皇后は風を吹かせる
南麗国の偽公主である翠鳳が北宣に輿入れしたのは、初春のころだった。
北宣は騎馬遊牧民が樹立した国だ。男はみな戦士という質実剛健な北族が支配する国では、女も馬に乗って行動するのが当たり前で、むしろ何かしらに秀でていることを望まれる国でもある。
かたや翠鳳の故国である南麗国は、女は家に閉じこもり、縫い物や刺繍でもするのが女のたしなみであると推奨されてきた。
翠鳳も南麗国ではその慣習に従ってきた。ところが、北宣では、誰も翠鳳を南麗の常識で縛らない。
そのため、翠鳳は幼いころから好きだったものづくりに取り組むようになった。
手には鋸や木槌を持ち、模型の橇をつくってみたり、竹節人という玩具をつくったりする。
翠鳳は、個人的な趣味だけでなく、依頼された修復作業も抱えていた。夫である永昊が壊れた道具をせっせと持ち込むからだ。
北宣の皇帝だというのに、永昊は身軽に馬に乗り、京師・泰安の城内を視察に巡る。
その際に壊れた道具を見つけては持ち帰ってくるのだ。修理の仕方を教えてほしいと言いながら。
(陛下はやさしい方だから……)
口先だけで許可を出すだけでは翠鳳が遠慮すると思っているのかもしれない。永昊に教えるという名目で翠鳳にものづくりをさせれば、翠鳳を萎縮させないで済むと考えているのだろう。
その日、永昊が持ってきたのは、珍しいことにすべてが竹でできた風車だった。持ち手は竹の枝で、節から曲げた先端に風車を嵌めている。風車の本体は竹ひごを組んでつくられていた。中央部分を小さな籠状に編んだあと、八方に伸びた余りの竹ひごの先端に風を受ける紙片をくっつけている。
「おもしろいつくりですね」
卓に置かれたそれを手にして観察するが、一見したところ壊れた部分はなさそうだ。
「どこが悪いのですか?」
「回りはするんだが、回っているうちに風車の部分が持ち手から落ちてしまうんだ」
永昊に言われ、翠鳳は風車の中心部分をしげしげと見る。
籠状に編んだ中心部分の隙間に持ち手を刺していて、風車を嵌めこんだ持ち手側には麻紐が巻きつけられている。持ち手の先端側には大豆が嵌められていた。つまり、風車の本体は大豆と麻紐に挟まれている構造だ。
「……おそらくですが、抜け止めがないんだと思います」
翠鳳は窓際に寄ると、ちょうど吹いてきた風に風車を向ける。風車は動きだしたが、まもなく大豆と一緒にぽとりと持ち手の先端から落ちた。
「抜け止め?」
風車と大豆を拾った永昊が、手渡してきながら質問する。
「風車は回っているだけではなく、回転するうちに前後に移動してしまうのです。そのために持ち手からはずれてしまいます。抜け止めをつけたら、脱落するのを防止できますわ」
翠鳳は説明しながら手にした持ち手と風車を見比べる。
(抜け止めは何がいいかしら……)
風車は子どもが遊ぶものだ。手に入りやすい素材を使う必要がある。
(厚めの紙はどうかしら)
移動を阻害する摩擦力を持ち、かつ風車の回転を邪魔しないという条件に当てはまりそうだ。
「ところで、これはどなたのものですか?」
なにげなく訊いた問いに、永昊が苦笑まじりに答えた。
「俺のものだ」
「陛下のものですか?」
「母上にいただいたんだ。わざわざ俺のために手作りしてくれた。でも、遊んでいるうちに風車がはずれてしまってな。だから、しまっておいたんだ」
永昊の返事を聞き、翠鳳は風車を見つめた。
「……わたくしが直してもかまいませんか?」
永昊の実母は、永昊が皇太子に立てられた日に死を賜った。
北宣が政を安定させるためのきまり“子貴母死”にのっとって、息子の晴れがましい日にこの世を去った。
(大切なものなのに、わたくしが触れてもいいのかしら)
これをつくった永昊の母が何を考えていたのかはわからない。だが、手ずから玩具をつくった事実からは我が子への母の愛を――どんな国でも変わらぬ想いを感じる。
「いいんだ。それが風を受けて回るさまを見たい」
永昊の微笑みに翠鳳は微笑みを返した。
「かしこまりました。でも、せっかくですから陛下が修理してみてはいかがでしょう。簡単ですもの」
「それはいいな。俺は翠鳳の弟子だから、手を動かすのは俺がするべきだ」
永昊の母がつくったものに触れるのは畏れ多いという気持ちからの提案だったが、永昊は気分を害さずに翠鳳の案を受け入れてくれた。
「それではやりましょう」
翠鳳は侍女に竹紙を用意させる。
薄い竹紙を何枚か貼り合わせる。適度な厚さになったところで、永昊に鋏で切りとらせる。
小指の爪ほどの大きさで丸い形に切るように頼むと、永昊は鋏を手に眉を寄せ、集中した様子で切りとっている。
「小さいから難しいな」
「指を切らないように気をつけてくださいね」
永昊は鋏を細かく動かして、慎重に紙を切っている。不器用ではないのに、そう見えてしまうほどだ。
翠鳳が指定した形に切り取った後、永昊は抜け止めを掌に載せて見せてきた。
「これでいいか?」
「お上手ですわ。次に穴をあけます」
「錐か何かであけるのか?」
永昊の質問を聞き、翠鳳は首を横に振った。
「いえ、鋏で切り抜きます。小さいですし、わたくしがやりましょう」
翠鳳は抜け止めを手にすると、持ち手の竹枝を押し当てる。
持ち手が入るギリギリの大きさの穴にしたかった。抜け止めでありながら回転を阻害しない形にするために、鋏の先端を利用して紙の真ん中を慎重に切り取っていく。
形としては中央に穴があいた銅銭に似た形状になるはずだ。もっとも、銅銭の穴は方形になっているから少し違う。
翠鳳が穴を開けると、永昊がおおと歓声をあげた。
「すごくうまいな」
「ふつうですわ」
面映ゆくなりながら持ち手の麻紐にぴったりとくっつくように抜け止めを嵌める。風車のまんなかの隙間に持ち手を通し、さらに持ち手の先端に抜け止めと穴をあけた大豆を嵌める。
風車は抜け止めに挟まれており、理論上では脱落しないはずだ。
「では、風にあててみましょうか」
翠鳳は永昊と一緒に宮殿の外に出た。折よく吹いた風を受けて、風車は回りはじめる。
息を止めて風車を見つめる。はたして抜け止めは効果を発揮するだろうか。
しばらく経っても、風車は回り続けるだけで、落ちる気配はない。先ほどは椿の花が落ちるようにポトリとはずれてしまったから、どうやら成功したようだ。
「すごいな、翠鳳。小さな抜け止めを嵌めただけなのに、全然違うぞ」
内心で胸を撫でおろしながら翠鳳もうなずいた。
「そうですわ。ほんの少しの工夫なのに、結果は大きく異なるのです。それがものづくりのおもしろいところですわ」
小さな紙片を挟んだだけ。だが、そのひと手間が確かな違いを生む。
だからこそ、翠鳳はものづくりへの興味が止まらないのだ。
「……翠鳳がいなかったら、この風車はいつまでも動かないままだった。この風車を回す風は、翠鳳が起こしたようなものだな」
永昊が翠鳳を見つめてしみじみと言う。
「陛下?」
「俺にとって、翠鳳は変わらないものを変えてくれる存在なんだ」
彼の言葉を聞き、翠鳳は風車を見つめる。
(わたくしはこの国にいていいのかしら……)
偽の公主、まがいものの花嫁。
そんな自分でも、この国のためにできることはあるだろうか。
新しい風を受けて、動かなかった風車が回り続ける。
永昊が手渡してきた風車を翠鳳は高く掲げ、これから生きていく大地の風を受け止めた。
【おわり】