2024年ノベル大賞 選評/丑尾健太郎
どの作品も熱意や独自のセンスが感じられ、大いに刺激を受けました。
今回から、選考委員を担当させていただくことになりました。
脚本家の私が、畑違いの小説の審査をしても良いものかと悩みましたが、編集部の方から「むしろ異なる視点からの意見が欲しい」と言っていただき、お引き受けした次第です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
そうして、ワクワクしながら臨んだ選考会ですが、始まってみると、選考委員の皆さんそれぞれに作品への捉え方や評価が異なり、気付けば予定の時間をオーバーし、その後の食事会でも選考は続き、結果的に半日ほどぶっ通しで話し合いが行われることとなりました。終電前になんとか無事に終わりましたが、高級だったであろう食事の味も覚えてもおらず、帰りのタクシーの中でボンヤリと夜空を眺めながら、「ああ、これが噂のノベル大賞選考会か。とんでもねぇもの引き受けちまったなぁ……」と、しみじみ思った次第です。改めて、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
『いつか忘れるきみたちへ』
文章が非常に洗練されていて、各キャラクターの描写も巧みです。心理描写も上手で、主人公・憂の考えていることが、スッと心に入って来て、ずっと読んでいたいなと思える作品でした。
自分探しの作品というのは、大抵、主人公が後ろ向きでウジウジと立ち止まっていることが多いですが、この作品の主人公は、憧れの人の真似をしようとする「一応、主人公なりの生きるスタンス」を持っています(それが良いかどうかはさておき)。少なくとも人生に対して前向きな姿勢が感じられ、その点が好感を持てました。この主人公の生き方や考え方は、現在の多くの「決められない若者たち」の内面を巧みに捉えており、読者によっては「これは私の話だ」と深く共感できるのではと感じました。
主人公が最後に行きつくのは「私は私にしかなれない」「私は私のままでいいのだ」という、言ってみればよくある着地点ですが、この作品はそこに至る過程が丁寧に描かれていて、その理屈がスッと理解できます。そういった意味で、数多くある自分探し系作品の中でも、数少ない「これは本物かも」と思える作品でした。
この作品を映像化すると、もしかしたらそれほど面白いものにはならないかもしれません(別にそれが悪いと言っているわけではなく)。というのも、小説ではさらりと描かれている部分――たとえば、大の男がワンルームの部屋に住み込むというシチュエーション――を、実際に映像にすると、途端に視覚的な狭さや窮屈さが強く感じられたりと、映像化することで現実的なマイナス面や疑問点が目につくこともあるからです。
逆に言えば、この作品は、そういった「正確に描写すると都合が悪くなりそうな部分」を巧みに説明せず、代わりに「都合の良い、気持ちの良い部分」を、絶妙な塩梅で描いています。これを好むか好まないかは人それぞれだと思いますが、私は、この小説が与えてくれる心地よさに乗っかり、気持ちよく魔法にかかりました。
後半、本物のすずりが引きこもった理由について、そこまでのことだろうかと引っ掛かる部分もありましたが、この理由までもがテーマに沿った完璧なものだったら、途端に「作り物のお話」のように感じるかもしれません。このしっくりこない感じが、逆にアリだと、私はポジティブに捉えました。
一方で、全体を通して、短編を読んだようなあっさり感や物足りなさがあり、それが大賞に推されなかった理由かもしれません。とはいえ、この作者は独特の視点と高い技術を持っていますので、今後もクオリティの高い作品を生み出してくださると期待しています。
改めて、この作品は、言葉選びが巧みで、心理描写や物事の捉え方にもハッとさせられる場面がいくつもありました。事件や出来事によって物語を進めていくことが多い私のような脚本家には書けない、小説家にしか書けない小説だなと堪能しました。
『Decks―ハンティングエリア―』
設定はワクワクするし、文章力もあり、キャラクターや情景の描写も上手で、臨場感や緊迫感もあり、映像がありありと思い浮かぶような、パワーあふれる素敵な作品でした。その点はもう大絶賛です。ただ、一方で、いくつか気になった点もあります。
まず、この作品の設定を見たときにイメージした話と、実際の話が少し違ったと感じました。途中まで、この作品をどう読めばいいのかが分からなかったのです。
「選択子」や「特性」といった興味深い設定が盛り込まれていたので、それぞれの特性を存分に活かした、「カイジ」や「ライアーゲーム」のような心理バトルなのだろうか、あるいは、人間同士の知恵比べや、謎解きに特化した推理モノだろうか、と色々と想像していました。ところが実際は「殺人者から逃げ続ける、一方的な鬼ごっこ」といったお話で、最初に広げた風呂敷と、実際の中身にズレがあるように感じました。(主人公のほうから何かを追うといった要素が薄く、その点にも少し物足りなさを感じました)
とはいえ、読み進めるうちにどんどん物語にのめり込んでいきましたので、早い段階で「この作品はこうやって楽しむものだ」という作品の方向性やルールを提示してもらえたら、もっと良かったと思います。
もう一つ、大きく引っ掛かったのは、序盤で丁寧に描かれていた主要キャラが、結構雑に死んでいく点です。たとえば、序盤で強い存在感を見せた高慢な女性・イエリーが、どうやって死んだのか非常に興味があったのですが、その詳細が一切描かれず、ただ「死んだ」という結果だけが示されています。他にも、凶暴な大鳥と毒クモの脅威をどうやって切り抜けるのかと思っていたら、「相打ちした」という結果だけが描かれていて、肩透かしを食らった気分でした。その場面を見たかったです。たとえば、主人公がこの大鳥とクモに前後を挟まれて万事休すと思いきや、相打ちにさせた――といった描写を、実際に目の前で起きているものとして見たかったです。そういった「読者が見たいもの」を存分に見せて欲しかったなと感じました。
なぜそうなったのかというと、この作品は最初から最後まで「主人公・マイラ一人の視点」のみで描かれているからです。そのため、読者はマイラの視点でしか物事を把握できません。もし複数の視点で描かれていれば、「一方、イエリーはこんなことをしていた」といった「読者が見たいもの」がより明確に描かれたのでしょうが、その点は物足りなさを感じました。逆に言うと、この作者は物語を描くために、多岐にわたる出来事をギリギリの偶然などを駆使して、すべてマイラに目撃させたわけで、その腕力には恐れ入りました。
この作品は、どう捉えるで評価が大きく分かれる作品です。マイナス面も大きいですが、プラス面もとても大きい作品です。整合性やご都合主義が気になるというマイナス面に目を向けるか、それはさておき、とにかくワクワクする風呂敷の広げ方やスリリングな展開のプラス面に乗っかるかで、作品の印象が大きく変わると感じました。私個人は、整合性について正直色々と気になる点はありつつも、「よーし、分かった、細かいことはもういい」「それよりも、とにかく先が知りたい」というワクワク感のほうが勝ちました。それほどに魅力のある作品なのです。なんなら途中からは、むしろこの疑問点や突っ込みどころも、この作品の「味」かもしれないなと、良いように捉えるようになりました。
何より、このぶっ飛んだ設定の話を、よくぞ最後まで書き切りましたと言いたいです。作品の持つパワーや熱量は、候補作の中でも群を抜いていると感じました。その長所を伸ばせば、コアなファンができる気がします。作者の方には、小さくまとまるブレーキではなく、勢いというアクセルを踏んでもらって、今後もそのパワーを存分に叩きつけるような作品を生み出してほしいと思います。
『みなと荘101号室の食卓』
味覚障害に苦しむ主人公が、周囲の人々との触れ合いを通じて自分を取り戻していく、温かみのある作品です。文章はとても上手で、特に「味覚障害の視点から描かれる食事の感じ方や触感」が、読んでいるこちらにもしっかりと伝わってきました。また、セリフも巧みで、特に若者同士の会話には軽やかさの中に生の質感が感じられ、むしろ脚本家としてもぜひ――と、こちらの世界にお招きしたいと思うほどでした。
一方で、序盤は「これは何の話なのだろうか」と物語に入り込むのに時間が掛かりました。大きな理由として、主人公にドラマが足りないように感じました。ここでいう「ドラマ」とは、簡単に言えば「主人公の目の前に分かれ道があり、右に行くか左に行くかといった選択を迫られること」を指します。そしてこの作品において「味覚障害」は、主人公の特性の一つであり、それだけではドラマにはなりません。味覚障害を持つ主人公にどのような人生の選択が迫られるか――という命題があって、話が動き出すのです。もちろん、すべての物語に必ずドラマが必要というわけではありませんが、この作品では、味覚障害(およびその原因となった過去のトラウマ)に物語の比重を置きすぎて、話自体が前に進んでいない印象を受けました。ですので、この物語の幅をもう少し広げて、「辛い過去と障害を持つ主人公が、これから何をどうしようとする話なのか」という方向付けがあれば、より見やすくなったのではないかと感じました。
それに付随して、気になったのは、物語が急に方向転換をする箇所がいくつか見受けられたことです。伏線がないというか、そこまで仲が良いわけでもない人物が急に身の上話を始めたり、突然お婆ちゃんが倒れてしまったりするなど、唐突感を覚えました。最後に主人公の味覚が戻ったのも、なんとなくそうなったというか、雰囲気で誤魔化しているようにも感じました。文章の技術力が高いがゆえに、逆に展開力不足が目立ったように感じます。
書き手の中には「ドラマを入れると安っぽくなる」とドラマを避ける方もいますが、それは「安っぽいドラマを書いてしまうから」であって、筆力があれば、上質で繊細な(ドラマとすら感じさせない)ドラマを描けるようになります。そして、この作者は文章やセリフが抜群に上手なので、コツを掴めば、一気に途轍もない作品を生み出す可能性があると感じました。とっても期待しています。
『春になれば、桜は』
「出来の良い兄へのコンプレックスに苦しみ、兄に成り代わろうとする咲良」と「お婆さんの介護に苦労しつつも、明るく生きようとする波留」の二人の話です。この二人のキャラクター設定や葛藤、心の傷は、よくあるテーマですが、それぞれの悩みや苦しみに誠実に向き合い、表現しようとする姿勢には好感が持てました。
文章はテンポが良く、独特のリズムがあります。携帯小説のような軽やかな文体で、スムーズに読めました。特に若い読者には親しみやすい文章かもしれません。
ただ、幾つか疑問も浮かびました。たとえば、介護全般に関する記述がどこか典型的で、波留の祖母や母親の描かれ方が、悪い意味で「ドラマでよく見るやつ」と言われるものに留まっているように感じました。そもそも壮絶な家庭環境の中で波留がどうしてこんなにも成績が優秀なのか、その理由が明かされていないこともそうです。「勉強のコツを知っているから」という説明だけでは読者は納得しきれないと感じました。
また、ところどころご都合主義な部分が見受けられました。たとえば、波留がそれほど親しくなっていない段階で突然身の上話を始める点です(それが波留のキャラクターだと言えないこともないですが、それにしても突然すぎるかなと)。色覚異常についても、最後に唐突に明かされますが、もう少し有機的な伏線があれば良かったと感じました。そもそも、この色覚異常という要素が物語においてあまり効果的でないように思います。「辛いことや大変なことを盛り込めば、ドラマになる」というわけではなく、そのキャラクターが抱えている「本当の問題」に目を向けて、それを丁寧に描いて欲しいなと感じました。
そういった意味でも、特に主人公にとって一番の「敵」であった母親をどう攻略するのか期待していたのですが、結果として主人公が何らかの重要な言葉やアクションを起こす前に、母親のほうが勝手に良い人になってしまった――という着地で、物足りなさを感じました。
この作品には、擬音を多用したり、キャラクターの視点を変えたりと、読者を飽きさせないための様々な工夫が取り入れられています。一方で、失礼ながら、いくつか誤字脱字が見受けられました。もしかすると、あまり読み返さず、一気呵成に書き上げたものかもしれません。この独特のリズム感は、そうした「勢い」によって生まれたものかもしれないと感じました。この作者は、文体に魅力があり、多くの工夫やアイデアをお持ちですので、その長所を存分に生かしつつ、今後は「読者への配慮」にも意識を向けられると、より厚みのある文章になるのではないかと思います。
『筆と踊る』
「パフォーマンス書道」という題材は、目の付け所が良く、たとえば若者たちの青春映画として映像化するのにも適していると思います。そして何より、作者が非常に楽しんで書かれていることが伝わってきました。おそらく書くことが大好きな方なのだろうと感じ、この作品自体が、まさに作者の筆が踊っているかのようで、その点にとても好感を持ちました。
気になったのは、書くことが楽しすぎるせいなのか「全部書いてしまう」ということです。たとえば、新入生の挨拶も全文書いたり、会話でも「おはよう」から「じゃあね」まで、人と人が出会ってから別れるまでをすべて描いています。必要なのは「省略」と「強調」であり、文章や会話の中でどこが最も大切なのかを見極めることです。不要な部分は削ぎ落とし、特に伝えたい部分を強調することが、書き手の腕の見せ所だと思います。
そういう意味では、物語全体も「全部書いてしまう」せいで、一本調子な印象を受けました。まずこれが起きて、次にこれが起きて、さらにこれが起きる……と、一年365日、同じ温度で同じ調子のまま描かれているように感じます。そのせいで、せっかくの面白そうな物語が、あらすじを長く引き伸ばしただけのような印象になってしまうので、物語の展開にも「省略」と「強調」が欲しいと感じました。
一方で、肝心の「パフォーマンス書道とは何ぞや」という説明の記述はかなり不足しており、新入生歓迎会や日々の練習、他校との練習試合など、描写の機会はたくさんあるものの、ほとんど書き込まれていません。これでは、パフォーマンス書道を知らない読者にとっては、それがどのようなものなのか、理解しづらいと感じました。ダイナミックな映像が売りである「パフォーマンス書道」を小説で扱うという挑戦をしているのだから、ここでこそ、しっかりと書き込んで欲しかったなと思います。
また、キャラクター造形や物語の展開がどこか典型的であることも気になりました。たとえば、咲がちょっとしたことでアタフタする描写などは、一昔前の萌えキャラのように感じます。
「書くことが好き」というのは、それだけで大きな才能ですので、今度は、書きたいことだけを書くのではなく、読者の視点に立って「どう書けば、読み手により伝わるか」といったことを意識すれば、作品がよりテンポよく、ダイナミックなものになるのではないかと思いました。
というわけで、私の選評は以上です。どの作品も熱意や独自のセンスが感じられ、私自身も大いに刺激を受けました。作家の皆さんの今後のご活躍を楽しみにしています。ありがとうございました。そして、重ねて、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。