白雪は僕の姫君


 十六夜(いざよい)家の領地である《(こう)()》は雪深い土地だ。
 冬の日暮れとなれば、邸内にいても骨身に(こた)えるような寒さになる。
 (とう)()ですらも眉をひそめたくなるのだから、この地を十年も離れていた(きょう)()は、もっとつらいだろう。
 冬護は羽織を脱ぐと、眠っている暁花の身体にかけてやった。たっぷり着込んでいるのは知っているが、少しだって寒い思いはさせたくなかった。
(可愛い寝顔。こんなに安心しきって)
 冬護の膝に頭を預けた彼女は、()(すい)の誘惑に勝てなかったのか、昼過ぎからずっと夢の中にいる。
 眠たげな目を擦りながら、何の疑いもせずに、冬護の(かたわ)らで眠りに落ちたのだ。
 彼女は、自分が愛されていることを受け入れて、愛されている自分を誇りにも思っている。(うぬ)()れているわけではなく、事実としてそうであることを知っているから、ためらいなく冬護に甘えるのだ。
(だって、暁花は僕たちの、僕のいちばん大事な、お姫様だったから)
 此の世で、いちばんのお姫様。
 本来ならば、冬護と結ばれるはずのなかった高貴な人。
 運命とは、残酷で奇妙なものだ。
 十年前、あの悲しい別れがなければ、冬護は十六夜家の当主になろうとは思わなかった。彼女の夫となるのも、冬護ではない別の男だった。
(そうだとしても、あなたの犬として、ずっとお傍にいたとは思うけれど)
 この身は、骨の髄まで、暁花のためにある。冬護の生まれた意味も、生きる意味も、すべて暁花のものだった。
 (たそ)(がれ)(どき)の薄闇に、暁花の雪のように白い髪が浮かびあがる。
 純白の雪が人の姿をしていたら、彼女そのものになる。そんな白雪の姫君は、此の世でただ一人、冬護を好きにできる人だった。
「冬護?」
 寝ぼけたような声は、何処(どこ)かあどけなかった。むずかるように身をよじって、暁花が微睡(まどろ)みから目を覚ます。
「ここにいるよ」
 安心させるように声を掛けて、白い髪を撫でてやる。
 邪気祓いとして特別な目を持っている冬護とは違って、この薄暗いなかでは、暁花はほとんど何も見えないから。
「もう夜ですか?」
「日が暮れるところだね。眠たいのなら、まだ寝ていても良いよ」
「そんなこと言って。足、(しび)れたのではありませんか?」
「ぜんぜん。あなたは羽のように軽いから。それに、あなたの願いは、何だって叶えてあげる、と決めているんだよ」
「わたしの犬として?」
「そう。あなたの犬であり、あなたの夫として、あなたの願いを叶えてあげる」
「なら、今すぐに抱きしめて」
 冬護は言われるがまま、暁花を抱き起こしてやる。抱きしめるというよりも、小さな子どもを抱えるようにして、その背を優しく何度か叩いた。
「今日はずいぶん甘えん坊だね」
 冬護の問いに、ふふ、と暁花が笑う声がした。冬護から彼女の顔は見えないが、楽しそうにしていることは想像できる。
「逆ですよ」
「逆?」
「冬護のことを、甘えさせてやっているのですよ。頼りにされたいのでしょう? わたしに」
 冬護はゆっくりと(まばた)きをしながら、主人の言葉を心中で繰り返す。
 甘えているのではなく、甘えさせてやっている。
 (ごう)(まん)な言葉だった。けれども、冬護を思っての傲慢さだから、それを愛おしくも思っている。
うん。そうかもしれない」
「かもしれない、ではなく、そうなのですよ。此の世の誰よりも、わたしがいちばん、お前の心を知っているのですもの」
 暁花は得意げに言うと、冬護の首筋に頬をすり寄せてきた。長い(はく)(はつ)の隙間、うなじのあたりで、きらきらと白銀の(うろこ)が光っているのが見える。
 無防備に急所を(さら)して、やはり自分が傷つけられるなんて()(じん)も思っていない。
(それだけじゃない、か。僕になら何をされても良い。僕があなたを傷つけたとしても、そんな僕のことを、あなたは許してしまうから)
 冬護は腕に力を込めて、(きゃ)(しゃ)な身体を抱きしめ直した。
 あたたかい。凍えそうな身体に、心に、灯火(ともしび)が宿るように。
 この先に続くのは、ふたりにとって険しい道だと分かっている。分かっていながらも、冬護は彼女の傍にいられることに幸福を感じてしまうのだ。

【おわり】