、うっすらと期待しているようにすら見えた。自分の張っている間に仇討ちが来ぬものか、来たらこっそり手引きしてやるのに、などと声高に申す者もおったほどだ。おれも母に聞かされた曽我(そが)兄弟の仇討ち話をよく思い出した。父を殺された無念を忘れず、立派に仇をとって散っていった兄弟。不当な(ざん)(ぎゃく)に身をさらされて、それを誰も裁きも正しもしてくれなかったら、おのれでおのれを救うしかないではないか。よしんばそれで(ちゅう)されようとも、おのれを踏みにじる理不尽に(いっ)()報いなくては、生まれたかいがないではないか。しかし、安田家からは一向に仇討ちの来る気配はなく、やがてみな藩主交代の一大事を切り盛りするのに精一杯で、安田家の話題が上ることもなくなった。

‌ そうして十三年、ここへ来て殿様に無罪のお沙汰が下り、藩主に復帰されることが決まった。おれが都に殿様をお迎えにあがる役目になったのは、いわば貧乏くじのようなものであった。おれのほかにも三人貧乏くじがおって、合わせて四人連れ立って都へ向かったが、みな出世からは遠ざけられてきた者たちだ。悲しいかな、ご不在の十三年の間に、国での殿様の扱いは「名君」から「今更帰ってこられても扱いに困る(やっ)(かい)(もの)」に変わっていたからだ。そうでなくては仮にもお大名の帰郷のお迎えが、まさかおれ達のような()()侍などとは言語道断であろう。
‌ 信濃から都までの道すがら、おれ達は好き勝手に殿様の噂話をした。互いに藩で関わることはほとんどなかった連中だが、中でも(おか)()(もん)とは不思議に話が合った。やや軽薄で単純なところがあるが人懐こい男で、おれと同じに妾腹で苦労した身であった。
‌「なあ、諍いで人を殺しておいて無罪放免なんて話があるか。それも百姓を斬ったのではない、隣国の藩主でおまけに自分の御従兄弟よ。お上の覚えがめでたいか何か知らぬが、そんな無法が(まか)り通るのなら、()(ども)らのようなのは馬鹿を見るばかりではないか。とても真っ当には生きておられぬ」
‌ おれは口さがない岡衛門ほどにはあけすけになれなかったが、内心(まった)く同じに思っておった。
‌「身共は(おう)(わく)のあるじに仕えるのか。どんなに馬鹿にされようと、心だけは正しくあらんと励んで参ったに。ああ嫌だ」
‌ 誰も岡衛門に返事をしなかったが、かと言って咎めもしなかった。おれ達は、いや国の者どももみな、多かれ少なかれ同じように感じるところがあるはずであった。

‌ 都へ着いて預かり先の家を尋ねると、殿様は存外嬉し気なお顔でおれ達をお迎えになった。お老けになった、と思った。(たる)んだ(まぶた)の下の眼には、それでも帰郷の喜びと溌溂(はつらつ)とした気力が(みなぎ)っていた。
‌ 信濃へのお帰りを祝してと預かり先の家が(もよお)してくれた(うたげ)の席で、殿様はおれ達にあれこれと話しかけられた。藩はどのような様子か、あの山の桜は今年は咲いたか、()(しん)(せき)の誰それはどうしているか、家臣の誰それの持病の調子はどうか。そのほとんどが故郷への(しょう)(けい)と藩主復帰への喜びに満ちたものであったが、ふと神妙になって、
‌「安田家の者は
‌ とぽつりと(つぶや)かれた。岡衛門が、
‌「ご安心召されませ、怪しいものは御身に近づけさせませぬ」
‌ と鼻を鳴らすと、殿様は曖昧に頷かれたきり、しばし黙ってしまわれた。
‌ しかし、やがて酔いが回ってくると、話は殿様ご自身の身の上に移った。お国御前の御子として信濃でお育ちになったこと。江戸には本来家督を継ぐべき兄君がいらしたこと。兄君は()()で安田どのと仲が良かったこと。兄君が早世なさって殿様が家督をお継ぎになったこと。亡き兄君とは似ても似つかぬと会うたびに安田どのになじられたこと。
‌「わしは、顔も知らぬ兄に憎まれておった。わしが跡目を狙っておるかおらぬかは問題ではない。兄、弟という間柄がそうさせる。安田にしても、わしが実際どんな人間であるかなど問題ではなかったのだ」
‌ とこぼす殿様の目は、おれ達などおらぬかのように中空をさまよっていた。
‌「わしの国は、人が、人と人のまま相対せる国にしたい」
‌ という(しぼ)り出すような呟きも、近くの座を()めたおれと岡衛門にしか聞こえなかったに違いない。それでもみなが部屋に引き上げるまで、殿様は安田どのをお斬りになった時のことはついにお話しにならなかった。部屋への戻りしな、
‌「下々の苦労もわからぬお大名に、そんなもの出来るかい。人殺しのくせに」
‌ とおれにだけ聞こえるように(ささや)く岡衛門の目の下の歪むのが、急にひどく(みにく)く見えた。

‌ その夜半、旅の疲れが(かえ)ってそうさせたのか、おれは忽然(こつぜん)と目を覚ました。静かな夜であった。音を立てぬように部屋から抜け出した。外の空気を吸いたかった。庭へ出ると、意外にも先客があった。
‌「眠られぬか。わしのために要らぬ苦労をさせる」
‌ 殿様の影は夜に沈むように暗く、それでいてお声は軽やかに笑っていらした。おれは、おれが憎んだ殿様が果たしてこの方であったかどうか、にわかに分からなくなってしまった。闇の中から、また殿様の声がした。
‌「この家への付け届けは、煙草(たばこ)に致したのだな」
‌ ぎくりとした。付け届けの品はおれが選んだ。
‌「煙草好きの多い家でな、大層喜ばれた」
‌ おれは胸をなでおろして、それから急にこそばゆくなって、
‌「ようございました。いや、あれこれと悩みは致しましたが、どのみち都では信濃よりもよいものが手に入るに決まってございます。旅路でも悪くならぬ、軽くて(かさ)()らぬものを選びました」
‌ などと要らぬことをべらべらと(しゃべ)った。殿様は、
‌「考え方が忠実やかで武士らしい。そなたのような者がおってくれれば、国も安泰じゃ」
‌ と可笑(おか)しそうになさる。他意のある風もないが、おれはなんだか少し(みじ)めな気分になった。
‌「さて。目立つものに押しのけられて、泣き寝入りしたこともございましたが」
‌ おれの精一杯の当てこすりのつもりであった。殿様のお顔は暗くて見えぬ。しばし間があって、泣き寝入りか、と呟くお声だけが静かに、柔らかく届いた。
‌「それで不平も訴えずに忠実事を続けるところまでそなた、質実よの」
‌ おれは何も返事ができなかった。おれはもうそれを聞いただけで、おれのこれまでの人生全てを許してしまった。継母のことも、兄のことも、左衛門のことも、おれを侮った男も女も、おれは殿様のただ一声の光を借りて裁いた。おれはその時に、国に帰ったらなんとしてもこのお方の汚名を(そそ)ごうと、ひとりで誓ったのだ。誓ったのだよ

‌ しかしおれはその誓いを、おれ自身の手でめちゃくちゃにしてしまった。おれが()(かつ)であったのだ。あくる日、丁重に見送られながら都を出て、信濃を目指す旅路が始まった。殿様はおれ達に、信濃へ無事に帰りつくまで、道中で殿様のお名前を出さぬようにおっしゃった。茶屋に寄るとき、人とすれ違うとき、宿をとるとき。周りに人があるときは、話に家名や藩名を出してもならぬ。そうおっしゃる殿様は、用心深く(かさ)目深(まぶか)(かぶ)られて、刀の(さや)の家紋も隠していらした。岡衛門がなにを(おお)(ぎょう)な、と言いたげな顔をしたのにお気づきになったのか、
‌「命がある内に帰れようとは思わんでの。帰るとなったら急に命が惜しゅうなった。年をとると臆病になっていかんな」
‌ とお笑いになった。岡衛門は意に介した風もなく、
‌「お帰りになったらまず始めに何をなさいますか」
‌ と(もの)()じもせず聞いた。殿様は少し考えるような顔をなさってから、母の墓前に手を合わせたい、とぽつりとおっしゃった。殿様の御母上は、殿様の都預かりの間に亡くなられていた。
‌「母の死に目に会えぬどころか、まだ墓の場所も知らぬ親不孝者よ」
‌ と、笑い話か何かのようにお話しになる殿様が、おれには却って痛ましく見えた。殿様はそんな話し方を、世間から身を守るための(すべ)として身に着けられたのだろうかと思ったからだ。殿様は安田家の残党に限らず、安住の地にたどり着くまでの、目に見えぬあらゆる万難を警戒なさっているように思えた。大きく構えていらっしゃる風でいて、世間にご自身の居場所があるとお思いであるようにも見えなかった。この十三年、生まれ育った信濃の地を踏むことも許されず、親の死に水もとれず、どんなに孤独でいらしたろう。必ずお守りしようと思った。おれはこの方をどうしても信濃までお連れして帰るのだ、と思った。

‌ 守山(もりやま)の宿場に差し掛かったところで日が暮れそうになったので、おれが宿を探すことになった。大きな宿はいくつもあったが、その中で一軒、どっしりとした、いっそ地味とも言えるような構えが目を引いた。布袋(ほてい)()(だい)(こく)()(つる)(かめ)()(えん)()のよさそうな宿が並ぶ中、(かぶと)()という名の無骨さも気に入った。声を掛けると、出てきた亭主も宿の名に似て、どこか武士めいたところのある男であった。おれが一夜の宿を()うと、
‌「心得ました。お名前は何とおっしゃる方でございましょう」
‌ と亭主が申すのを聞いて、信濃のあたりの(なま)りだと思った。それでおれは多少なりとも気を許してしまったのかもしらん、
‌「信濃の国の、望月、」
‌ と言いかけて、あっと思った。殿様からあんなに名前を出すなと言い含められていたのに、この時おれは、それがすっかり頭から抜けておったのだ。
‌「ではないぞ。」
‌ と慌てて続けたが、おれは頭が真っ白になって、亭主がどんな顔をしておったかも覚えておらぬ。しかし亭主は、何の(さわ)りもない風におれ達を迎え入れた。ああ、思い出しても()やまれる。この時に宿を変えるべきであったのだ。

‌ 部屋に入って荷物など解いていると、亭主が挨拶に来た。殿様にも聞こえる声で、
‌「この(たび)はおめでたい()()(こう)なれば、お祝いにお酒をお持ち致しました」
‌ などと申すので、おれは(きも)を潰した。殿様がどこのどなたか分かっているのだ。それをおれが()らしたことも、殿様はお気づきになったろう。しかし、殿様は鷹揚(おうよう)に、通せ、とおっしゃった。おれはひやひやしながらも、亭主を部屋に入れるほかなかった。
‌ 亭主の後ろには女と十四、五の子供が続いた。聞けば、当地では(めくら)()()(うたい)をさせるのが流行で、殿様をもてなすため、盲御前とその子を連れて参ったと申す。殿様が上機嫌に、
‌「何でもよいから謡ってみよ」
‌ とおっしゃるのを聞いて、おれは愚かにもほっとした。殿様が警戒なさっていた世間の者どもの中には、殿様の帰郷を祝ってくれる者もいることが分かったのだ。それも、けがの功名とでも言おうか、おれが口を滑らしたおかげで。殿様にもそれが伝わっているであろうか。おれはばつが悪いような、それでいて浮かれたような気持ちで殿様の方を見られずにいた。ところが、
‌「曽我兄弟が親の仇を討ったところを謡いましょう」
‌ という盲御前の声ではっと我に返った。
‌「いや、それは差し障りがある。何か他の謡を」
‌ と慌てるおれを、殿様は目元だけに浮かべた微笑で制すと、すぐに盲御前に向き直り、
‌「いや苦しからぬこと。謡ってみよ」
‌ とお答えになった。それを聞くが早いか、盲御前は返事もせずに謡い始めた。

‌ 盲御前の謡う『曽我兄弟』を聞きながら、殿様は何を考えていらしたろう。父(かわ)(づの)(さぶ)(ろう)が討たれた時、曽我兄弟の兄一万(いちまん)は五つ、弟(はこ)(おう)は三つ。父のことなどろくに覚えてもおらぬであろうに、ただ仇と教わった男を討つためだけに、人生全てを(つい)やすことに疑いも覚えぬ子供。そうさせた母御前。憧れたこともあった曽我兄弟であったが、それがおれには急に愚かに、哀れに思えた。
‌ やがて兄弟が不動に仇討ちの(じょう)(じゅ)を祈念する段に差し掛かったところで、今まで静かに座しておった盲御前の子供が、出し抜けに立ち上がって、
‌「いざ討とう」
‌ と叫んだ。おれは思わず子供の方に向き直り、太刀(たち)に手を掛けた。
‌「討とうとは」
‌ にわかに殺気立って問いただすおれと子供の間に亭主が割り込んだ。
‌「お待ちください、何事です」
‌「討とうと申したぞ」
‌「ああ、いいえ。謡の後にはこの子が(やつ)ばちを打つことになっております。八ばちを打とうと申したのです」
‌ 今思えば、何と見え透いた言い訳か。それでもおれはこの時、この言い訳を真に受けた。殿様の前で、子供になんと大人気ないことを致したと恥ずかしくなったのだ。
‌「八ばちなら八ばちと申さぬか。ただ討とうと申すから、肝を潰したわ」
‌ と苦笑いしながら申すと、殿様が、
‌「では八ばちを打ってもらおう。ところで、亭主には何か芸はないのか」
‌ と助け舟を出してくださった。
‌「()()(まい)をご(しょ)(もう)なさいませ」
‌ と子供が()(とん)(きょう)な声を出した。何やらむくれた顔で、亭主の方を見ようともせぬ。まるで八ばちを打たされるのが気に食わなくて、仕返しに亭主を困らせてやろうとしてでもいるような風情(ふぜい)であった。亭主は亭主で、
‌「これは子供が条なきことを申しまして
‌ などとむにゃむにゃ言い逃れのようなことを申し出す。殿様は面白がって、
‌「子供が嘘を申すものか。舞ってみせよ」
‌ とお笑いになる。結局亭主が折れて、獅子頭の用意を致しますからと奥へ引っ込んだ。
‌ それを見送るでもなく、前置きをするでもなく、子供は唐突(とうとつ)に八ばちを打ち始めた。可愛(かわい)らしくはあったが、芸で食っているものとは思われぬ。一度など、ずいぶん長いこと殿様に背を向けて打っておった。それでも殿様は終始上機嫌で、おれ達も酒は回り、旅の疲れはありで、いい宿を選んだなどと言い合いながらうつらうつらしていた。このまま横になってしまいたいが、せっかく用意してくれる獅子舞は待たねばならぬ。そんなおれ達の様子を見かねたのか、殿様が、
‌「そなたら、先に休んでおれ」
‌ と声を掛けてくださった。おれの他の三人は、渡りに船とばかりに奥へ辞した。おれは先に(かわや)へ寄ろうと思って、部屋を出た。用を足して暗い(ろう)()を帰る途中、見事な獅子舞が目の端を通った気がした。

‌ おれが気が付いた時にはもう朝であった。詰めかけた役人に晴れがましい顔で受け答えをする亭主、(かたわ)らには盲御前と八ばちの子供。ここまで聞けば察しはついているであろう、八ばちを打っていたあの子供こそ、殿様を父の仇と恨む安田家の忘れ形見、花若どの。盲御前はその母君、すなわち亡き安田どのの奥方。甲屋の亭主は安田家の旧臣、()(ざわの)(ぎょう)()(とも)(ふさ)どのであったというわけだ。花若どのと母君は信濃を離れたのち長く()(ろう)していたが、あの日偶然に守山に流れ着き、同じく信濃を離れて甲屋を(いとな)んでいた小沢どのと十三年ぶりに再会したという。あの夜、小沢どのは殿様の油断を誘うために獅子舞を舞いながら近づき、酒の回った殿様を組み伏せて花若どのと二人がかりで討ったのだ。
‌ おれは昨夜あんなに楽しかった広間に残った生々しい血だまりと、騒がしい玄関の方から漏れ聞こえてくる武勇伝とを、回らぬ頭で(つな)ぎ合わせた。やっとのことで事情を悟ってからも、玄関へ出ていく気にもなれず立ち尽くしていた。頭が(しび)れたようになって、何が何だか分からなかった。いつの間にか後ろに立っておった岡衛門の、
‌「殿様の仇をとらなくては」
‌ と呟いた言葉を、おれは信じられぬ心地で聞いた。おれにはそれが何の役に立つのか分からなかった。しかし、それでおれも少しは正気を取り戻した。信濃へ帰らねばならぬ。殿様の亡骸(なきがら)を引き取らなくては。せめて、せめて信濃の地に(ほうむ)って差し上げなくては。

‌ そうしておれは、生き恥をさらして信濃へ戻ってきて、安田家の仇討ち(たん)を毎日のように耳からねじ込まれておるわけだ。誰もかれも、殿様をまるで鬼畜か何かのように語るではないか。(おおやけ)に無罪放免になられたものを、まるで裁かれぬ極悪人ででもあったかのように。罪のないと決まったものを討つのは仇討ちなどではない、それこそ無法というものではないか。
‌ いや、これ以上は言うまい。おれが殿様の悪評を正して回りたいと思ったのも昔の話。近頃は、これが殿様の望まれたことなのかもしれぬと思う時もある。殿様は、安田どのの妻子、家臣が信濃を出たことはご存じであった。しかも、花若どのは亡き安田どのに生き写しと聞く。木曽兄弟を謡い、「いざ討とう」などと念入りに当てこすられて、殿様が御従兄弟そっくりのその息子を見分けられぬはずがない。どうもおれには、殿様が仇という役に自ら進んで(じゅん)じてしまわれたように思えてならぬ。おれが甲屋を選んだこと、甲屋の亭主に殿様の()(じょう)を漏らしたこと、甲屋の亭主が安田どのの旧臣であったこと、甲屋に花若どのが身を寄せていたこと、どの一つが欠けてもこうはならなかったが、どの一つとして必然ではなかった。それが却って、「仇」という役を負った者を逃さぬ恐るべき天命と殿様には感じられたのかも知れぬ。それで殿様は、甘んじて役を受け入れてしまわれたのかも知れぬ。甲屋で花若どのを見定められて、その時そこですべてを諦めてしまわれたように思われてならぬ。
‌ それでもおれは、殿様には役に負けずに踏ん張っていてほしかった。役に屈さず、役に惑わされずにもう一度国を治める殿様を、おれは見たかった。おれが殿様の言いつけを守って殿様のお名前を漏らさねばよかったのだから、言えた義理でもないがね。
‌ ああ、もう夜も更けた。引き留めたな。なに、おれか。おれはここにおるさ。明日も、明後日も、望月さまの話をするために。

‌【おわり】