「ぜんぶ、夏のせい」

『映画みたいな、この恋を』ショートストーリー

 今日も(しょう)()は元気だ。
()()、見て。魚がいる!」
 波打ち際で制服のパンツのすそが濡れるのも気にせず、さっきから翔太ははしゃいでいる。
 なんて暑い日。六月というのにまるで真夏のように太陽が照りつけている。
 湖と空の色を混ぜるかのように駆けまわる翔太は、まるで子供のときと変わっていない。そんな彼を足元の波がサラサラと笑っているみたい。
「まだ梅雨、明けてないのにね」
 隣に立つ()()に顔を向けると、日傘に帽子にサングラス、さらには長手袋まで装備している。もはや、本当に果菜なのかもわからないレベルだ。
「もう帰ろうよ。女優に日焼けは大敵なんだから」
 町で撮影している映画にエキストラとして一度出演しただけで女優と呼べるのか、については置いておくことにして、私もそろそろ帰りたい。
 期末テスト最終日の今日は、これまでのテスト人生でいちばんヤマカンが外れてしまった。特に古文は目も当てられないほどで、私の心の空模様は、今にも雨が降りそうなほど厚い雲に覆われている。
 水と砂を払いながら戻って来た翔太が、「そうだ」となにか思い出したらしく顔をあげた。
「今度の日曜日の撮影、実緒も来るんだろ?」
「日曜日? うーんどうだろう」
 私の住む(みっ)()()町では今、映画の撮影がおこなわれている。今度の日曜日、三ヶ日製菓という和菓子屋で、映画のプロモーションを兼ねて、主演のひとりである(くすのき)リョウさんが和菓子を作る動画を撮影することは聞いている。
「手伝いに来てよ。撮影見学の人が近寄らないように仕切ってほしいんだよ」
「うーん。仕切る必要ある?」
 映画の撮影がはじまり早一カ月、当初は撮影場所に大挙して押し寄せていた住民も、今ではすっかり慣れたらしく遠巻きに見ている程度。
 渋る私に気づいてか、果菜が「待って」と手のひらを私に向けて開いた。
「あたしがアシスタントに(ばっ)(てき)されたこと、知ってるよね? 応援しに来ないなんて、実緒はそれでも友達なの⁉」
「あ、そうだったね。行くよ、たぶん」
「たぶんじゃなくて絶対来てよね!」
 サングラス越しの目がギロッと私をにらんでいる。
「翔太。なんの撮影をするんだっけ?」
片足立ちで器用に靴下を履く翔太に顔を向け、果菜から逃れた。
「主演俳優、楠リョウによる『味噌まんじゅう』づくり。俺と三ヶ日製菓の()(とう)さんでコーディネートするんだぜ。マジで興奮するよな。動画にして公式チャンネルにアップするんだってさ」
 この一カ月でいちばん変化があったのは翔太だろう。メイキング動画の撮影を任されたり、三ヶ日町観光協会からも頼りにされていると聞く。
「そのまま映画関係の仕事に就けそうじゃない?」
 冗談めかせる私に、翔太は目を丸くした。
「それはない。俺はうちのケーキ屋を再開することが目標なわけだし」
 昔からケーキ屋を営んでいた翔太の家は、今年の春に突然店を閉めた。あきらめきれない翔太は店の再開をするためにいろんなことに取り組んでいる。
「早く再開できるといいね」
 そう言うと、翔太はうれしそうに笑った。が、果菜は納得できないらしく、首をひねっている。
「再開を目指すならこんな苦労しなくてもよくない? クラファンするとか、SNSでケーキのレシピを発信するとかのほうが近道でしょ」
 現実的な果菜らしい指摘に、翔太は人差し指を一本立てた。
「情けは人の為ならず、だよ」
「それって悪い意味じゃなかった? 情けをかけるとその人を甘やかすことになる、みたいな」
 同意を求めるように私に首をかしげてくるけれど、これまで何度も翔太から聞かされている格言だから正しい意味は理解できている。
「情けは人の為ならず、っていうのは、人への親切や思いやりを続けていればいつか自分に返ってくる、っていういい意味での言葉なんだよ。ね?」
「さすがは実緒、わかってくれてる!」
 翔太が太陽みたいに笑うから、まぶしくて思わず顔を伏せてしまった。
 ドキドキなんてしてない。これはそう、夏のせい。ほかにも太陽のせいとか暑さのせい。そうに決まっている。
 自分に言い聞かせていると、果菜がズイと前に割りこんできた。
「どっちみち遠回りってことでしょ。そんなことはいいけど、味噌まんじゅうの作り方ってどうやるのよ。あたし、売る専門だからうまく教える自信ないんだけど」
 たしかに、と翔太も眉をひそめた。
「そのへんは伊藤さんがうまくやってくれるよ。きっと生地に味噌を練りこむんじゃね?」
「なるほど。だからあの色なんだ」
「そうそう。案外、あんこにも味噌を入れてるのかもしれない」
 盛りあがるふたりにわざとらしくため息をついた。
「三ヶ日製菓の味噌まんじゅうに、味噌は入ってないよ」
「え⁉」
 最初に声をあげたのは翔太のほう。
「んなわけないって。だってあの色だぜ?」
「あれは黒糖の色だ、っておばあちゃんが言ってたよ。このあたりで味噌まんじゅうを扱っているお店の半分くらいは味噌を入れてないみたい。入れてても隠し味程度みたいだよ」
「待ってよ」
 果菜がオロオロと声をあげた。
「だったら名前そのものが間違ってることになるじゃないの。味噌が入ってないのに味噌まんじゅうって呼んでいいなら、味噌が入ってない味噌ラーメンもOKってこと?」
「いろんな説があるみたいだけど、県外から来た人が『味噌が入っているみたいに見える』と言ったことが名前の由来みたい。とにかく、三ヶ日製菓の味噌まんじゅうには味噌が入ってないのはたしかだと思うよ」
「味噌ラーメンについては?」
 こだわる果菜に「さあ」と肩をすくめてみせた。
「それはダメなんじゃない? 見た目で名前をつけた味噌まんじゅうと違って、ラーメンは味の種類で名前をつけているわけだし」
「ああ、ややこしい! 翔太、あたしうまく説明できる自信ないから、カンペ頼んだからね」
翔太はショックを引きずっているのか、「味噌が入ってない」とつぶやいていたけれど、やがて白い歯を見せて笑った。
「知らないことってたくさんあるなあ。実緒に教えてもらって助かったよ」
 キラキラまぶしい翔太の向こうに、(はま)()()と空が青く広がっている。
 また胸がさわぎ出しそうで、無意識に手を当ててから私もほほ笑んだ。
 幼なじみとして、友だちのひとりとして。


「カット!」
 助監督の声が、店内に響き渡ると拍手が波のように生まれた。コーディネーターをしていた翔太の拍手がいちばん大きくて長く響いている。
 味噌まんじゅう作りは、伊藤さんのおかげで滞りなく終えることができた。蒸し器から出されたばかりの味噌まんじゅうは、まだ湯気が出ていてぷっくり膨れている。改めて見ると、たしかに味噌の色によく似ている。
 黒いエプロン姿のリョウさんが、ニコニコと近づいてきた。
「実緒ちゃんお疲れ様。まさか今回、和菓子作りが体験できるなんて思わなかったよ」
「よかったですね。私も楽しかったです」
 メイキング動画用の映像は基本、翔太がスマホで撮影しているけれど、今回は番組風ということもあり撮影クルーも参加している。照明のせいで汗が額に滲んでいることに気づき、慌ててハンカチで押さえた。
「それにしても、果菜ちゃんだっけ? まさか高熱でダウンするなんて残念だったね」
「本人は『知恵熱だから出させて。ううん、出る!』って言い張ってましたけれど、さすがに
 電話口の果菜は半泣きだったけれど、風邪は喉にもきているようで別人としゃべっているようだった。急遽私が代役を務めた形だ。
「お疲れ様です」
 Tシャツにジーンズ姿の翔太が小走りに駆けて来た。上気した頰、首にかけたタオルで汗を拭う姿は、お風呂あがりを連想させる。
「リョウさんが楽しそうにやってくれたおかげで、すばらしい絵が撮れました。本当にありがとうございます」
 律儀に頭を下げる翔太に、リョウさんはやさしく目を細めた。
「翔太くんもすごくよかったよ。もっと時間がかかると思ってたけど、進行がかなりスムーズだったし」
 リョウさんの言葉に翔太はうれしそうに顔を緩ませたあと、すぐにキュッと口を引き締めた。
「自分なんて全然です。伊藤さんが準備からなにからやってくれたおかげです」
「いやいや。味噌まんじゅうに味噌が入ってないことだって、翔太くんに教えてもらえなきゃ、『味噌の味がします』とか言っちゃっただろうし」
「それも俺じゃなくて実緒が教えてくれたんですよ。俺ひとりじゃなんもできませんから」
 翔太のすごいところはこういうところだ。体育祭や文化祭でも、いつもクラスの和を大事にしてて、結果は二の次。私が落ちこんでいるときも、自分のことのように一緒に悩んでくれたよね。
 リョウさんはエプロンを外しながらクスクスと笑った。
「翔太くんがみんなのためにがんばってるから、みんなも君のためにがんばるんだよ。じゃあ、お疲れ様」
 マネージャーに促され店を出ていくリョウさんを、翔太とともに頭を下げて見送った。
 自動ドアが閉まると同時に、頭を下げたまま翔太は顔だけこっちに向ける。
「早く終わったし、バーガーでも食いに行くか。ワリカンだけど」
「ポテトくらいおごってよね」
「しょうがない。それで手を打とう」
 翔太がほかのスタッフに挨拶をしにいく間、テーブルの上を整理する。バッドからこぼれた粉を布巾で拭いながら、また胸が鼓動を速めている。
 顔をあげると、大きな窓の向こうに浜名湖によく似た青色の空が広がっていた。
 夏のせい、太陽のせい、暑さのせい。呪文のように唱えてから、ひとつ深呼吸。
この気持ちの正体はまだ知らなくていい。
 だって、私たちの夏ははじまったばかりなのだから。

【おわり】