第238回短編小説新人賞 選評『イン・マリ・パックス』三嶋水琴
編集A 不思議な魅力のある作品ですね。
編集B 私は、このおばあちゃんのキャラがすごく好きです。ピシッと背筋の伸びている、芯の通った強い人。それがラストでは、目を疑うような変貌を見せている。それでもなお、このおばあちゃんらしさはしっかりと残っていました。個性の強いキャラクターですよね。
青木 主人公は「私」ですが、ストーリーの中心は間違いなくこのおばあさんのほうですよね。
編集D しゃっきりとした心の強い人物だということは、言動から明確に伝わってきました。自分にも他人にも厳しい人。
青木 このおばあさん、年齢はおいくつなのでしょうか? 3枚目に「八十代の祖母」とありますが、八十代と言っても幅は広いですし。
編集B 作中に何度も、「六十年」という言葉が出てきます。このおばあさんが大学進学のために横浜を出たのは「六十年前」で、以来ほとんど戻らなかったらしい。でも、長野の大学に18歳くらいで入学したと考えると、現在は78歳くらいということになってしまって、ちょっと計算が合わないかな? まあ、「約六十年前」という意味合いで書いている可能性もあるので、大きな問題ではないですが。
青木 ということは、「八十代」とは言っても、実際は「八十そこそこ」くらいの年齢ということですかね。
編集B この作品は、現代が舞台だと思います。仮に、おばあさんの今の年齢を80歳だとすると、生まれたのは1946年くらいということになります。
編集D そこから18年後だと、「長野の大学に入った」のは1964年くらいですかね。
編集B 昭和中期ということなら、意外とそんな大昔のことでもないように感じられます。
編集D このおばあさんの描き方だと、ちょっと「昔の人」感が強く出すぎているようにも感じますね。現代の80歳は、けっこう若々しいですから。
青木 1946年生まれなら、すでに「戦争を知らない」世代ですものね。
編集D 作品舞台が横浜なので、余計に明治・大正感が漂っているのかなと思います。私も、読んでいる間は、大和和紀先生の『はいからさんが通る』みたいな時代を思い浮かべていましたが、実際はこのおばあさんは、それよりずっと後の世代ですね。
青木 それに関連して一つ引っかかったのですが、このおばあさんは「女学校を出た」と書かれてありますが、これは時代的に合わないですよね。
編集B 「女学校」があったのは、終戦直後くらいまでの話だと思います。
編集D 私も気になったので、ちょっと検索してみたところ、「女学校」は1940年代に廃止になっているらしいです。このおばあさんの幼少期には、すでになくなっていたはずです。
青木 そもそも、「大学に入った」ということは、それ以前は「高校に行っていた」ということでしょうからね。これ、「おばあさんは女子高に通っていた」という意味に読み換えてもいいのでしょうか?
編集B 作中に出てくる「女学校」を、「女子高校」に書き直せば、とりあえず齟齬はなくなるかと思います。このように、なんとなくのイメージで「女学校」と書いてしまっている投稿作は、しばしば見受けられます。レトロ感が出るので、つい使いたくなる気持ちもわかるのですが、気をつけたほうがいいですね。
青木 おばあさんの出身校は「横浜山手の、古風なキリスト教系の学校」とのことで、おそらくはお嬢様学校だったのだろうと思います。戦後まもなく生まれた世代の女性で、横浜のお嬢様学校に通っていた人が、長野の大学に進学して現地で教員となり、定年まで勤め上げるというのはすごいですよね。相当な覚悟がないとできることではないと思います。
編集D 結婚して子供が生まれても、仕事はやめなかった。実家のある横浜にはほとんど帰らなかったということは、身内に手助けしてもらうことなしに、仕事と家庭を両立させて働き続けたということなのでしょう。このおばあさんのように、びしっとした強さを持っていなければ、やり抜けなかっただろうと思います。
編集B ただ、なぜ「長野」の大学を選んだのかについては、よくわからなかったです。理由は特に書かれていなかったですよね。
青木 「長野の大学」というのは、信州大学をイメージしているのでしょうか? 確かに、信州大学は教育分野に力を入れている印象です。そして、当時の女性が「一生続けられる職を持とう」と考えたとき、「教員を目指す」というのも自然な選択だっただろうと思います。教師か公務員くらいしか、当時の女性が安定して働き続けられる職場はなさそうですからね。それにしても、なぜ「長野」だったのだろう。実家が横浜なら、もっと近場で教員を目指せる大学もあったと思うのですが。「長野」という要素に唐突感があって、そこは確かに気になりますね。
編集A 長野に親戚でもいたということならまだわかるのですが、あまりそういう感じでもなかったですね。
編集C このおばあさんは、実家を出たかったのかなという印象を受けました。もしかしたら、親とは折り合いが悪かったのかもしれない。だからあえて、遠方の大学に進学したのかも。
編集B このおばあさんなら、親と衝突することもあり得るかなと思います。「私は一人で生きていきます」と啖呵を切って、家を飛び出す姿も想像に難くない。
編集A いかにも「お嬢様」が歩みそうな人生を送ることに、疑問や抵抗感があったのかもしれませんね。反骨精神があったというか。
青木 ただ実際問題として、大学に在学している間は、仕送りしてもらわないと暮らしていくのは難しいと思います。だから、親と完全に縁を切ったというわけでもないだろうと思うのですが、そのあたりはよくわからなかったですね。
編集B 何かしらの設定がおありなら、もう少し書いておいてほしかったですね。そのほうが、読者が疑問を持たずに読めます。
青木 このおばあさん、娘さん(主人公の母親)ともあんまりうまくいってないんですよね。おばあさんはお嬢様っぽい生き方が嫌で、働き続ける人生を選んだ。いっぽう娘さんは、「私はお嬢様学校に行きたかったのに!」と不満を抱いて、大人になったらさっさと横浜に居を移した。こういうあたりはなんだか面白いなと思いました。二人とも、親の生き方とは逆の方向を選んでいる。
編集B たぶんこの娘さんは、その後に生まれた自分の娘(主人公)を、かつて自分が行きたかったお嬢様学校に入れたのではないでしょうか。
編集D 自分がしてもらえなかったことを子供にはしてあげたいと、おそらく思ったでしょうね。でも主人公のほうは、自分が都会育ちでお嬢様学校に行っていることに、取り立てて大きな感慨は持っていない様子です。
青木 その辺りに関する描写が、もう少しあったらよかったですね。登場人物全員が、親の好みとはズレた生き方をしているように見えるのは、すごく興味深い。ここがもっと明確に示されていたら面白かったのですが。
編集B 親子だからこその関係のこじれ方だと思います。リアルですよね。
編集A 母親と好みが違うと、一周回って、祖母と孫が似ちゃったりするわけですよね。
青木 だから、主人公とこのおばあさんが、意外と気持ちが通じ合っているというのも、なんだか納得がいきました。主人公は「私は殊更に祖母を慕っているつもりはない」と言っていますが、本人が思っている以上に、実はおばあさんのことを好きなのだろうと思います。
編集D それに主人公のお母さんも、母親を本気で嫌っているわけではなさそうですよね。顔を合わせると喧嘩ばかりなのに、長野の実家には毎年帰省する。その度また、懲りずに大喧嘩する。それを主人公が、ちょっと離れたところから冷めた目で眺めている。こういう家族のリアルな距離感が、うまく表現されているなと思いました。
青木 こんな厳しい人が母親だったら、娘が反発してしまうのもわかります。で、孫はちょっと距離があるから、その分冷静に付き合える。祖母と孫の気性がなんとなく似ているというのも、「こういうこと、ありそうだな」って思えますよね。ただ現状では、そのあたりを読者が勝手に補完して読んでいる面も大きいのかなと感じました。
編集D こういう設定を効果的に生かして、意図的に読者に提示することができていたら、小説としての完成度はぐっと高まったと思います。
編集B 「パックス・ロマーナ」から、「イン・マリ・パックス」へと続いて、主人公の名前の由来が明かされていくという、この流れは面白かった。すごいアイディアだなと思いました。
編集A 読者が気になるような、キャッチーなエピソードが描けていましたよね。個人的には、少し無理やりな感じも受けたのですが。
編集D 私もです。タイトルでもある「イン・マリ・パックス」に絡めたエピソードがいろいろ書かれてはいるのですが、読んでいてあまりピンと来なかった。わかるようなわからないような感じで。
編集C 「イン・マリ・パックス」の登場のさせ方が、ちょっと強引だったかなという印象はありますね。「突然思い出した」という感じで話に出てくるのですが、ここにもう少し自然なきっかけが欲しかったです。
編集A 全体的なストーリーも、ちょっと平坦気味かなと思います。祖母と孫が夜の横浜で一緒にいるだけなので、いわゆる目を引くような起伏はないですよね。挙げるとすれば、ラストでおばあさんが突然踊り出したことでしょうか。
青木 このラストは、どう捉えたらよかったんでしょう。主人公の台詞通り、おばあさんは本当に認知機能が落ちて、急に踊り出してしまったということなのでしょうか?
編集A そうだと思います。以前から認知症らしき症状が出ていることは、作中で何度か言及されていましたね。
青木 ただ、おばあさんが奇異な行動を取っていることに、主人公はそれほど動じていない感じですよね。割と平然と、「おばあちゃんがとうとうボケちゃって…」みたいに電話で言っているのは、少々引っかかりました。もう少し心配そうな様子があってもいいのにと思うのですが。
編集D 私はここ、逆にいいなと思いました。主人公が慌てふためいたりせずに、おばあさんの変化を受け入れていますよね。お母さんは、自分の母親が認知症になりかけていることを受け止めきれずにいるようだけど、孫である主人公は「まあ、それもいいじゃない」と思っているようで。
編集B 高校生に戻ったおばあさんは、すごくキラキラしてるんですよね。若かりし頃の、一番輝かしい時代に戻っている。
編集D 神父の部屋からビスケットをくすねたりしていたみたいですね(笑)。実はおばあさんは、真面目一辺倒という人間ではなかった。
編集A このラストシーンは、話のクライマックスとしてテーマを描こうとしたのかなと思います。しゃんとしてるとか、私生活でも教師然としていて厳しいとかっていうのは、おばあさんの一面でしかなかった。祖母であっても、一人の人間のすべてを知ることなどできないのだということに、主人公が気づく話にしたかったのかなと。
編集E 「祖母の人生は、完璧に祖母だけのものだった。娘にも孫にも理解などされる必要がないのだった」という終盤の文章は、とてもよかったと思います。
青木 同感です。このあたりの主人公の語りが、すごくいい。ただ、おばあさんを認知症にしなくても、「なんか踊りたくなったから、わたしゃ踊るよ」ってことでも良かったんじゃないかな、とはちょっと思いました。
編集B 学生時代の友人の名前を孫につけるって、相当な思い入れがあるってことですよね。その友人との間にどんなエピソードがあったのか、すごく気になります。
青木 認知症になると、頭の中が若い頃に戻ってしまうというのは、よく聞く話ではあります。ただ、この話において、「認知機能が衰えて高校生時代に戻った。なぜなら、その頃の自分が一番輝いていて幸せだったからである」という展開にしてしまうと、ではおばあさんは、長野に行って不幸だったのか、自分の人生の選択を実は後悔しているのかという流れのようにも見えてしまいます。高いところが嫌いだというのは、高地である長野県が嫌いだったということなのか、本当は横浜で、娘のように平穏に過ごしたかったのか。解答が示されないので、疑問は残りました。
編集B おばあさんのことをこれだけ描いている割に、おばあさんの心の動きはあまりはっきり見えないですね。
青木 おばあさんの生い立ちとか、親との関係とか、どういう経緯で長野へ行き、どういう思いを抱えながら生きてきたのか。そういうことがもう少し描かれていたら、読み手の理解も深まったと思います。
編集B もちろん、「おばあさんの人生は、おばあさんだけのものなのだ」というテーマ自体は変えなくてもいいと思います。ただ、「もしかして、こういうことなのかも」と読者が感じられる要素を、もう少し入れておいてもいいのではと思います。
編集D 一方で、キャラの立て方に「うまいな」と感じるところがありました。なんといっても、冒頭の一行。「わたしゃ高い所は嫌いだよ」という、たった一言の台詞でもう、このおばあさんのキャラクターがわかります。
編集B 3枚目の「私は祖母に懐いている、と母から思われている」という、この一文で3世代の関係性を表すことができているのも、うまいなと思いました。
編集A 舞台設定も魅力的でしたよね。美しい夜景に、夜の海、そして観覧車。作品ならではの落ち着いた雰囲気がよく出ていました。情景描写もうまい。
青木 アイテムの使い方も、すごくよかったと思います。お揃いの腕時計とか、コーラとか。センスのある書き手だなと感じました。
編集B あとはキャラクターの掘り下げさえあれば、ストーリーは多少平坦でも、より読み応えのある話を作ることができると思います。この調子で、今後もぜひ書き続けていってほしいですね。