妖精国より魔法少女へ


 ミラは執務机に向かい、鏡に映し出された顔を(ぎょう)()していた。
 これが、探し求めていた子。
 ようやくたどり着いた、唯一残された可能性。
 けれど丸鏡に映る人間は、何度見ても「探し求める」とか「唯一」とかいう言葉の持つ特別さからは遠い場所にあるように思えた。
 中肉中背、髪も中途半端な長さ。
 目につく欠点もない代わりに、これといった美点もない。
 容姿だけでなく、存在自体がどことなくぼんやりしている。
 この子を見つけてから今日までずっと観察を続けてきたというのに、目を離したらすぐに顔を忘れてしまいそうだ。
 娘は向こうで「電車」と呼ばれるものに乗り込もうとしている。人混みに流されないよう必死に足を踏ん張るその姿は、まるで(おぼ)れまいと足をバタつかせる水鳥の(ひな)みたいだ。
 この子が、本当に?
 ミラは目にかかった銀髪を指先で払いのけた。
 不安が胸に(きざ)すが、間違いないはずだ。
 手元の資料はすべて、彼女こそ「それ」だと示している。
 なんとか満員の電車にすべり込んだ娘は、誰かの足を踏んでしまったようで、「すみません」と(そう)(はく)な顔で繰り返している。
 こんなに人が密集していたら、足を踏んでしまうことくらいあるだろう。それなのに、何をそんなに必死になって謝る必要があるのか。あんな風に一方的に謝れば、気のいい人間は申し訳ない気分になるだろうし、そうでない(やから)はつけ上がるだけだ。
 かすかに覚えたいら立ちは、ノックの音で四散した。
「どうぞ」
 語尾にかぶさる形で、扉が開いた。
「ノア・ラハティ、入りまーす」
 ノアは女王騎士特有の、胸に(こぶし)を当てる格好で礼をした。
 一つにくくった青灰色のくせ毛を揺らして、年若い騎士が執務机に近付いてくる。
 ミラと同じく女王の側に(はべ)る騎士に選ばれただけあって見目麗しいが、生来のくせ毛が端整な容姿に隙を与えていた。しかし今日の毛並みは普段に比べれば多少落ち着いており、今朝の髪との格闘にノアが珍しく勝利したらしいことがわかる。
 魔法で整えればいいのにと勧めたこともあったが、それでは意味がないと(いっ)(しゅう)されてしまった。
 ポリシーに反する、とノアは言った。
 魔法が支配するこの国で、魔法を使うことがポリシーに反する?
 変な男だ。軽薄なようでいて、妙に(かたく)ななところがある。
 もっともそういう男でなければ、今もミラの(もと)で働いていることはなかっただろう。
「何か用?」
 言いながら、ノアから鏡に視線を戻す。
 娘はようやく電車から降りて、危なっかしい足取りで歩き出していた。
 観察によって、この娘の行動パターンは読めている。
 人間の(こよみ)は、七日間で一週間という単位に区切られている。
 その内の五日間は電車に乗って移動し、狭い建物にこもって毎日同じ作業をこなす。
 残りの二日間はたいていどこにも行かず、住処にこもる。部屋に据えられた大きな画面か、手のひらにおさまるほど小さな画面のどちらかを眺めていることが多い。
 ひたすらに、その繰り返し。
 食べ物に困る様子はない。庶民が持つにしては、衣服もかなりの数を持っている。住居は狭いが、常に快適な温度に保たれていた。
 この娘の暮らす国は、ミラの暮らすサナスキアよりはるかに豊かそうに見える。
 けれど娘の表情は冴えない。
 いつもどこか浮かない、もの言いたげな顔をしている。
「いえ、用というほどのことでもないんすけど。人間界に行く人員に、ルミナス・リタラが正式に組み込まれたので、その報告に」
「ああ、あのわざわざ志願してきた変わった子。長子でないとはいえ、リタラ伯もよく許したわね」
「いいんですか? 騎士でも兵士でもない奴を連れてって」
「リタラ家は裕福よ。あの子を連れて行けば、多少は援助してくれるかもしれない。足手まといになるようなら、適当な理由をつけて送り返すだけのこと」
「裕福といえば、騎士長のご実家に勝る家はないじゃないですか。アルトネン家は何も援助して下さらないので?」
「私の実家? 本気で言ってるんだとしたら、お前の現状把握能力に疑いを持たねばならないわね」
 ノアはミラの険しい視線から逃れて後ろに回り込み、執務机に載った鏡を覗き込んだ。
「これって『魔法少女』候補の子ですか」
「まあ、そんなところ」
「ですよね。いやでも、ちょっと育ちすぎてやしませんか」
「問題ないわ。年齢はほかの要素で補える」
「何かの能力が突出してるってことっすか。外れ値を採用するより、諸条件が当てはまる人間使った方が安定するんじゃないですかね」
「そう思うなら、自分の担当はそうすればいい。私は私で決めるし、まだこの子に絞ったわけじゃない。候補の一人ってだけ」
「にしては、熱心に見てた気がしますけど。騎士長ってなんだかんだ、変な奴とか能力(かたよ)った奴好きだからなあ」
「そうじゃなきゃ、お前みたいに無礼な奴をいつまでも部下にしとかないわ」
 それもそうっすね、とノアは積まれた資料を勝手にめくり始めた。
「はなさき、ゆめ、り? 人間の名前ってやっぱ変な響きっすね」
「ノア、あんた暇なの? フラフラしてる時間があるなら自分の魔法少女探しときなさいよ」
「いや、いいですよ俺は。資料と映像だけじゃいまいちピンと来ないっていうか国が候補に挙げてるのって、赤ん坊みたいな女の子ばっかじゃないすか。こんな子供に戦わせんのかあって気が引けるっていうか」
「さっきと言ってることが矛盾してるわよ。あんたの言う『諸条件に当てはまる人間』を選べば、どうしたって子供ばかりになるじゃない。適性が最も高いのは十代なんだから。ま、安心しなさい。私たちには赤ん坊に見えても、人間界じゃあれでそこそこ育った状態なんですって」
 ノアは肩をすくめた。
「どっちにしろ(しゅっ)(たつ)はもう明日ですから。現地行ってから地道に探しますよ」
「悠長なこと言ってるのね。向こうじゃ魔法少女だけが頼りだってのに」
「頭ではわかってても、実感としてはなかなか。明日からはこいつを使うこともないなんてね」
 ノアはミラが許可もしていないのに長椅子に腰を下ろし、腰に帯びた剣の(つか)を撫でた。
「こっちにいたって、長いこと使ってないでしょう」
 しばらく待ってみても、返事は聞こえてこなかった。
 沈黙の後、(ほお)(づえ)をついたノアが口を開いた。
「あのー、騎士長。今さらも今さらなんですけど俺たちって、本当に人間界に行っていいんですかね?」
「もう昼も近いっていうのに、寝ぼけてるの? ずっと前に決まったことでしょ」
「わかってますよ。でも、俺たちが留守にしてる間に王が代替わりしちまうかもしれないじゃないですか。知ってますか? (ちまた)じゃ俺たちの人間界行きは、体のいい厄介払いだって言われてるんすよ。(げん)(ろう)(いん)の連中なんか、次王の目星もまだついてないってのに、(たい)(かん)(しき)の準備だけは万全ときてる。女王陛下があんまりお可哀想だ。あれだけ力を尽くされたのに
「連中にやることに腹を立てていたらきりがないわ。それに次王については、元より私たちには手出しできない領域の話よ」
「気持ちの問題だけじゃないっすよ。もし次王が立つなら、俺らの立場はどうなるんですか? 次代も女王騎士でいられる保証なんてないし、もしかしたら解任されるかもあ、そもそも次の王が男だったら女王騎士じゃなくて王騎士か」
 どうでもいいことよ、とミラは長い銀髪をかき上げた。
 (うっ)(とう)しい髪だ。
 女王に随行する任務の多かった頃は見栄えのために伸ばしていたが、今となっては必要ない。人間界に向かう前に、少し切ってもいいかもしれない。
 ああでも、人間界ではこの姿でほとんど活動しないんだった、と思い出す。
 向こうで自分が装うはずの予定図を思い描くと、口の()(ゆる)んだ。
「何を笑ってるんです」
 何も、とすっかり冷めきった茶に手を伸ばすと、薔薇の香りが鼻をくすぐった。
 思わず舌打ちが出る。
 花の香りのする茶は好きじゃない。新しく入った侍女は、何度言ってもそれを忘れる。
 鼻の息を止めて、優雅な香りの茶を一息に飲み干した。
 作法にかなっているとは言い難い振る舞いだが、ノアの前では()(つくろ)う必要もない。
「私は玉座に忠誠を誓ったわけじゃない。ミラ・アルトネンの主君はアウラ・レアただ一人だけ。それ以外が王になるというのなら、女王騎士の任を解かれたってかまわないわ」
 騎士長、とノアが声を張る。
「俺もあなたも、努力して努力してやっと女王騎士になったんじゃないですか。なんでそんな簡単に捨てられます? それに俺たちが王宮を去れば、女王陛下の気配はますます薄くなる。あの方を皆、忘れてしまう」
「ノア。人間界行きに納得できないのならついてこなくたっていい。父に言えば、今からだって一人くらい代わりは見つかるでしょう。アルトネン将軍に恩を売りたい奴はいくらでもいるから」
 ノアは深いため息を吐くと、首を横に振った。
なんにもわかってない、とでも言いたげに。
「行きますよ。わかってます、サナスキアに残ったって仕方ないってことは。人間界に行った方がまだしもやれることがある」
「わかっているのなら、くだらない問答に付き合わせないで。迷いは聖堂の司祭にでも聞いてもらいなさい」
「御免っすよ。王都の司祭なんて、元老院の犬しかいない」
「今日はずいぶん激しい言葉を使うのね。誰かの耳に入りでもしたらどうするつもり?」
「ここには俺とあなたしかいない。騎士長さえ黙っててくれたら、そんなことにはなりませんから」
 ノアは窓辺に歩み寄り、中庭を見下ろした。
 教練の時間になったのか、騎士見習いである従士たちが声を上げるのが聞こえてくる。
 空が赤く染まったので、今日は炎魔法の演習なのだと知れた。
「騎士長、最後に一試合どうっすか? しばらくこの姿ではいられなくなるんだし、剣を振るえば、くさくさした気分も少しはましになるかも」
「結構よ。どうせ向こうへ行ったら私たちは戦わない。訓練よりも準備に時間を()きたいわ。お前もいい加減に腹をくくって取りかかりなさい」
 了解、とノアは渋々ながら窓辺を離れ、扉へ向かった。
戦ってくれますかね、人間は」
「戦うわよ。戦わなきゃ自分たちの土地が荒らされるんだもの」
 かすかに焦げ臭いにおいが鼻をつく。
 新兵の下手くそな魔法だ。熟練者の魔法は匂いも気配もない。
 こんな未熟な魔法しか扱えない者たちを前線に送り込もうというのだろうか。いったいその内の何人が、王都に帰ってこられるだろう。
「任務は果たします。それがサナスキアのためですから」
 でもやっぱり、とドアノブに手をかけたノアの口から息が漏れる。
「気乗りはしないですよ」
 ため息一つ残して、ノアは退室していった。
 ミラはティーカップを手にし、茶はさっき飲み干してしまったことを思い出す。
本当に今さらよ、ノア。騎士が輝かしい任務にばかりあたれるわけがないでしょう」
 これだから貴族育ちは、と口に出しそうになって、喉元で押し留める。
 ノアが悪いのではない。
 彼の方がずっとまともなのだ。
 どうかしているとすれば、こんな馬鹿げた任務を作り出した国と、それに志願した自分の方こそだ。
「悪いわね、巻き込んで」
 扉に向かってつぶやいてみても、ノアはとっくに部屋を去っている。

 目にかかった銀髪を払いのけ、ミラはもう一度鏡に向き直った。
 鏡の中の娘は、いつも通り狭い建物に入り、机に向かっているところだ。
 ネクタイと呼ばれる奇妙な装束を首から下げた男と、何か話している。男の締めたネクタイはなんだか珍妙な柄に思えたが、人間界ではこれが普通なのだろうか。
 男と言葉を交わす娘の頬はかすかに紅潮し、声も常より上ずっていた。
「わかりやすい子ね」
 誰も聞いていない笑いを漏らして、娘の輪郭を指先でなぞる。
「もうすぐ、会えるわよ」
 早く会いたい。
 早く。
 もう、こんな鏡で見つめ続ける必要もない。
 本物に会える。
 ふっと息を吹きかけると、鏡に映っていた娘の姿が消えた。
 ミラは立ち上がり、執務室を後にする。
 女王に明日の出立を伝え、(いとま)()いをせねばならない。
 王宮の連中は今や彼女に見向きもしないが、ミラにとってはただ一人の王である。
 女王のおわす北の(せん)(とう)を目指し、石の床を鳴らして歩く。
 中庭では、教練が続いている。
「我が魔力は、祖国サナスキアのため!」
 騎士の(せん)(せい)の言葉が口々に叫ばれるのが聞こえてくる。
 従士たちが打ち上げる炎魔法で、中庭は赤く燃えている。
 自分の青い両目も、今は炎を映して(ほの)(あか)く染まっていることだろう。
「陛下。あと少しもう少しのご辛抱です。あの子に会えば、道は開ける」
 例の人間の娘の顔を思い浮かべようとする。
 けれど娘の特徴のない顔は、どこかもやがかった像しか結ばなかった。
「いいわ。もうすぐ実物に会えるんだもの」
 ミラは尖塔へと続く階段に足をかけた。
 ()(せん)階段を昇る足音が耳を叩く。
 どこまでもどこまでも、まるで永遠のように続くその音を、ミラは一人で聞いていた。

【おわり】