第236回短編小説新人賞 選評『快楽の境地』瀬川想

編集B 水泳部に所属している高校3年生の「僕」のお話です。昼休みも放課後も真っすぐにプールへと向かい、水泳に打ち込む日々を送っています。高3なので、そろそろ引退も視野に入ってくる時期なのですが、いつ引退するかは「6月末の県大会の成績次第」ということらしい。

編集E 主人公は、「いいタイムを出せれば、インターハイに出られるかも」という位置にいるらしいですね。これって、けっこうすごい実力ではないですか?

青木 県内でもトップクラスの選手ということですよね。主人公だけではなく、部長も「インターハイにいける確率は五分五分」らしい。ということは、この学校はかなりの強豪校なのでしょうか。

編集C かもしれないですね。ただこのあたりは競合の多さにもよるので、割と地域差もあると思います。主人公が全国の選手層の中でどれくらいの位置にいるのかについては、もう少し情報を出してあるとよかったですね。それによって、主人公が「タイムや順位は気にしない」ことの重みが違ってきますから。

編集E さほど良い選手ではないというのなら、自分の好きなように泳げばいいでしょうけど、全国レベルで好記録が狙えるのに「タイムはどうでもいい」と思っているのなら、そりゃあ周囲はやきもきしますよね。主人公ががんばらないことがどれくらい「もったいない」のかは、読者としては知っておきたかった情報です。

編集C 読者はそれぞれ、自分の経験をもとに読みますからね。「順位なんて気にしない」というスタンスの主人公に対して、「インターハイはそんな甘い気持ちで出られる場所ではない」と違和感を覚える人もいるかもしれませんから、そのあたりはもう少し丁寧に描いたほうがいいと思います。作者がどういうつもりで書いているのかは、できれば誤解されることなく読者に伝わってほしいですもんね。

編集B 「泳ぐこと」に関する説明や描写にリアリティがあるのは、すごくよかったと思います。おそらく作者は、部活かスイミングクラブなどで、なにかしら「泳ぎ」の経験をお持ちなのではと思います。泳いでいるときの水中感覚や、水泳部の内部事情などの描き方に、とても真実味がありましたよね。

青木 はい。私もそこは、すごくいいなと思いました。ただ、冒頭部分は若干わかりにくかったかもしれません。2行目に「バランスを崩さないように、足を上げる」とあるのですが、競泳のスタートの場面で、足を上げる動作って何かありますか?

編集D いや、ちょっと思いつかないです。

青木 だから私は最初、「もしかして、飛び込み競技なのかな?」と思っていました。片足で踏切板を蹴るとか、そういう場面なのかなと。でも、描写されているのは「泳ぎ」のようですし、後の箇所で「1500mの自由形」とはっきり出てきましたので、そこでようやく「ああ、競泳だったのか」と。描写がうまいだけに、スタート前の緊張感をもっとわかりやすく書けたのではないかと思いました。

編集D もしかして「足を上げた」というのは、スタート台に立つための動作だったのかなとも思ったのですが、そのすぐ後に「スタート台に向き合う」とある。スタート台の上に立っていたら、スタート台には向き合えないですよね。やっぱりよくわからないです。

編集C 作者の頭の中には、主人公がどういう動作をしているのかという映像がちゃんと見えているのだろうと思います。ですが、それを読者に分かりやすい形で書くことができていないですね。ここでもまた、「読者に誤解されないように書く」ということが、ちょっとうまくいっていないなと感じました。

青木 そういえば、タイトルもかなり刺激的ですよね(笑)。あらぬ誤解をされてしまわないかと、これも少々気になります。

編集D 主人公の言っている「至上の快楽」というのは、いわゆるランナーズハイ的なものと考えていいのでしょうか?

編集E 長距離走のように継続的な運動を長時間しているときに、多幸感を感じる場合があるという、あれですね。苦痛を緩和するために、脳内に快感ホルモンが出るのだとか。

編集A 調べてみると、「スイマーズハイ」というものもあるらしいです。ランナーズハイの水泳版みたいな感じですね。

編集B 昔の箱根の映像の中で、おじいちゃんが「どっかいっちゃってる」ように見えたのは、ランナーズハイによるものだろうと推測しました。まさに長距離走の最中ですからね。では、主人公のほうはどうでしょう?

編集A 10枚目に、「前は一瞬であの境地にたどり着けていたのだ」「水に全身を沈めることが合図となるかのように」とあります。「(〇〇)ズハイ」というのは、長時間の運動をする中で起きる体の反応のようですから、主人公の感じている「快感」は、スイマーズハイとは少し違うんじゃないかな。

青木 トップアスリートの方なんかが、「ゾーンに入る」という言い方をされることがありますよね。集中力が極限まで高まって、非常に高度なパフォーマンスが可能になる境地のことらしいです。もしかしたら主人公の「ハイ」状態は、こちらに近いものなのでは? 

編集B 確かに、最後の場面で「至上の快楽」の感覚を取り戻せた主人公は、タイムも良くなっていたみたいですね。

編集D 私は、「ゾーンに入る」というのは、「快感を得る」ということとは別物ではないかと思いました。主人公は、「好タイムを出す」というハイパフォーマンスは全く求めていない。あくまで「至上の快楽を感じること」を求めて泳いでいるんですよね。ラストではっきりと、そう語っています。

編集C 主人公の言う「快感」とはどういうものなのか、読み終わってもよくわからないですね。

編集E 箱根駅伝での「おじいちゃん」が、当時どういうスタンスで走っていたのかについても、私は気になりました。主人公は勝手に、「僕と同じく、タイムや順位は気にせずに、快楽の境地に浸って走っているのだ。僕には分かる」と決めつけていますが、このおじいちゃんが若かった時代に、「自分の快楽」を追い求めて箱根駅伝を走る選手がいたとは、ちょっと考えにくいように思います。

編集B いま高校生である主人公の祖父ということは、70~80代くらいでしょうか。若かりし頃は、バリバリの昭和ですね。運動部は「努力!」「根性!」「たるんどる!」みたいな時代だったんじゃないかな(笑)。

編集D このおじいちゃんの性格的にも、「自分だけの快楽を求める」ことを良しとする人物のようには思えないです。主人公にも、ずいぶん厳しく接していましたよね。

編集B 描かれているおじいさんの人物像は、いかにも昭和の価値観で生きてきた人という印象でした。孫に「男ならこうあれ」と厳しく要求する。泣くな、強くなれ、勝ちにこだわれ、と。

編集E このおじいちゃんなら、ランナーズハイで快感を味わってしまうことを、むしろ好ましく考えないような気がしますね。

編集B 実際に主人公も、そう推測しています。「本心とは違うことを言うことで、自分を夢から目覚めさせていたのだろうか」と。でも同時に、おじいちゃんは主人公を通して「至上の快楽」を感じたくて、足しげく主人公の泳ぎを見に来ていたのでは、とも書かれています。だからこそ、「快楽の境地」にたどり着けなかった主人公を、激しく非難した。この辺りはなんだか矛盾しているというか、よくわからないですね。結局のところ、このおじいさんは何を求めていたんだろう。

編集C おじいちゃんが急に主人公を非難するのをやめたのも、理由がよくわからないです。「不意打ちであの境地を追体験して、大会が幕を閉じるまでその夢から覚められなかったのだろう」みたいな説明がされていますが、このあたりの理屈は、どうにもうまく呑み込めませんでした。

編集A おじいちゃんは、久しぶりに「至上の快楽」を追体験して満足したということ? あるいは、快楽を感じながら泳げる境地にたどり着いた主人公に対し、「それでいい」と認めてやる気持ちになったのかな。それとも、自分も昔、快楽を感じながら走っていたことを思い出して、「孫に文句をつけられる立場ではないな」と反省したということでしょうか?

青木 そのあたりが、ちょっと不透明ですね。この話のラストは、「僕とおじいちゃんは、『至上の快楽』でつながっている」という旨で締めくくられています。ということは、「作者は『快楽』を肯定する立場でこの作品を書いている」と解釈していいと思います。もちろん、そのこと自体は問題ではないのですが、おじいさん自身がこの「快楽」をどう評価していたのか、そこがよくわからない。だから、「至上の快楽」によって二人の絆になるという図式が、今ひとつ受け止めにくいです。

編集A もしおじいさんがランナーズハイを「恥」と感じていたなら、「至上の快楽」は二人の絆にはなり得ないと思います。さりとて、おじいさんが「至上の快楽」肯定派なのだとしたら、どうして主人公に「勝て! 結果を出せ!」という方向ばかりを要求し続けたのか、わからない。

編集B 主人公自身も終盤で、「その快楽を知っていながら、どうしてじーちゃんは僕に競争心を植え付けようとしたのだろう」と疑問に思っています。読者もその理由を知りたいのですが、答えになるようなものは特に示されず、話が終わっていました。ちょっとモヤモヤしますね。

編集D 考えてみたら、「僕とおじいちゃんは、○○ズハイ(的なもの)でつながっている」というのも、妙なまとめ方だなと思います。「○○ズハイ」は条件がそろえば一定数の人に起こりうる生理的な現象で、経験者は世の中にそれなりにいるわけです。「この快感が、僕とじーちゃんとの共通点なのだ」と言われても、なんだか頷きにくい。それとも、主人公とおじいちゃんが感じている「快楽」というのは、「〇〇ズハイ」のようなものとは違うということでしょうか。彼らだけしか知らない、この家系の人でしか味わえないような、特別な快楽ということなのかな。そういうあたりも、よくわからなかったです。

編集B 話のテーマに関わる非常に重要な部分ですが、ここも読者にあまりうまく伝わっていないようですね。このおじいさん、主人公のことを、本当はどう思っていたのかな。主人公目線で書かれた一人称小説なので、伝わってくるおじいさんの人物像も、主人公の目を通したものでしかない。

青木 せっかく、主人公のいとこが登場してくるのですから、彼女から見たおじいさん像も提示しておけばよかったですね。「じーちゃん、私にはこんなことを言ってたよ」みたいな台詞でも入れておけば、読者はそれを手がかりの一つにすることができます。

編集B 一人称小説であっても、周辺人物の言動などを盛り込むことによって、おじいさんがどういう人だったのかを間接的に読者に伝えていくことは可能ですよね。

青木 はい。といっても、おじいさんの人物像を、過度に明確に描き出す必要はないと思います。人の心は全部わかるわけもないですし、「はっきりとはわからないけど、たぶんこうだったのかなあ」という程度でいい。ただこの話は、「至上の快楽」の話であると同時に、「おじいちゃんと僕」の話でもあったわけで、おじいさんに関する情報はもう少し出しておいたほうがよかったですね。

編集B 作者は当然、このおじいさんがどんな人かということを知っているはずですから、もうちょっとだけ、それをわかりやすく読者に伝えてほしかったです。

青木 ところどころに、すごく光るものがあるんですけどね。例えば、主人公がおじいちゃんの死に対してあまり悲しみを感じられずにいるというくだりは、とてもいいなと思いました。みんなは泣いて悲しんでいるけど、自分にはそんな感情は湧いてこない。「僕の感受性は、壊れているのだろうか」とか思っているんだけど、でも読者は、主人公が心の冷たい人間だとは思わないですよね。

編集B おじいちゃんに関してあまりいい思い出がないことも相まって、おじいちゃんの死をまだうまく咀嚼しきれていないのかなと思います。乖離感があるというか。

青木 そこがなんだか、胸にぐっとくるものがあるなと感じました。この主人公、「じーちゃんの死を、それほど悲しいと思わない」なんて言いながら、実はずーっとおじいちゃんのことを考えていますよね。泳ぎながら、過去のあれこれを回想しながら、ずっと。

編集B 本当におじいちゃんのことをなんとも思っていなかったら、こうはなりませんからね。だから読者も、この主人公のことをひどい奴だとは決して思わないです。

青木 それと、何度か登場してくる「部長」のキャラクターもよかったなと思います。この部長くん、すごく頑張ってますよね。

編集B 水泳部全体のことを考えつつ、自分のこともおろそかにしない。「全員の出場種目が決まったら、俺のタイムも伸び始めるから」なんてかっこいいことを言って、しっかり有言実行している。すごいですよね。

青木 とてもいいキャラなので、名前をつけてあげてほしかったですね。この人を、ただの「部長」で終わらせるのは惜しい。同様に、いとこの女の子の名前も出せばよかったと思います。二人とも、悩んでいる主人公にヒントを与えてくれる、けっこう重要なキャラクターですよね。もうちょっと濃い目に描いてもよかった気がします。

編集B 感覚的な描写なんかが、すごく上手だと思いました。水の中の「無音」の描き方もよかったですよね。五感を使った描写がちゃんとできていました。

編集C 描写に没入感がありますよね。作者が照れることなく、主人公の中にどっぷりと浸かり込んで、主人公にしかわからない感覚を描き出そうとしている。こういうフェティッシュな描写は、意識的に書こうとがんばっても、なかなか書けるものではないと思います。フェチ感を出せる書き手として、私はすごく期待が持てるなと感じました。

編集D せっかく没入して描けているので、それが読者に伝わらないのでは、すごくもったいない。没入感は残しつつも、同時に客観的な視点も持ってほしいなと思います。

編集C 作者が話に没入するあまり、主人公や書き手自身にとって「当たり前」である部分を、無意識にすっ飛ばして書いているように感じます。作者が「常識」と思うことも、読者にとっては常識であるとは限らない。書き手が思っている以上に、読み手の知識や経験、価値観や考え方は千差万別です。そういう人たちにも作品を理解してもらうにはどういう書き方をすればいいのかということを、常に意識しながら書きつづけてほしいなと思います。