女役人が山査子飴の秘密を守ること
大永国の京師、承京。
街は新年を迎えて華やかに賑わっている。
「喜」の字を並べて切り抜いた真っ赤な飾りや、縁起のいい色とりどりの年画が家々の門口に貼られている。
京師の南側にあたる南城も、商店街はたいそうな繁盛ぶりだ。
「お客さん、安いよ安いよ!」
「年明けからケチケチしないで買っておくれ。さあ!」
食紅で可愛らしく染められた桃饅頭が蒸籠でホカホカ湯気を立てている。
……ああ、美味しそう! 小豆餡? それとも蓮の実餡かしら?
チラリと横目で見ながら、春燕は屋台のまえを駆け過ぎた。
「こんにちは。承天府の王です。お話を聞かせてください」
飛び込んでいくのは菓子舗である。
王春燕は女吏、つまり男装の女役人だ。
女吏の務めは、庶民の困り事を調査し解決すること。日ごろから街を見まわって犯罪を未然に防ぐこと。
今年二十五歳で、女吏になって三年目。だんだん仕事に自信もついて、忙しくとも毎日やりがいを感じながら過ごしている。
今日は朝一番で馴染みの酒楼店主から「気になることがある」と相談を受けた。
『実は、知り合いの菓子舗の主人から〝偽役人〟が出ると聞いたんだ』
菓子舗や菓子売り屋台を、役人だと名乗る不審者が訪ねてまわってるという。年が明けてすぐに出没しはじめ、店のことを根掘り葉掘り問うので、菓子業仲間のあいだで「気をつけよう」と話題になっているとか。
新年早々、京師の治安に綻びがあってはいけない。酒楼主人に「まかせてください」と返事をして早速捜査に取りかかった。
寒気のなかを急いで走るので、頬は薄紅色。
男結いの髪が風に乱れて顔の脇に跳ねている。
浅葱色の役服の腰に結わえた帳面を取って、聞き取る情報を手早く書きつける。
「なるほど……では、男はすすんで『承天府に勤める役人です』と名乗ったんですね。服装は官服でしたか? 官服の偽造は重罪なのに、何て大胆なのかしら。しつこく訊かれたのはどんなことでしょう? 店の間取りや、売上金の在処ですか?」
「いや、山査子飴についてだよ」
「山査子飴?」
山査子飴とは、赤ん坊の握り拳ほどの大きさの真っ赤な山査子の実を、五つ六つ並べて串に刺し、甘い飴をかけた菓子である。冬場になると菓子舗の店頭や屋台や、竹籠を担いだ呼び売りによって盛んに売られる。
偽役人の目当てが山査子飴だと聞いて、春燕はきょとんと目を瞠る。
……いったい狙いは何かしら?
と、菓子舗主人がいきなりパッと手を挙げて指さした。
「あっ、あの男だ!」
見ると、道の向こうの飴売り屋台に男が足をとめているようだ。
雑踏が邪魔になってよく見えない。
背丈は高そう。
足もとを確かめると、ぞろりと長い衣の下から官服らしい緑色が見えていた。
「捕まえます!」
春燕はただちに駆けだした。
男が背を屈めて山査子飴に手を伸ばす。
人混みを掻き分け、春燕は「えいっ」と飛びかかって腕を締め上げた。
「待ちなさい! 盗むつもりですかっ」
「ひゃあ、痛たたた」
とたんに上がる情けない悲鳴に聞き覚えがあって、春燕は驚いた。
「許検校?」
パッと手を放して見ると、捕らえた相手は驚いたことに職場の上役だ。
緑色の官服姿の許子游検校が、冴えない格好で弱りきっていた。
「やあ、女吏どのですか。こんなところでいったい何を?」
「〝こんなところで何を〟とうかがいたいのは、わたしのほうです。菓子舗に偽役人が出ると相談を受けたんです」
官員が不審者に間違われるなんて……と、春燕は呆れて子游を仰ぐ。
許子游は二十代半ばの青年官員。せめて身なりを整えればちょっとはマシに見えるだろうに、今日もぼさぼさ髪にヨレヨレの上着。滑稽な眼鏡をかけたのんびり顔でこちらを見下ろした。
「それはどうもご面倒をおかけしました。安心してください。このとおり偽者ではなく本物の役人です」
「いまひとつ安心できません。どうして紛らわしい行動を?」
「ああ、もとはと言えばあなたが原因なんです。女吏どの」
にっこり笑顔で〝原因はあなた〟と言われ、春燕は仰天した。
「どういうことでしょう?」
子游が飄々とした口ぶりで説明する。
「先だって山査子飴をくれたでしょう? 出会って間もなくのことです。〝京師で一番美味しい飴だ〟と言って渡してくれました。あのとき僕は疲労困憊でしたが、山査子飴のおかげで元気が回復したんです。以来、どこの飴だろうと気になって気になって……それでこうして京師じゅうの菓子舗やら屋台やらを探しまわっていたんです」
見つかりませんねぇ、と悠長に首をかしげる子游を、春燕はあっけにとられて仰ぎ見る。相手は頭一つぶんも背が高い。
協力して解決した最初の事件を思い出す。
『あなたが必要なんです!』
つやつやと輝く山査子飴を子游に差し出し「どうか捜査を手伝ってください」と頼み込んだのだった。
「覚えています。気になるなら訊いてくださればよかったのに。京師じゅうの店を訪ねるなんて。しかも官服で……」
「いやいや、訊いてはすぐに謎が解けてしまいます。それじゃあ面白くありません。美味しい飴を口に入れて、パッと溶けてなくなったら惜しいでしょう? 謎かけや秘密も同じです。口に入れてじっくり味わってこそ満足がいくし、解けたときの快感も得られます」
そう思いませんか? と問われてつい、
「許検校は変わっていらっしゃいます」
こぼしてしまって「いけない」と慌てて口を閉じた。
上役の官員に対して失礼な物言いだ。けれど、謎があったら一刻も早く解き明かしたいと焦るのが人情ではなかろうか?
あはは、と子游がのんびり笑って、
「とはいうものの、そろそろ降参です。あれはどこの山査子飴でしたか? もう一度ぜひ食べたい。粒ぞろいの実は、色艶といい酸味といい絶妙な熟れ加減でした。飴はいかにも市井の風味でしたが、実のところ上等の砂糖を使っていたと僕は見ています。透明でパリパリの仕上がり、均等なかかり具合。串は尖った先をわざわざ落として、子供が怪我などしないように気遣っていた。相当年季の入った職人を抱える、しかも商いに余裕のある菓子舗の売り物ではありませんか?」
「あ、ええと、あれはその……」
〝訊いてくださればよかった〟と告げたものの、急にしどろもどろになる春燕だ。
……困ったわ。
実は、件の山査子飴は〝特別な飴〟だ。
かつて、とある事件絡みで砂糖商のご隠居と知り合った。
ご隠居は飴売りから身を起こした苦労人。広い邸宅の奥で暮らす現在となっても、数ヶ月に一度はこっそりと街に出て菓子を売る。粗末な身なりで天秤棒を担いで、上等の材料で作るとびきり美味な飴菓子を、貧しい子らにタダで与えるのだ。
『内緒にしておくれ、王女吏』
でないと親族がうるさいから、と。ご隠居に頼まれたので、秘密を明かすわけにはいかない。
……上役の命令でも従えないわ。庶民を守るのが女吏の務めだもの。
ご隠居の飴菓子を喜ぶ子供たちの笑顔を思って、くちびるを引き結ぶ。
「どうしました? 女吏どの」
ひょいと屈んで「さあ教えてください」と子游が迫る。
春燕はパッと後退って返事をした。
「秘密です」
「おや、なぜ?」
「それは、その……まだまだ許検校に解いていただきたい謎がたくさんあるからです。特別な飴に見合う特別な難事件を一緒に解決してくださったら、そのとき教えて差し上げます」
苦し紛れで言い訳すると「ふぅん」と言って子游が眼鏡の奥の瞳をくるめかせた。
「面白そうです。いいでしょう」
誰がどう見ても風采の上がらないぐうたら検校は、ごくたまにキラリと知恵者らしい顔をのぞかせる。そういうときの彼はまるで「世の中に見通せない秘密はない」と自ら信じているように見える。
春燕はハッとして、こう思う。
……いつかこの人は、京師じゅうの謎を解いてしまうんじゃないかしら?
ワクワクもし、ちょっとハラハラもする。
ゴホンと咳払いした子游が屋台のまえからゆるゆると歩みだす。
春燕はタッと小走りで追いかける。
賑わう新春の街路を、二人並んで承天府を指していく。
「ところで王女吏、山査子飴の由来をご存じですか?」
「いえ、知りません」
「そのむかし、御上が寵愛する貴妃が病気になったんです。憂えども、貴妃の病はいっこうによくならない。宮中の薬石も効き目がなく、思い余った御上は世に名医をお求めになった。これを知った一人の民間の医師がすすみ出て〝山査子の実の砂糖がけが効くでしょう〟と申し上げたんです。山査子飴を食べた貴妃はみるみるうちに体調回復し、喜んだ御上はその薬効を広く世間に知らしめたというわけです」
「てっきり庶民の味だと思ってました。意外な由来があったんですね」
「山査子の実は干して生薬として用います。消化不良、食欲不振によく効きます。食べ過ぎにも効果抜群ですから、女吏どのはヤケ食いやドカ食いのあとなどに飲むといいでしょう」
キュッと立ちどまって春燕は思わず言う。
「お、大きなお世話ですっ。許検校!」
【おわり】