吸血鬼と海辺の秘密 最終回

急変


「今朝はいないね」
 と、みどりが言った。
「え?」
「ほら、例の支配人」
「ああ
 エリカも気が付いてはいた。
 いつもならダイニングの入口で、
「おはようございます」
 と出迎える西(にし)(がき)が、今朝は立っていなかったのである。
 もちろん、朝食はいつも通りに出て来たのだが
「みどりったら、(のん)()なこと言って」
 と、エリカは(つぶや)いた。
 危うく殺されるところだったのだ。
 エリカは、クロロックにもその話はしたのだが、
「お前の友人たちは運が強いからな。大丈夫だろう」
 と、いい加減な返事。
 仕方なく、朝食を同じテーブルで食べながら、
「毒味してあげる」
 と、みどりのハムエッグを先に食べたりした。
 しかし、みどりは、
「私の朝食を盗む気?」
 と、エリカをにらんでいる。
「今日は何する?」
 ()()()は、みどりのことも気にしていない様子。
「私だけが心配してる!」
 と、エリカは腹を立てていた。
(くん)(しょう)先生のお出まし」
 と、千代子が言った。
 (いずみ)が妻の()()と一緒に朝食の席についた。
「ゆっくりおやすみになれましたか」
 と、泉に西垣に代わって声をかけたのは、オーダーを取るウェイトレスだった。
「ありがとう」
 と、泉が言った。
「お祝いの電話がひっきりなしにかかって来てね。なかなか眠れなかったよ」
「さようでございますか」
 ウェイトレスはにこやかに言って、
「ご朝食はどうなさいますか? 卵はスクランブルかフライか
「スクランブルにして。二人とも」
 と、沙代が答えた。
「かしこまりました。奥様は紅茶でよろしいですね」
 ウェイトレスは足早に戻って行く。
 すると、すでにテーブルについていたクロロックが立ち上がって、ウェイトレスの後を追って行ったのである。
 それを見て、エリカも席を立つと、クロロックの後について行った。
「君、すまんが」
 クロロックがあのウェイトレスに話しかけていた。
「はい、何か?」
「あの西垣という支配人はどうしたのかな?」
 と、クロロックが訊くと、
「私も気になっているんです」
 と、ウェイトレスが言った。
「でも朝食の間は様子を見に行くこともできず」
「そうだな」
「あのお客様にこんなことをお願いしては申し訳ないのですが
「私が見て来よう。どこで寝ているのかね?」
「ゆうべはこのホテルに泊まったはずです。一階のフロントの裏側に部屋が」
「分かった。見に行ってみよう」
「よろしくお願いします」
 クロロックは行きかけて、気付いた。そのウェイトレスの胸の名札に。
「名札は〈()()〉となっているが
「あ。名の方だけを書いてあります」
「もしかして、姓では分からないからかな? 君は〈西垣〉というのだろう」
「はい」
 と、ウェイトレスはちょっと目を伏せて、
「〈西垣里香〉と申します」
「支配人は君の父親か」
 少し間があって、
「いえ。夫です」
 クロロックは(うなず)いて、
「なるほど。では、行ってみる」
「お願いします」
 クロロックは急ぎ足でフロントへと向かったが

 里香が、エリカたちのテーブルに朝食を出していると、クロロックが足早に戻って来て、
「エリカ」
「どうしたの?」
「この子に代わって、料理を運べ」
「え? 何の話?」
 里香がびっくりして、
「あの、主人は
「ベッドで刺されていた」
 里香が青ざめた。クロロックはすぐに、
「今、ホテルの車で病院へ運んで行った。傷は心臓をそれている。大丈夫だろう」
「それでは私
「君は病院へ急げ。後はこのエリカが引き受ける」
「ありがとうございます!」
 里香が駆け出していく。
 テーブルでスマホを使っていた泉沙代は、
「ウェイトレスがあんな風に走って行くなんて、()()()がなってないわね」
 エリカは(あっ)()に取られていた。

 何だって私が
 エリカはブツブツ言いながら他のテーブルに料理を配り始めた。
 しかし、そこへ、
「お待ち下さい」
 と、声をかけて来たのは()(どう)(ゆう)()だった。
「あ、工藤さん」
「私が運びます。お客様にそんなことを」
 祐子は、ちょうど(ぬく)()と二人でダイニングへ入って来たところだった。
「あなたも客でしょ」
 と、エリカは言って、
「じゃ、二人で運びましょう」
 と提案した。
「はい、それでは」
 エリカと祐子はとりあえず手に持っていた分を配って、二人して調理場へと向かった。
何があったんです?」
 と、ポカンとしていた貫井だったが、仕事を思い出して、
「泉先生」
 と、歩み寄って、
「〈M新聞〉の者です。(くん)(しょう)を受けられたご感想を。それと一枚写真を撮らせて下さい」
「いちいち答えておられんよ。昼過ぎには、TV局や他の新聞社も来る。合同で会見を開くから、それまで待っていたまえ」
 と、泉ははねつけた。
「そうおっしゃらずに! せっかく早く来たんですから」
 と、貫井は食い下がったが、
「だめなものはだめよ」
 と、沙代が言った。
「それに、〈M新聞〉は、いつだったか、泉の悪口を書いたでしょ」
「いや、悪口って。批判しただけですよ。それは必要なことでしょう」
 と、貫井は言ってから、
「よくご存じですね。よほど新聞の中身をチェックしてらっしゃるんですか」
「何よ、失礼な」
 と、沙代はムッとしたように、
「記者会見からも締め出してやるわよ」
 すると、それを聞いていたクロロックがやって来て、
「まあ、そう怒るな」
「誰? 何のコスプレ?」
「記者も仕事で来ている。ゆうべ遅く着いたのは知っている。しかし、フロントへは立ち寄らなかったな」
「どうして知ってるんです?」
「あの工藤祐子の部屋に泊まったのかね?」
「ええ。社からお金が出ないんですよ」
「それだけかな?」
 と、クロロックはひやかすように言った。
「いや、彼女とは高校のときの同級生だったんですよ。だから、同じ部屋でも。もちろん、彼女とは何もありませんでしたよ!」
「そこはどうでもいい。君に訊きたいのは、ゆうべ遅くこのホテルに着いたとき、誰かを見かけなかったかということだ」
 と、クロロックは訊いた。
「それはロビーで祐子と会いましたが」
「彼女以外には?」
「はあ
 貫井はちょっと考え込んでいたが
「そういえば、車を停めてホテルへ入って来るときに。見かけたような気がします。でも、長いドライブで、しかも中古車ですから、相当くたびれていて。はっきりしませんが」
「よく思い出してみたまえ」
 クロロックが、貫井の肩に手を置く。
 貫井の体に刺激が加わった。
女だ」
 と、貫井は言った。
「女を見ましたよ。暗かったから、そうはっきりとは分からなかったけど、確かに
「そうか」
 と、クロロックは(うなず)いて、
「その女はもしかして、あれではないかな?」
 料理を運んで来たエリカは、その女性を見て、
「こんな所で、どうしたんですか? 大丈夫なの?」
 と、当惑して言った。
 その女エリカが海から救い出した(なか)(ばやし)()()()は、一人ではなかった。
 美佐子の腕をしっかりつかんでいるのは、あの「忙しい支配人」西垣だったのである。
「あれ? 刺されたんじゃなかったの?」
 と、千代子がびっくりして言った。
「人間は、『思いとどまる』ということがあるのだ」
 と、クロロックは言って、美佐子の方を振り向いて、
「たとえ、一度は決心して引き受けたことも、後になって、やっぱりやめておこうか、と迷う。特に人を殺すという仕事など、悩んでしまって当たり前だ」
「でも
 と、エリカが不満げに、
「どうして海へ入ったりしたの?」
「そこは計画通りだったのだ。つまり、言われた通り、(おぼ)れたふりをして、病院へ運ばれていれば、そのアリバイは疑われることはない」
「じゃ、誰がそんなことをさせたの?」
「まあ待て」
 と、クロロックは言った。
「もともと、この女にはそんな度胸がなかった。しかし、重病で先が長くないと言われて、子供のために金を(のこ)してやりたかったのだ。子供はいくつだ?」
「今五才です。母の所に預けてあって
 と、美佐子は言った。
「そこへ、殺人の依頼があった。一千万とかいう大金を約束してくれたので、彼女は引き受けた。病院といっても、この辺ではそう人手もない。抜け出して、ホテルへやって来ても、まず人目にはつかん」
「でも、どうしてみどりを?」
「部屋を間違えたんです」
 と、美佐子は言った。
「もうガチガチに緊張してしまって。違う人を刺そうとしたことに気付いて、私、あわてて逃げ出してしまいました」
「そんな無責任な!」
 と、エリカは怒って、
「じゃ、本当は誰を刺すはずだったの?」
 と訊いた。
「それは
 と言いかけて、美佐子の目は、工藤祐子へ向いた。
 祐子がそれに気付いて、
「私を? 私を殺せと?」
 と、(がく)(ぜん)とする。
「そうか」
 と、泉が沙代を見て、
「お前はそれほど工藤君にやきもちをやいていたのだな。しかし、殺そうとするのは、やり過ぎだぞ」
「あなた
「お前とは離婚している」
 と、泉は立ち上がって、
「いいな。勲章をもらう人間の妻が殺人犯では困るのだ。取り消されてしまうかもしれん。受章が決まった時点で、私とお前は全くの他人だ。分かったな」
 沙代は夫の言葉を黙って聞いていたが、やがて青ざめた顔で、
「あなたの言う通りだわ。私は愚かだった。あなたが勲章をもらうのに邪魔になってはいけない」
「そうだ。自首して出ろ。そして、私の名を出したりするな」
 泉の話を聞いていたクロロックは、
「やれやれ」
 と、ため息をついて、
「妻をかばうのならともかく、すべて妻一人に押し付けようというのか。愚かなのはお前だな」
「何だと? 勲章をいただく身に向かって何だというんだ!」
 と、泉は胸を張った。
「確かに、この女に殺人を依頼したのはお前の妻だ。しかしそれはお前の指示に妻が従っただけだ」
「何を言ってる! 沙代も認めている。そうだな?」
「私はいいんです」
 と、沙代は言った。
「どうせ私は先の短い命なのですから」
「それで、わざわざ秘書にきつく当たるところを見せたのだな。しかし、ぜひ、他の病院で、もう一度検査してもらうことをすすめるな。あんたの夫の診断はインチキだと思うぞ」
「何ですって?」
「私はこの手で人の生命の()(ぶき)を感じ取れる。あんただけではない。この中林美佐子も泉に買収された医師に(だま)されたのだ」
「まさか
 しばし、沈黙があった。泉は冷ややかに笑って、
「誤診など珍しくない。そんなことは何の罪にもならんのだ」
「そうでしょうか」
 と、西垣が沙代を見ながら、
「奥様が夜中に私の所へおいでになり、すべてを泣いて打ち明けられました。それをクロロック様が聞いておられたのです」
「夫に勲章を取らせたい。そのために()(せい)になるのは仕方ないが、誰かの慰めがほしかったのだな」
 クロロックは、西垣里香の方へ、
「分かってやりなさい。あんたの夫はあんたを裏切ってはおらん」
「はい。中林さんにも、沙代様にも、女として同情します」
 話を聞いていた記者の貫井が、
「ちょっと待って下さいよ! すべてをなかったことにして、勲章をもらおうっていうんですか? 冗談じゃない! 僕は記事にしますよ」
「そんな記事を誰が信じる? 私は有名なのだ。誰でも私の話の方を信じるとも」
「気の毒だが」
 と、クロロックが言って、ロビーの方へ、
「具合はどうだ?」
 と訊いた。
 ロビーからTVカメラや記者が大勢現れたのである。泉が()(ぜん)としていると、
「やはり、どのマスコミも早めにここへやって来たのだ。そこで、ここでのやり取りを、そのまま中継で流した。当然、叙勲の選考に当たった面々も耳にする。取り消されるのはまず間違いなかろう」
 と、クロロックは言った。
「余計なことを
 泉は怒りで顔を真っ赤にした。しかし、
「あなた!」
 と、沙代はキッと夫をにらむと、
「余計なことですって! 余計なのはあなたよ!」
 と言うなり、(こぶし)を固めて、泉の(あご)を一撃した。
 泉が大の字に倒れて気を失ってしまった。
「私も一発(なぐ)りたかったわ」
 と、祐子が言うと、美佐子が、
「私も」
 と、加わった

「沙代が西垣のもとへ話しに行ったことを泉は知っていたからな」
 と、クロロックは言った。
「西垣の身に何かあってはいかんと思って、病院へ行かせたのだ。そこで中林美佐子と会って事情を知った」
 エリカがそれを聞いて、
「そんなに勲章ってもらいたいものなのかね」
 と言ったが、
「でも、お父さん、みどりが危うく殺されかけたんだよ」
 クロロックはニヤリと笑って、
「私が、お前の大事な友だちを死なせると思うのか?」
「え?」
「私は、美佐子が忍んで来たのを見ていたので、()けていた。部屋のドアを細く開けて(のぞ)いていたから、刃物を振り下ろそうとしたとき、みどり君の体へ〈力〉を送って、寝返りを打たせたのだ」
「何だ、そうならそうと
 と、エリカは言いかけて、肩をすくめ、
「みどり自身が何も分かってないから、まあいいか」
 と言った。
 ロビーを、貫井と工藤祐子が親しげに腕を組んで歩いて行った。
「いい(ふん)()()だね」
 と、エリカが言うと、
「お前も彼氏の二、三人でも作ったらどうだ」
「それって、からかってる?」
「いや、本気で言っとるのだ」
「そう簡単に家から追い出そうったって、そうはいかないよ!」
 と、エリカは言い返した

【おわり】