アロハ日和


 八月某日、(かま)(くら)
「こんにちは、()()さん」
 約束した時間の五分前。聞き覚えのある声に呼びかけられて、志貴(かず)(ひと)はスマホの画面から顔を上げた。大きく目を見開いて、そこに立つ人物を見つめる。
()(とり)さんですか?」
「ええ。今日も暑いですね」
 淡々と言いながらサングラスをはずした相手は、まぎれもなく友人(だと志貴は思っている)の羽鳥(いっ)(せい)だった。はじめて目にする姿が新鮮すぎて、頭のてっぺんから足の先まで、じっくりながめてしまう。
「なんですか、じろじろと」
「いやー、なんていうか意外だなぁと」
「アロハシャツで行こうと言ったのは志貴さんでしょう。約束は守ります」
(りち)()ですねえ」
 待ち合わせ場所にあらわれた一成は、あざやかなエメラルドグリーンにハイビスカス柄のアロハシャツを羽織っていた。前に会ったとき、志貴が面白半分で贈ったものだ。次にふたりで出かけるときは着てほしいというようなことを言ったのだが、まさか本当に袖を通してくれるとは。
「しかも、サングラスと帽子まで」
(きょう)()(ろう)さんに借りたんですよ」
「ビーチサンダルも?」
「これは自分で買いました。海に行くならサンダルのほうがいいと言われて」
「靴だと砂が入りこみますからね」
 カンカン帽にアロハシャツ、ブラウンレンズのサングラスにビーチサンダル。コーディネートしたのは、同居人の各務(かがみ)恭史郎に違いない。きっとノリノリだったはずだ。
 三百六十五日、ほぼ着物で過ごしているという一成のこんな姿など、めったにお目にかかれるものではない。あとで絶対写真に撮ろうと思いながら、志貴は笑顔で口を開いた。
「じゃ、行きましょうか」
 志貴と一成は、数分後に到着した電車に乗りこんだ。
 鎌倉駅から(ふじ)(さわ)駅まで、十キロの距離を結んでいる()()(しま)電鉄は、住宅街の隙間や(しょう)(なん)の海沿いを通り、一部区間は路面を走ることもあるローカル鉄道だ。通勤や通学の足としても使われているのだが、レトロ調の車体と車窓から見える景色の美しさも(あい)まって、観光客にも絶大な人気がある。
 ハイシーズン真っ最中の車内は、国内外からやって来たと思しき観光客で混み合っていた。普段は屋敷に引きこもり、人混みが苦手な一成にはきついのではと思ったが、意外にもけろりとしている。
()()(でん)、久しぶりに乗りました」
 心なしか、声もはずんでいるような。
 電車に乗っているのは、楽しそうな観光客ばかり。一成だけではなく、志貴も派手なアロハシャツを着ていたが、気にする人はほとんどいない。真夏の開放感と、車内に満ちた明るい雰囲気が、観光客はもちろん、一成の心も高揚させているのかもしれなかった。
 江ノ島駅で降りた志貴たちは、歩いて海岸のほうに向かった。強い日差しが肌を突き刺し、潮の香りが鼻先をくすぐる。風も吹いていないし、絶好の海水浴日和だ。
「水着、持ってくればよかったかな」
「志貴さん、泳げるんですか?」
「それなりには。羽鳥さんは
「平泳ぎなら、中二のときに記録した十五メートルが最高でしたね。クロールだと、なぜかひと掻きごとに沈んでいくんです」
 一成がさらりと答える。スポーツ全般が不得意なのは知っていたので、むしろ意外に泳げるのではないかと思ってしまった。
おお、にぎわってるなぁ」
 すぐそばに江の島が見える海水浴場は、多くの人でごった返していた。空の青さを映したかのような海が、太陽の光を反射して輝いている。
「羽鳥さん、お腹すいてます? お昼には少しはやいですけど、何か食べましょうか」
「ええ、海の家ですね」
 サングラスをずらした一成の目に、期待に満ちた光が宿る。芋洗い状態のビーチを見ても、うんざりしている様子はないし、この状況を楽しんでいることが伝わってきた。
 今回の目的は、海の家でかき氷を食べること。真夏の海水浴場も海の家も、(けん)(そう)を嫌う一成にとっては鬼門に等しい。しかし、あえてその場に身を置き刺激を得れば、和菓子づくりに役立つ新鮮な発想が生まれるのではないか。志貴はそう考えて一成を誘ったのだ。
「いらっしゃいませー!」
 適当に選んだ海の家に入ると、店員の元気な声が聞こえてくる。店内は家族連れや若者のグループ、カップル客などで混雑していたが、運よくふたりぶんの席が空いていた。志貴と一成は向かい合って腰を下ろす。
「かき氷以外にもいろいろあるんだな」
 はじめて海の家に入ったという一成が、店内に貼りつけられたお品書きを見ながらつぶやいた。厨房に近いからか、焼きそばと思しき濃厚なソースの香りがただよってきて、これでもかと食欲を刺激される。
「まずは腹ごしらえをしましょう。俺、焼きそばが食べたいです」
「ああ、この香りは焼きそばでしたか。では僕も同じものを」
「お、ビールのセットもある」
「僕は烏龍茶にします」
「羽鳥さんはいつもお茶ですねえ」
「お茶に勝る飲み物はありませんよ」
 注文品が運ばれてくると、志貴と一成は箸をとり、焼きそばを食べはじめた。太めの麺はもっちりとした食感で、濃い目のソースがしっかり絡んでいる。(かつお)(ぶし)と青のり、そして紅ショウガのアクセントも絶妙だ。
「志貴さん、紅ショウガはお好きですか」
「好きですよ?」
「よろしければこれもどうぞ」
 一成の皿には、手つかずの紅ショウガ。涼しい顔をしているが、苦手らしい。「では遠慮なく」と言って引き受けると、ほっとしたのか表情がゆるんだ。
 焼きそばだけでは足りなかったので、枝豆とフランクフルト、焼きとうもろこしも追加する。キンキンに冷えたビールの喉越しもすばらしく、()()った体に染み渡った。
「志貴さん、ビールはおいしいですか?」
「最高ですねー」
「そんな顔を見ていると、少しうらやましくなりますね。僕はほとんど飲めないので」
 食事のあとは、お待ちかねのかき氷だ。志貴はいちご味、一成はブルーハワイを注文する。カップに入ったかき氷は、削った氷に市販のシロップをかけただけ。それなのに、どこかの店で凝ったものを食べたときよりおいしく感じた。真夏の太陽と潮の香りが、特別なスパイスになっているのだろう。
「羽鳥さん、ブルーハワイって舌が青くなりますよね。ちょっと見せてくださいよ」
「嫌です」
「写真に撮りたかったのに」
「そんなもの撮ってどうするんですか」
「たまにはバカバカしいこともしてみたくなるんですよ。これも夏の思い出です」
 そんなことを話していると、店内がさらに混雑してきた。かき氷を食べ終えた志貴たちは、会計をして外に出る。
「羽鳥さん」
「はい?」
「せっかくここまで来たんだし、波打ち際でちょっと遊んでいきません? これくらいの羽目ならはずしてもいいでしょう」
 にっこり笑いかけると、一成は海のほうに目をやった。ぽつりと答える。
少しだけなら」
 ビーチサンダルを脱いだ志貴たちは、青い海をめざして歩きはじめた。

【おわり】