それがセントラル

ありがとう!集英社オレンジ文庫9周年フェア『それってパクリじゃないですか?』(奥乃桜子)スペシャルショートストーリー


「恋愛? 親愛? それともビジネス?」‌
 例によって(ひと)()のない『ふわフラワー』のソファ席で頭を抱えていると、向かいの席で膝にリリイを乗せていた上司がぎょっと片眉をあげた。‌
「なんの話」‌
「もちろん仕事ですよ仕事。コラムのネタが出てこなくて」‌
「コラム」‌
「社員が順番に、社内報の一コーナーを担当することになってるんです。で、次がわたしの番なので、なんかこう、いい感じなことを書きたいなーって思ってるんですけど思いつかなくて。明日が提出期限なのに」‌
 ふうん、と(きた)(わき)はリリイの背中をなでさする。ぱっと見はいっさい興味なさげな顔をしているが、これが実は相談に乗ってもいいよという表情なのは、()()もよく知っていた。なんだかんだでやさしい上司である。‌
「偶然カフェなんかで(はち)()わせたと思ったら、仕事の話か。(ふじ)(さき)さん、意外とワーカホリックだな」‌
「北脇さんに言われたくないです」‌
「で、なにか候補のネタはあるの?」‌
「いろいろ考えたんですけど、やっぱり()(ざい)部らしく、字面がおもしろい知財の専門用語を、日常生活のもろもろに関連づけて紹介したいなあって思ってるんです。専門用語はもう決めていて」‌
 亜季はソファテーブルに広げていた参考書をぱらぱらとめくった。‌
「これです、『セントラルアタック』。ちょっと興味を持ってもらえそうじゃないですか」‌
 コーヒーを持ってきてくれたゆみが「なにそれ」と首をつっこむ。‌
「セントラルアタック。どういう意味の言葉なの? なんか戦う感じ?」‌
「うーん、アタックされちゃう感じかな。外国に商標を出願したときに注意しなきゃいけないことだから」‌
 亜季は参考書片手にゆみに説明した。‌
「たとえば『ふてぶてリリイ』って名前のバッグは、日本ではゆみ以外の人は売りだせないでしょ。ゆみが商標もってるわけで。でも外国だと誰でも使えちゃう。ゆみの権利は、日本国内でしか有効じゃないから」‌
 商標は強力な権利だが、基本的にその効力は国内のみだ。外国でも権利を保護したいのなら、国ごとに出願して審査されなければならない。だが世界中に国は二百もあるわけで、ひとつひとつやっていると果てしない。‌
 それで国際登録出願という、簡単な手続をするだけで多くの国で商標登録を受けられる超便利システムができた。日本の特許庁に出願するだけで、特許庁から報告を受けた国際事務局なる組織が全世界に向けて『国際登録』し、こちらが保護を希望する国の官庁にも通報してくれて、それぞれの国で審査が進むという至れり尽くせり、楽々システムであるのだが。‌
「ひとつ問題があって。もしどこかの国でめでたく商標がとれたとしても、大元の日本でなにかトラブルがあったりすると、全部がダメになっちゃうんだよね」‌
 それぞれの国でそれぞれ審査が進むから、ひとつの商標がA国では認められB国では認められないなんてことはざらだ。それはまあいい。問題は、大元である日本の登録に問題が発生した場合だ。もし日本での登録が拒絶されたり、短期間で消滅したりした場合、なんと他国での登録すらなかったことになってしまう。もしA国で問題なく権利が取得できていたとしても、日本での登録がだめになったとたん、問答無用でA国での保護も受けられなくなってしまうのだ。‌
「あーつまり、心臓がやられちゃったら、他の臓器が無事でも死ぬ、みたいな感じか」‌
「なんか物騒だけど、そんな感じだと思う」‌
 亜季はちらと上司に目をやった。北脇は素知らぬ顔でリリイの顎を()でている。まあ、だいたい合っているようだ。‌
「なるほどね。セントラルにアタックされるとすべてがだめになる。日常生活でもうまいこと言えそうな気がしなくもないね」‌
「でしょ。だからコラムに使えると思ったんだけど」‌
「肝心の、日常のなにかとうまいこと繋げるアイデアが思い浮かばないわけね」‌
「そうなんだよ。なんかないかな、恋愛セントラルアタック、友情セントラルアタック」‌
 うーんと考えこんだ亜季とゆみを眺めて、北脇は呆れ顔をした。‌
「うまいこと言おうとする必要ないでしょ、結婚式のスピーチじゃないんだから。そもそも、専門用語でうまいことを言おうとするとたいがい失敗する。用語の(きも)の概念は捉えられてないわ、内輪受けに走りがちだわでいいことない」‌
「そうですけど」‌
「僕も社内報は目を通してるけど、そのコーナー、別になにを書いたっていいみたいじゃないか。総務の(よこ)()さんなんて、海外旅行の写真載っけてたよ」‌
「そんな素敵なプライベートは残念ながら過ごしてないですし、それに、わたしは知財ネタを使いたいんです。そりゃなに書いてもいい、ちょっとしたコーナーですけど、せっかく枠がもらえたのなら、わたしにしか書けないことが書きたいって。すこしでもみんなに、この仕事の大切さとかおもしろさをわかってもらえたら嬉しいですし」‌
「亜季は真面目だなあ」‌
 褒めてくれるゆみをよそに、北脇は「よいこころがけだけど」と息を吐いた。‌
「知財のプロとして、どんなときも手を抜かないのは偉いとも思うけど。でもしょせんはゆるいコーナーなんだから、そこまでこだわらなくても構わないんじゃないか。仕事の話なんかより、むしろ藤崎さんにしか書けないものを書けばいいのに」‌
「そんなものないですよ」‌
「むつ君のイラストを載せればいいでしょ」‌
「え、いえそれは」‌
「なにか問題があるの」‌
「もちろんむつ君、わたし自身はとても気に入ってる会心のキャラなんです。ですけど客観的に見て、あんな誰にでも描けるイラストなんて」‌
「逆でしょ。仕事の話なんて、正直言って誰だってできるんだよ。藤崎さんのオンリーワンの部分をアピールするほうが絶対いい」‌
 間違いない、とばかりに言い切って、北脇はブラックコーヒーを手に取る。リリイにかからないように、横を向いて口をつけた。‌

「北脇さんが言うとおり、むつ君のイラストを載せたらいいじゃん」‌
 ゆみは洗い物をしながらあっけらかんと言う。そうだけどさ、と亜季はカウンターでカフェオレ片手に息をついた。‌
「大丈夫だよ、むつ君かわいいもん」‌
「ゆみがそう言ってくれるなら、ちょっと勇気が出るけど」‌
 でも、と亜季はちらと背後を見やる。北脇はリリイを膝に載せたまま、はちゃめちゃに難しそうな題名の本を読んでいる。‌
そもそも北脇さんてさ、むつ君のこと、どう思ってるんだろ」‌
「このハリネズミ自分に似てるなあ、でしょ。薄々感づいてると思うよ」‌
「え、それは困るじゃなくて。それは今は置いといて。なんというかあのひと、きっちりしてるでしょ。どれだけ努力したかとか、どんなに気持ちが籠もっているかなんて、作品の評価とはいっさい関係ないっていうか」‌
 過程なんて関係ない、結果がすべて。そんな厳しくも理に(かな)った確固たる評価軸を持ち、なにより自分自身を強く律しているのが北脇という男だ。‌
「そういう人だから、むつ君をすごく上手に描けてるとか、優れてるとか思ってるわけはないんだけどだからこそ、なんというか」‌
「せめてむつ君を好きでいてほしい。好きだからこそ、社内報に載せたらと提案してくれたんだと思いたい、そういうことか」‌
「うん」‌
「なるほどねえ、わかるよ。むつ君は、亜季っていう人間の大事な一部だもんね」‌
 ゆみは何度もうなずいた。と思えばにやりとして、亜季に向かって腕を伸ばした。‌
「逆セントラルアターック!」‌
 左肩を軽く小突かれて、亜季は目を白黒とさせる。「なにそれ」‌
「大丈夫、大好きだから。いつも、好きだなあかわいいなあって顔で見てるし」‌
「ほんと?」‌
「ほんとほんと。ばれてないと思ってるみたいだけどね。だから大丈夫、ほら、逆セントラルアターック!」‌
 気に入ったのか、ゆみは謎のかけ声とともに何度も小突いてくる。‌
「だからなにそれ。なにが逆なの?」‌
「セントラルがよければみんないいってことだよ。簡単でしょ?」‌
 簡単だろうか。正直、その意味するところはまったくわからないが、ゆみが楽しそうなので、亜季もなんとなく楽しい気分になってきた。北脇のむつ君に対する思いは、本当のところはよくわからない。でも好きでいてくれるといいなと思うし、なんとなく、好きでいてくれるような気もする。‌

「『商標登録におけるセントラルアタックを確実に防ぐのは難しいです。ですがたとえば国際登録の基礎となる国内商標を、すでに権利を得られているものにすれば、日本で登録できないせいで全部がひっくりかえる恐れは低くなります。アタックされるかもしれないセントラルは、(ばん)(じゃく)であればあるほど安心ということです。こういう関係は、企業での事業と知財のあいだにもあるとわたしは思います。どんな素晴らしい製品も、知財の権利が引っかかってしまうと発売できなくなるかもしれません。逆に言えばそれだけ知財は、大切な(かなめ)の石ということです。わたしはこれからもそんな大事な知財を守ってゆきたいし、みなさんに重要さをもっと知ってもらえるよう努力したいです 知財部藤崎』か」‌
 後日、社内報に掲載されたコラムに()(たん)なき意見をお願いしたところ、北脇はなんとも言えない顔をした。‌
「頑張って書いてあると思う。でも正直に言うと、それほどうまいことは言えてないな」‌
「ですよね」と亜季は笑った。自分でも同じように思っているから、まったく仰るとおりである。「いいんです、このコーナーのメインは、隣のむつ君なので」‌
 コーナーの隅には鉛筆を持ったむつ君がちょこんと座っていて、つらつらと書いたコラムはこのむつ君が喋っているていになっている。実際のところ、セントラルアタックについての文章は、むつ君をできる限り自然に載せたいがために(ひね)りだしたものだ。さすがにむつ君だけをばんと掲載する勇気はなくて、真面目なことも書いてみたのである。‌
「むつ君はよく描けてる」‌
 とラムネを食べながら北脇は言ってくれた。そうか、だったらいい。嬉しくなって、亜季の口もついなめらかになる。‌
「ありがとうございます。そういえば北脇さんって、むつ君をけっこう気に入ってくださってるらしいですよね。嬉しいです」‌
なんの話」‌
「ゆみに聞いたんですよ。好きだなあ、かわいいなあってよく見てるって。北脇さんは気づかれてないと思ってるみたいだけど、わたしはわかってるって言ってましたよ」‌
 ラムネを口に放りこもうとしていた北脇の手がとまった。‌
 ちら、と亜季に目を向ける。‌
どうしたんです?」‌
 北脇はしばし静止していたが、やがてなにごともなかったようにラムネを口に入れた。‌
「なんでもない。そろそろ仕事に戻るか」‌
 亜季は(またた)いて、それから「そうですね」とにっこりした。上司がこういう反応をするのは、図星だからだろう。そうか、北脇さんはむつ君が好きで、かわいいと思ってくれているのか。そっかそっか。‌
 にこにこと社内報をしまって、パソコンモニターに向かった。その日はずっと上機嫌だったので、終始上司が気まずそうにしているのには気がつかなかった。‌

【おわり】‌