骨を盗む日 最終回

冷静に考えれば犯罪だよなあ。
やっぱり骨を盗んだら窃盗罪なのか、それとも墓を暴くことによる不法侵入的な罪なのか。おそるおそる調べてみると、死体損壊・遺棄罪という、思っていた以上に不穏な罪名が出てきてぎょっとした。
十月一週目の金曜日の夜。明日、私は灯加と骨を盗みに行くことになっている。怖気づいたわけではない。けれど、急に母の声が聞きたくなって電話をかけた。
「急にどうしたの」
どこか静かな場所にでもいるのか、電話口からは母の声以外なにも聞こえなかった。
「いや……なんとなく」
「ええ?」
戸惑いを率直に声にしました、という母の返事が耳にこもる。前科がつくかもしれないと考えたら感傷的になった、なんて理由はもちろん告げられない。
「今なにしてたの」
結局どうでもいいことを聞いてしまう。母が勘繰るように眉をひそめる姿が想像できた。
「みんなでテレビ見てたけど」
「三人で?」
「え? うん。三人で。クイズ番組」
そうなんだ、と相槌を打ちながら母と灯加と笠井さんが三人で同じものを見ている姿を想像する。しっくりこない。ただ、母の声は機嫌がよさそうだった。
「今の生活、楽しい?」
「ん? うん。楽しいよ。灯加はちょっと変わってるけど、まあ慣れちゃえばね。春子と違っていつもにこにこしてるし」
「なにそれ」
「春子っていつも怒ってたじゃない」
「だってそれは」
お母さんが怒らないから、と口から出かかってのみこんだ。とくに話したいことがあったわけではない。けれど少なくともこんな話がしたくて電話をしたのではなかった。
「私がいい母親じゃなかったからだね、ごめんね」
急に謝られても困る。私は母に、「いい母親」なんて望んでいなかった。ただ、父に負けないでいてくれればそれでよかった。
「……お母さんって、笠井さんと一緒のお墓に入るの」
思っていることをうまく伝えられる気がしなくて、気づいたらそんなことを聞いていた。母にしたら唐突な話題だっただろう。「はかっ?」と私の言葉を繰り返す声が裏返っていた。
「いや、死んだあと……骨になるじゃん」
「死んだあと……」
「あ、誤解しないで。死んでほしいとかじゃないから」
「そんなこと急に言われたらびっくりするよ!」
それまでの物々しさとは打って変わってくだけた口調で母が言うから、空気がふっとやわらいだ。だよね、と言いながら私の頰もゆるんでいく。
「まあ……お墓には入るんじゃないの。一回お参りに行ったけど」
「つまりお母さんは死んだあとに、亡くなった、ええと、灯加の実のお母さんと一緒のお墓に入るってこと?」
奥さんと言うのは嫌で、けれど「前の妻さん」と言い換えたところで伝わるのかわからなくて、まどろっこしい言い方になった。
「ああまあ、そうなるだろうね。永幸さんがいいって言うなら」
「そういうのって、お母さん的にいいの? 笠井さんの許可をもらってまで一緒の墓に入りたいと思うの?」
「うーん……」
答えに迷っているのではなく、すでに出ている答えを私に言うべきか考えあぐねているような小さな唸りだった。下手なことを言って、また私を怒らせるのは嫌だと思っているのかもしれない。
「春子が言いたいことも、ちゃんとわかるよ」
やけにやさしく母が口をひらく。嫌だな、と思う。やさしくされると、怒れない。
「価値観のアップデートとか、春子はよく言ってたね。でも、それって私の今までの生き方を否定される気がして、急に言われてもどうしたらいいかわからないよ。情けないけど」
私は、母に対して配慮が足りなかったのだろうか。正しさを押しつけて、ひたすら母を追い詰めていたんだろうか。怒らないほうが、母のためになったんだろうか。
「春子から見て、永幸さんはどんな人?」
「亭主関白なかんじがする」
正直に告げると、母が軽く笑った。
「そうだね、そういうところはあるかも」
「嫌じゃないの?」
「嫌とか嫌じゃないとか言える年齢じゃないよ。でも再婚したからにはとことん養ってもらう」
思いがけず強かな言葉が母から出てきて意外に思う。そんなふうに考えてたんだ、と驚きながら返すと、「春子に心配かけたくないからね」と穏やかな声が届いた。
「でも、灯加がすねをかじりすぎてもうほとんど骨になってるかもって言ってたよ」
冗談めかして伝えると、「そういえば永幸さんのコート、ぼろぼろだったもん」と母が笑った。
「今度さ、ゆっくり教えてよ。春子にとって永幸さんのどんなところが嫌なのか。私もちゃんと聞くから。できれば怒らないで、やさしく教えて。私もなめられたいわけじゃないから」
「怒らないかどうかは、約束できない」
そう返すと、「やだー」と母が子どもっぽく言った。
そんなふうに電話を終えてベッドに入り、眠りに落ちる準備をしながら思った。母の味方でいよう。もしも母が自分の死後に笠井家の墓から骨を盗んでほしいなんて頼んできたら、そのときは迷わず実行しよう。けれど本当は、そんなことを望まないような生活を送ってくれるのが一番よかった。
朝起きたら雨が降っていた。天気予報を確認すると、夜までやまないらしい。
冬物のコートを出せばよかったと後悔するほど肌寒く、歩くたび路面に溜まった雨水が跳ね足首から下が濡れた。
灯加が用意しているかわからなかったので、途中コンビニに寄ってカッパと軍手を買った。寺院に到着するころには、穿いていたジーンズはだいぶ変色していた。
寺院の入り口で、灯加はすでに私を待っていた。水色の傘を差し、前にお参りに来たときも持っていたトートバッグを肩からかけている。「春子ちゃん」と軽く左手を掲げる灯加にすぐ駆け寄れなかったのは、彼女のとなりに見知らぬ中年の男性が立っていたからだった。
痩せぎす、という言葉をこれまで使ったことがないはずなのに自然と頭に浮かんだ。少しでも雨風が強くなったらふらりと倒れてしまいそうな、痩せた青白い顔をしているおじさんが、当たり前のような顔をして私に会釈をしてくる。つられて私も頭を下げる。だれだ。
「はなげさんです」
灯加が当然のように紹介する。男性はどこか照れくさそうにしている。
「え、はなげさん。ってあの」
「どうも今日はお招きいただいて」
いや私は招いていない。灯加に「どういうこと?」と聞くと、「手伝ってくれるって」とからりと笑う。
灯加は今からすることの意味をちゃんとわかっているんだろうか。私たちは、死体損壊・遺棄罪に問われるかもしれないことをするのだ。なぜやすやすと他人に言ってしまうのだ。疑心がたっぷりと詰まった私の視線に気づいたのか、はなげさんは「だれにも言いませんよ」と右手をぶんぶんと振った。
「ただ笠井さんの力になりたくて」
「いい人なんだよ」
いい人だったら、むしろ灯加を止めるのでは? やっぱり「いい人」という評はどこか信用ならない。私がなおも疑いの目を向けていると、「やっぱりご迷惑でしたね、すみません」とはなげさんがしおらしく謝った。
「ご迷惑というか……今からすることわかってます?」
「はい。遺骨を盗むんですよね」
「あ、はい……」
はなげさんの目には迷いがなかった。初対面の相手の人間性を見定める能力はないが、人を裏切るような目つきには見えなかった。そもそも、これから行うことを警察に密告するとして、メリットってあるのか? 私たちの弱みを握ろうとしている……?
拒絶も承諾もできないまま、はなげさんの鼻のあたりを見やった。鼻毛は出ていない。
私の視線が自分の鼻に向かっているのに気づいたのか、はなげさんがばつが悪そうに人差し指で鼻先をかいた。
「本名です」
そう発するのをもとから決めていたとでもいうように、はなげさんはなめらかに言った。
はなげは花毛と書くらしい。昔からよくからかわれて……と聞いてもいないのに語りはじめる花毛さんだった。灯加が呼んだのなら私に帰す理由はなく、互いの傘が当たらないよう距離を取りながら、三人で笠井家の墓に向かっていた。
「絶対にみなさん花の毛ではなく鼻の毛のほうの漢字でわたしを呼んでいると思うんですよね」
はなのけではなくはなのけのほう……。なんとなくイントネーションを変えているから植物の花と顔の鼻のことだとはわかったが、それにしてもなにを言っているんだこの人はと突っ込みたくなるせりふだった。
「でも笠井さんは不思議なんですが、鼻の毛でも花の毛でもなく、ひらがなで呼んでくれている気がするんですよ。なんだかそれが、わたし自身を見てくれているように感じられてうれしかったんです」
いったいなんの話を聞かされているんだろう。はあ、はあ、と炭酸が抜けたサイダーみたいな相槌を打つ。懸念していたけれど、この天候のおかげか、ほかにお参りしている人はいない。雨音と花毛さんの声だけが、薄暗い墓地にしっとりと響く。
待ち合わせ場所で花毛さんに遭遇したとき、私には自然と嫌悪感が生まれていた。灯加に下心でもあるんじゃないかという偏見もあった。しかし彼の脈絡もない話を聞いていると、どうもそんな気配はないように思える。
「はなげさんも会社でうまくいかなかった人なんだよ」
湿ったような声で灯加が言う。
「恥ずかしい話ですけど、人間関係が駄目で。よかれと思ったことがすべて裏目に出てしまったんですよね。歓迎会を鬱陶しがられたのはショックだったなあ」
控えめな口調ながらも花毛さんは話すのを止めなかった。若い新入社員の歓迎会を企画したら今時じゃないと批判されたこと。親しくなるつもりで名字ではなく下の名前で呼んでセクハラだと注意されたこと。女性に力仕事をさせないよう手回ししたら差別だと糾弾されたこと。
その場にいなかった私には、どちらが正しいのか判断できない。花毛さんの立場から聞くと、彼に非はないように思えてくる。
「でも、不思議なんですけど、いやしかたないことなんでしょうけど、わたしと同じことを女性がすると許されるんですよ」
しかたないですけどね、とあきらめたように花毛さんが付け加えたとき、すでに私たちは笠井家の墓の前に立っていた。
「わたしがおじさんだからしかたないんです。おじさんだから鬱陶しい、おじさんだからなんでもハラスメント、おじさんだから間違っている……」
どこか言い切るような語調には卑屈さが滲んでいる。けれど花毛さんをそんな性格にしたのは、私たち世間にも要因があるのかもしれなかった。
「でも笠井さんは、おじさんというフィルターを通さずわたしと話してくれました。だから笠井さんを応援したいんですよ!」
花毛さんが鼻息荒く声高に叫ぶ。といってもその風貌通りのか細い声なので、朝方より強くなっている雨に声量はやや負けていた。
「深澤さんにとったら、意味不明なおじさんだと思いますが」
申し訳なさそうに目を伏せる花毛さんに、「はなげさんはちゃんとわたしの友だちだよ」と灯加が誇らしげにフォローを入れる。その友だちは、少なくとも私のラインの「友だち」よりも、ちゃんと関係が結ばれているんだろうと思った。
「じゃあ、まあ三人でやりましょうか」
どちらにしろもう引き返す気はない。しかし買ってきたカッパと軍手を取り出して、二人分しかないことに気づく。共有しなかった灯加のせいなのだが、気まずい。すると灯加
が「ちゃんと持ってきたよ」と三人分の軍手を出した。
「軍手だけ?」
「傘はみんな持ってくると思って」
「だって石どけるのに傘持てないじゃん」
「あ、いいですよわたしは。おじさんなんで、濡れても。おふたりでカッパを着てください」
花毛さんの、おじさん卑屈が正直ちょっと鬱陶しい。一人だけ濡らすのもいたたまれないので、「もう平等に濡れましょう」と提案した。灯加も「そうしよう」と同意する。なんだか楽しそうだ。
腹をくくり、たたんだ傘を墓石の隅に並べる。あっという間に全身が濡れた。薄い上着が水を含んでどんどん重くなる。
動かす石は二つあった。正面に積み重なった石をどかせば、骨壺が入っているカロートという空間があらわれる。らしい。灯加を真ん中に狭み、せーのお、というかけ声で墓石を持ち上げる。いったいどれくらい重量があるのか、ちょっとした荷物が入った段ボールくらいの大きさしかないのに、やっぱりとんでもなく重い。痩せ細った花毛さんが来たところで、猫の手にもならなかった。
「立派な墓石ですねえ!」
さっそくふうふうと息を切らしている花毛さんがとつぜん口をひらくので、驚いて石を落としそうになる。
「大島石ですか、はあなるほど、わたし採石場を見学したことがありますよ。この石がいいのは、年月が経っても、見た目の変化がほとんどないところなんですよ。堂々としていますよね!」
よくわからなかったので黙っていたが、灯加は「さすが詳しいですねー」と感心している。石を地面にそっと降ろし
たとき、花毛さんが「あっすみません」と恐縮しながら言
う。
「おじさんが調子乗っちゃって、すみません。石のことになるとつい話したくなってしまうんですよ、初対面なのに配慮が足らず、すみません」
配慮という言葉に、わざとらしさを感じるようになったのはいつからだろう。形だけの配慮をされるくらいなら、遠慮がないほうがよっぽどいい。
「べつに、いいですよ。話したいこと話してください。嫌だったら私もそう言うので」
私が言うと、花毛さんの表情がぱっと明るくなった。ありがとうございますと目を細める花毛さんに、私のほうがお礼を言いたくなる。ありがとう、私を排除しないでくれて。
二つ目の墓石に両手をかけた。また、せーのおと三人で声をかけあう。石を持ち上げたとき、暗い空間のなかで真っ白な骨壺が浮き上がった。
「あったあった」
石を地面に置き、灯加が墓のなかに手を伸ばす。骨壺は三つあった。生前の名、命日と享年が書かれた黒いラベルが貼られている。奥の二つは灯加の祖父、祖母、そして手前に加奈子さんのものがあった。笠井加奈子と書かれた骨壺をしずしず取り出し灯加が私たちの前に差し出す。
「あけるね」
「ちょっと待って」
あわてて傘を持ってきて、骨壺が濡れないように差す。なんだか緊張した。
壺は封もなにもされていない。ぱこっと簡単に壺の蓋が開く。三人で中身をそっと覗き込む。白い小さなかたまりが詰められていた。真っ白というよりは、やや黄色っぽい。ところどころ赤くなっているものもあった。
思えば私は葬式に参列したことが一度もない。母の両親は健在だし、父方は親戚どころか祖父母に会った記憶もほとんどない。こんなにしっかりとした骨を、鶏肉以外ではじめて見たかもしれない。いや骨付きマトンとか食べたことあったか? とにかく人間の骨というのは、思っていたよりころころしている。
「この少し大きな骨がたぶん頭蓋骨ですね。それで、この骨が喉仏です」
てっぺんに置かれている不思議なかたちをしている骨を、花毛さんがそっと指し示した。
「え、喉仏。わかるんですか。ていうか女性にも喉仏ってあるんですか」
それはドーナツみたいに空洞ができている骨だった。人間が両手でなにかを抱いているようなかたちにも見える。
「いや、その喉仏じゃなくて、ええと、首の骨です。このへん」
花毛さんが自身のうなじをさすった。つられて、私も同じところに指を沿わせた。皮膚の上から首の骨の感触がぐにりと指に伝わった。
「喉仏は、必ず最後に拾うことになっていて、だから骨壺の一番上にあるんですよ。骨がもろいと残らない人もいるみたいですがね。ほらこの骨、仏様が座禅を組んでいるように見えるでしょう」
なにかを抱いているのではなく、座禅か。そう言われてみると、たしかにそんなかたちに見えてくる。
「それで、骨壺ごと盗むんですか?」
海賊の下っ端が船長におそるおそるおうかがいをたてるような、そんな花毛さんのたずね方にこちらまで緊張が伝わる。しかし「これに入れ替えようと思う」と骨壺をその場に置いた灯加がトートバッグから出したものを目にして拍子抜けした。
四角い深い青い缶。自分ではご褒美用にしか買わない、ヨックモックの缶である。めったにお目にかかれない、おそらくシガール四十八本入りの缶。
「お母さんヨックモック好きだったから買ったんだ。中身はわたしが食べちゃったけど。おいしいよね」
思わず花毛さんと見つめあってしまった。声には出さずとも、互いに「いいんだろうか……」と考えていることがわかる。たしかにおいしいのは間違いないけれど。
しかしほかにちょうどいい入れ物があるわけでもない。私も一応紙袋を持ってきていたが、娘がいいと言うならいいのかという短絡的な理屈で自分を納得させ、静かに骨を入れ替えはじめた。灯加が喉仏をまず手に取って、缶の端に置く。
骨って、手で摑んでいいんだっけ。長い箸を使うんじゃなかったっけ。しかし当然、そんなものはない。骨壺とヨックモックの缶を中央に置き、そこに傘を差しつつ三人でしゃがみ囲んだ。骨壺に手を伸ばし、ひとつをそっと取る。
軽かった。少しでも力を入れたらセミの抜け殻みたいにくしゃりとつぶれてしまいそうだった。
花毛さんも緊張しているのか、骨をつまむ前、つど息を吸って吐いていた。灯加だけが、ひょいひょいと骨を入れ替えている。さすがに乱暴に扱っているなんてことはないが、取り込んだ洗濯物をさっさっさっとたたんでいくような所作だ。
「遺骨って、石に似ていますね」
ふいに花毛さんが厳かな調子で言う。むりやりひねり出した話題に思えたが、それを口にした花毛さんは本気で言っているようである。沈黙が続くと、雨のなか無言で遺骨を盗んでいるという状況に我に返りそうになるので、おとなしく彼の言葉に耳を傾けた。
「なんというんですかね。石って寡黙ではあるんですけど、さわると声が聞こえてくるような気がするんですよ。どこから来たのか、どんな環境に身を置いていたのか、いつできたのか、なにでできているのか。どんなに小さな石にも旅路があるんです。じっくり観察すると、それが伝わってくるんですよ。わたしも石みたいになりたいとずっと思っていました。黙っていても伝わるなんて素晴らしいじゃないですか。でもいつかわたしも骨になるなら、それでいいかあ……」
私たちに語りかけているというよりは、ほぼ独り言のようだった。石と骨が似ているのかは、わからない。けれどなにかが伝わってくるというのは、わかる気がした。
「お母さん、なにか言ってますか?」
灯加が目を丸くしながらたずねる。花毛さんは、「笠井さんに感謝していると思いますよ」とほほえんだ。そうですか、とどこか不安そうにしている灯加に、「私もそう思うよ」と伝えた。場当たり的に言ったのでも建前のつもりでもなかった。移し替えた骨は、骨壺のなかにあったときよりも、白くまぶしく光っているように見えた。
骨壺の大きさに対して、骨は思ったより少なかった。
「病気だったり入院で寝たきりだったりすると、骨が弱くなってあまり残らなかったりするんですよ」
と、年長者らしく花毛さんが教えてくれた。
思っていたよりずっと簡単に、骨を盗めてしまった。空になった骨壺を元あった場所に戻し、重い石をまた三人で運び、ふうと一息ついたあと、ヨックモックの缶を灯加が大事そうに抱えた。その姿が、喉仏のかたちと似ていた。
両手がふさがっている灯加を私の傘に入れてやった。人気のない墓地の区画路を、花毛さんを先頭にして歩いていく。距離が近いから、ときおり灯加と腕がぶつかった。
「日本では火葬が当たり前じゃないですか」
花毛さんはおしゃべりが好きなんだろう。沈黙がおとずれると、必ず口をひらく。
「ほかの……たとえばイスラム教圏は絶対に土葬で、火葬は禁止されています。死後の復活に肉体が必要だと信じられているから。でも仏教は、輪廻転生。肉体がなくとも魂が生まれ変わるとされていますよね。まあ日本ではそもそも土地がないから火葬という合理的な理由もあるんですが」
「なるほど……」
灯加と相槌がかぶる。花毛さんがうなずく。顔は見えないが、その背中はなんだか誇らしげである。
「でも、笠井さんのお母さんの骨を見ていたら、刻まれているなって思いました。骨にも、魂がある気がしました」
ぼたぼたと雨が地面を打つ音にまぎれて、ヨックモックの缶のなかで骨がからからと動く音が聞こえた気がした。
「宗教観ですから、どちらがいいということはもちろんないですけどね。ただ、わたしだったら、ひとりで暗いところにいるよりもだれかに見守られながら燃えたいって思いました。そのほうが盗みやすいですし」
最後のひとことを冗談めかして言った花毛さんに、たしかにーと灯加が笑った。花毛さんのその言葉が、妙に私の心に留まった。
燃えたい。そんなこと、思いもしなかった。私はいつも燃やしてばかりいたから。
「その骨、結局どこに置くの?」
灯加に聞くと、うーん、と少しのあいだ考えるそぶりを見せ、
「お母さんの実家に相談しようと思って。お父さんには知られちゃうけど」
そう言いながら缶を撫でた。私も結局、そうするしかないように思えた。
「笠井さんへの説明、私も一緒にするよ」
「春子ちゃんがいてくれるなら心強いな」
うたうように灯加が言う。私も、灯加が姉になって心強いと思った。この姉は、私が燃えたとしてもきっと骨を拾ってくれる。
寺院を出るとき、一組の家族とすれ違った。まさかヨックモックの缶に遺骨が入っているなんて思いもしない彼らは、色とりどりの花を持ち、墓地のほうへ向かっていった。
おはようございますと発すると、三津田さんからおはようございますーと眠そうな声が返ってくる。課長のほうを見る。始業前だというのに食い入るようにモニターを凝視している。これは目の前の仕事に集中しすぎていて挨拶聞こえませんでしたポーズ。
パソコンの電源を入れ、パスワードを入力したところで矢島健太郎が出社する。おはようございます、という彼の声に課長が顔を上げておはようと返す。日常的な景色だが、課長の声がいつもよりピリッとしていた。機嫌が悪いのか「あー」と唸り、舌打ちまでしている。とても嫌な気持ちでその様子を観察していると、「セールの売り上げが悪いんですよ」と課長が口をひらいた。
「これやっぱりセール用の文言が駄目だったんじゃないかと思うんですよね」
嫌味ったらしい敬語。これはもしかして私に言っている?
「どう思いますか、深澤さん。やっぱり安直だったんじゃないですかね。まあ女の人になら通用したんでしょうけど」
私の名前を発してもなお、課長はこちらを見ずにパソコンと睨み合っている。出たお得意の女性蔑視。というかそれは私のせいなのか? 勝手に私を立てたつもりになっていた矢島健太郎は? 結局承認し、さらにその文言を自分で考え直した課長自身の責任は? どうしてこういうときだけ。
「なんで燃えねえんだよ」
顔が熱かった。悔しくて、惨めで、情けなくて、怒りが止まらなくて。頰が痙攣して、その震えを止めたくて、気づいたら口をひらいていた。
「なめてんのか? 私のことなめてるよな。対等な存在として見てねえだろ。馬鹿にしてんじゃねえよ。飽きもせず健太郎健太郎健太郎うるせえんだよ。そんなに男と働きたいなら最初から女を雇うなよ。どうせなら徹底的にクソミソジニストであれよ。中途半端なことしてんじゃねえよ!」
課長も、矢島健太郎も、三津田さんも、ほかの部署の社員も私を見ているのがわかった。ああこれ私がしゃべってるのか。支離滅裂な暴言。顔を上げたら泣きそうで、デスクトップの画面を凝視していた。
「ちょっと深澤さん、なに」
課長が苛立ちと困惑を含んだ声を上げる。苛立ちのほうが勝っているようだった。課長に感情を向けられていることが新鮮だった。なぜか安心する。そうだ。怒れ。おまえも私に怒れ。どうせなら盛大に私を燃やしてみろ。
「なにっていうか言ったままです、毎日毎日、私怒ってるんです。自覚ありますか? 課長は女性を見下してます。どうですか、女にこんなふうに言われて。むかつきますか? 女のくせにとか思ってますか?」
「いやそんなこと思ってるわけないでしょ、なんなの本当」
「自覚ないんですか? それって救いようがなくないですか。本当にクソだ。課長みたいな人のせいで、怒ってる人が、我慢してきた人が、どれくらいいるかわかってんのかよ」
灯加に石を見せてもらった日。あの日の帰り道に拾った石を、私はなぜかポケットに入れていた。こんなのお守りにもならないのに。だけど花毛さんが遺骨と石が似ているなんて言うから。仲間になりたかった人が、力をもらえると言っていたらしいから。骨を盗んだあの日、励まされた気がしたから。
そっと石に指先を当てる。ひんやりと、かたい感触が伝わってくる。
「課長、一回でいいんで、自分で燃えてくれませんか」
はあ……? というこちらをなめくさった課長の顔が笑えた。矢島健太郎が空気を変えようとしているのか、「とりあえず……仕事しますか」と取りなしてくる。
取りなすな、と私はまた叫んでいる。もうどう繕ってもやばい女扱いされる。そう思いながらも止められなかった。
だって気持ちがよかった。投稿が炎上していくのを眺めているときより、ずっと気持ちがよかった。
石とは反対のポケットに入れているスマホが一瞬震えた。灯加からのメッセージのような気がした。灯加は妙にタイミングがいい。
これから私はどうなるだろう。より居心地悪くなるのか。あんがい確執がなくなるのか。いっそ会社をやめるのか。
なにもわからないが、灯加から連絡がきているのなら、返事をしようと思った。
課長が立ち上がる。目が合って、はじめてこの人の顔を見たと感じた。
指先にふれる石が冷たい。けれどそれは決して、私の怒りを冷まさなかった。
【おわり】