仏蘭西より死の舞踏来る 後編


 がいこつたちとの距離は、それなり以上に離れている。しかし、あきは一瞬にして骸骨の群れへと飛び込んだ。槍が明子の筋骨の力を引き出し、人間離れした身のこなしを可能にさせるのだ。
 突き通し、()ぎ払い、蹴散らし、撃ち破る。さながら一条の光線の如く、明子は骸骨たちの中を()せ抜ける。
 骸骨たちも、なすがままにされるばかりではない。自らや仲間の骨を振り回し、抵抗してくる。
 しかし、明子の敵ではない。(かわ)し、止め、弾き、流す。磨いた武技を以て、骸骨たちを制圧していく。
「さて、一段落かしら」
 そう言って、明子は肩に槍をもたせかける。骸骨は残らずバラバラになり、辺りにはひたすら骨が散らばっていた。さながら墓場のようである。
「もう少し骨がある、と思ったけれど」
 上手いことを言ってやった、とにやりとしたところで、散らばった骨がぷるぷると動き出した。明子の(かい)(ぎゃく)が受けたのかと思ったが、どうも違うようだ。そもそも相手は洋怪であり、こちらの言葉は通じないはずである。
「ちょっと不穏ね」
 危険を感じ、明子は骨から離れた。
 骨は、どんどん積み重なっていく。一体どうなるのかと思いきや、合体してより大きな骸骨になってしまった。
「何これ、がしゃどくろじゃないんだから」
 明子は呻いた。がしゃどくろとは、(ほうむ)られなかった死者の骸骨が集まって巨大化したものである。西洋からきた洋怪ではなく、日本原産の妖怪だ。
「日本に流入したことにより、新しい姿を得ているのかもしれませんね。人が新たな価値観に触れて変化するように、洋怪や妖怪の姿もまた(うつ)ろっていくのかもしれません」
 そんな声が、明子の隣からした。はるたかだ。
「あとはお任せください」
 治尊の手には、一振りの刀が握られている。細い刀身で、(こしらえ)に華やかな飾りが施された飾太刀だ。細く反りの小さい刀身は、白く柔らかな光を放っている。明子の『白根』の穂先と似ているが、違うところもあった。『白根』は、金属の穂先が光を纏うかのような形になっている。一方彼の刀は、刀身そのものが光のみでできている。
()(こん)の狼藉、(まか)り成らず」
 優雅とさえ言える足取りで、治尊は巨大な骸骨の前に立つ。
「勅令を奉じ、妖務課が(ぼう)(あつ)す」
 巨大な骸骨は、明らかにたじろいだ。死をも恐れぬと豪語した者たちの集合体が、(ひる)んでいる。死よりも怖い何かを、治尊は彼らに感じさせているのだ。
 骸骨が、その拳を振り上げる。治尊を、一撃の下に粉砕しようというのだろう。
 しかしその拳が治尊に届くことはなかった。拳が振り下ろされるそれよりも早く、治尊は動いた。目にも留まらぬ速さで骸骨の懐に飛び込み、刀を振るう。
 流れる水のようだった。それも、水しぶきを上げる(ばく)()や岩をも削る急流ではない。穏やかなで(たお)やかな、山間のせせらぎである。
 柔らかとさえ言える一閃。しかしその一閃が、見上げんばかりの骸骨を両断した。骸骨はその場に倒れる。先程のようにばらばらになることもなく、まるで煙のように消えていく。
 一刀両断。言うは易い言葉だ。しかし、武技としては奥義の部類に入る。兜を割る、鬼の腕を切る。名刀にはまさしく一刀両断の伝説がつきものだ。しかし伝説というものは、滅多に起こらないからこそ伝説なのである。
 明子は力で押し切った。
 治尊は技で討ち取った。
 ただそれだけの違いといえば、それだけの違いだ。しかし二人の間には、圧倒的な距離があるように思えた。
 光る刀を()げて、治尊は立っている。恐るべき怪物を、一太刀で仕留めた。にもかかわらず、誇らしげな様子はない。その背中は、どこか寂しそうだ。
 追いつきたい。彼と並んで、戦えるようになりたい。彼の背中に隠れて守られるのではなく、彼の背中を守れるようになりたい。そんなことを思いながら、明子は槍をきつく握ったのだった。


 夕闇迫る川沿いの道を、一台の人力車が走っている。
 その座席に、明子と治尊は並んで座っていた。()いているのは、等持院家お抱えの(しゃ)()だ。
 治尊は、何も言わない。黙って、彼方に沈んでいく夕日を見やっている。明子はというと、ちらりちらりとその様子を窺ってばかりいる。
 夕日は、治尊側の向こうに沈んでいる。それを治尊が眺めているのだから、彼の表情さえも見えない。話しかけようにも、話しかけられないのだ。
 骸骨を切り捨てた時の、寂しそうな背中が思い出される。理由は、はっきりと分からない。気になるが、聞き出すのは大きなお世話かもしれない。明子と治尊は、夫婦となって日が浅い。こういう小さな、しかしはっきりとした「越えられなさ」は、しばしば感じられる
おあきさん」
 夕日の方を見たまま、治尊が言う。
「少し、お話が。言おう、言おうと思っていたのですが」
「何でしょうか?」
 不安の雲が、明子の胸にかかる。まさか、夫婦関係を解消しようとでも言うのだろうか。やめろと言うのに鋸を使ったり、骸骨を仕留めきれず迷惑をかけたり、渋沢栄一を敵視したりする自分に愛想が尽きたのだろうか。
 治尊が、こちらを向いてくる。やや、厳しい表情にも見える。
 やはり、そうなのか。明子は身を硬くした。様々な理由から、契約として結んだ縁である。しかし、そうやって淡々と割り切ることができない
「綺麗な夕日です。折角だから、少し一緒に見ませんか?」
え?」
 思いもよらなかった言葉に、明子は戸惑う。
「停めてもらってもいいかい」
 明子が目をぱちくりさせていると、治尊は俥夫にそう声を掛けた。
「はい」
 俥夫は、短く返事をした。他には何も喋らない。()(もく)なのだ。
 少し行くと、俥夫は車を停めた。丁度、夕日に向き合うような形である。ぺらぺら喋らないだけで、二人のことをよく考えてくれているのだ。
「ご用があれば、お声掛けを」
 それだけ言い残すと、俥夫は離れていった。
 二人は、並んで夕日に向かい合う。
時折、考えます」
 夕日の方を見ながら、治尊が言う。
「わたしは、大切な妻を危険に(さら)してばかりいるのではないかと」
 明子は仰天した。大切な!
「たとえそれが、代々受け継いできた家業のためとはいえ」
 大切な妻と言ったのか!
おあきさん?」
 治尊が、怪訝そうな顔で見てくる。
「は、はい。聞いておりますよ。ええ、家業ですよね」
 どうにかこうにか、明子は我に返る。
 今日のような妖怪変化の成敗が、彼の生まれた等持院家の「家業」なのだという。通常の公家であれば歌や()(まり)有職故実(こまかいしきたり)などであるところ、彼の家は()()(もう)(りょう)との戦いなのである。
「ええ。妻の幸せを守りたいと思っているのに、あべこべなことばかり()いているのではと」
 明子は(きょう)(がく)した。妻の幸せ!
「夕日を眺めるような、そんな穏やかな暮らしを送らせてあげられない。そのことが、申し訳ないのです」
 妻の幸せを守りたいと言ったのか!
「わたしは武門の(とう)(りょう)なのです。心構えは常在戦場、槍働きはむしろ(ほん)(かい)にございます」
 どうにかこうにか、明子は正気に返る。
「もしや、そのことをずっとお考えだったのですか?」
 明子の問に、治尊は頷いた。骸骨を倒した後、人力車に乗っている時。治尊の頭の中は、そんなことで一杯だったらしい。
「だったら、お気になさらないでください。してあげよう、などと(りき)まないでください」
 明子は、今日一日を振り返る。苦い飲み物に挑み、新聞や本を読んで学び、庭木の剪定に汗を流し、洋怪相手に槍を振るう。
「わたしは、今の暮らしに満足しております」
 普通、ではないだろう。平穏、とも言えないだろう。
 しかし、楽しいという実感がある。時にしみじみと、時に生き生きと。明子は、一日一日を満喫している。
「そう、ですか」
 治尊は目を見開いた。
「それは、よかったです」
 そして、嬉しそうに微笑む。
 治尊は夕日に目を向けた。
 そのまま、二人は黙って夕日を眺める。余計な言葉は、要らなかった。同じ時間を同じ場所で共に分かち合う。その温かな感覚だけで、十分だった。
(あした)には落花を踏んで相伴って出づ (ゆうべ)には()(ちょう)(したがい)いて一時に帰る」
 ふと漢詩を口ずさんでから、治尊は苦笑する。
「落花というよりは、槇の木の枝でしたけどね。いささか風情に欠けますね」
「あはは。気になさらなくていいですよ。鋸をぎこぎこ引いてるわたしが一番無風流だったわけで」
 笑いつつ、明子は空を見上げた。
 巣に帰るのか、鳥たちが飛んでいる。治尊は、この眺めを見て先程の詩句を思い出したのだろう。
 川の上では雀や烏が飛び交っている。遠くの空に大きい翼をはためかせて悠然と飛ぶのは、(とび)だろうか。雲の向こうから、翼を生やした巨大なトカゲが姿を現したりもする。
ん?」
 何か、明らかに東京の夕空にふさわしくないものが混じっている。
「あれは有翼龍(ワイバーン)
 治尊が、息を呑む。
「わいばーん? 何ですか、それ」
「西洋の龍ですね」
「龍!」
 思わず腰を浮かせる。夕日よりもずっと興奮しているが、しかしやむを得ない。何しろ龍である。武士たるもの、本物の龍を見て胸が躍らぬはずがない。
 西洋の龍は、大空をばっさばっさと飛んでゆく。口から火を吐いたりしている。明子の知っている龍は、龍王として頼みもしない大雨を降らせてきたりする存在だが、西洋の龍は逆らしい。
ん?」
 空に目を凝らしていると、何やら大きな蛇に手をつけ角と(ひげ)を生やしたようなものが姿を現した。
「あれも、龍!」
 こちらは慣れ親しんだ姿の龍である。こちらはこちらでやはり格好いい。背中に乗って「我こそは飛龍の武者・四方津明子なり!」などと高らかに名乗りたくなる。
「やっぱりあれですかね、喉に逆の鱗がついてたり首に珠がついてて持って帰るとかぐや姫と結婚できたりするんですかね」
「かもしれません。しかし、今はそれどころでもないようです」
 はしゃぐ明子と反対に、治尊は何やら暗い。
 どうしたのかと聞こうとしたところで、龍たちに変化が生じた。
 互いに近づき、正面から向かい合う。(あい)(さつ)でもするのかと思いきや、やにわに戦い始めた。空はたちまち黒い雲に覆われ、雷鳴が辺りに(とどろ)く。ちょっとした天変地異である。
こ、これはまずそうですね」
 有翼龍(ワイバンーン)は火を吐きまくり、龍王は巻き付いて締め上げようとする。竜虎相打つと言うが、今この大空では龍同士が決闘している。
「旦那様、()くお屋敷へ。結界の中に戻る必要がございます」
 俥夫が戻ってきた。声を掛けてくれと言っていたが、天空を龍が駆けるという事態の変化を受けて、臨機応変に対応しているようだ。
「あっ、まさか」
 それはさておき、明子はあることに気づいた。
 繰り返しになるが、妖怪変化を討ち果たすことが、等持院家の家業である。討ち果たされる側である妖怪変化からすれば、天敵なのだ。
 渋沢栄一と明子以上に、ややこしいと言える。明子と渋沢栄一の険悪な関係は、諸々の因縁に由来するものだ。経過があってのことなので、いかに明子が不倶戴天の敵だと思っているとしても、いきなり渋沢栄一を斬りつけることはない。渋沢栄一の方から、明子を襲撃してくることもない。
 しかし、妖怪なり洋怪なりと治尊の関係はそうもいかない。末代まで祟るという言葉があるが、等持院家の場合末代まで戦いを挑んでくるのである。向こうに警戒されたり、何もしていなくとも動揺されたりするのもやむを得ないことなのだ。
「ええ、わたしのせいです」
 しゅん、と治尊は(うな)()れる。
「おそらく、たまたま通りすがった有翼龍(ワイバーン)が、わたしの存在に動揺したのでしょう。そこに龍王が登場して、戦いが始まってしまったと思われます」
「そこで何で戦いになるんですか? 仲良くできないんですか?」
 明子が訊ねると、治尊は首を横に振る。
「お互いに、面子や立場というものがあります。弱いところを見せるわけにはいかないのでしょう」
 嘗められないよう虚勢を張り合い、最終的には殴り合いになる悪童の如き論理の展開である。龍は龍で色々大変らしい。
「ひとまず、屋敷へと戻りましょう。西園寺卿がどうにかまとめてははくれるでしょうが、騒ぎが大きくなればなるほど負担が大きくなります」
 治尊が言うなり、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。続いて猛烈な風が吹き、激しい雨が降ってくる。さっきまでの夕焼けから、あまりに極端な変化ぶりである。
「行きます」
 俥夫が走り出す。
 車が風を切る。横殴りの雨が全身に叩きつけられ、あっという間に明子たちは全身びしょ濡れになる。
 明子は段々笑えてきた。呆れているのでもなければ、気が変になったわけでもない。何だか、無性に愉快なのである。さっき考えたことを反芻する。楽しいという実感。それを、噛みしめる。
「すいません、やはり不安定すぎますよね」
 治尊が、肩を落とした。
「だから、言ってるじゃないですか!」
 雨音に負けないよう、明子は声を張り上げる。
「退屈しないです!」
 
【明治十六年九月十日 東洋自由新聞】
 天地(かい)(めい) 太陽光を失ふ 空の異常現象

 去る九月八日(えん)()黒雲夕空に満ち太陽その光を失い、光線薄くして灰色を帯びたるにぞ、人々怪しみ(てん)(ぺん)()(よう)のある兆しならんと恐れ合いしが、()の異常の現象につき、地理局より左の報告をなされたり。
 此の現象を起こせしものは、大気中水蒸気多量にて太陽の光線を遮蔽するを以ての故なり。通例此の濃霧ありし間は暑気酷烈、空中電気多量にして落雷甚だしきなり。世俗言うところの二百十日も過ぎしばかりにて、未だ暴風の季節なれば、更なる風雨雷震の前兆をなすものにあらずやと考ふるなり。

【おわり】