吸血鬼と海辺の秘密 第一回

訪問
列車がスピードを落として、少し揺れた。
座席のリクライニングを倒してウトウトしていた神代エリカはその揺れで目を覚ました。
「間もなく終点……」
というアナウンスが車内に流れる。
「お父さん」
と、エリカは父、フォン・クロロックに声をかけた。
黒いマントをまとった「本家吸血鬼」のクロロックだが、今は少し口を開けてぐっすり眠り込んでいる。
「もう! ――お父さん、起きて!」
エリカが手を伸ばしてつつくと、やっと起きたクロロック、
「もう着いたのか」
と、大欠伸。
全く、「吸血鬼」ファンには見せられないわね、とエリカは思った。
まあ、それも仕方ないので、家族旅行となると、クロロックが荷物持ちから、幼い虎ちゃん、こと虎ノ介の面倒もみなくてはならない。
いかにタフなクロロックでもくたびれているのである。
「お母さん、もう着くよ」
エリカが声をかけたのはクロロックの若妻涼子。何しろ先妻の娘のエリカより一つ年下。クロロックは再婚相手の涼子に心底惚れている。
「ああ、よく寝た」
涼子はスッキリした顔で、
「あら、エリカさん。何してるの?」
「え? 何って――」
「あ、そうか。エリカさんも一緒だったのね、今度の旅行。うっかりしてたわ」
もちろん、忘れているわけはないので、エリカに、「私と夫の休暇の邪魔しないでね」と念を押しているのだ。
エリカも、そんなことにいちいち気を悪くはしない。
「みどり! 千代子! 起きて!」
と、少し後ろの座席にかけている大学の友人、大月千代子と橋口みどりに向かって呼びかけた。
「――もう夕ご飯?」
起きてすぐ食べることが気になっているのは橋口みどりである。
「まだ列車の中よ」
と、呆れているのは大月千代子だ。
列車は駅のホームへと入って行った。
終点だから、急いで降りなくてもいい。
エリカは自分のスーツケースと、涼子のバッグも一つ持たされていた。
ホームへ降り立つと、ひんやりとした風が頬を撫でる。
「海の香りだな」
と、クロロックが言った。
「ホテルのマイクロバスが迎えに来てるはずだよ」
「ワア」
元気一杯の虎ちゃんが、両手を振り回しながら声を上げる。
エリカたちが駅の改札口へ向かうと、同じ車両から降りた女性が、コートの裾を翻しながら小走りに追い抜いて行った。
車両は空いていて、エリカたちの他にはその女性一人しか乗っていなかったので、自然目が向いていた。
三十五、六というところだろうか。仕事が身についている印象の女性で、エリカが見た限りでは、列車では眠らずに、じっと窓の外を眺めていた。
駅もほとんど人がいなくて、静かだった。
夏のシーズンにはにぎわうのだろうが、今は秋も深まって、人出は少ない。
「涼しいね」
と、千代子が言った。
「プール、入れるのかな」
「海には入れないだろうけど、ホテルには温水プールがあるってよ」
と、エリカは言った。
「私、別に泳ぎたくない」
と、みどりが目をこすって、
「食べものがおいしければそれで満足」
――〈クロロック商会〉の社長であるクロロック。家族旅行はさすがに「出張扱い」にはしない。エリカ一人では寂しかろうと、千代子とみどりを、
「費用はこっちで持つ」
ということで誘ったのである。
エリカたちが駅の外へ出ると、目の前に〈ホテルH〉と書かれたマイクロバスが停まっていた。
そして、ちゃんとスーツ姿の中年男性がバスの前に立っていて、
「クロロック様でございますね」
と会釈した。
「お迎えにあがりました」
「ご苦労さま」
と、エリカは言って、バスの横側の荷物入れに、スーツケースを入れた。
みんなが荷物を入れて、バスに乗り込む。
エリカは、列車で一緒だった女性が、バスの一番奥の座席に座っているのを見た。
「――本日は〈ホテルH〉にお越しいただき、ありがとうございます」
と、スーツにネクタイの男性は挨拶して、
「私は〈ホテルH〉の支配人、西垣紀之と申します」
と言った。
「この季節はお客様が多くありませんので、マイクロバスの運転も支配人の仕事でございまして」
マイクロバスが走り始めると、みどりはスマホを取り出して眺めている。――この辺でおいしい店やお土産はないか、調べているのだろう。
バスは海沿いの道を十分ほど辿って、白亜の建物の正面に着いた。
「お待たせいたしました」
バスの扉が開くと、奥の席にいた女性が、急いで立って来て、真っ先に降りて行った。
荷物は大きめのバッグ一つ。そのままホテルへと入って行く。
「せっかちな人ね」
と、涼子が言った。
クロロックは、
「エリカ、虎ちゃんを頼む。荷物は私が運ぶ」
「うん、分かった」
スーツケースを下ろしていると、あの西垣という支配人が、荷物用の台車を押して来た。
「本当に何でもやるんだ」
と、千代子が笑って言った。
実際、西垣は、
「お荷物はお任せ下さい」
と、台車に次々にスーツケースを積み上げて行く。
クロロックが、
「みごとなものだな」
と、感心している。
「どうぞロビーへ。フロントでチェックインをお願いします」
西垣は台車を押してロビーへ入って行くと、急いでフロントの中へ入って、
「こちらでどうぞ」
――一人で何人分働いているのかしら、とエリカは思っておかしかった。
西垣はクロロック一行のチェックインを手早くすませると、それぞれルームキーを渡して、
「お荷物にお名前はついておりますか?」
と訊いた。
前もって言われていたので、名札が付けてある。
「では後ほど各部屋へお届けいたします」
「よろしく」
エリカは、涼子のバッグがあるので、一旦クロロックたちの部屋へ寄ることにした。
クロロックたちはさっさと部屋へ行ってしまっていた。
エリカは、みどりと千代子が、ロビーに置かれたパンフレットを眺めているので、一人エレベーターに乗ることにする。
扉が開いて、エリカが乗り込み、フロアのボタンを押すと、どこにいたのか、あの女性客が足早にやって来て、一緒に乗った。
エレベーターが上り始めて、エリカは、
「何階ですか?」
と、その女性に訊いた。
女性はハッとしたように、
「あ……。ごめんなさい。五階に」
「じゃ、同じですね」
エレベーターは比較的ゆっくり上って行く。
そして〈5〉で停まって扉が開くと、エリカは先に降りて、クロロックたちの部屋を捜して案内図を見た。〈510〉。広いタイプの部屋だ。
すると、その女性がエリカのそばへ来て、
「あなたは、あのふしぎな服装の方の娘さん?」
と訊いたのである。
「え? ――ああ、マントをはおった……。ええ、あれは父です」
「そうですか」
と、女性は肯くと、
「とても頭の良さそうな方ね」
と言った。
「そうですか?」
女性はエリカの方へ身を寄せて、
「お願い! 憶えておいて下さい。私がこのホテルに来たことを」
エリカは戸惑って、
「あなたは――」
「私は中林美佐子。――お願い。憶えておいて下さい」
「でも――」
「私は〈504〉にいます」
と言うと、
「ごめんなさい」
と、足早に行ってしまう。
エリカは首をかしげた。――何だろう?
中林といったか……。
エリカはちょっと肩をすくめて、〈510〉へと歩いて行った。
「――ありがとう」
涼子が出て来て、バッグを受け取ると、
「エリカさんも、このホテルでは何でも自由にしてね。私たちに遠慮はいらないのよ」
要するに、自分たちの邪魔をするなということだ。
「じゃ、夕食のときね」
と、エリカが〈510〉を出ると、クロロックが、
「エリカ、ちょっと待て」
と、廊下へ出て来た。
「どうしたの?」
「お前、ポケットに何を入れているのだ?」
「え?」
エリカは面食らってポケットを探ると、
「――あれ?」
見覚えのない物が出て来た。――細いボールペンだ。
「こんなもの……」
さっきの女性が近寄って来たときに入れたのだろう。エリカが説明して、
「どうして分かったの、ポケットの中って」
と訊く。
「気付かんか? 匂いがする」
「匂い?」
言われてみれば……。エリカはそのボールペンの匂いをかいで、
「何だろ、この匂い? 分かる?」
「おそらく粉薬だろう。私に貸せ。お前が持っていない方がいい」
「薬?」
「もしかすると、麻薬の一種かもしれん。私に任せろ」
「分かった。頼むね」
エリカはそのボールペンを父に渡して、自分の部屋へ行くことにした。
あの女性はどうしてエリカにあんなものを……。
それに一人で、ここでゆっくり休もうとしている様子ではなかった。
「何か事件が起こらないでよね……」
と、エレベーターの中で、エリカは呟いた……。
【つづく】