第237回短編小説新人賞 選評『めざわり』下田悠子

編集B 就活に失敗して引きこもっている青年と、そんな弟に元気を出させようとやって来たお姉さん。でも実は、そんなお姉さんも問題を抱えていてというお話です。テンポよく繰り出される会話で話が進んでいくので、すごく楽しく読めました。

青木 文章がとてもうまいですよね。軽快なリズムがあるので、勢いに乗って読み進めることができます。

編集A 姉と弟の遠慮のない掛け合いが、とても面白かったです。

編集B 話が進むにつれ、主人公だけでなく、このお姉さんもいろいろとこじらせていることが明らかになってきます。単に弟を励まして前を向かせるという話なのかと思いきや、ちゃんとひねりが用意されていて、よかったです。

青木 キャラクターそれぞれに、コメディタッチの個性が加味されていましたよね。主人公はやさぐれてぐずぐずと引きこもっているニートですし、お姉さんは弟の迷惑がる声などどこ吹く風で、ぐいぐい生活に足を踏み入れてくるおせっかいさん。でも、主人公はひねくれて世を呪っても、人を傷つけるようなことは微塵も考えていないですし、お姉さんも、弟を本気で心配しているからこそ、熱心に働きかけてくれている。二人とも、基本的に「いい人」なんですよね。

編集A 「いい人」なのに、なぜか二人とも人生がうまくいっていない。主人公は立ち直るきっかけもないままにくすぶっているし、お姉さんは妙な方向に突っ走っています。

青木 それを知った弟が、「俺の方がマシだ」「俺の方が上だ」って思うという、この展開はちょっと、読んでいて「おや?」と思うところですよね。冒頭場面で、けっこう口汚くリア充の人たちを罵っているのですが、これは話を面白くするための誇張表現とかではなくて、割と本心であるらしい。

編集A 主人公はお姉さんについても、「姉が『いい人』なのは、自分の自尊心を維持するためだ」「人を助けることで下に見て、自分の存在意義を確かめようとしている」なんて分析しています。

青木 「自己肯定感」とか「存在意義」とか、この主人公はそういうことをかなり考えてますよね。しかし考えるだけで、具体的にポジティブな行動をすることはない。どんなに頭がよくていいことを考えていても、行動しなければ誰も認めることはない。そのあたりもリアルです。

編集A 「どっちが上か下か」。主人公の中心には、いつもこの価値観がある印象です。決して褒められたメンタリティーではないのですが、劣等感や自己肯定感のなさの裏返しなのは理解できるから、共感もできますね。

青木 お姉さんの方も、実は弟を助けられるほどの精神的な余裕はなかったんですよね。お姉さんはお姉さんで、必死でもがいていた。

編集A コメディチックに描いてはいますが、割と重いテーマを扱っている話だと思います。

青木 世の不景気が、ここまで人生を生きづらいものにさせるものなのかと思うと、読んでいて辛いものがありましたね。

編集B ただこれ、現代の就活状況らしくないですよね。今は労働力不足で売り手市場だといいますから、ものすごく職種を選んでいるとかでなければ、就職すること自体はそんなに難しくないのではと思います。

編集C 実際、主人公の大学の友人たちは、いわゆる同じ「Fラン大」卒であっても、順調に就職できているらしい。主人公一人がなぜこうまで躓いているのかは、よくわからないです。

編集A 主人公は「コミュ力がない」と自分で言っていますが、でもバイトはちゃんとできてたんですよね。飲食店の厨房担当で、それなりにおいしい料理が作れる腕前になっている。

青木 特に問題のない人材だと思うのですが、どうして引きこもらなければならないほど行き詰まってしまったのかな。そこがよくわからないですね。

編集C 「大学を辞めた」というのも、よくわからなかったです。

編集A 私もです。お母さんがお姉さんに「テツは大学をクビになった」と言ったらしいですが、退学させられたわけではないですよね?

編集C 1枚目に地の文で「退学する」とありますから、自主退学なのだろうと思います。でも、理由がわからない。就職試験に落ちたからといって、なぜ退学する道を選んだのでしょう。

青木 とりあえず卒業はしておけばいいのにね。就活をしたということは、大学3年か4年にはなっているのだろうと思います。せっかくここまで来て、どうして退学したのでしょう。

編集B ここはもう少し説明を加えるなり、「退学した」という設定そのものを見直すなりしたほうがいいと思います。

編集E 善意の塊のようなお姉さんが、怪しい健康食品会社に勤めているというのも、個人的には少し引っかかりました。お姉さんは自分の会社の胡散臭さにうすうす気づいているわけですよね。

編集C うすうすどころではなく、しっかり認識していると思います。

編集E 心優しいお姉さん自身に、詐欺まがいの物品販売をしているという後ろめたさがあるとしたら、どうして転職しないのでしょう。

編集C そこは私も疑問でした。確かにこのお姉さんは不器用そうではありますが、明るくて頑張り屋さんだし、誰かの役に立ちたいという意気込みが人一倍ある。どうしてこの怪しい会社にとどまり続けているのかな?

青木 ラストの場面でも、お姉さんは特に、転職については考えていないみたいですね。

編集A いまだに弟を、セミナーに誘ってますもんね(笑)。

編集D 会社自体は怪しいかもしれないけど、本気で信じて購入して、本気で感謝するお客さんもいるんだろうと思います。そういう人たちから「ありがとう! あなたのおかげよ!」みたいに言われると、「私、人の役に立っているんだ!」という気持ちになれるんじゃないでしょうか。達成感みたいなものを得られるのが快感で、抜け出せなくなっているのかなと。

編集E でも、本当は何の効果もないのに、水やら人形やらを高額で売りつけているということに、お姉さんは自覚があるわけですよね。そこに関して、自分の中でどう折り合いをつけているのか、ちょっと疑問でした。

編集C 確かにね。「姉ちゃんの仕事、人を騙してんじゃん」と、弟に痛いところを突かれて逆上した場面でも、まず口にしたのは「お父さんもお母さんも馬鹿だ!」という台詞であって、「自分の仕事をどう思っているか」に対しては、はっきりした答えは返していませんでした。

編集D 何かにすがらなければ生きていられなかった、ということかと思います。経営に失敗したお父さんが失意のうちに亡くなり、お母さんは当時打ちのめされていた。長女の自分がしっかりしなくてはと思うんだけど、自分はそんなに強くないことも知っている。だから“よすが”となる何かが欲しかったのでしょう。そこに関しては、終盤で主人公の気づきとして言及されていましたので、私は疑問には感じなかったですけど。

編集E 「何かを信じなければ、自分の心を守れなかった」というのはわかります。心の支えとして怪しい品にお金をつぎ込んでしまう、という購入者側なら理解できたと思うのですが、どうして「売る側」というか、「騙す側」に加担しているのでしょう? このお姉さん、性善説を心から信じているほどの「いい人」なのに。

編集C お父さんが人に騙された挙句亡くなってしまったという過去が、お姉さんに強い影響を及ぼしているようなのですが、実はそのあたりのことはよくわからなかった。それほどちゃんと説明されてはいなかったように思います。

編集A いろんな説明を、台詞の中で済ませているところが多かったですね。

編集B お話の内容やノリが、ひと昔前の印象があるのも気になりました。

青木 そうですね。イメージとしては、就職氷河期あたりでしょうか。

編集C お姉さんも、「今どき就職できない人なんて、いっぱいいる」みたいなことを言ってますしね。

編集D 水を買わされる霊感商法も、けっこう前に流行ったイメージです。もちろん今でもあることはあるのでしょうけど、詐欺商法にも流行りすたりがありますからね。

編集C 作者の中に明確な時代設定があるのなら、そこは明らかにしておいてほしかったです。でないと読者が、「今どきこんなことあるかな?」と疑問に感じてしまいます。

青木 もしこれが、20~30年ほど前の就職氷河期時代の話ということであるなら、とりあえず矛盾はないですね。

編集B ただ、それが果たして今書くべき物語なのかどうかには、疑問があります。

編集A 確かに。就職氷河期世代の若者の苦しみが描きたかったということなら話は別ですが、おそらくこの作品は、人生に躓いていじけていた青年が、前を向いて一歩踏み出す姿をコメディタッチで描こうとしたのだろうと思います。そこが描きたいものの芯であるなら、主人公は現代を生きる若者に設定して、今の時代ならではの悩みや苦しみを描いたほうがいいのではないでしょうか。

編集B 例えば、主人公は無事就職できて会社員として働いているんだけど、友人たちはさっさと起業して、人を使う立場でいきいきと仕事をしている。そういう人たちと自分を比較して落ち込んでいる、みたいな設定とか。

編集C あるいは、投資で大儲けしてFIREするぞと意気込んでいたら、失敗して全財産を失ってしまうとかね。

青木 SNSでの、承認欲求が絡んだ話なんかも面白いと思います。それなら、本作のテーマと思われる「自己肯定感」とか「自尊心」について描くことも可能ですよね。ただ、話の作り自体は、わたしはとても好きなんですよ、コメディタッチの掛け合いで、うまくいかない姉と弟の人生を書く。さらっと読めるけれどドキリとする部分もありますし、キャラクターもリアルです。

編集B お姉さんのキャラについては、このままでもいいかなと思います。ただ、お姉さんが勤めている会社に関しては、もう少し設定のディテールを詰めたほうがいいのではと感じました。

編集C 同感です。霊感商法と健康食品商法は違いますからね。エセ青汁と水晶と人形を一緒くたに売りつつ、自己啓発セミナーまで開催するというのは、いくら怪しい会社でもコンセプトが雑すぎるように感じられます。

編集A アイテムの使い方は面白かったです。寝ている間に数珠をつけられたり、トイレで人形が微笑んでいたり(笑)。

青木 作者のサービス精神を感じますよね(笑)。一方で、小説を書く上では整合性も大事です。お姉さんの会社が行っているビジネスは、いったいどのようなものなのか。もし読者から尋ねられたら説明できる程度には、しっかりとした設定を用意しておいてほしいです。

編集A 現代の詐欺商法は、こんな「いかにも怪しい」感じではないかもしれないですね。どんどん巧妙になっているはずですから。

編集D このお姉さんは、霊感商法に加担する側ではなく、怪しい情報商材に引っかかる設定でも面白かったと思います。「この投資法を実行すれば、あなたの資産は100倍に増えます!」みたいな。

青木 弟に「これやんなさいよ! YouTubeで見つけたの。絶対いいから!」って勧めてくるんですね(笑)。バックグラウンドの解像度を上げて、そこに付随するエピソードを加えれば、さらに面白くなると思います。

編集A それで主人公が確認してみたら、チャンネル登録者が8人しかいなかったとかね(笑)。

青木 この姉弟のキャラなら、いくらでも面白い設定を当てはめられそうだなと思います。二人のやり取りはとにかく楽しい。台詞回しが非常にうまいですよね。

編集E 終盤で、お姉さんがいきなり長﨑弁丸出しになるところがありましたね。ここで不意に、作品内の空気が変わったなと思いました。これは、意図的な演出なのでしょうね。

編集D そうだと思います。この話の転換点として、明るく振舞っていたお姉さんが本心をさらけ出す場面を持ってきたということなのでしょう。感情が高まって、つい地元の言葉が出た。

編集A お姉さんは「いい人」を脱ぎ捨てて、表に出してこなかった本当の気持ちを思いきり吐き出した。それによって主人公も、お姉さんの抱えていた辛さを理解することができたわけで、結果的には良かったですね。

青木 ラストシーンも、希望が感じられるものになっていて良かったと思います。ただ、この自転車二人乗りのシーンは、個人的にはやや唐突かなと感じました。朝食シーンのすぐ後、何の説明もないまま、すでに二人が自転車に乗って出かけるシーンに変わっている。もちろん、なんとなく状況は推測できるのですが、もうちょっと文章を足したほうが読者に親切かなと思います。

編集D 二人が今どこにいるのか、周囲にどういう光景が広がっているのかが、やや見えづらいですよね。状況説明なり情景描写なりが、もう少し欲しかったです。

青木 作者の頭の中には、場面の映像がクリアに浮かんでいるのだろうと思います。「ラストは二人が、軽口を叩きながら仲良く自転車に乗っている場面にしたい」という意図は、すごく伝わってきました。二人の何でもない会話でパッと終わるという、この締めくくり方自体は、私は好きです。

編集A 場面づくりは、非常にうまいですよね。

青木 二人の台詞の掛け合いも、本当に面白かったです。ただ、台詞の部分に、「」という三点リーダーがちょっと多い印象ですね。小説ではあまり多用しないほうがいいと思います。

編集A そういえば、主人公側の電話の台詞のみが延々と書かれているシーンもありましたね。ここは、相手とのやり取りで描いたほうがよかったかなと思います。

編集B 『めざわり』というタイトルも、あまり内容に合っていない気がしました。

編集A この姉弟、実は仲良しですよね。終わり方もほのぼのとしている。むしろそういうところが、この作品の魅力でした。

編集B こういう話なら、『いい人』とかのほうがよかったのではと思います。

青木 けっこう深刻な内容を、しっかりとエンタメ作品に仕上げているところは、すごく良かったです。会話が生き生きとしているので、つい読まされてしまいますよね。リーダビリティの高さは群を抜いていたと思います。

編集A 全体的にレベルが高いですよね。この方は書ける方だなと思います。自分の長所を存分に活かす小説とはどういうものなのかを、じっくりと考えてみていただきたいですね。