第238回短編小説新人賞 選評『紫色の向こう側へ』片山史奈

編集D 主人公の女子大生が失恋するお話です。明確にフられるというわけではないのですが、成人式の日に、主人公は長い片想いに終止符を打つことになる。

青木 ほんとに長いですよね。小学生の時からずっとですから。

編集E 小学校卒業時からなら8年。小学生時代をも含めるとしたら、実に14年越しの想いです。

青木 初恋の男の子ですものね。しかも、当時は彼のほうも、主人公に心を寄せている様子でした。

編集B お別れの時、ジャングルジムのてっぺんでしーくんは、もうちょっとで主人公に告白しそうな雰囲気でしたよね。

編集A この「しーくん」という男の子は、ちょっと中性的というか、割と美少年系なのかなと思います。声も、透き通っていて綺麗だということですし。

編集D 品の良さを感じますよね。「紫月」という名前通り、淡い紫色がイメージカラーの男の子。物静かで、絵を描くのが好きで、しかもちょっと不思議な感性を持っている。女の子が「すてき」と思うのも無理はない感じです。現に今もモテているらしい。

編集E そんな男の子が昔、どうやら自分に恋心を寄せてくれている様子だった。これは女の子としては、キュンとくる思い出ですよね。

青木 だから主人公も、いつまでも忘れられず、心の中でずっと想い続けていたわけですよね。でも、再会した彼は、もう昔の彼ではなかった。8年ぶりに会ったしーくんは、かつて伏し目がちにそっと「大人になった舞ちゃん」の絵をプレゼントしてくれた、あの日の繊細な男の子ではなくなっていました。この終盤の展開には、読んでいて辛いものがありましたね。

編集D なんとも悲しいです。でもだからこそ、私は主人公の心情にすごく共感しながら読めました。主人公と全く同じ経験をしたというわけではないですが、こういうほろ苦い思いをすることって、恋愛をする中で多くの人が経験することだと思います。過剰に期待しちゃったり、自分の中だけで勝手に幻想を膨らませちゃったり。

編集E 思いきって勇気を出してみたりもするんだけど、現実は全然違っているということを思い知らされるんですよね。自分一人で勝手に舞い上がっていたのが、現実を知ってぺしゃんこになる。

青木 この話は、「晴れて両想いになれてめでたし」という展開にもできましたよね。でもこの作者は、そちらの道は選ばなかった。主人公は勇気を出して一歩踏み出し、それにより、ある意味ちゃんと失恋しています。幻想のしーくんへの恋心に、最終的に自分でケリをつけることができている。恋愛の成就ではなくて、階段をひとつ上った、成長がテーマですね。主人公の恋は実らなかったけれど、すごくいい終わり方だなと思いました。

編集D 長きにわたって募らせたしーくんへの想いに、自分自身の手でしっかりと終止符を打っていますよね。最後にはちゃんと前を向いているのが良かったなと思います。

編集B ただ、主人公は本当に長い間、しーくんのことを想い続けてきたわけですよね。おそらくは、中学でも高校でも、そして大学生になってさえ、男の子とお付き合いしたことはないのではと思います。それぐらい、しーくん一筋だった。なのに、ラストでは割とあっさり、現実を受け入れているように見えます。十年近く一途に募らせてきた想いを、こんなに簡単に手放せるものなのか、ちょっと引っかかりました。

編集C 主人公の恋は実らないのではないかと、私は割と予想していました。だから、この展開にはさほど驚かなかったですね。読み手として心構えができていたというか。

編集B 話の流れ自体には疑問はないのですが、ラストで主人公があまり衝撃を受けていない感じがするのが、私にはちょっと違和感がありました。こんなに長いこと想い続けてきたのですから、もう少し沈んでしまってもよさそうに思うのですが、しーくんとバイバイして間もないラストシーンではもう、「次はもっと明るい恋をしよう」という感じに気持ちを切り替えていますよね。ちょっとこれは、早すぎるような気がする。

編集A ラストの「きっと明るい色になる」というのは、「これからする新しい恋」の話だったのですか? 私は実は、この「キャンバスの色」のあたりは、意味がよくわからなかったのですが。

編集C 自分の心のキャンバスに、「しーくんへの恋心」の象徴である紫色を塗るのをもうやめるというのは、しーくんを諦めるということを表しているのだと思います。で、今はまだ何も塗っていないところに「別の色を塗ろう」と思っているのは、別の誰かと恋をしようということなのでしょう。

編集D 主人公は絵を描くのが好きな人物という設定ですから、その要素に絡めて、こういう風に表現したのだろうと思います。

編集C ただ、確かにこの辺りは、ちょっとわかりにくい気もしますね。

編集B 何か印象的な文章で話を締めくくりたかったのかなとは思います。

青木 もしかしたら、その手前のところで終わりにしてもよかったのではないでしょうか。歌詞のリフレインが提示されていますよね。最初に出てきたときには、「しーくんには似合わない、流行歌の浅い歌詞」だったのが、ラストで二度目に出てきたときには、文言そのものは全く変わらないのに、主人公の状況にフィットした、とても胸に沁みる歌詞になっていました。ここで筆を置く形でも、話がきれいにまとまったと思います。

編集D そのほうが、読者も切ない気持ちで読み終えられた気がしますね。

編集E 実際、この歌詞のリフレインのところは、読んでいてキュンとなりました。とても効果的な演出だったと思います。

青木 もしかしたら作者は、この話を切ないだけではなく、前向きな話として終わらせたくて、心のキャンバスのくだりを盛り込んだのかもしれません。ただその場合も、もう少し別の書き方ができたのではと思います。例えば、失恋してしまった主人公は、さすがに落ち込んでしょんぼりしていたんだけど、迎えの車が到着したので、がんばって気を取り直して、お母さんとちょっと何か話すとかね。何でもない会話でいいんです。「じーちゃんもばーちゃんも、お腹すかせて待ってるわよ」「うん。お寿司だったよね。楽しみ」なんて、わざと明るく会話しながら車に乗り込んでいくとか。

編集D それなら読者も、「温かい家族の中で癒されて、いずれはこの主人公も立ち直るのだろうな」と、なんとなく感じ取ることができますよね。主人公に地の文で直接、「私はこれから、新しい恋を見つけていく」といったことを語らせずに済んだはずです。

青木 一方で、美しいイメージでお話を締めたい、という作者の「表現欲」みたいなものは、私はすごくいいなと思います。今後も恐れ過ぎずに、心のままに書いていってほしいですね。筆をどのくらい抑えるかというさじ加減は、書き続けてていくうちに自然と身についてくるものだと思います。

編集D 心情を丁寧に描いている作品で、そこがすごくよかったですよね。ただ、ストーリー的には、ちょっと物足りないところがあると感じました。ほんの一つでもいいので、意外な展開とか、印象的なシーンとか、何かしら読者をハッとさせるようなものが話に盛り込まれていたら、さらに良かったのにと思います。

編集C 同感です。「こういう話になるのでは?」と予測した通りに話が進んでしまって、これといった驚きがなかった。話の展開が予想の範囲内に収まってしまっている印象でした。

青木 何もどんでん返しまで用意しなくていいし、大筋も今のままで構わないと言えば構わないのですが、何かもう一段、読者を強く引き込むようなものがあったらよかったですね。ラストで主人公がたどり着く心境をもう少し掘り下げてみるとか。

編集B せっかく「恋」をテーマにしている作品なのですから、失恋の後すぐさま立ち直らせるのではなく、ラストはもう少し踏みとどまって、長年の想いが叶わなかった辛さとかを描写してもよかったのではないでしょうか。そのほうが、読者が主人公にもっと寄り添えた気がします。

青木 それはそうと、8年ぶりに再会した「しーくん」、ちょっとひどくないですか? 昔はあんなに繊細で優しい男の子だったのに。

編集B 主人公のことなんて、まるで眼中にないという感じ。一緒にいる友人たちも、なんだかチャラい印象ですね。

編集E たぶんしーくんは、高校デビューとかしちゃって、クラスの陽キャな一軍に入ってワイワイやるようになったのでしょうね。今はもう、そういう生活のほうが楽しくなってしまった。絵を描くことも、すっかりやめてしまったらしい。

青木 バンドのボーカルで、浅いラブソングを歌っちゃったりしてるんですよね。まあそれはそれで青春ってことなのでしょうけど、おそらくは初恋の女の子であろう主人公への対応があまりにもおざなりすぎて、読んでいて辛かったです。

編集D しーくん、昔ジャングルジムのてっぺんで主人公に言おうとした言葉を、もう忘れちゃったのでしょうか?

編集C 覚えてなさそうですね。もう主人公に対して興味がなくなっている様子です。久しぶりに会った主人公との会話を続けようという気持ちすらろくにないことが、言動から如実に伝わってきました。

編集D 主人公に向かって、「それより萌ちゃん見てない? 探してるんだ」なんて言ってますもんね。目の前に主人公がいるというのに、他の女の子のことばかり気にしている。正直に言って、「二十歳のしーくん」は、私は好きになれないです。

編集E 私もです。でも、もし再会したしーくんが相変わらず優しい人だったりしたら、主人公はこの先も、しーくんを諦めることはできなかったかもしれないですね。今後もずっと想いを引きずってしまいそう。

青木 それはあるかもですね。だから、しーくんはもう主人公に恋心を抱いてはいないという設定は、そのままでいいと思います。ただ、しーくんの人となりが残念な方向に変わってしまったという展開は、ちょっともったいない気がしますね。小学生の頃のしーくんは、ちょっと風変わりだけど優しい、すごく素敵な男の子だったのに。

編集D 再会したしーくんにもう少し、昔の面影を残しておいてほしかったですね。さりげない気遣いをしてくれるとか。

青木 「僕はもう、あんまり絵を描かなくなったんだけど、舞花ちゃんは続けてるの?」って聞いてくれるとかね。

編集E 「あ、しーくん、ちゃんと覚えててくれたんだ」って、読者も思えますよね。

編集A 私は、「彼はもう昔のしーくんではない」というギャップを際立たせるために、作者があえてしーくんをこういう風に描いたのかと思いました。ですが、他のやり方もあったかもしれませんね。例えば、外見なんかはさすがに小学生の頃と変わっていると思いますから、間近で再会した主人公が、「あれ? 記憶の中のしーくんとは、何か違うな」と違和感を覚えたりするとか。彼は青年へと成長を遂げていてすごくかっこいいんだけど、主人公は逆にそれを寂しく感じてしまう。

青木 それによって主人公は、「私は、記憶の中の幻のしーくんをずっと想い続けていたんだな」と気づくとかね。そういう展開にもできたはずで、そういう意味においては、「成人式」を作品舞台にしているのはいいと思います。時間経過を考えても、主人公が自分の気持ちにケリをつけるにはいい頃合いですよね。

編集D しーくんは今も変わらず優しい人だけど、確実に時は流れ、いろいろなことが変化した。自分が恋したあの日の少年はもういないのだということを、主人公はやっと本心から受け入れることができた、というわけですよね。個人的な好みとしても、そういう話の方が嬉しかったです。現状の、しーくんは主人公のことなんてもう何とも思っていないという真相は、あまりに辛すぎます。

青木 しーくんには素敵な人のままでいてもらって、しかし二人の関係はもう「恋愛」に発展することはないという話にしたほうが、読者は受け入れやすかったかなと思います。失恋は失恋なんだけど、これを区切りとして気持ちを切り替え、主人公は前へ進んでいく。

編集D それなら、「今日ここに来て、思いきって声をかけて、本当によかったな」という結びで話を終えられると思います。とにかくこの主人公が、もう少し救われてほしいですよね。

編集E とはいえ、もちろんストーリーを決めるのは作者ですので、「絶対にその方がいい話になる」ということではありません。初々しいピュアな恋心が描かれているので、私は主人公を応援したい気持ちになりました。

編集C 私の場合は、読んでいるとどうにもいたたまれない気持ちにさせられてしまいました。読みながら身悶えしてしまう感じというか。

編集D 私もです。自分の過去の体験とかもあれこれ蘇ってきたりして、なんというか恥ずかしい(笑)。

編集B なるほど。読み手がそう感じるほどの作品を書けたというのはすごいことです。そのことを、作者が書きながら意図していたのかどうか。

青木 この点に関しても私は、「筆を抑えないでくれ」と言いたいですね。こういう作品は、直球がいいんです。照れると、「なーんちゃって」というようなエクスキューズの一文を入れたくなってしまいますが、それは蛇足になるのでいけません。読者に「恥ずかしい」と思われないように書こうとして、自分をセーブするようなことは絶対にしないでほしい。自分の書きたいものを、誰にも遠慮せずに書いて書いて、書きまくった上でしか到達できない境地というものは、きっとあると思います。客観性は大事にしつつも、今後もまずは心のままに書いていってほしいです。

編集D 逃げずに書いてくれているからこそ、「すごく共感して読める!」と感じる読者も、確実にいると思います。私もその一人です(笑)。

編集E 一途で不器用な主人公も愛おしかったですが、「恋心」を真正面からテーマにしているこの作者さんも、私はすごく応援したい気持ちです。今後も、「いま自分が書きたいもの」に、全力でぶつかっていってほしいですね。