吸血鬼と海辺の秘密 第二回

客たち


 ダイニングルームへ入って行くと、意外に多くの客が泊まっていることが分かった。
「メニューある?」
 と、テーブルにつくみどりが心配そうに言ったので、はふしぎそうに、
「メニュー、置いてあるじゃない。何が心配なの?」
 と訊いた。
「だって、このホテル、従業員があの西にしがきって人一人しかいないみたいなんだもの。料理もあの人が作ってるんだったら、レトルトカレーぐらいしか出て来ないでしょ」
 千代子があきれて、
「そんなわけないでしょ! メニュー見れば、色々あるじゃないの」
 同じテーブルに加わったエリカも、みどりの言葉に笑ってしまったが、まあそう言いたくなるのも分かる。
 なぜなら、ホテルのロビーフロアにあるダイニングルームの入口で、夕食にやって来る客たちを、
「いらっしゃいませ」
 と迎えているのは、あの西垣だったからである。
「大丈夫よ、みどり」
 と、エリカは言った。
「西垣って人、あそこに立ってるんだもの。同時に料理はできないでしょ」
「まあね
 メニューを開いて、みどりはホッとしたようだった。
「〈今日のコースメニュー〉でいいかな」
 と、エリカは言った。
 コンソメスープ、ステーキ、サラダ、といった、一般的なメニューだったのだ。
「かしこまりました」
 オーダーを取りに来たのは女性のウェイトレスで、少なくとも西垣の他に一人は従業員がいた!
 クロロックたちは親子三人で丸テーブルを囲んでいた。
 エリカは、冷たい水を一口飲むと、ダイニングルームの客たちを見回した。
「あ、あの人、知ってる」
 と、千代子が言った。
「誰?」
「ほら、窓のそばのテーブル。こげ茶色の上着の人。若い女の人と二人の」
 そっと目をやると、エリカも見覚えがあった。
「ええといずみじゃなかった?」
「そうそう。泉きみひこだ」
 と、千代子がうなずいて、
「TVのワイドショーでコメンテーター、やってるわよ」
「そう? 私、知らない」
 と、みどりは興味なさげで、
「私、知ってるのって、〈仲良しグルメ〉の人ぐらいだわ」
「みどりは、人より料理の方に関心があるのよね」
 と、千代子が冷やかす。
「もちろんよ! 安くておいしくて量がある、ってお店を紹介してくれたら、絶対忘れない」
 泉公彦は、〈評論家〉と名のっているが、エリカの記憶では、政府の批判をすることはなくて、今の大臣とかと親しいことを隠そうともしていない。
「あんまり信用できない人ね」
 と、エリカが言うと、泉と一緒にいる女性のスマホが鳴ったらしく、
「はい、もしもし
 と、出ながら席を立ってダイニングを出て行った。
「あの女性、秘書かしら」
 と、みどりが言った。
「秘書、兼、って感じね」
 と、千代子が肩をすくめる。
 確かに、華やかな印象で、なかなかの美人である。エリカは、少しして、その女性が興奮のおもちで戻って来るのを見た。
「先生! 今、連絡が」
 居合わせた客が、一人残らず、
「何ごとだ?」
 と、びっくりして振り向くような声を上げた。
「そうか」
 泉が椅子いすから腰を浮かした。
「先生! おめでとうございます!」
 と、女性が言った。
「このたびじょくんが決まりました!」
そうか!」
 泉が笑顔になった。
「ジョクン?」
 と、みどりがポカンとする。
くんしょうもらうのよ」
 と、千代子が解説(?)した。
「ああ、そのジョクンね。賞金いくら?」
「知らないわよ」
 しかし、ダイニングの客の一人が拍手をして、それをきっかけに、拍手が広まった。
 エリカたちはもちろん拍手しなかった。
 当人が喜ぶのは結構だが、あの女性がわざわざ他の客に向かって、
「この度、泉公彦先生に勲章が」
 と言わなくても良さそうなものだ。
「いや、どうも」
 泉も立ち上がって一礼すると、
「私の日ごろの仕事が評価されたものと思います。どうも
 と、拍手に応えた。
「ずっと連絡待ってたんだね」
 と、エリカは言った。
「私、料理を待ってる」
 と、みどりが言った

「おめでとうございます」
 ホテルを代表してか、西垣がやって来ると、泉に祝意を表した。
「いや、どうも」
 泉は肯いてみせた。
「ただいまお電話がありまして」
 と、西垣が言った。
「〈Nテレビ〉〈Sテレビ〉から、先生に取材をお願いしたいと」
「え? そうか。どうして分かったんだろうな。誰にも言ってないのに、ここへ来てることは」
「それに、〈M新聞〉〈Y新聞〉からも、先生がおいでかどうか、訊いて来ております」
「いや、ああいう連中はカンが鋭いね! まあ、隠れていても仕方ない。ここに三日間は泊まっていると答えておいてくれ」
「かしこまりました。では、そのように」
 エリカたちは顔を見合わせた。
「あれって、明らかに本人の方から知らせてるね」
 と、千代子が言った。
 確かに。エリカも、泉が口では迷惑そうなことを言いながら、そのじつ嬉しくてたまらないという表情をしていることに気付いていた。
 朝食の間に、さらに二つのTV局から取材の申し込みがあったと
 食べ終えると、エリカたちは先にロビーへ出て、エリカは一人、クロロックたちを待つことにした。
 十分ほど遅れてクロロックたちが出て来る。
「私、お土産みやげを見て来るわ」
 と、りょうが言って、ロビーの奥の売店へと行ってしまう。
 クロロックはとらちゃんを乗せたベビーカーを押していた。
「目立ちたかったのだな」
 と、クロロックが言った。
「本人は幸せそうだけど」
「しかしな、くんしょうなどというものは、いらないという人間もおるから、受勲者の名前を公表する前に、必ず受章するかどうか問い合わせるはずだ。その時点で勲章をもらうことは分かっている」
「そうか。きっと祝ってもらいたかったんだね」
「ワア」
「虎ちゃんが祝ってるよ」
 すると、ホテルの正面に車が着いた。
 西垣が急いで出て行くと、
「いらっしゃいませ! ご予約のお客様でいらっしゃいますか?」
 と、車から降りて来た女性に言った。
「予約は主人がしてるでしょ」
 と、高級ブランドのファッションで決めている中年女性は「当たり前」という口調で、
「泉公彦の妻よ。主人がいるんでしょ」
 と言った。
「あれ、奥さん?」
 と、エリカが言った。
「そのようだな。しかし、夫の方はここへ妻が来るとは知らないだろう」
ただいま、先生をお呼びします」
 と、西垣がダイニングへ行きかけたが、
「そこにいるのね。自分で行くから心配しないで」
 夫人は勢いよくダイニングへと入って行った。エリカはつい、中をのぞき込んだ。
 泉はコーヒーを飲みかけたところで、妻に気付いて固まってしまった。
 秘書らしい女性は、素早く立ち上がると、
「奥様
どうさん、ご苦労様」
 と、夫人は言って、
「あなた、お仕事じゃなかったの?」
 と、泉に訊いた。
「ああ、仕事だ、もちろん。ゆうべ終わったんで、ここで少しのんびりしようと
「充分のんびりしてるんじゃなくて?」
 と、夫人はいた椅子いすにかけると、ウェイトレスに、
「私にも朝食を」
「奥様、先生に勲章が
「分かってるわ。お祝いをしなきゃね」
「はい、本当にすばらしいことで
「お祝いの会の手配と企画はあなたがやってね」
「はい、もちろん」
「当日の受付までやってくれたら、それでいいわ」
「はあ
「お祝いの会が終わる前に、辞めてちょうだい」
「おい、、工藤君に何てことを言うんだ!」
 やっと泉が言った。
「僕が勲章をもらったのだって、工藤君が仕事で支えてくれたからだ。お前はそれを
「先生」
 と、秘書がさえぎって、
「私は先生のお役に立てれば充分です。他にも優秀な人はいくらも」
「そうよ。ゆうべは一部屋で泊まったの?」
「いえ、私はシングルで」
「じゃ、帰りたくをするのね」
 と言うと、夫人の沙代は、コーヒーを運んで来たウェイトレスへ、
「私は紅茶。憶えておいて」
 と言った。

【つづく】