秀女選び

集英社オレンジ文庫10周年フェア『珠華杏林医治伝』(小田菜摘)スペシャルショートストーリー


 (しゅう)(じょ)選びとは、妃として後宮に仕える宮女の選考会である。これが各王朝を比べると、さまざまな個性が出ていてなかなか面白い。
 たとえば二つ前の王朝・(りょう)は、太祖が最下層からの成り上がりだったとかで、その劣等感からなのか、やたら身分の高い高貴な女ばかりを後宮にかき集めた。それゆえ皇帝の下劣さに眉をひそめていた高官達は、秀女選びの時季になるとあわてて娘を他家に嫁がせたという話が残っている。もっともこの皇帝も晩生になると、気の張る女は嫌だとして、どこで見つけてきたのか、あまり上等でもない妓楼の、しかも容姿も並み程度の女を後宮に入れて誰よりも寵愛していた。
 さらに遡って、もはや神話に近いともいわれる古い時代にあった()王朝は血縁にこだわったあまり、いまではとうてい考えられない近親婚を繰り返していた。送りこまれた秀女達も、皇帝の異母妹や従妹、叔母、姪などばかりで、そうなると候補者も限られてくるので選ぶというほどに若い娘がいなかったのだという。
 さて、現朝・()国において、秀女にこれといった選考基準はない。ただし推薦人のほうに身分制限がある。ある程度の地位、経歴を持つ者でないと推薦人になれない。不適切な娘を送りこめば、彼らの評価が落ちてしまう。必然的に秀女は、家柄、才能、容姿に優れた娘ばかりが集まっていた。
 今上・(しょう)(へき)(しょう)は、彼の治世において二度目の秀女選びを、もはや避けられない状況となっていた。二十三歳の彼には同じ年と二つ下の妃がいる。二人とも高官の娘なので、入宮当時から高位となる妃に(さく)(ほう)している。しかし碧翔はこの二人との間に、なかなか男子を授かることができなかった。正確に言えば一人は産まれたのだが、死産だった。二人の妃はともに女子はもうけているから、夫婦ともに問題があるわけではない。
「だから、そのうち男子もできるだろう。急いて()(ひん)を増員する必要はないと
「そもそも後宮の妃が二人だけなんて、滅亡寸前の王朝でも聞かないですよ」
 碧翔に最後まで言わせず、彼の訴えを跳ねのけたのは侍臣の(おう)(れい)である。皇太子時分からの近臣は、皇帝となったいまでも砕けた口調で遠慮なくものを言う。
「なあ、そう思うだろう。(はん)(ちゅう)()
 とつぜん話を振られた范中士こと(はん)(しゅ)()は、(マン)(トウ)を頬張ったまま上目遣いに目をむける。
二十一歳の彼女は、二年前に医師の資格を授けられた、この国初で、いまのところ唯一の女医である。通常であれば卒業まで四年かかる太医学校を二年で卒業したのは彼女の知識と実力だが、医官に任じられてわずか二年で中士にまで昇進したのは、まちがいなく上の、もっとはっきり言えば皇帝である碧翔の意向だった。
「私は医者ですので、歴史のことは分かりません」
 もぐもぐと饅頭を(えん)()してから、珠里は答えた。彼女が来ると聞いていたので、碧翔は好物を準備させていたのだ。なめらかな(あん)に刻んだ胡桃(くるみ)を入れたこの饅頭が、珠里はことのほかお気に入りだった。
 碧翔が珠里を中士にあげさせたのは、最低その地位がなければ皇帝の侍医になれないからだった。中士に昇格した直後、彼女は皇帝付きの侍医団の一員となった。おかげで面倒な手続きをせずに、気軽に皇帝宮に出入りさせられるようになった。珠里を秀女選びに参加させられない以上、彼女に会うためにはそうするのが一番てっとり早い。おのれの治世の中で、いまのところ一番のわがままだったことは自覚している。
 あっさりと賛同を拒否された汪礼はむっとした顔になる。彼の本音としては、だからお前が秀女選びに参加しろというところなのだろう。碧翔が珠里を寵愛していることは、宮中では暗黙の了解事項なのだから。
「じゃあ主治医として、なにか意見はないか?」
「主治医としての意見は、房事過多のほうが陛下の健康を害しますでの、あまりたくさんのお妃は必要はないかと」
「ほら、みろ」
 鬼の首でも取ったように碧翔が言ったところで、翠珠が「けれど」と口を挟んだ。
「お妃の数が少なければ、どうしても一人が多く御子を産むことを求められます。入宮五年目で二回の妊娠出産は悪くないあんばいではありますが、お二人がこれ以上の御子を求められることは、母体の健康を考えますといかがなものかと存じます」
 二十代前半での二回の出産は普通だが、妊娠の間隔を詰めすぎるのは良くない。いくら若くて体力があっても、出産で損なわれた健康が回復するまで次の妊娠は避けるべきである。しかし妃の数が少なければ、どうしても個々への期待と負担が大きくなる。
 秀女が増えることは、いまいる妃達には穏やかな心持ちではないだろう。しかし肉体面での負担を考えるのなら増やしたほうが良い。
「同性としては、こういうことを勧めるのは複雑なのですが
「そりゃあ、あんたの立場からすればなおさらだよねえ」
 半ば呆れたように言った汪礼を、珠里は軽くにらみつける。穏やかな心持ちでないのは、妃だけではなく珠里とて同じことなのだ。
 それでも彼女は妃にはならない。碧翔も妃にすることはできない。なぜなら珠里には、この国で女医として道を切り開くことと、後進を育てるという大きな責務があるから、恋に溺れる暇などないのである。そのうえで情を交わした相手に、医者として新しい妃を迎えることも進めなくてはならない
 未来のために、みなが少しずつ辛いことを耐えている。
「ならば秀女の件はよろしいですね。吉日を選んで進めさせますよ」
 汪礼の言葉に珠里はひとつ息をつき、不満気に茶杯を見下ろした。ままならないものだとは思うが、彼女も同じ気持ちならば少しは留飲が下がる。
「かまわぬ、進めよ」
 碧翔は言った。
 気乗りはせぬがしかたがない。それが皇帝の責務というものだから。

【おわり】