君のいない世界で

集英社オレンジ文庫11周年フェア『魔法使いのお留守番』(白洲 梓)スペシャルショートストーリー


「シロガネ様はいらっしゃいますか!」
 (はて)(じま)に、大魔法使いの名を呼ぶ声が響く。
 大陸の南の果て、この小さな孤島に住まう大魔法使いを訪ねて、こうして招いてもいない客が現れるのはいつものことであった。彼らは不老不死を得たいと望む権力者か、もしくはほかの魔法使いが皆(さじ)を投げたような問題を抱える者か、大抵はそのいずれかである。
 クロは、島唯一の砂浜を見下ろす崖の(ふち)で足を止めた。
 見渡せば、沖に一隻の船。
 そこから小舟に乗り換えてやってきたのだろう、一人の男が砂浜に立ちつくしこちらを見上げていた。
 年の頃は三十代半ば、中肉中背で、さほど見栄えのする容姿ではないが、佇まいにはどことなく品があった。しかしその顔色は悪く、頬はげっそりと()げている。
 どこぞの貴族だろうか、地味ではあるが高級そうな生地を使った仕立てのよい服のあちこちに砂がついているのを見る限り、崖にへばりつくように続く階段を上がろうと試みたようだ。魔法のかかったこの階段は、上ろうとすれば砂のように崩れ落ち、決して上まで辿(たど)り着けないようになっている。失敗して、砂浜に転がり落ちたに違いない。
 クロは息を吸い込むと、よく通る声で、いつもの通りに事実を告げた。
「魔法使いは、留守にしております」
 大陸では不老不死の秘術を手にしたと噂され、この島でその秘密を守りながら引きこもっていると言われるシロガネだが、彼が今どこでどうしているのか、クロは知らない。
 シロガネがいなくなり、すでに十年の時が経っている。
「どうしても、どうしてもシロガネ様に叶えていただきたい願いがあるのです! どうか、お話だけでも聞いていただけませんか!」
「ですから、留守にしております」
「お願いです! 妻に妻に会わせてほしいのです! 一年前、亡くなった妻に!」
 男は悲鳴のように叫んで手を合わせ、その場に崩れ落ちるように(ひざまず)く。
 なるほどそういう話か、とクロは内心で合点する。
 彼のように、死んだ人間に会いたいと願う者は、これまでも時折見かけた。
 不老不死を得たというシロガネならば、死者とも交信が可能なのではないか、あるいは死者すら生き返らせることすらできるのではないか、と彼らは途方もない期待を寄せてやってくるのだ。
「お帰りください」
 言い捨てて、その場を後にする。
 男が泣き叫ぶ声が、追いすがるようにこだました。
「お願いです、どうか! お金ならいくらでもお支払いします! 私の持つ財産すべてを投げ打ったっていい! シノブに会わせてください! 彼女がいない世界には、もう耐えられない! 生きて、いけない!」
 あとは()(えつ)と、言葉にならない(どう)(こく)だけになった。
 早くその哀れっぽい悲嘆の渦から遠ざかりたくて、クロは城へと戻る足を速めた。
 玄関扉を閉めてようやくあの叫びの名残を断ち切ると、ほっと息をつく。どっと疲れた気分で、居間のソファに転がった。
 見計らったように、アオが淹れたての珈琲を目の前に差し出してくれる。
「お疲れ様です。あの方、まだあの場に居座っているようですよ」
「そのうち諦めて帰るだろ」
 白い湯気の立つカップを受け取ると、クロは早速口をつけた。流れ込んでくるその心地よい苦みと香りを、ゆっくりと堪能する。
「死んだ奥様に会いたい、というのがあの方のご希望なんですよね」
 青銅人形のアオの聴力は、人間とは比べ物にならない。大声で叫んでいたあの男の声は、はっきり聞きとれたようだった。
「多分、どこかの貴族だろ。欲しいものが何でも手に入る立場にいると、人の生き死にすら金を出せばなんとかなると思うんだな」
 ふん、とクロは吐き捨てる。
「きっと亡くなった奥様のことを、深く愛していらっしゃったんでしょうねぇ。わざわざこんな南の果てまでやってくるくらいですから。さぞや、素敵な思い出がたくさんおありなのでしょう
 何やらアオがそわそわとしたような素振りを見せ始めたので、クロはぴんときて、うんざりしたように眉を寄せた。
なんだよ。今度はなんだ? あの男のどこらへんが刺さったんだよ?」
 言い当てられて、アオは嬉しそうに揺れ始める。
「実は、先日発売された『アヴァロンの果ては青い』最新刊で、クールでニヒルな頼れる兄貴分であったアーサーが恋人を亡くしたショックで闇落ちし、敵方に寝返るというまさかの展開となっておりまして! もしや、あの方にも闇落ちルートが待っているのではと心配でならず!」
 人間というものを理解しようと常に努めるアオは、主に小説などからその心の機微を学ぼうとしているが、時折それだけでは飽き足らずに「実地で勉強になる」として、こうした来客を観察するのを一種の趣味としていた。
 今回の訪問者の事情には、特に興味を覚えたらしい。
「下手に関わるなよ。シロガネに会えると期待されたら厄介だ」
「ええ、わかっています。わかっていますとも」
 そう言いつつも、アオがまだ揺れているのをクロは見逃さなかった。
 それから何日も、男は砂浜に座り込み続けていた。
 時折、沖に停泊している船から使用人が舟でやってきては食料や水が運びこまれるようで、毛布まで用意してすっかり長期戦の構えを見せている。
 毎日幾度も、「シロガネ様! お願いでございます! どうか妻を!」と叫ぶ声が響き、クロが帰れと言ってもまったく聞く耳を持とうとしない。
 男が押しかけてきてから三日目の昼下がり、いつも通り唐突に未来から時を超えてやってきたミライが、その声を耳にして首を傾げた。
「何あれ?」
「面倒な客が居座って帰らねぇんだよ」
 これまでの経緯を説明すると、ミライは「ふーん」と腕を組んだ。
「不老不死と並んで全人類の永遠の望みだよなぁ、それは。とはいえ、船に乗ってここまでやってきて、しかも何日も座り込むなんてよっぽど好きだったんだね、その奥さんのこと」
「そうなんですっ!」
 勢いよく居間に入ってきたアオが、カタカタと揺れながら叫んだ。
「うわっ、何だよ?」
「あの方、お名前はアジロさんというのですが、奥様との間にはそれは感動の物語がっ」
「は? お前、あいつと話したのか?」
 クロの疑念の声にぱたりと動きを止めると、アオは不器用に視線を()らして素知らぬふうを装った。
「いえ、お昼ごはんを作り過ぎてしまったので、ちょっとお裾分けに
「ご近所付き合いなの?」
 ミライが突っ込む。
「缶詰や固いパンばかり食べていらしたようなので、温かいものは大変喜ばれました」
「変に期待させるなって言っただろ。シロガネはいないんだぞ」
「ええ、それは俺もきちんとお伝えしました。ですがやはり、ずっと一人であそこにいるとお寂しいのでしょう。奥様との()()めなど、色々話してくださいまして」
「へー、どんな話?」
 ミライが話をせがむ。彼はこうして過去へ来ると、基本的に暇なのである。
 呆れるクロをよそに、アオはいそいそと語り始めた。
「それがですね
 アオがアジロから聞いたのは、まとめるとこんな話だった。
 彼はある国の貴族の出であったが、昔から内気で不器用な性格で華やかな社交界に馴染めず、妻のシノブに恋をした時もなかなか気持ちを伝えることができなかったという。そんな彼を、美しく(ほが)らかで誰からも好かれるシノブが選んでくれたことは、人生において最大の幸運であると感じていた。
 やがて二人は結婚したが、子どもには恵まれなかった。気に病むシノブを、アジロはいつも「君さえいてくれれば幸せだ」と優しく慰めたし、それはまごうことなき本心であった。
 しかし結婚から十年後、シノブは急な(やまい)で突如この世を去った。
 悲嘆に暮れたアジロだったが、そんな彼に追い打ちをかけたのが、父の跡を継いでいた兄の死だ。
 兄には幼い娘一人しか子どもがいなかったため、突然アジロに当主の座が回ってきたのだ。それだけでも荷が重いのに、周囲からは再婚を勧める声が上がり始めた。後継ぎを残すためだ。
 シノブを亡くしたばかりでそんなことは考えられないと拒否するアジロだったが、当主としての責任は重くのしかかった。真面目に仕事に打ち込んだものの、もとより内気で不器用な性分な彼は、当主として人前に出る度うまくいかず四苦八苦し、社交の場ではいつも胃が痛くなった。そんな時、昔だったらシノブがいつも傍で支えてくれていたことを思い返すにつれ、さらに亡き妻を恋しく思う。同時に、舞い込んでくる縁談話を聞く度、彼女を裏切るような気分になってひどく気が滅入った。
 やがて彼は心身ともにすり減っていき、寝込むことが増えた。
 ベッドの上で孤独を噛みしめながら、シノブの名を呼び続ける。アジロはなんとか亡き妻に会う方法はないのかと、真剣に考えるようになった。
 まずは、(ちまた)で噂の交霊術の会へと赴いた。しかし、目の前で(れい)(ばい)()に乗り移ったというシノブの霊は、とても本人とは思えなかった。事実、それはペテンだった。
 高名な魔法使いたちを、何人も訪ねて回ることもした。しかし皆口をそろえて、死者と交流することは魔法では不可能だと告げた。
 古い本に載っていた、怪しげな復活の儀式を真夜中に実行したこともある。呪文を唱え、鶏の血を(しぼ)り、(ろう)(そく)を灯して祈りを捧げた。しかし、シノブは現れない。
「もう、シロガネ様だけが、最後の望みなのでございます。どうか、どうか
 涙を流しながら(こん)(がん)するアジロの悲壮な様子に、アオは「こちらもついつい涙せずにはいられませんでした」と話を締めくくった。
「まぁ、俺涙流れないんですけど」
「馬鹿、これ以上関わるな。早く諦めて帰ってもらわなきゃ困る」
「後ほど食器だけ回収してきます」
「完全に出前だな」
 ミライが呟く。
 一方クロは、苛々(いらいら)として声を(あら)らげた。
「適当にその辺に置いておかせればいいだろ!」
「だめですよ、こびりついた汚れは時間が経つほど取れにくくなるんですから!」
「なぁなぁ、その食器回収俺が行ってもいい?」
「おや、助かりますミライさん」
「なんでお前が行くんだよ」
「え? 別に奥さんとの馴れ初めエピソードとかプロポーズのシチュエーションとか聞いたりしないよ」
「聞く気満々じゃねーか」
 ミライが首を傾げた。
「なんかクロ、妙にピリピリしてない?」
「は?」
「シロガネを訪ねてくる客が居座るなんて、よくあることだろ。そのアジロっていうのは、そんなに嫌なやつなのか?」
「アジロさんはとても礼儀正しい方ですよ。ここへいらっしゃる方々の中では、(まれ)に見るほど控えめで謙虚ですし」
 アオが迷わず(よう)()する。
 二人に不思議そうに見つめられ、クロはぷいと顔を背けた。
「別に。あいつの哀れっぽい声が、うるさいだけだ」
 アオはそれからも時折、珈琲を淹れたポットなどを片手に、砂浜に降りていっているようだった。
 懇願するアジロの声は、朝も昼も夜も哀れに響き渡る。
 城にいてもそれが逐一聞こえてしまうアオが、時折もらい泣き、ならぬ、もらい揺れしているのを、クロは時折見かけることになった。


 アジロがやってきて七日目。
 その日、アジロの声は、昼頃からほとんど聞こえなくなっていた。
 ようやく帰ったのか、とクロはちらりと様子を見に行ったが、彼は相変わらず砂浜に座り込んでいた。いい加減、声を上げる元気がなくなってきたのだろう。
 アオは、食堂の大きなテーブルにずらりと並べた銀器をひとつずつ丁寧に磨いていた。島にはアオとクロしかいないし、城に客を迎えることもないので滅多に使わないのだが、それでもいつ使うことになってもいいようにと、膨大な数の手入れを欠かさない。
 夜になっても作業は続いて、銀のティーポットを鏡のように艶やかに磨き上げ、曇りがないかと映り込んだ己の顔を覗き込んでいるアオは、成し遂げた仕事に大層満足そうであった。
 風呂から出たクロは、そんなアオに「俺はもう寝る」と声をかけた。
「はい、おやすみなさい」
あのアジロってやつ、すっかり静かになったな」
 アオは銀器から視線を上げ、少し耳を澄ますようにして動きを止めた。
「そうですね、声が聞こえません。もう、かなりお疲れのようでしたし」
「だから早く帰れって言ったんだ」
「この島へ来る皆さん、目的は違えどそれぞれなかなか粘られますが、なんというかあれはちょっとした儀式のようですよね」
「儀式?」
「諦めるための、あるいは、誰かに申し開きするために踏む作法といいますか、段階といいますか。どこで線を引いて戻っていくかは、その方の想いや決意の深さである気がします」
 確かに、主人に命じられて不老不死を求めに来る(やから)でも、すぐに見切りをつけて帰っていく者と、長々と粘る者に分かれる。後者は恐らく、真に忠誠心溢れる者か、あるいは恐怖に支配されているかどちらかだろう。
 その時だった。
 玄関の扉を、コツコツと叩く音が響いた。
大魔法使いシロガネ様は、いらっしゃいますか」
 女の声だった。
 クロははっと身構える。
 誰かが島に侵入したのだ。
「おい、アオ」
 通常、島に何者かが近づいた時点でアオがすぐに気づく。青銅人形に搭載された機能によって、周辺に存在する人間を検知できるのだ。よって島の内側、しかも城の周囲にまであっさりと接近を許すなどあり得ないはずだった。
 アオも警戒した様子で、しかし不思議そうに首を傾げている。
? おかしいですね、アジロさんとクロさん以外に、島内に生体反応はありません」
 再び、扉を叩く音が響く。
「お願いです。早く彼のところへ」
 それきり、しん、と静まり返る。
 音も声も、ぱたりと途絶えた。
 二人は顔を見合わせて、足音を忍ばせながら玄関へと向かう。
 十分に警戒しながら、クロは扉の取っ手を握った。そして注意深く息を詰めると、不意をつくように勢いよく扉を開く。
 ぱっと外へ飛び出したクロだったが、せわしなく視線を彷徨(さまよ)わせても人影はどこにも見当たらなかった。暗い夜の闇の向こうからは、波の音だけが聞こえてくる。
誰もいませんね」
「でも、声はした。空耳じゃないよな?」
「俺に、空耳という現象は起きません」
 人の手によって生み出された機械人形であるアオは、きっぱりと言った。
「アオ、念のため城の周りに誰かいないか確認してくれ」
 クロは駆け出した。
「クロさん、どこへ行くんですか⁉」
「砂浜だ!」
 林を抜け、崖に出る。
 先ほどの、女の声。確かに聞こえたのだ。
 早く彼のところへ。
 妙な胸騒ぎがする。
 砂浜を見下ろすと、淡い月明かりの下で座り込んでいるアジロの、小さな姿が見えた。
 その手には、鋭いナイフが握られている。
 月光を弾いて閃くその刃を目にした瞬間、クロは崖から飛び降りた。
「やめろ!」
 風を切って落下すると、器用に身体を回転させひらりと砂浜に降り立つ。
 己の喉元に鋭い切っ先を向け、今にも突こうとしていたアジロに飛び掛かったクロは、抵抗する彼を押さえ込んだ。
「放してください!」
 もがくアジロだったが、本来の姿が竜であるクロの腕力は人間の比ではない。
 軽く腕を(ひね)り上げると、うめき声を上げてナイフを取り落とした。すかさず、クロはそれを拾い上げ、海に投げ捨てる。
「くそっ、何してんだよあんた!」
 砂の上に突き飛ばすようにして、アジロを放り出す。
 (うずくま)ったアジロは、肩を震わせながら泣いている。
「わかってたんです最初から、わかってた!」
 そう叫びながら何度も何度も、握った(こぶし)を砂の上に打ち付ける。
「彼女に会うのに、魔法なんか必要ないって! 方法は、これしかないってわかってたんだ!」
 激しく嗚咽し、アジロは頭を抱えた。
「苦しい苦しいんです! 彼女がいない世界は!」
 その姿を見下ろしながら、クロはこれとよく似た光景を知っていると思った。
 ホズミが死んだ時、クロもまた、こんなふうに泣き続けたのだ。
 その喪失感は永遠に続くかのように深く、身体の中に穴が開いたような気分だった。そんな状態が、何年続いただろうか。
 シロガネが逝った時も、やはり泣いた。
 戻ってくると言われても、彼がいなくなってしまったことに変わりはなかった。それでも傍にアオがいたから耐えられたのだ。もしもまた一人であったなら、アジロとそう変わらない状態になっていたかもしれない。
 ミライに指摘されたように、アジロに対して自分が苛立っていた理由はわかっている。悲しみから抜け出せない自分を、見せられているようだったからだ。乗り越えたつもりなのに、またあの時に戻ってしまいそうな気がして怖いのだ。
 暗い海の向こうからゆっくりと、一艘の小舟が姿を現した。
 沖に泊まった船からアジロの使用人が物資を運んでくるのは、いつも朝になってからだった。こんな時間に何の用だろうか。もしかしたら、アジロの様子がおかしいことに気付いたのかもしれない。
 しかし島に近づくにつれ、舟に乗っているのはいつもの使用人ではないことに気がついた。暗がりの中、手にしたランタンの微かな明かりに浮かび上がるのは、うら若い女性の顔である。
 高価そうなドレスが濡れるのも気にせず、彼女は小舟から勢いよく飛び降りた。浅瀬をバシャバシャと渡って、真っ直ぐにアジロのもとへと駆け寄ってくる。
「アジロ様、ご無事ですか?」
 心配そうに膝をつき寄り添う女性に、ゆるゆると顔を上げたアジロは驚きの声を上げた。
「君が、どうしてここに
「こちらへ向かったと聞いて、急いで追いかけてきましたの」
 月明かりの差し込む波間に目を凝らすと、沖に停まる船影がいつの間にかひとつ増えている。
「お加減がよろしくないのに、こんな船旅に出られるなんて」
「マナカ殿、私は
「帰りましょう、アジロ様」
 彼女は優しくアジロの手を取ると、白い両の手で包み込んだ。
「私があなたを支えます。あなたの傍にいます。奥様のようにうまくはいかないかもしれませんが、それでも私は生きて、今こうしてあなたのお傍にいるのですから」
 そしてそっと、アジロを抱きしめる。
「どうか、ともに生きてください。お願いです」
 力なく項垂れるアジロは、されるがままになっていた。
 しかしやがて、彼女の肩に顔を埋めると、さめざめと泣いた。その背中を優しく撫でる女性の手つきには、深い愛情が溢れている。
 クロに気がつくと、彼女はすっと背筋を伸ばし居住まいを正した。こちらもまた、出自のよさが垣間見える。
「大魔法使いシロガネ様ではありませんわね。かの御方は銀髪だと伺っておりますもの。お身内の方でしょうか?」
 大抵は使用人と間違えられるため、身内という彼女の言葉は意外で、クロは一瞬返答に窮した。
ええ。シロガネは、留守にしております」
「大変お騒がせいたしました。アジロ様は、私が連れて帰ります」
「失礼ですが、あなたは?」
「マナカと申します。アジロ様とは、近々結婚することになっておりますの」
 つまり、アジロが逃げてきた縁談相手ということか。
 しかし、ここまで追いかけてくる熱量からして、どうやら形式的な政略結婚ではなさそうだった。少なくとも彼女の目には、アジロへの深い想いが(にじ)んでいる。
 漕ぎ手が手を貸して、ふらつくアジロを小舟へと乗せてやった。アジロはもう自害しようとする様子はないものの、気が抜けてしまい心ここにあらずといった風情だ。
 自身も舟に乗り込もうとして、マナカはふとクロを振り返った。
「あのひとつ、伺いたのですが」
「なんでしょう」
「シロガネ様なら本当に、死者を蘇らせたり、霊魂と会ったりすることもできるのでしょうか?」
「それは、不可能だと聞いております」
「そうですか
 思慮深い表情で、マナカは呟く。
「もしも声を届けることだけでもできるなら、シノブ様に、どうか心配せずに安らかにお眠りくださいと伝えていただきたいのです。アジロ様は、私が力を尽くし、きっと生涯支えてまいりますから、と」
 マナカは、優美な身のこなしで一礼した。
 やがて二人を乗せた舟は島から離れていき、翌朝にはもう二隻の船の姿はすっかり見えなくなっていた。


「あの声は、なんだったんでしょうねぇ」
 太陽が高く昇る中、庭の草むしりをしながら、アオが不思議そうに言った。
 テラスで新聞を読んでいたクロは、「さぁな」と気のない返事をする。
「島中探しても、誰もいませんでしたし。やっぱり、シノブさんの幽霊だったのでは? アジロさんを助けるために、俺たちを呼んだんですよ」
「そんなわけねぇだろ」
「だって、ほかに説明がつきませんよ」
「もしそうだとして、声を聞かせることができるなら、さっさとあの男に話しかけてやればよかったじゃねぇか。そうすりゃ、あいつだってこんなところまでわざわざ押しかけてこなかったろうに」
「確かにそうですが。でも、もしかしたら話しかけたけれど、アジロさんには聞こえなかったのかも」
「はぁ? 夫には聞こえなくて、赤の他人の俺たちには聞こえるのかよ?」
「そうではなく、つまり()()()()聞こえなかった、のでは?」

 クロとアオは、竜と青銅人形だ。
 姿かたちは人と同じでも、人とはまったく異なる存在。
「俺はこの二百年、今まで一度だって幽霊なんてのは見たことはないし、声だって聞いたことねぇぞ」
「俺も、探知機能を使って存在を確認できないものの声を聞いたのは初めてです」
 二人は互いに考え込んだが、答えは出そうになかった。
「アジロさん、無事に闇落ちルートを回避できるといいのですが」
「大丈夫だろ。あのマナカって女、相当(たくま)しそうだったからな」
 恐らくアジロの心に寄り添い、彼を支える存在になれるだろう。
あいつ、死んだ相手に会う方法は最初からわかってた、って言ったんだ。多分、ずっと考えてたんだろうな」
 それでも、ほかの方法を探し続けた。こんな南の果てまでやって来て、正体の知れない大魔法使いに(すが)るほどに。
 本当は、生きたかったはずだ。ともに生きる相手が見つかれば、もうあんな方法を選ぶことはないだろう。
「死んだ相手に会う方法、ですか
 アオはむしった草を握ったまま、じっと見つめる。
「俺たちには、決してできない方法ですね」
 クロもアオも、自ら命を絶つ方法を持たない。
喉にナイフを突き立てたところで、会いたい相手のもとに旅立つことは決してできないのだ。
 クロは「ふん」と言って、ばさりと新聞をめくった。
「必要ないだろ。あいつはそのうち、戻ってくるんだ」
 アオは、手にした草をぽいっと放って頷いた。
「ええ、そうですね」
 そして、あ、と声を上げる。
「また来客です」
 どうやら、島に近づく人間の気配を検知したらしい。
 ならば今度は、目に見えない謎の幽霊ではなさそうだ。
「ちっ、次から次へと」
 クロは立ち上がって、テーブルに新聞を放り出す。
「行ってくる」
「はい、お願いします」
ポケットに手を突っ込み、()(だる)い足取りでいつもの崖にぶらぶらと向かった。
 今度は、死んだ妻に会いたいなどと訴える男ではないといいけれど。
 吹き上げる海風が、艶やかな黒髪を形の良い額から跳ね上げる。
どちら様でしょうか」
 崖の上から冷ややかな問いを発すると、砂浜に立ち尽くしていた男がぎくりとしたように顔を上げた。
「大魔法使いシロガネ殿にお会いしたくやってまいりました。私はイクメ王に使える、タジマと申します」
 王の使い。ならばきっと、彼の目的は不老不死に違いない。
 クロは小さく、息をついた。
(なぁ、いつ戻ってくるんだよ?)
 アオの言うように、こうして待ち続ける時間が諦めるための儀式なのだとしたら、クロたちは途方もない時間を費やすことができる。人間とは違って、時間はたっぷりとあるのだから。
 けれど決して、諦めることはないだろう。
「魔法使いは、留守にしております」


 そして数日後、一人の少年を乗せた舟が、この島に辿り着く。

【おわり】