プディングとプリン
みのるが同居している二人の大人の一人、リチャードの好物は、プリンである。
卵と砂糖が原材料で、山形のゆるんとした食感の、あのお菓子である。
だが。
「イギリスの人の言うプリンって、『プディング』のことじゃないの? 『世界の文化』みたいな本でそういう話を読んだんだよね。リチャードさんは本当に、日本で言うプリンが好きなの?」
ある日みのるは、志岐真鈴から以上のような言葉を受けた。
みのるは混乱した。プリンはプリンである。スーパーマーケットに行って「プリンをください」と言えば、出てくるものは一種類である。だがイギリスにはプディングというものが存在し、それはプリンであってプリンではないという。ややこしい話だった。
みのるはいつものように、同居している二人の大人のうちのもう一人、中田正義に相談した。
仕事のない午後、正義はいつものように温和な顔で笑い、そうかあ、と頷いた。
「志岐さんは物知りだね。確かに日本人のイメージする『プリン』は、イギリスのデザートってわけじゃないな。逆にイギリスの『プディング』は……何ていうか、『小麦粉を使って蒸すか焼くかした食べ物全般』みたいな意味だから、これ! ってイメージは難しいんだ。甘いお菓子にも限らないし」
「そ、そうなんですね」
「…………あ、ちょうどいいかもしれない」
「え?」
今日の夕飯を決めていなかったから、と正義は告げ、にやりと笑った。
みのるがぼーっとしているうちに、正義はいろいろな食材を冷蔵庫から取り出した。小麦粉。バター。冷凍ベリー。煮たり焼いたりして下準備を整える。そして今度は食器棚から、通常比三倍ほどの大きさのプリンカップを十個ほど取り出した。ガラスでもプラスチックでもなく、不思議な銀色のカップである。幾つかはオーブンにいれ、幾つかは冷蔵庫に片付ける。そのあたりで正義はみのるに「手間がかかるから宿題をしておいで」と言ってくれた。
みのるが自室にひっこみ、数学の宿題にうんうん言っている間に準備は終わったようで、しばらくすると正義はみのるの宿題を見にきてくれた。
「えっ、もう終わったんですか」
「うん。プディングって、実はそんなに難しい料理じゃないからね。下準備よりも、焼き上がるのを待つ時間の方が長いんだよ。よければダイニングで宿題をしない? 火の番もできるから」
低い音を立てて唸っているオーブンの近くで、みのるは何とか数学の宿題に勝利をおさめ、正義に小さな拍手を貰った。
みのるはふと、尋ねてみたくなった。
「正義さんは、今までにもプディングを作ったことがあるんですか?」
「あるよ。でもどうして?」
「何だか、魔法みたいに素早く準備をしちゃったので……」
正義は笑った。そして携帯端末に写真を表示させつつ、正義はみのるにさまざまなプディングの話をしてくれた。
チェリー入り小麦粉のプディングにカスタードクリームをかけた『キャビネット・プディング』、さまざまな砂糖づけの果物が輝く『聖ジョージのプディング』、砂糖、卵黄、砂糖漬けのオレンジによって表面が宝石のようにつやめく『アンバー・プディング』、甘いものが多いプディングの中でもとりわけ甘く、歯が溶けてしまいそうなほどの『スティッキー・トフィー・プディング』、『死人の腕』などという物騒な名前でも知られる、きれいなジャムの模様入りの『ローリー・ポーリー』、ゴージャスなメレンゲで飾り付けられた『クイーン・オブ・プディング』。
形状こそ皆似かよった山形であるものの、調理法にはいろいろあり、レシピによって蒸すもの、オーブンで焼くものとが別れているという。
それはさておき。
「これ、全部、作ったんですか……?」
「え? うん。ああでも、一度に全部作ったわけじゃないよ!」
「それはわかりますっ」
『作ったことがある』どころか、中田正義は間違いなく、プディングの大好きな、プディング作りの達人であるようだった。
「…………」
今キッチンで作られているものが、みのるは改めて気になり始めた。。
プディングであることは確かだとしても、一体『どれ』が生まれてくるのか。
気になりますという顔をするみのるに、正義はいたずらっぽい顔でウインクをした。
「ただいま戻りました」
リチャードが戻ってくると、正義はいつものようにニコニコ顔になった。外出着から部屋着に――みのるの目から見るとどちらにせよキチンとした服だったが――着替えたリチャードが戻ってくると、冷蔵庫から例の銀色の型を取り出す。
「おや正義、そちらは?」
「見てのお楽しみ」
食器棚から白い小皿を三枚、みのるに取り出させると、正義は冷蔵庫に入っていた銀色のカップを三つ取り出し、それぞれの皿の上であけた。
ルビーレッドのシロップ色をした、小山のようなデザートが、皿の上に出現した。正義はふーっと大げさなため息をついてみせた。
「ギリギリだ! 本当は一晩冷やさなきゃいけないのをズルしたから、ミニサイズでも固まってくれない可能性の方が高かった」
「とても美しいサマー・プディングですね」
「そう思ってもらえたら成功だ」
言いながら、正義は冷蔵庫から取り出したベリー色のソースを、三つの小山の上に惜しみなく注ぎかけた。最後にミントの葉を散らし、また冷蔵庫に戻す。
「これは食パンをプディングの型でかためた『サマー・プディング』。たっぷりのベリーソースで真っ赤な色になるんだけど、何となく俺にとっては、このベリルみたいな色が、夏のイギリスの色なんだよなあ」
「では本日の夕食は、さわやかな夏のプディングというわけですね」
「これはデザートだよ。本日の夕食は、昨日のあまりの豚ロースの生姜焼き。おまけつきで」
正義は魔法のように、オーブンの中から生姜焼きの大皿を取り出した。温蔵庫のように使っていたらしい。
サイドには見慣れない、潰されたミニドーナツのような形状の、焦げ茶色の焼き物が添えられていた。リチャードが目を細める。
「……こちらはヨークシャー・プディングですね」
「ご名答。みのるくん、これが甘くないプディングの代表格、『ヨークシャー・プディング』だよ。ローストビーフの付け合わせとして、肉汁ソースをひたひたにして食べることが多いけど、今回は生姜焼きのつけあわせってことで」
みのるはもちろん、生姜焼きとともにヨークシャー・プディングをおいしく食べた。ヨークシャーというのは毛をとるための羊の放牧で有名な場所だとリチャードが聞かせてくれて、みのるの頭の中ではもふもふの羊がプディングを食べていた。
ディナー後、みのるは素晴らしい赤色のサマープディングを平らげ――中までベリーがぎっしりで、甘酸っぱさの玉手箱のような味だった――全ての皿洗いを終えた頃、リチャードはおほんと咳払いをした。
「正義、今日のプディングはいずれも素晴らしいものでした。あなたの料理の腕前は、いつもながら感嘆の一言です。ブラボー。その腕前を見込んで、いえ、信用してのことなのですが」
「わかってる。プディングじゃないプディングのことだろ」
「エクセレント」
みのるにはよくわからない会話の後、正義は冷蔵庫を開け、いつものプリンカップに入ったデザートを取り出した。リチャードが嬉しそうに口角を持ち上げる。
「みのるくんの分もあるけど、どうする? デザートが続くし、ちょっと多すぎるかな」
「いただきます!」
みのるの隣でリチャードが笑った。
三人は食後のプリンを楽しんだ。デザートも終わった後である。コースの料理には前菜や副菜などの仕分けが存在し、デザートもその呼び方の一つであることをみのるは正義から学んでいたが、これは一体何なのかわからなかった。そもそもディナーは終了している。であるなら。
プリンタイム。
さしずめそういうものに当たりそうな気がした。
みのるはちらりとリチャードの顔をうかがった。いつものようにリチャードは、ほんのりと色づいた頬で嬉しそうにプリンを食べている。リチャードが世界で一番好きな食べ物が何であるのか、説明されなくてもみのるはわかっていた。正義にもきちんとわかっているようで、健康診断前日などよほどのことがない限り、正義は冷蔵庫にプリンの備蓄を欠かさなかった。
みのるの視線に気づき、リチャードは楽しそうに微笑んだ。
「食の世界には綺羅星のようなデザートが輝き、プディングだけであっても数えきれないほどの種類が存在しますが、みのるさま、一番お好みに合ったものはどれだったのか、よろしければおうかがいしても?」
「ええっと……」
みのるは正義の顔を見て、少しためらった後、笑った。
「このプリンが、やっぱり僕は、一番好きです」
「私もです」
それを聞くと、プディングとプリンの達人は、微笑みを浮かべて一礼した。
【おわり】