クリスマス・サプライズ

集英社オレンジ文庫10周年フェア『若旦那さんの「をかし」な甘味手帖』(小湊悠貴)スペシャルショートストーリー


(いっ)(せい)くん、質問です」
 とある日の正午過ぎ、黙々と食事をしていた()(とり)一成は、その言葉で箸を止めた。顔を上げると、座卓を挟んだ向かいに座っている同居人と目が合う。
 糊のきいたワイシャツに、仕立てのよさそうなスーツ用のベスト、そしてきちんと締めたネクタイは、着物に羽織姿の一成とは対照的な装いだ。和菓子屋「ことりや」の共同経営者であり、遠縁の親戚でもある各務(かがみ)(きょう)()(ろう)は、にっこり笑って問いかけてきた。
「今日は何月何日でしょう?」
「十二月二十四日」
一成は即答した。考えるまでもない。
「クリスマスイブだよ?」
「そうですね」
 淡々と答えた一成は、ふたたび手元に視線を落とした。きれいに切り分けられた玉子焼きに箸を伸ばし、一切れ頬張る。
 美味しい。
 好物の卵料理を口にすると、一成の表情がわずかにゆるんだ。焦げ目もなく、ふんわりと焼き上げられた玉子焼き。その中に入っているのは、刻んだ三つ葉と天かすだ。上品な出汁の味わいと、天かすからにじみ出た油の旨味が、すみずみまで染み渡っている。
 食卓にはほかにも、牛肉とごぼうのしぐれ煮や、カボチャと厚揚げの煮物、(とう)(がん)の塩昆布漬けといった和食が並んでいた。つくり置きのおかずだが、どれも手が込んでおり、味もほとんど落ちていない。
 これらの料理をつくったのは、家事代行サービスから派遣され、この家に出入りしている(あき)(づき)(みやこ)だ。料理担当の彼女が、(きた)(かま)(くら)の片隅にあるこの屋敷に通うようになってから八か月。それまで適当だった一成たちの食生活は、彼女がつくってくれる食事のおかげで大きく改善した。調理師免許を持ち、小料理屋でのアルバイト経験もあるとのことで、献立のレパートリーも豊富だ。
「世間はクリスマス一色だっていうのに、一成くんはあいかわらずドライだねえ。この家にもツリーひとつ置いてないし」
 肩をすくめた恭史郎が、座卓の中央に箸を伸ばした。大きめの器に入っていた煮物の最後のひとつを()(さら)っていく。
(そのカボチャは!)
 自分が狙っていたのに。小分けにせず、洗い物を少しでも減らしたいという横着心が裏目に出た。恨みがましく見つめても、恭史郎は動じない。むしろこちらの反応をおもしろがるかのような顔をしている。
()ねない拗ねない。代わりにこれあげるから。好きだろ、玉子焼き」

 完全に弟扱いだ。自分より六つ年上で、仕事の能力も高いとはいえ、こういうところはいけ好かない。むっとしつつも素直に玉子焼きを受けとると、満足そうにうなずいた恭史郎が「ところで」と話を続ける。
「都ちゃん、今日は夕方に来るってさ」
「ああ、そういえば
 いつもは午前中に来るのだが、急な仕事が入ったらしく、時間が変更になったのだ。
「クリスマスイブだし、はりきってご馳走をつくってくれるみたいだよ。とはいえせっかくのイブなのに、夜まで拘束してしまうのは申しわけない。だからせめて、何かお礼をするべきじゃないかと思ってね」
「お礼
「日頃の感謝もこめた、クリスマスプレゼントだよ。あまり高価なものだと受けとってもらえないだろうから、これにした」
 そう言って、恭史郎はかたわらに置いてある大きな紙袋を引き寄せた。中からとり出されたものを見て、一成は目を丸くする。
「それは」
 恭史郎が「プレゼント」と称したのは、リボンと鈴がついた赤いブーツだった。中に駄菓子がつまったあれだ。
「もちろん一成くんのぶんもあるよ」
「恭史郎さん。相手は子どもじゃないんですから」
「これはおまけだよ。メインのプレゼントはほかにある。そっちは一成くんに用意してもらおうと思ってさ」
「え?」
 首をかしげる一成に、恭史郎はもう一足のブーツを手渡した。明らかに何かを企んでいる、()(さん)(くさ)い笑顔で言う。
「大丈夫。材料はちゃんとそろえたからね」


 恭史郎の言う通り、台所には必要なものが過不足なくそろっていた。
 卵にバター、上白糖に薄力粉。冷蔵庫には生クリームと苺のパックも入っている。ステンレスの丸い型やパレットナイフは新品なので、今回のために買ったのだろう。テーブルにはご丁寧にレシピ本まで置いてある。
「都ちゃん、家でホールケーキを食べることにあこがれてるんだってさ。ひとり暮らしが長いから、なかなか機会がないとかで」
「わざわざ手づくりしなくても、店に行けばいくらでも立派なケーキが買えるじゃないですか。贈り物にするなら、プロのパティシエがつくったケーキのほうがいい」
「つれないこと言わずに、ちょっとチャレンジしてみてくれよ。プロの和菓子職人である一成くんの手づくりなら、買ったものよりよろこんでもらえると思うけどなぁ」
「和菓子と洋菓子は別物ですよ」
「嫌なら俺がつくるけど?」
「だめです。却下!」
 恭史郎を台所には立たせられない。彼の料理の失敗率は百パーセントだ。材料を無駄にした上に、黒焦げになったケーキを見せられでもしたら、自分は確実に卒倒する。
「わかりました。ケーキは僕がつくりますから、あなたは引っ込んでいてください」
「それでこそ一成くんだ」
 またしても乗せられてしまった。営業マンだけあって、この同居人は口がうまい。
 自室に戻った一成は、仕事用の着物に着替えた。たすき掛けで袖をまとめ、台所でレシピ本をながめていた恭史郎を追い出すと、彼から奪いとったレシピ本に目を通す。
(洋菓子は専門じゃないけど
 一成がつくる和菓子の中には、南蛮渡来のカステラや、フランス菓子に近いブッセもある。オーブンの使い方も心得ているし、やれるだけやってみよう。
 恭史郎によると、都は苺のショートケーキが好きらしい。オーブンの予熱を設定してから、一成は生地づくりにとりかかった。材料はレシピ通りに計量し、ボウルに割り入れた卵と砂糖を混ぜ合わせる。しっかりと泡立ててから薄力粉をふるい入れ、溶かしバターを加えてゴムベラで混ぜた。
(こんなものか)
 できあがった生地は型に流し、予熱しておいたオーブンに入れる。しばらくすると、オーブンの中から焼き菓子特有の甘い香りがただよってきた。台所を満たすその香りに、思わず口元がゆるんだものの

 焼き上がったスポンジケーキは、真ん中のあたりがわずかに凹んでいた。飾りつければ目立たない程度だが、やはり悔しい。しかし、一からつくり直す時間はなかった。
 そして
「一成くん、ケーキはできた?」
 飾りつけが終わると、見計らったかのように恭史郎が顔をのぞかせた。ダイニングテーブルの上に置いてあるケーキを見て、ぱっと表情を輝かせる。
「おお、すごいな。売り物みたいだ」
「そこまで完璧じゃないですよ。やっぱりプロのパティシエのようにはいきませんね。近くで見れば粗も多いし」
「そんなことないって。さすがだね」
 テーブルの上には、しぼり出した生クリームとみずみずしい苺で飾りつけたショートケーキが置いてある。中央の凹みが目立たないよう、可能な限り美しく仕上げたつもりだ。
「あれ?」
 近くでケーキを目にした恭史郎が、不思議そうに首をかしげる。
「真ん中のこれ、どうしたの?」
「僕がつくりました。練り切りで」
「なるほど、マジパンの代わりってことか」
「こういうものがあったほうが、クリスマスらしくなるかと思って」
 ケーキの中央には、サンタクロースとトナカイを模した練り切りを飾ってみた。昨年のいまごろ、茶会用の主菓子の依頼でつくったことがあったのだ。本来はマジパンでつくるものだし、ケーキにはミスマッチかもしれないが、雰囲気は出るだろう。
「都ちゃんの反応、楽しみだね」
 できあがったケーキは箱に入れ、離れにある和菓子工房の冷蔵庫にしまう。母屋に戻ると、靴箱の上に、恭史郎が買ってきたと思しき小さなツリーが飾られていた。玄関には都のスニーカーも置いてある。一成が離れにいる間に来たのだろう。
「都さん」
「あ、一成さん。こんにちは!」
 台所をのぞくと、エプロン姿の都が笑顔でふり向いた。その手には、駄菓子入りの赤いブーツ。見れば見るほど子ども向けだ。
「さっき恭史郎さんからもらったんです。ささやかなクリスマスプレゼントですって」
「嬉しいですか?」
「はい! わたし、こういうのって大好き」
 無邪気によろこぶ姿に、一成の心がほんわかとあたたかくなる。
 あのケーキを見せたら、彼女はどんな顔をするだろう? 数時間後のサプライズが楽しみになり、一成は口元をほころばせた。

【おわり】