第236回短編小説新人賞 選評『フモンカンの日』琵楼渓水
編集B 年に一度の団体客を受け入れることでかろうじて生き延びていた、万年経営難の貧相なホテルが、その収入源すら失うことが決まってしまい……というところから始まるお話です。ホテルの経営者やスタッフにとってはため息の出る状況ですが、ユーモラスな空気感を交えた描き方がされていて、沈鬱な暗い話にはなっていなかったですね。けっこう楽しく読みました。
青木 私もです。毎年、「普門館」で開催されている吹奏楽の全国大会。その大会の常連出場校が定宿にしている、ややパッとしないホテル『飛翔』。年に一度の稼ぎ時を、ホテル側が「フモンカンの日」と名付け、気合を入れて待ち構えているという設定とシチュエーションが、すごく面白いなと思いました。
編集D この設定を思いついたという点だけでもう、「面白い!」と評価したい気持ちになりますよね。
編集B しかも、そういうホテルを作品舞台にして、主人公の葛藤や切ない気持ちが描かれています。主人公の置かれた状況は、悲惨というほどではありませんが、明るい未来があまり見えてこない感じで、読んでいてちょっとしんみりともしてしまいますよね。
編集C 音大を出たものの、ピアニストへの道は開けず、一般就職をしてホテルスタッフとして働いている。掃除をして、配膳をして、客対応をして、きりがない雑用をこなして。どれも、ピアノとは一切関係のない仕事ばかりです。
青木 ただ、私はあまり詳しくないのですが、ピアニストとして芽が出なかった方が、このようにピアノと関係のない仕事に就くというのは、どれくらいありうることなのでしょうか?
編集B 主人公は、ものすごく真剣にピアノに取り組んでいましたよね。「音大を卒業するまでの間、私の指も爪も、耳の鼓膜も、眼球も、まつげの一本に至るまで、全てがピアノを弾くために存在していた」とまで語っています。まさに全身全霊で取り組んでいた。ですが、「卒業して早い段階で、ピアノを生業にして生きていくのは無理だと悟った」らしい。少し、諦めが早すぎるのではという気もしますね。もちろん、本人にとっては苦渋の決断だったのだろうとは思いますが、今までの全人生をかけてピアノに打ち込んできた人が、音大を出て間もない段階で「音楽以外の就職口を探すことにした」というのは、ずいぶん極端な方向転換だな、と。
編集C ホテルラウンジのピアノ奏者でいいからなりたかったが、それさえ狭き門で、落選続き。そのときふと、「ホテルスタッフになら、就職できる可能性はまだ高そうだ」と気づいて、そちらに切り替えた、というような経緯がいちおう書かれてはいます。でも、「ホテルラウンジのピアノ奏者」に応募したのは、とにかくピアノを弾く仕事に就きたかったからですよね。それに落ちたからといって、「なら、ホテルスタッフに……」という発想には、あまりならないんじゃないかな。自宅でピアノ教室をやるとか、学校の音楽教師を目指すとか、イベントの演奏スタッフになるとか。挑戦できる選択肢は、まだいろいろありそうに思います。
編集A 私の知人には、音大までピアノ一筋で生きてきて、ほとんど関係ない職に就いたという女性が一人います。なので、必ずしもなくはないケースとも思いますが……。
編集B なるほど、そういうケースもあるんですね。ただ、音大に進むには、かなりのお金も必要ですよね。実際に主人公も、「高級車が優に買える程の学費」と語っています。それだけのものをつぎ込んできたからには、主人公が夢を諦めるまでの過程に、もう少し説得力が欲しいかなと思いました。
青木 主人公、ほんとにピタッとピアノをやめちゃいましたよね。それまで毎日、息をするようにピアノを弾いていたのだろうと思うのですが、これといったきっかけもなしに、今まで当たり前にしていたことをやめられるものでしょうか?
編集B 主人公は、ピアニストになれなかったことに辛い思いを抱えているとは思いますが、ピアノを弾くこと自体は好きなはずですよね。だったらむしろ、「ふと気づくと、いつものようにピアノの練習をしていた。習慣が体に染みついてしまっている」みたいなことになりそうにも思うのですが。
編集D そもそも、自分の弾き慣れたピアノを職場に持ち込んでいるのですから、ちょっとした時間を見つけて弾いてみることはいくらでもできそうに思います。
編集B そう。主人公は、ピアノを持ち込んでこのホテルに就職したわけですよね。ということは、「もうピアノなんて見るのも嫌」という気持ちになっているわけではない。
編集D むしろ、「ピアノ弾けます。ピアノも自分のを持ち込めます」って言ったことが、採用側にウケたんですよね。ピアノとセットだから雇ってもらえた。
青木 だったら、弾いてもよさそうですよね。ホテルスタッフの仕事をしながらとはいえ、「ピアノを弾く仕事」ができる環境を主人公は手に入れたわけです。どうして5年間も、一度も鍵盤に触れなかったのでしょう?
編集C そこが少し引っかかるんですよね。支配人も、「今日の夕方、ちょっとラウンジで弾いてくれ」とか一度も言わなかったのかな。
編集D グランドピアノって、輸送費だけでもけっこうかかりますし、設置すればスペースも取ります。それだけのコストを払っているというのに、ピアノも、ピアノの弾き手も活用しないというのは、実に無駄なことをしている。あるいはこういう放漫経営も、ホテルが潰れる一因だったのか……。
青木 ピアノって、一日に最低でも何時間かは練習しないと、指が動かなくなったりするともいいますよね。
編集E そうですね。ラストの場面の主人公は、5年ぶりのピアノにしては華麗に弾きこなしすぎている印象も受けます。こういうあたりも、ちょっと引っかかりますね。
編集B 主人公はやっぱり、ピアノが大好きなんだと思います。ピアノに話しかけたり、「彼女」と呼んで擬人化していたりする。「次は連れて行けないよ」と、優しく撫でながらしみじみ語りかけている。こういうあたりの描写がすごくよかったと思います。でも、そんなにこのピアノのことが好きなら、もっとかわいがってあげればいいのにと思ってしまいました。このピアノちゃん、もっと主人公に弾いてほしかったはずです。
青木 なぜ主人公は5年間も、大好きなピアノに一度も触れることができなかったのか。それに関して主人公がどんな思いを抱えているのかについては、やはり何かしらの説明が欲しかったですね。
編集B 読者を納得させられるような背景やエピソードが、もう少し盛り込まれていればと思いました。
編集C かなり良かったのが、登場人物の描き方です。主人公の存在感は若干薄味なのですが、脇役たちのキャラクターや会話などが、けっこう面白いですよね。
編集B 特に小川と増井が、いい味出してますよね(笑)。お客が150人来るかと思ってたら、「教員入れて53人」でがっかりしたり。「忙しくても女子高生と会えるなら……!」って思ってたら、今年は男子校だったり。主人公を含めた日々の会話も、なんだか楽しい。
青木 ラストで増井君が、仕事を放り出している主人公に怒りもしないで、「先輩、ピアノめっちゃ弾けますやん」って笑いかけているところも、すごくよかったです。
編集B 部長の松本君も、リクエストを募っておきながら、結局米津しか弾けないんですよね。それでも全然悪びれていない。溌剌とした10代の男の子という感じで、かわいかったです。
編集A この松本君ですが、いきなり「リクエストをください」と言ってきたり、主人公の横に遠慮なく座ってきたり、初対面のホテルスタッフである主人公に対して、妙に距離感が近いですよね。ところどころ、やや唐突な言動に違和感がありました。
編集E 「ピアノ弾けます。何でもリクエストして」と言っている割に、クラシックは全然知らないみたいですしね。全国大会に出場できるレベルの吹奏楽部の部長だったら、クラシックの基本的な名曲は知っていそうです。
編集C 松本君、音大に進むそうですもんね。「クラリネット奏者になります!」って希望に燃えているのに、なぜかクラリネットは吹かず、米津しか弾けないというピアノを弾いてみせている。たしかに少し不自然ではあります。
編集E すごく細かいことですが、吹奏楽部が練習している曲が、27枚目ではラフマニノフの「狂詩曲(ラプソディー)」だったのに、28枚目では「ラフマニノフのセレナーデ」になっています。単なる書き間違いかもしれませんが、せっかくの終盤の場面で、読者を「ん?」と立ち止まらせてしまうのは惜しい。音楽が大事な要素である話ですので、この辺りはもう少し丁寧に書いたほうがいいと思います。
編集B このホテルの運営に関しても、引っかかるところがありました。読む限りでは、バイトを含めた3人のスタッフだけで回している様子ですよね。団体客がやって来る「フモンカンの日」であってもです。たった3人で、50人以上の客のお世話をするのは難しい気がします。ほかの従業員の気配が全く感じられなくて、妙だなと思いました。
編集E そういった点を含めて、全体的に解像度がぼやけているように感じられました。細かい点をあまり意識せずに書いてしまっている印象です。「こんなこと、ありうるだろうか?」と、読者に疑問を抱かせてしまうと、小説としての説得力は下がってしまいます。せっかく盛り上がり感のあるラストを用意できていたので、もったいないなと感じました。
編集C 楽曲のこと、ホテルのこと、音大のこと、受験や就職事情などなど……、ネットでちょっと検索するだけでもたくさんの情報が手に入りますから、何か話を思いついたとしても、すぐさま書き始めるのではなく、まずはいろいろ調べてみてほしい。
編集B 調べているうちに、新たなアイディアが湧くということもありますしね。
編集D たとえば、検索結果のトップ記事を一つ読んで、「わかった!」とネット情報を鵜呑みにするようなことも危険です。何か情報を得たら、そこからさらによく調べて、真偽のほどを確認する必要があります。
青木 若干「面倒だな」と思うかもしれないけど、でもネットがない時代は、何日も図書館に通ってコツコツ調べ物をしていましたからね。それに比べたら、便利な世の中になったものだと思います。ただ個人的には、ネットで手がかりになる情報を得た後、さらに図書館でも調べてみることをおすすめしたいです。本というのは、本当に多くの情報がうまくまとめられていますから、ネット検索をするのと同じ時間で、何倍も体系的な知識が得られると思います。
編集B できたら取材もしてほしいですよね。インタビューのような大がかりな取材ではなくても、例えばこの話なら、客が多くなさそうなホテルに実際に行ってみて、ロビーを一周してみるとか。それもダメなら、外から眺めてみるだけでもいい。
青木 音大や高校の門の前まででいいから、行ってみるとか、ピアノを弾いてみるとかね。男子高校生の空気感や、鍵盤に触れたときの感触など、ネットや本だけでは得られない情報が必ずあります。私はロケハンと呼んでいますが、ロケハンなら、相手のいる取材より簡単にできます。「意外とラフな格好をしている人が多いな」なんて思ったり、その場の雰囲気を感じるだけでもいいんです。それだけでも、描写のリアリティは格段に増します。
編集C 実際に現地に行ってみたら、何か気づくことがあったりしますよね。ほんの小さな気づきであっても、それは必ず描写に活きてきます。自分の大切な作品なのですから、手間と時間をかけることを、どうか惜しまないでほしい。
編集E ところで、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、実はこの「普門館」という施設は、かつて実在していた建物です。毎年の全日本吹奏楽コンクールの会場であったことも、単なる老朽化ではないものの、強度に不安があって取り壊されたことも、作中に出てきたとおりです。ただ、建物の強度が不安視されたとき、会場は急遽別の場所に変更されました。だからこの話のような、「『フモンカンの日』は今年が最後になる」と覚悟したうえで客を待ち受けるという展開は、あり得なかったはずです。コンクールの開催時期も若干違っています。
編集B 現実には即していないということですね。パラレルワールドの話、として書いたということなのかな。
編集E ちなみに、普門館でのコンクール開催が中止になったのは、2012年のこと。なので、「最後のフモンカンの日」にやって来た松本君が米津玄師の曲を弾くというのも、微妙に年代が合わないです。
青木 まあこれは小説で、ドキュメンタリーではないのですから、事実にきっちり合わせなくてもいいとは思います。思いますが……でも、それなら「普門館」にこだわる必要もなさそうですよね。
編集C 実際の「普門館」を知っている読者もいると思います。そういう人が読んだら、やはりここで「ん?」と疑問を感じる可能性はある。実在のものを作中に登場させる場合には、そういうところまで考慮したうえで用いる必要があると思います。
青木 「コンクール会場が取り壊されると、それで稼いでいたうちのホテルも潰れちゃう!」という設定は、それだけですごく面白いですよね。無理に実在の「普門館」を持ってこなくても、全部フィクションとして書けばよかったのにと思います。
編集E もしかしたら作者は、「普門館が取り壊された」という事実から、このストーリーを発想したのかもしれないですね。さらに「吹奏楽コンクール」からの連想で、「ピアニストを断念した主人公」を設定したのかもしれない。このあたりは単なる推測になってしまいますが……。
青木 可能性としてはあると思います。ただ、吹奏楽とピアノって、近いとはいえ別モノですよね。ニアだけど、ジャストではない。
編集B だから物語の展開にも、やや説得力が足りなかったのかもしれません。要素がうまくつながっていないので。
編集C 吹奏楽ではなく、「合唱コンクール」のほうがテーマに合っていた気がしますね。ピアノ担当の子がちょっと体調を崩したとかで、急に主人公が引っ張り出される。「ピアノ弾けるんですよね!? 練習したいので伴奏をお願いします!」って。
青木 主人公は思いがけず、久しぶりにピアノに触れることになった。そうしたら、長年の封印が解けるみたいに、「やっぱり私はピアノを弾きたいんだ!」という思いがギュンと込み上げてきたとかね。そういう流れだと、より自然だったと思います。
編集B 大枠の設定は面白いのに、細部が甘いのが惜しいですね。この作者は、面白い設定やキャラクターを作る才能のある方だと思います。現状では、それらをうまく活かすことができていない。もっとずっと面白い作品にすることができるはずです。彼はなぜこうしているのか、この設定や成り行きは自然なのか。なんとなく書くのではなく、小さなことでも考えて確認する癖をつけるといいと思います。調べものをしているうちに新たな事実がわかり、それをフックにして新しいエピソードができ、キャラクターの解像度があがり、もっと面白くなっていきます。書きながら、またはいったん書き終わったあとに調べるのでもいいです。この作者はそういうエピソードを見つけることができる人だと思います。
編集D 短編だと、長編よりも気軽に書き始めることはできますが、書く前にちょっと立ち止まってみてほしいなと思います。思いついたものをすぐさま書き始めるのではなく、必要な下調べをして、話を整理して、さらに「もっと面白くできないか」ということも模索してみてほしい。
編集C せっかくのいいアイディアですから、それを大事に扱って、最高に活かす方法を考えてみてほしいですね。