吸血鬼と真夜中の散歩者 最終回

明日へ


「どうしたの、エリカ?」
 と、居間へ入って来て、五月さつきが訊いた。
「突然ごめんね」
 と、エリカは言って、父、クロロックの方へ目をやった。
「でも良かったわ。夫が、ぜひクロロックさんとお話ししてみたいと言っていたの」
がわ氏はご在宅かな?」
 と、クロロックが訊く。
「外出先へ連絡してあるので、じき戻ると思います」
 クロロックはポケットから万年筆を取り出すと、五月に渡して、
「それに見覚えはないかね?」
「これ。私が契約書にサインした、ともさんの万年筆じゃありませんか?」
「その通り。持ち主は亡くなったが」
「友田さんが? 死んだんですか?」
 と、五月は目を見開いて言った。
「さよう。自らトラックの前へ飛び出してな」
「え。でも、どうしてそんなことを
 五月がぼうぜんとしていると、お手伝いの女性が、
「お客様です」
 と案内して来たのは
「お父さん! 何しに来たの?」
 と、五月が思わず立ち上がった。
 居間へ入って来たのはふじひろだったのだ。
「五月、すまんが、ここの主人に会わせてくれ」
 藤野は、ひどくあわてているようで、しかも疲れ切って見えた。
「今、出かけているわ。じき戻ると思うけど
 と、五月は面食らって、
「あの人に何の用なの?」
「金だ。払ってもらわなきゃならない」
「何のお金? 私を売った代金はあのとき払ってもらったんでしょ」
「そうじゃない! 喜多川には分かってるはずだ。のぞみのために金が必要なんだ」
「のぞみさんって、あのにんしんしてた人でしょ?」
「ああ。あいつは検査して、えらく難しい病気だと分かったんだ。治療に金がかかる。その金を
「でも、どうして夫が払わなきゃならないの?」
 クロロックがせきばらいして、
「話を聞いておいでのようだ」
 と言った。
 居間の入口に、喜多川が立っていた。
「あなた。聞いてたの?」
 と、五月が言った。
「これはどうも」
 クロロックが喜多川へ歩み寄って、握手した。そして、その手を少しの間、離さなかった。
「私には分かる」
 と、クロロックはうなずいて、
「脈の乱れがな。あなたの心臓はそう長くもたないだろう」
「あなたは医者でもあるのかな?」
「いや。長年の知恵というものだ。心臓を奪われたぬまさんの遺体には、独特の香りがした。そこの五月君も、そして今、あなたからも同じ香りがする。風呂の入浴剤ではないかな?」
「どういうことですか?」
 と、五月が訊いた。
「沼田さんは、一度この屋敷に連れて来られたのだ。そして入浴し、体を清潔にして。眠らされ、その後に心臓を取り出されて亡くなった」
「どうしてそんな
 がくぜんとしている五月に、クロロックは慰めるように言った。
「丈夫な心臓なら、何千万出しても欲しがる金持ちが世界にはいるのだ。その一人が、喜多川さんだった」
「まさか!」
 五月は喜多川の腕をつかんで、
「そんなこと、間違いでしょ? ね?」
 と言った。
「五月。私の心臓は、あとせいぜい半年しかもたない。何とかして少しでもお前のそばにいたいと思った。それで友田に話をすると、『移植できる心臓を見付けます』と言われた。しかし、まさか人を殺してまで手に入れているとは知らなかった」
 喜多川は苦しげに言った。
「そんなことはない! あんただって分かっていたはずだ」
 と、藤野が言った。
「お父さんも一緒になって?」
「いや、俺は買い手を見付けただけだ。やったのは友田の奴だ。あいつはギャンブルの借金で追いつめられていた」
 すると
「勝手なことを言うな」
 と、声がした。
「俺一人じゃ、あんなことはできない」
「友田さん!」
 五月がびっくりして、
「生きてたの?」
「うん。トラックにひかれて死のうと思ったんだが、トラックがぶつかる寸前に、何だか体がフワッと。よく分からないけど、宙に浮かんでいた。気が付いたら、トラックの運転席の上にのっかってたんだ」
「ひとりでに?」
「飛び上がった記憶はないけど。命拾いしたことで、自分が何てひどいことをしたんだろうと。自首して出るよ」
 と、友田は言って、
「君の夫は、ただ君と少しでも長く過ごしたかったんだよ。本当に君にひとれしたんだな」
「ともかく
 と、クロロックは友田と藤野を見て、
「心臓をどこへ売った? 買った人間にも責任がある」
「あなた
「私に合う心臓は結局見付かっていないんだ。それでも代金は半分払うことにしていたからな」
 と、喜多川は藤野を見て、
「金は払おう。奥さんのためだ」
 藤野は力なく座り込んでしまった。
「お母さんが病院長なんだから、よく相談したら?」
 と、五月は言った。
「五月。喜多川さんとのことは、二人だけの問題だからね」
 と、エリカが言うと、喜多川が五月の肩に手をかけて、
つらかったろうな。しかし、あと半年のしんぼうだ。お前は自由になる」
「あなた」
「まだ私を『あなた』と呼んでくれるのか」
「だって、夫婦ですもの。そりゃあ大変なことも色々あったわ。でも、あなたはやさしくしてくれた。私を自分の持ち物のようには扱わなかったわ」
「五月
「ね、お母さんと相談しましょ。医学は毎日進歩してるのよ。まだまだ元気でいられるかもしれない」
 そう言って、五月は喜多川にキスした。
「まあ、年齢としの差というものは、それなりに面白いこともある」
 と、クロロックは言った。
「そうだね。うちなんか、何百年も
 と、エリカは小声で言うと、
「忘れないでね」
「何のことだ?」
「みどりに、すき焼き二人前!」
「そうだったな。お前も食べるのか?」
「当たり前でしょ」
 エリカはクロロックをつついて、
だって、たぶんお母さんととらちゃんだって、ついて来ると思うわよ」
「すると何人前になる?」
 クロロックは指折り数えて、
「みんな胃袋は丈夫そうだからな」
 とつぶやいた

【おわり】