第238回短編小説新人賞 選評『卵をもらいに』西松洋子

編集A 職場の女性同士の絶妙な関係性を描いている作品で、すごくいいなと思いました。友情とまでも言えないけれど、確実に心が近づいて、でも後には引きずらないですっと手放すという、この刹那的な関係の描き方が非常に素晴らしかった。私はイチ推ししています。

編集C 私もイチ推しです。まず、「引っ越しの前夜」という設定を思いついているのがすごいですよね。「限られた時間」と「別れ」が、話の底に流れているのがいい。

編集A 萩原さんというキャラの、ギャップの激しさも面白かったです。仕事ができて人当たりのいい、万事にそつのない人。と思っていたら、部屋は散らかり放題で、ゆるいビートルズのTシャツを着て、タイムリミットを気にもかけずにだらけている。

青木 萩原さん、主人公が手伝いを申し出たら、すぐさま「やったあ!」って喜んで、「じゃあ、あれして、これして」って言い出しますよね。ちゃっかりしてるんだけど、そこがかわいかったです。

編集C 人に働かせておいて、自分はベランダで煙草休憩するんですよね。ここのシーン、すごく好きです。

編集A 絵になる場面ですよね。仕事用の仮面は外して、気の抜けた格好で、夜に浮かぶオフィスの灯りを眺めている萩原さん。

青木 そのオフィスで明日もまた働く主人公と、もう戻ることはない萩原さんという、この対比がいいですよね。ベランダで風を感じながら、黙って夜景を見ている二人。シチュエーションの作り方が非常にうまいなと感じます。

編集C 二人の台詞の掛け合いも、とてもよかったと思います。最初は節度を保っていた主人公も、萩原さんの素の顔を知るにつれて、どんどん遠慮がなくなっていく。テンポのよい二人の会話に、すごく引き込まれました。

編集D いいですよね。単なる職場の同僚という関係だった二人が、たった一晩のうちに、遠慮なく本音で言い合える仲になった。距離が近づいたからこそ憎まれ口を叩けるという、この関係性が心地よかったです。

編集C 夜の時間を共に過ごしたから、というのが大きいのだろうと思います。お互いに自分をさらけ出すことができて、一気に距離が縮まった。

編集A 「もう二度と会うことはないかもしれない」という思いがあるから、余計に腹を割って話すことができたのでしょうね。日本から離れた地で働いているこの二人には、元々何かしら通じ合えるものがあったのではないかと思います。もっと時間があれば、今後もずっとつながり合える友達になれたのかもしれないけれど、一晩限りで築かれて終わるというこの関係性にこそ、私は心惹かれました。

青木 女性同士というのもいいですよね。恋愛でも友情でもない関係。「私たち、お互いを全然知らなくて、そのわりにお互いを結構好きな、そういう他人になりましょうよ」という萩原さんの言葉は、読み手の心に響くものになっていたと思います。こういう関係いいな、と思いました。

編集C このシーンだけでもう、十分にまとまった心に残る作品になっていたと思うのですが、話はここで終わらないんですよね。「神崎さん。卵」って、ラストでまた笑わせてくれる。

編集D この話、「卵」で始まっていたんですよね。私、すっかり忘れて読んでいました(笑)。

青木 このラストは、「やられた」って感じですよね。

編集C 最後の最後にちゃんと、伏線とタイトルが回収されている。すごくよくできた話だなと思います。

青木 ただ、作品舞台の説明などは、ピンと来ない部分も多かった印象です。

編集B 主人公たちがいる場所の国名すら、すぐにはわからなかったですね。

青木 「常夏の国」と書かれてありましたので、東南アジア方面だろうなとは推測したものの、それ以上はわからなかったです。

編集D サピンサピンというお菓子の名前が出てきますね。その国の伝統的なお菓子だということですが、私は正直知らなかったです。後で検索してみたらフィリピンのお菓子だと分かったので、ようやく「フィリピンが舞台だったのか」と理解した次第です。

編集C 最初の方に、「タガログ語」というワードが出てきますね。私も正直詳しくなくて、検索しました(笑)。そうしたら、フィリピンの公用語だと出てきて、「ああ、そういうことか」と。

編集E もしかしたら作者は、「タガログ語にサピンサピンとくれば、もうわかりますよね?」と思ったのかもしれないですが

編集C 読者の知識量は作者と同じとは限らないので、誰が読んでもわかるような書き方をもう少し意識したほうがいいのではと思いました。

編集E 「この国には雨季と乾季がある」とか、ちょっとした情報は出てくるんだけど、決定打にはなっていない。「どこの国なんだろう?」と、読みながら考え続けてしまって、話に入り込めなかったです。

編集D わかります。情報を探しながら読んでいるので、物語に集中できないんですよね。

編集B 「具体的な国名は出さない」という方針で書いているなら分かるのですが、「カナダ」はあっさり出てきますから、そういうわけでもないらしい。なぜ「フィリピン」だけ明示を避けたのか、よくわからないです。

青木 読者に察してもらう書き方もおしゃれではありますが、そこまで書くなら、話の舞台くらいは明確に伝えたほうがいいのでは思います。

編集A 最初のあたりで「フィリピン」とだけ出ていれば、読者は何の疑問も持たずにスルッと読めたと思います。

青木 それと、職場に関しても、今ひとつ見えてこないように感じました。主人公たちが働いている会社がどういう会社なのか、よくわからなかったです。

編集B 「駐在員」という言い方をしているので、省庁関係かなとも思ったのですが、「営業チーム」とか「支店長」という言葉が出てきますので、おそらくは民間企業なのでしょうね。その中でも、海外に支店があって「駐在員」が常時配置されているということは、かなりの大手だろうと思います。

編集C 主人公も萩原さんも、高学歴で頭のいい人たちなのだろうということは、雰囲気から伝わってきました。英語、タガログ語、日本語が飛び交う職場で、いろんな国の人たちがいきいきと働いている。

青木 フィリピン支社の中だけでも、営業チーム、人事チーム、経理チームと、いろいろな部署があるらしい。けっこう大きな会社っぽいですよね。

編集E 首都圏の高層ビルの中にオフィスが入っている、みたいな光景をイメージしました。ワールドワイドに働いている感じはかっこいいです。

編集B でも、何の会社なのかがわからない。銀行なのか、運輸なのか、商社なのか。

青木 もし銀行なのであれば、銀行員らしさがもっとあっていいはずでしょうし、商社なのだとしたら、どんな品物を扱っているのかを知りたいですよね。「営業チーム」が具体的に行っている業務などを、もう少し読者に伝えてほしかったです。

編集B この話において、「仕事」は重要な背景設定だと思います。「職場で表面的な付き合いしかしてこなかった萩原さんの、素顔に一瞬触れた夜」という話なのですから。仕事に関する解像度はかなり引っかかりました。

青木 二人が住んでいるのが、「守衛つきのコンドミニアム」というのも、ちょっとイメージしづらかったです。コンドミニアムって言われたら、個人的にはリゾート地の別荘みたいなものを思い浮かべてしまって。

編集B 確かに「コンドミニアム」には「集合住宅」というような意味もあるのですが、一般的な日本人にはちょっと通じにくいと思います。

編集E 作者は、このあたりに関する詳しい知識をお持ちなのかもしれませんね。この主人公が暮らしているような部屋のことを、実際にコンドミニアムと呼び、それは「駐在員」にとって常識なのかもしれない。国名の件もそうですが、作者にとっては当たり前の知識であっても、読者にとってはそうでないことも多いです。どう書けば読者に的確に伝わるか、もう少し意識できるとよいと思います。

編集B とにかく、こういった情報からも、主人公の勤める会社は大きな会社なのだろうと感じます。その大きな会社はいったい何をしている会社なのか、すごく気になるのですが

編集D 一方で、「駐在員あるある」っぽい部分の描写は、すごくよく書けていると思います。オフィスを去るスタッフに贈られる寄せ書きカードに、いろんな国の言葉が並んでいるとか。引っ越し先に持って行けない荷物を、知人や同僚に惜しみなく進呈するとか。

編集E 具体的な品物のラインナップが、とてもリアルでしたよね。

青木 「常夏の国のクリスマス」の情景を描いているところなどは、描写が非常に美しくてよかったです。「この国には、暑い季節と、とても暑い季節しかない」なんてのも、良い表現ですよね。ワンピースのくだりも好きでした。

編集C 話が戻りますが、ちゃんとオチがあるのもすごくよかったと思います。

青木 ストーリーの着地のさせ方が見事でしたよね。そしてなんといっても、二人の会話。掛け合いのテンポの良さが、非常に魅力的でした。主人公も萩原さんも、それほど強いキャラ性を持っているわけではないのですが、こういう二人の人物が、まるで実際にそこに存在するかのように描けています。リアルな雰囲気をうまく出せていると思いました。

編集B 会社の解像度や設定描写といったあたりは、すぐに修正できる部分でもありますからね。

編集A 先ほど青木さんが挙げてくださった、「お互いを結構好きな他人になりましょうよ」の台詞、とても素敵ですよね。個人的に、かなり強く心に残っています。

青木 書き手のセンスの良さが、作品のあちこちに感じました。その魅力を、次なる作品でも存分に発揮していただきたいですね。