ランダムグッズまじ勘弁
ランダムグッズの袋の中には神様がいて「○番がほしい」とか「被らないでくれ」みたいなこちらの思考をことごとく見透かしているものなのだ。そう思わなきゃやってられない時がたまに、ある。ここ最近がいい例だ。
「おっ飯間さん、今日も来ましたね。ちょテニ・チャレンジの時間が」
タイムカードを押した後にレジへ向かうと、レシート用紙の補充をしていた後輩がにやりと笑った。退勤時に〈『超絶テニス燃くん』缶バッジ 双子がいっぱい春の桜ver〉を1つずつ買うようになって今日で7日目になる。絵柄は全10種で、主人公の燃とライバルの映がそれぞれ5種。つまり確率的には半々なのだが、なぜだか今日まで映しか出ていない。
「今開けてくださいよ。お客さんいないし」
バーコードを読み取り、テープを貼って渡してくれた後輩が言う。僕は頷き、かすかに緊張しながら封を切った。
「……どうでした?」
答える前にレジの向こうから覗き込まれ「ありゃあ」と苦笑された。出てきたのは昨日引いたのとまったく同じ、舞い散る桜の中、こちらに手を伸ばす映の缶バッジだった。
「……いいんだよ、全部当たりだ」
半分やけくそ、半分本音だった。背中に回していたリュックのポケットにそれをしまう。缶バッジなんてどこに付けるわけでもないのに、躍起になって買い続ける自分が時々、ひどく不思議になる。
アニメイトを出て池袋駅まで歩いた。渋谷で仕事帰りの叔父と落ちあい、夕食ついでにシェアハウスの管理について話し合う予定があった。叔父の海外転勤にあたって、彼の所有物であるそれを僕が預かることになったのだ。恋人でも友達でも自由に住まわせればと言われたが、あいにく僕にはどちらもいない。
JR山手線のホームへと続く階段を上り、内回りの電車が来るのを待った。3月の夕暮れ時の空気はしんと冷えている。眼鏡のレンズが汚れていたが、拭うためにパーカーのポケットから手を出すのが億劫だった。
「お待たせいたしました。池袋に到着です」
アナウンスの後に扉が開き、乗客が一斉に降りてくる。人の流れが落ち着いてから乗り込もうとした時、視界の端で小さい物が落下するのが見えた。たった今、電車を降りた背の高い女の人が落としていったようだった。それは軽い音を立てながらホームを転がり、人ごみから少し離れたところで止まった。誰も拾い上げなかった。
「落としましたよ!」
僕は階段を上っていく彼女に向かって声をかけたが、気づく様子はなかった。拾って届ければ目の前のこの電車には乗れなくなる。一瞬迷ったが、仕方なく乗車の列を離れた。叔父との約束の時間にはまだ余裕があったし、見て見ぬふりをするのは気分が悪かった。
近づいてみて驚いた。女の人が落としていったのは、僕がさっき買った缶バッジと同じ『超絶テニス燃くん』のワイヤレスイヤホンだった。映のモデルで、接続すると「ハーイ! アイムハユル」って台詞が流れるやつ。コアなファンしか買わない代物だ。失くしたことに気づいたら、さぞかしショックだろう。
顔を上げて姿を探すと、落とし主は改札口へと続く階段を上り切るところだった。だいぶ距離が開いてしまったから、全力で追いかけないと厳しい。諦めて駅員に届けようか? いや、それじゃ本人の元に戻る確証はない。
「落としましたけど!」
階段を駆け上がりながらもう一度声を張り上げると、冷気が喉に流れ込んだ。落とし主が振り向く気配はない。これだけ叫んでるのにおかしいだろと思ってイヤホンの蓋を開けると、案の定中は空だった。
「付けてんのかよッ」
思わず独り言が漏れる。そりゃ聞こえないわ。発売予告が出た時「ノイキャン助かる」って引リツも山ほど見かけた気がするし。
帰宅ラッシュの時間帯のせいで、とてもじゃないが走れる状況じゃなかった。それでも、運動不足の体には早歩きさえ辛い。速く歩けば息が切れる、でも早く追いつかなきゃ歩く距離が増える、そしたらもっと疲れる。嫌だ! 僕は酸欠になりかけながら十数メートル先にいる落とし主の元を目指した。今まであまり意識してこなかったが、長身の人ってなんて歩幅が大きいんだろう。華奢なハイヒールによって数センチ嵩増しされた脚で、その人は駅構内の通路をぐんぐん進んでいく。
「あの」
人と人との間を通ろうとした時、突然後ろからリュックの肩紐を引っ張られて転びかけた。振り返ると、大学生くらいの大人しそうな女の人が、申し訳なさげに僕を見ていた。
「ごめんなさい。映の缶バッジ落としたので」
見てみると、確かにリュックのサイドポケットのファスナーが下がっている。人ごみの中、通行人と至近距離ですれ違う時に開いてしまったのかもしれなかった。
ともかく、落とし物を届けるのに自分が落とし物をするなんて迂闊だった。僕は大学生に礼を言い、缶バッジを受け取って歩みを再開した。そういえば呼び止められた時「映の缶バッジ」と確かに言われた。彼女もちょテニが好きなんだろうか。……いや、短絡的だろ。慌てて自分をたしなめた。
バイトしている場所が場所だから僕の周りはオタクばかりで、だから時々、この世の人は全員オタクなんじゃないかと思ってしまうことがある。だが、それはとんでもない勘違いだ。うっかり思い込んだまま行動したら最後、一生夜中にウワーとなる黒歴史が作られてしまうことを僕は知っている。例えば中学生の時、自創作キャラのイラストを宿題ノートの表紙に描いて提出していた記憶なんかは、そう簡単に忘れられはしないのだ。
余計なことを考えていたら、いつの間にか西口まで来てしまっていた。落とし主の背中が少し先に見える。彼女は迷いなく歩いていたが、突然何を思い出したのか、通路の右側にあるコンビニへ吸い寄せられるように入っていった。助かったと思って、僕も後を追う。
「あの」
店に入って、そう声をかけようとした。けれど聞こえたのは自分の声ではなく、振り返った僕は、後ろに背の低い金髪の男が立っていることに気づいた。彼はズボンのポケットに手を突っ込み「気のせいだったら悪いっすけど」と僕を睨む。
「お兄さん、さっきからあの女の人のことつけてますよね。よくないっすよ」
「は⁉」
ストーカーに間違われている。そう気づいたのは早かったが、言葉が咄嗟に出てこなかった。「いや、そうじゃなくて」僕は背中に嫌な汗が滲むのを感じながら、金髪の男に映のイヤホンを見せた。
「山手線のホームで、あの人がこれを落としたから。届けようとしただけで」
金髪の男は疑わしげな目を向けてくる。本当のことだからこれ以上弁解しようもないのだが、当然居心地は悪かった。
「……訊いてきます」
男は短く言うと店へ入っていき、僕の方を示して落とし主に何か尋ねた。彼女は慌てた様子で鞄を探り、「あっ」という顔をして大きく頷く。ほどなく、二人で店外に出てきた。
「すみませんでした」金髪の男が頭を下げた。
「俺、早とちりした。悪い奴だと思ってしまいました」
真面目な幼い子どもみたいな頭の下げ方だった。実際ストーカーに間違われても仕方ない様子だっただろうし、謝る必要ないのにと思う。「いや、別に」僕が言うと彼は「じゃ」と笑い、跳ねるようにコンビニの前から去っていった。
「拾ってくれてありがとうございました」
落とし主の女の人が言った。「いえ」僕は彼女にイヤホンのケースを渡した。
「映ッ!」
彼女が勢いよく叫ぶ。そんなに喜ぶとは思わず僕がたじろぐと、彼女は「あ、違うんです! 違わないけど!」と叫びを重ねた。
「あなたが持ってるそれ! 春の桜の!」
そう言えば、拾ってもらった缶バッジを握り込んだままだった。それがどうしたと思っていると、彼女はイヤホンのケースをしまうついでに鞄の中を探り、興奮した様子で僕の前で手のひらを広げた。ちょテニの缶バッジだった。ざっと数えて7個はありそうだ。絵柄はすべて燃だった。
「何個開けても燃しか出なくて、もちろん全部当たりで全部嬉しいんですけど、やっぱり映が欲しくて、ああ……羨ましいです」
「交換しましょう」
食い気味に言ってしまった。こんな上手い話があるかよと思ったのもつかの間、「ぜひ」と食い気味に返されて笑ってしまう。
交換した後、その人とはちょテニの話で盛り上がり、ツイッターをフォローし合ってから別れた。不思議なこともあるもんだとボケっとしていたら、渋谷で道に迷ってしまった。叔父との約束の時間が迫り、またもや早歩きする羽目になりながら考える。
僕みたいな人って、もしかしたら案外多いのかもしれない。1つの作品が大好きな人、キャラクターの存在をよすがに生きている人。そういう人と今日みたいに偶然知り合えたら素敵だ。知り合うだけじゃなくて、仲良くなれたら、もっと……。その時シェアハウスのことが頭をよぎって、あるアイデアがひらめいた気がした。
横断歩道の向こうに、叔父の姿を見つけた。今日は脚が疲れたと、駆け寄りながら思う。リュックのポケットの中で缶バッジがカラカラと音を立てた。楽しいことが起きる予感を、僕に伝えているようだった。
【おわり】