第235回短編小説新人賞 選評『山姥』小林温書
編集A 母親が妹にかかりきりになって寂しさを感じている主人公と、娘を事故で亡くして以来、世捨て人のように暮らしている女性との、短い交流が描かれています。愛してくれる人を求めている少女と、愛する娘を失った母親。お互いの欠けているところがちょうどよく埋め合わされ、幸せな方向に行くのかと思っていたら、まったく思いがけない結末になりましたね。すごく引き込まれて読めました。
編集B 同感です。子供ならではの幼い残酷さによって、物語が意外な方向に展開していきました。とても面白かったです。
青木 主人公は、ほんとは山姥から実害なんて加えられていない。なのに、思いがけなくお母さんがすごく心配して、ぎゅっと抱きしめてくれた。妹のピアノのレッスンを放り出してまで、駆けつけてくれた。その嬉しさには抗えなくて、本当のことを言い出せなかった。「やっぱり、お母さんに抱きしめられる方がずっと嬉しかった」という、小学生らしい本音はすごくよかったですよね。
編集A 描かれてはいませんが、おそらく翌日には、また華里ちゃんたちに取り巻かれて「大丈夫!?」って大騒ぎになったのでしょうね。「何があったの!? 教えて教えて!」って。
編集B みんな、興味津々でしょうからね。みんなが自分の周りに集まってきて、話題の中心になるというのは、正直悪い気はしない。
編集A そしてみんな、主人公が「山姥からひどい目に遭った」話を期待していますよね。ここで「いや、そうじゃないの。あの人、全然悪くないの」なんて、とても言い出せない。
青木 むしろ、つい話を少し盛っちゃったりしたかもしれませんね。そのくらいのことは、誰だってやってしまうと思う。けれどそれをやったらもう、後戻りはできない。
編集A もちろん、そこは描かれてはいないんです。でも、過去に主人公は似たようなことをやっていますからね。読者は「今回もそういうことをしたんじゃないかな」と推測することができる。
編集B 結局、「山姥は悪い奴だ、追い出せ!」みたいな流れになって、彼女は町から去った。主人公と華里ちゃんはヒーローのように扱われた。この主人公が積極的に山姥さんを陥れたとは思いませんが、真相を黙っていることで、結果的に山姥さんにひどいことをしてしまっています。
青木 この主人公はもちろん「いい子」だとは言い難い。狡いところも残酷なところも、確かにあります。だからといって読者は、この主人公を「悪い子」だとも思わないですよね。こんなことをしてしまった主人公の気持ちも、それはそれでよくわかる。不幸な結果になってしまったけど、でもしょうがないよね、こんなことってあるよね、と感じてしまう。読者にそう感じさせるように書けているところが、非常にうまいなと思いました。
編集A 特に、女の子の描き方がとても上手ですよね。冒頭で、華里ちゃんというクラスのカーストの上位にいそうな華やかな女の子が、珍しく主人公に声をかけてきます。「一緒に行こうよ」と誘ってくれるんだけど、実は単に、山姥の家に入る役を押し付けられただけだった。
編集B 利用するときだけ、仲間に入れてるんですよね。だからと言って、華里ちゃんはひどいいじめっ子というわけでもないです。小学生女子のこういう人間関係、「ありそうだな」と思えました。
編集A そんなに親しくないグループの女子たちが、主人公をちらちら見ながら「どうする? 誘う?」「えー」みたいな話をこそこそしている、そのことに主人公も気がついている、なんてところも、すごく雰囲気が伝わってきましたね。
編集D 終盤に出てくる「お母さんも、華里ちゃんも、みんな、勝手だ。自分の見たいものしか見ない。でも私は、その『みんな』に愛されないと生きていけない」というところは、非常に鋭いことを言っているなと思いました。
青木 この話の主人公はたまたま小学生ですが、キャラクターの年齢に関係なく、この作者は人間の心の機微を描くのがうまい方なのだろうなと思います。
編集A 「華里」ちゃんの名前、読み方がわかりませんね。「かりん」ちゃん? 「はなり」ちゃん? 主人公がうらやましいと思う名前なのですから、なんと読むのかは教えてほしかったです。
青木 妹さんの名前も知りたいですね。主人公は「ゆうり」という自分の名前が好きではない。男の子にも使える名前で、かわいくないと思っています。であれば、妹さんにはすごくかわいらしい名前を設定して、それを作中に出したほうがよかったと思います。妹は、女の子らしい素敵な名前を付けてもらえていて、突出したピアノの才能もあり、親の関心を一人占めしている。対して主人公は、男女兼用の名前で、ピアノも取り上げられ、ほったらかされていて……と、対比がくっきりと出ますよね。主人公の辛さ、寂しさといったものが、より際立ったと思います。
編集A 「かわいい名前を付けてもらえなかった私は、親から愛されていないんだ」って、小学生なら思っちゃいますよね。本人にとっては切実な問題です。気持ちはよくわかる。
青木 主人公は山姥に名を聞かれ、とっさに嘘をついた。そのとき口にした「ゆり」という名前は、偶然にも山姥の娘さんの名前と同じでした。この話の中で「女の子の名前」は、かなり重要な要素になっていますよね。ですので、クラスメイトや妹の名前も、明確な意図をもって設定しておいた方がよかったのではと思います。
編集A 妹さんがいかにも華やかで可憐な名前だったら、読者はいっそう、「主人公、かわいそう」って感じただろうと思います。
青木 名前以外でも、妹さんについてはもう少し描写があった方がいいのではと感じました。主人公は何かにつけ、「妹の方が愛されてる」「妹の方が大事にされてる」と思っていますが、実際の妹さんのほうはどういう気持ちでいるのでしょう? 「ふふん、お姉ちゃんと私とでは才能が違いすぎるわ」なのか、「実は親の期待が重すぎて辛い」なのか、あるいは「お姉ちゃんともっと話したいのに、なんか距離ができちゃって寂しいな」と思っているのかもしれません。そのあたりが作者の中でどういうイメージになっているのか、もうちょっと知りたかったですね。姉が話を盛っているということを、妹だけは気づいていた、でもいい。それはそれでヒヤリとします。どこかに数行入れるだけで表現できたと思います。
編集A そうですね。そのイメージによって、この話はかなり違ってくると思います。
編集B 主人公の一人称小説ですから、妹さんの心情を直接書くことはできませんが、「おそらくこういう気持ちではないか」と読者が推測できるような描写を入れておいてほしかったですね。
編集A 文章には小気味よいリズム感があって、読んでいてとても気持ちよかったです。しかも、畳みかけるように話が進んでいきますよね。怪しいおばあさんの住んでいる家を調べに行くことになって、こわごわと足を踏み入れたら、その「山姥」と出くわして、一目散に逃げ帰る。でも、大事なものを落としてきてしまって、意を決してまた忍び込んで……と、もうドキドキしながら読みました。
青木 話がしっかりと展開していますよね。テンポもよくて、サクサク読めます。
編集A 最初のあたりはちょっとホラーっぽくもあって、「怖い話なの?」と思っていたら、山姥さんの家に入ってからはまた新たな展開になるんですよね。ピアノがあったので弾かせてもらうと、山姥さんが「もう我慢できない」と言わんばかりに楽譜を取り出してきて(笑)。主人公のピアノに合わせて歌い出したんだけど、それがとてもきれいな歌声だったという、この一連の流れはすごくいいなと思いました。
青木 映像が見えますよね。山姥の家の中は、予想通りゴミ屋敷なんだけど、なぜかピアノがぽつんと置かれてあると。埃まみれの部屋の中でピアノだけが美しく光を放っているという、この場面の映像は切ないほどありありと浮かんできました。
編集A ピアノだけはぴかぴかなんですよね。明らかに、日常的に丁寧に手入れされている。
青木 それだけでもう、この山姥さんは悪い人じゃないな、きっと何か事情があるんだな、と分かります。そういう人が今、寂しさを抱えている主人公と出会いを果たした。ここはすごく重要な場面だと感じて、引き込まれました。
編集A ここから物語が回り出したという感覚がありましたよね。満たされぬものを抱えている二人の心が、触れ合い始めた。
青木 せっかく桃を食べさせてあげようと思ったのに、「腐ってた」と気づいた山姥さんの放心ぶりも面白かったです。それで桃のかわりにサバ缶をふるまうって(笑)。このリアルな感じもすごくいい。
編集A 場面の切り方もうまいですよね。山姥さんに名前を尋ねたんだけど、返ってきた答えはぽつりと「なんだっけ」。そこにすかさず、「サバは美味しかった」とだけ続けて終了。ごちゃごちゃ描写しないで、スパッと切り上げています。
青木 文章にキレがありますよね。
編集A 翌日にもう一度山姥を訪ねた場面でも、最後のところで「本に学校の名前が書いてあった」と明かし、続けて「私の通う学校だった」の一言で終わらせている。何かハッとする短い一文を入れ、スッと場面を閉じるという書き方が、とてもうまいなと思いました。
青木 ただ、終盤のあたりの「『山姥』は、警察から注意を受け、そのまま施設へ預けられることになった」というのは、ちょっとよくわからなかったです。いったいどういう施設なのでしょう?
編集A 警察沙汰になったことが影響しているっぽいですが、山姥さん……というか保坂先生は、今回べつに悪いことはしていませんよね。「実害が出た」ということになっていますが、主人公は怪我をしたわけでもないです。警察が注意するほどのことなのかな?
青木 終盤で長見先生は「娘さんを亡くして以来、保坂先生はおかしくなった」みたいなことを言っていますが、これはどの程度のことを意味しているのでしょう? 精神に異常をきたしたというレベルなのか、それとも、心の病気とかではないけれどショックで立ち直れなくなっていた、みたいな状態なのでしょうか?
編集A 「山姥」状態の保坂先生の言動を読み返してみましたが、実はそんなにおかしなことはやっていないと思います。確かに、子供たちをじっと見ていたりするのはちょっと不審者っぽいですが、それだって遠くから見ているだけですからね。特に危険性はない。会話は普通に成り立っているし、ゴミ屋敷で暮らすこと自体は犯罪ではないです。
青木 なので、「施設」というのがどういうものを指しているのか、よくわからなかったです。収容施設的なものに入れられるほどの理由はないでしょうし、短期的な入院措置なら家は処分しないでしょうし、まだ現役教師をしている長見先生の同期ということであれば、老人ホームに入るほどの年齢でもないと思います。
編集A 作者はそこをしっかり設定したうえで書いているのかな、というのはちょっと気になるところです。
青木 最初のあたりで長見先生が「ああいうのは、刺激しないのが一番ですから」と言っていますが、これはちょっとひどい言い草ではないでしょうか。騒ぎ立てるPTAを抑えるためにぴしゃっと言ったということらしいですが、それにしても「ああいうの」呼ばわりはないですよね。
編集A 二人は教員として同期だったわけですよね。長見先生は「保坂先生はいい先生だった」という認識を持っている割に、けっこう冷たいなと感じます。
青木 子供たちが山姥さんを「気味が悪い」って騒いだりしても、「みんなのことを心配して、見守ってくれているんじゃないかな。気にしなくて大丈夫だよ」みたいに、やんわり言うことはできるはずですよね。「ああいうのは刺激するな」では、保坂先生を変質者と認めたような言い方になってしまっています。
編集D 保坂先生は過去にも、今回と全く同じ事件を起こしていますよね。自分の子供を交通事故で亡くした教員が、車道に飛び出そうとした少年を強引に引き戻したといういきさつを、学校側は把握しています。だったら今回の件も「ああ、また同じことが起きたんだな」と、学校関係者が思うのが自然ではないでしょうか。警察とかに対しても、「実は、あの人には過去にこういう事情がありまして……」と、誰かが伝えるはずではと思います。誰一人として保坂先生を助けようとせず、あっという間に町から追い出されてしまったという展開は、ちょっと呑み込みにくいなと私は思いました。
編集C 保坂先生が娘さんを亡くしたのはいつ頃の話なのか、そこもよくわからないですよね。「山姥」状態で暮らしているからおばあさんに見えるけど、実はまだそれほどお年寄りではないのか、それとも現役だったらそろそろ定年になる頃なのか。保坂先生と長見先生の年齢は、現状でははっきりしない。
青木 例えば、娘さんの事故死がもう三十年ほど前のことだったとします。その間に、ほとんどの学校関係者は定年を迎えたり異動になったりして、当時のことを知る人が誰もいなくなってしまった、なんて事情でもあったのなら、まだわからなくもなかったのにと思います。
編集A 山姥さんが町を去った後で、また異動で長見先生が戻ってきたりしてね。事の顛末を知って、「保坂先生がそんなことに……」と驚いて。「私が時々連絡を取っていればよかった。学校側にも、もっとフォローを入れておけば……」と後悔するんだけど、もう後の祭りだとか。そんな風な展開だったら、まだ受け入れやすかったかなと思います。
青木 ただの一人も保坂先生に救いの手を伸ばさなかった、町民一丸となって追い出したみたいになっているのが、あまりにひどいように感じて、引っかかりますよね。
編集A しかも、その原因を作ったのが主人公ですからね。このあたりは、もうちょっと違う書き方ができたのではと思いました。ですが、物語そのものはとても面白く書けていたと思います。読者を引き込む筆力には、目を見張るものがあると感じました。
青木 センスのある書き手ですよね。漢字の混ざり具合などの、全体的な字面もいい。文章にも緩急があって、とてもうまいなと思います。
編集B 読んでいて映像が見えるし、音も聞こえるし、匂いも漂ってくる。人物の内面もしっかりと描写できていたと思います。
編集A 人間ドラマが描けていますよね。妹に特別なピアノの才能があって、主人公だってピアノは大好きなのに、お母さんは勝手に退会手続きを取ってしまった。だから主人公は、自分はピアノを弾いてはいけない気がして、家に一人でいるときでさえ触れることはない。これだけでも十分切ない話なのですが、それが「山姥」の家に行けば、誰にも遠慮せずにピアノを弾くことができた。夢中で弾いていると、山姥さんも我慢できずに加わってきて、気づいたら二人でともに弾いて歌っていた。それは主人公にとって忘れられない時間であり、一種の救いになったと思います。乾いた哀しみが漂うような結末ではありましたが、読み終えたときに「いいものを読ませてもらったな」と思いました。
青木 読んでいるこちらにとっても、忘れられない物語になりましたよね。読み応えのある小説になっていて、とても良かった。次はどんな作品を書いてくださるのか、非常に楽しみです。