狐と狸と妖華師の娘

止水国の都、隴。その片隅に、半分崩れかけた古い屋敷がある。そこに暮らしているのは、まだ十にもならぬ幼い娘と、狗と兎が一匹ずつ。
「那蔦! もう油も蝋燭も炭もないぜ」
「ついでに言うと、米も麦も尽きたわ。どうしよう?」
狗妖の灰斗と兎妖の白露に左右から報告され、那蔦はため息を吐いた。
「今月も手当がもらえなかったものね……」
那蔦は帝室の血を引く萩の王の娘である。しかし母親が側女であることから正室に疎まれ、この別邸に追い遣られている。元は使用人も何人かいたのだが、本邸からの手当が断たれて久しく、給金を払えずに次々と逃げられ、とうとうひとりと二匹の暮らしになってしまったのだった。
身近に人がいないのは、正直を言えば助かる面もある。人ならぬ母親の血を引くゆえに妖族を従える力を持つ那蔦は、それを隠すのに苦労しているからである。こうやって狗や兎と会話している様子を見られずに済むのは助かるが、今はその危険以上に深刻な、生命の危機が迫りつつある。
崩れかけで隙間風の多い屋敷は、冬の寒さがことさら堪える。都の冬はこれからが本番だというのに、暖を取る術もなく、食料も尽きたとなれば、待つのは凍死か飢え死にだ。
「お金に換えられそうな物は粗方売ってしまったし、あと残っているのは――」
那蔦は、がらんとした室内を見渡してから、最後に自分の懐を押さえた。紐を通して首から提げる形で懐にしまっているのは、半月型をした白玉の玉佩である。これが自分の持ち物の中で最も高価だとはわかっているが、
「――これは売れないわ」
将来を誓った相手との約束の品なのだ。手放すわけにはいかない。
くちびるを噛んでしばし考え込み、
「そうだわ」
那蔦は名案を思いつき、ポンと手を打った。
「灰斗、狐を捕まえてきて!」
「あ?」
「油も蝋燭もないなら、狐妖に狐火を吐かせて灯りを採ればいいのよ。ついでに尻尾で暖を取れるし、狐はお役立ちだわ」
「おう、なるほどな。出来るだけ尻尾のふさふさな奴を捕まえてくるよ」
「じゃあ、あたしは食べ物を探してくるわ」
「白露、盗みはダメよ?」
「わかってるわ。こないだ那蔦が従えた狼妖を連れて行けば、仲間もいるはずだし、山で何か調達出来るはずよ」
灰斗と白露は天妖――天界生まれの上級妖族である。天上から落ちてきて迷子になっているのを那蔦が拾ったのだが、彼らの手にかかればそこいらの地妖など敵ではない。
そうして灰斗が捕まえてきた数匹の狐妖を、那蔦は妖僕として従えた。妖族と人間との間に生まれた那蔦には、その眸やその声で妖族を従える力があるのだった。
ひとまず夜の灯りは確保され、白露や他の妖僕たちが駆けずり回って食料も集めてきた。しかし、
「この有様を人が見たら、悲鳴を上げて逃げるわね……」
邸内のそこここに狐火が浮かぶ中、狐妖たちと押しくらまんじゅうのような格好で暖を取りながら、那蔦は苦笑いした。
「仕方ないじゃない、背に腹は代えられないでしょ。那蔦は毛皮を着てないんだから」
那蔦の膝の上で兎の白露が言う。
「もっと捕まえてくるか? 最初に連れ来た奴らの狐火、大分小さくなってきたからな」
「ちょっとこき使いすぎたかしら」
灰斗の言葉に那蔦が重ねて苦笑した時――窓の外で俄に風が哭いた。かと思うと、窓を破って何かが飛び込んできた。
「!?」
それは、三本の尾をそよがせて空に浮かぶ狐妖だった。
「三尾狐……!?」
狐妖は、霊力が増すほど尾の数も増える。三尾狐ともなると、那蔦を温めてくれている狐たちとは格の違う存在である。
『よくもあたしの手下を攫ってくれたね。お礼をさせてもらうよ!』
灰斗が咄嗟に那蔦を庇って前に出たが、普通の狐妖とは霊力が段違いの相手である。天妖といえど、まだ若い灰斗が苦戦していると、
「お待ち! おまえの相手はこのあたしだよ!」
破れた窓からまた何かが飛び込んできた。
「――……」
現れたのは、顔に派手な化粧を施した老婆だった。不思議なことに、頭には狸のような耳が生えている。
「街中で暴れる妖族は、あたしら妖華師が懲らしめるよ!」
「妖華師……?」
狸老婆は泥団子のようなものをぶつけながら三尾狐を攻撃し、抵抗する三尾狐によって室内はめちゃくちゃになってゆく。那蔦としては、よっぽど「外でやって!」と叫びたかったが、外でやられれば、それはそれで騒ぎが大きくなってしまう。
困り果てる那蔦の傍らに、ひっくり返された物入れの中身が転がってくる。質草にもならないガラクタばかりだったが、そこに目を遣った狸老婆が明るい声を上げた。
「いい物があるじゃないか。嬢ちゃんのかい?」
狸老婆はガラクタの中から銀色の細い棒を拾い上げると、それを一撫でしてから那蔦に放って寄越した。
「その棒をしっかり握って、狐に向かって大きく振りかぶってごらん!」
訳がわからないまま、言われたようにすると、
「!」
棒の先から青白い鎖が伸びた。鎖の先が三尾狐に触れると、強い抵抗を感じ、思わず鎖の柄を取り落としてしまう。
「しっかり握れと言っただろう? 離さずに握っていられれば、その鎖は嬢ちゃんの意のままだよ」
那蔦は半信半疑で柄を拾い、狸老婆が泥団子を投げつけて弱らせた三尾狐に再び鎖を振るう。鎖の先が尾の一本を捕らえると、そのまま鎖が伸びて三尾狐の全身に巻きついた。
『ぎゃああああぁぁ』
三尾狐は甲高い悲鳴を上げて悶えると、やがて身体を萎ませて小さくなってしまった。狸老婆が「一丁上がりだね」と言い、狐を縄で縛り上げる。
「この鎖は――」
鎖と三尾狐を見比べて呆然とする那蔦に、
「霊器の使い方をもっと知りたければ、妖華師におなり。桃源楼で待ってるよ」
狸老婆はそう言って、三尾狐を引きずって去って行ったのだった。
【おわり】