第235回短編小説新人賞 選評『透明で美しい魚たち』水野すきま
編集A ひなびた地方都市に生まれ、夢や希望を持てずに生きてきた現代の若い女性の半生を、ある日忽然と姿を消した親友との思い出を絡めながら描いた作品です。読んでいて、なんだか心が痛むというか、とてもやるせない気持ちにさせられました。
青木 ぐっと胸にくるものがありましたよね。内容自体は、いわゆる低階層の女の子たちの話で、ありがちといえばありがちなんですけど、主人公が心愛ちゃんのことを本当に大切に思っているということが、設定や説明からではなく、作品全体から実感として伝わってきます。「愛」とか「友情」なんて言葉で簡単にくくれるものではなくて、とにかく主人公にとって心愛ちゃんは特別で大事な人なんだということが、理屈抜きで伝わってくる描き方になっていたと思います。
編集A 説明しすぎないで描くことができているのは、とてもうまいなと思いました。例えば、物語が始まって割とすぐのところで、「心愛の唇のはじっこに紫色のアザがある」ことが、さらっと語られていますよね。作者はそれ以上の説明を何もしないんだけど、二人の会話や主人公の語りから、「おそらく彼氏からDVを受けているのだろうな」と、読者はなんとなく読み取ることができます。
青木 心愛のアザを見ても、主人公は特に騒ぎ立てたりしない。つまり、それは日常茶飯事だということですよね。一方、主人公は主人公で、母親から「中学生なんて親いらないでしょ」と言われ、入学式に一人で出席した過去をちらりと語っています。もうこの部分だけで、親にほったらかされてきた子供なんだなということが伝わってくるんだけど、作者はそれ以上語らないで進めていく。とてもうまいですよね。
編集A 多くの書き手はここで、あれこれ付け加えてしまいがちですよね。「親は私のことなんてどうでもよくて、家は狭いし、お金もない。気にかけてくれる人なんて誰もいなくて、私はどこにも居場所がない」みたいなことを主人公に語らせてしまう。
青木 そっちのほうが書きやすいし、同情も呼びやすいんだけど、そういういかにもな「かわいそうな私」という書き方にしていないからこそ、逆に哀れを誘うというか、より胸に迫ってくる話になっていると思います。
編集A 主人公が自分の不遇をことさらに語らないのは、そういう状況が主人公にとって当たり前だから、ということでもありますよね。
青木 そうですね。やりたいことを見つけようとか、何かしら勉強して将来を切り拓こうとか、そういうことをそもそも思いつけない環境で育ってきたということかと思います。
編集A 生まれ落ちた場所が、汚れた金魚鉢の濁った水の中のような世界だった。そこから出るという選択肢があるなんて、考えたこともない。だから主人公たちはずっと、その狭い世界でただくすぶり続けていた。
青木 本当は、可能性はいろいろあるのにね。幸せな未来を望み、少しずつでもそこへ近づいていく方法はいくらでもあります。もちろん努力は必要になるでしょうけど、最初から人生がまるっきり閉ざされているわけではない。でも、そういう可能性があること自体に気づけないまま、主人公たちは子供時代を送ってきたわけです。そんな時期が長く続けば、もう「勉強する」とか「努力する」ことが難しくてできない、という状況にも陥りかねない。
編集A もちろん、人は誰しも努力して何者かにならなければいけないことはありません。どこでどんな暮らしをしようと、本人が心から幸せならそれでいいんです。でもこの主人公は、自分はバカだから、何もできないから、なんて本気で決めつけて、「キャバ嬢予備軍と呼ばれていたし、実際そうなるしかなかった」と言っている。これは、見ていていたたまれなかったですね。特に若い女性というのは、搾取の対象になりやすいですから。
青木 そこは本当に大きな問題だし、読んでいて辛い部分でもありました。将来の展望も何もなく、流されるように「若い女性」として手っ取り早く稼げる仕事に就き、男たちにお金を吸い上げられ、暴力を振るわれる。そこで生まれ、夢も希望もなく生きてきたせいで、「ここから出ることはできない」と思い込んでいる。それが金魚鉢という比喩になっています。主人公は「りょーくん」のことを好きでも何でもない、むしろ怖くて近づきたくないと思っていたのに、心愛が「そーたさん」と付き合い始めたから、「金魚鉢には四匹しかいないのだから、自分とりょーくんがくっつくしかない」なんて思って受け入れてしまっている。とうとう付き合い始めたときには、「死にたいな」とすら思ったというのに。もう本当に、なんとも切ない。ここの部分の心情描写は、胸に迫るものがありました。
編集B ただ、そんな狭い汚れた金魚鉢のような世界に生きていたからこそ、主人公と心愛ちゃんにとって、お互いが「絶対に特別な女友達」になったのでしょうね。
編集A そうですね。家庭は崩壊ぎみで、先生からは嫌われ、友達もうまく作れない。「教室の底で二人きりだった」というのは、この二人の状況を非常にうまく表現している一文です。この二人の関係は、「二人ぼっち」なのだろうと思います。友達とか仲間なんて域を超えて、お互いがお互いにとって、「たった一人の特別な人」ということなのでしょう。
青木 ラストでは、心愛ちゃんの二人ぼっちの相手は、娘のセイラちゃんに変わっていますね。誰にも何も言わず生まれた町を離れ、いったんは一人ぼっちになった心愛ちゃんだけど、今は娘さんという「特別に大事な人」を手に入れて、幸せそうに暮らしている。主人公は「心愛の今の唯一無二は、自分ではない」ということを突きつけられ、胸を刺されるんだけど、それでも心愛を大切に思う気持ちは変わらない。幸せそうな心愛と、自由に泳ぐ綺麗な魚の姿さえ覚えていられれば、自分は一人でも生きていけると、都会の雑踏の中へ力強く歩き出していく。終始救いのない空気感の中で進んできた物語でしたが、光が差すようなラストで締めくくられているのは良かったですね。
編集A ずっと「ゆいーつむに」などと言っていた心愛が、ラストでは「唯一無二」と、しっかりとした言葉を発している。心愛の成長もうかがえますよね。彼女ががんばって積み重ねてきた日々があるということが、このひと言から伝わってきます。
編集D ただ、心愛が今どういう生活をしているのか、どうやって生計を立てているのかというところはちょっと気になりました。姿を消したときに心愛は19歳で、しかも妊娠していました。誰の手助けも受けられないまま、知らない町でどうやって出産を乗り越え、母娘の生活を成り立たせているのか。学歴もなく、手に職もない若い女の子には、かなり難しいことだろうと思うのですが。
編集A 確かに。それに関しては主人公も同じですね。ある日突然キャバ嬢の仕事を辞め、誰にも何も言わず、リュック一つで生まれた町を出た。「半年が経って、身の回りのことがようやく落ち着いた」とありますが、どう落ち着いたのか、今どんな仕事をしているのか、まったくわからない。気になるところではあります。
青木 やっぱり二人とも水商売関係なのかなとは、ちょっと想像してしまいますね。そういう職業がいけないわけではないです。キャバ嬢や風俗嬢であっても、自分の稼ぎで生活し、きちんと子供を育てているシングルマザーの方とかはいらっしゃると思います。できるなら性を売る仕事には就いてもらいたくないけれど、ホワイトカラーになることが成功で、水商売だからダメだとはわたしは言いたくありません。どちらにしろ、今の描き方では、二人の現在の生活が全く見えてきませんね。そこはもう少し言及があってもよかったかなと思います。
編集D 「書きすぎていないから上手い」という批評もありましたが、同時に「ここはもう少し書いておいたほうがいいのでは……」と感じられるところも、いろいろあるように思いました。
編集B 私は、冒頭シーンはちょっとわかりにくかったと思います。登場人物、設定や背景についてまだよく知らない段階で「アイツ」とか言われても、誰のことなのか読者にはわからない。「りょーくん」や「そーた」とどういう関係なのかも、序盤では伝わらなかったです。色々うやむやのまま、話が先へ進んでいく。
青木 「ゆいーつむに」というのも、最初、何のことかわからなかったです。実は私は「何かの呪文かな?」なんて思って読んでいました。「ゆいーつむに=唯一無二」であるということは、ちらっとでいいから、早めに示しておいた方がよかったのではと思います。
編集B おそらく、その時点では語り手である主人公も「唯一無二」という言葉を知らなかったから、説明を入れこむのが難しかったのでしょうね。同じギャルっぽく言葉を崩すにしても、せめて「ゆーいつむに」のほうが、まだしも伝わりやすかったのではないでしょうか。
青木 あと、主人公が時々、「透明になりたい」みたいなことを言っているのですが、これが何を意味しているのかがちょっとつかみにくかったです。イメージ的にはなんとなく伝わってくるものはあるのですが、やっぱり曖昧ですよね。
編集A 自分を汚れた存在だと思っているということなのかな? だから「美しいもの」の象徴として、透明感のある魚に憧れているとか。
編集B 「敵に見つかりたくない」ということだと思います。ラストのところで主人公が、「敵に見つからないために進化した、透明で美しい魚」と語っていますので。
青木 なるほど。では敵というのは、りょーくんとかそーたさんとか、嘲ってくる教師とか。
編集B はい。自分を傷つけてくる者、自分から搾取していく者。透明になって、そういう者たちの目の届かないところへ行ってしまいたいと、心の奥で願っていた。そして実際に主人公も心愛も、存在を消すようにそっと地元を後にした。
編集A 望み通り透明になって、二人はようやく、堂々と顔を上げて生きられる日々を手に入れたというわけですね。
編集B 「トランスルーセントグラスキャットフィッシュ」という魚は、かなり骨が目立ちますし、ナマズ科なので長いヒゲがあったりする。正直、そんなに「綺麗」とか「気高い」と感じるビジュアルではないように思います。透明な魚、グラスフィッシュには、もっと可愛らしい種類もいますので、そちらを使ってもよかったんじゃないかな……と、個人的には感じました。
青木 ビジュアルより名前で選んだのかもしれませんね。インパクトのある長い名前ですし。
編集A 「あたしはバカだから、こんな長いの覚えられない」という設定には合っていたかもですね。
編集C あと、細かいところですが、主人公がキャバ嬢をしている店にヤドセンが客としてやってくる場面で、主人公は「ジュリです」と本名を名乗っていますよね。普通、こういう店では源氏名を使うものではないでしょうか?
編集A 確かに。源氏名は別にあるんだけど、この場面ではあえて本名をぶつけてみたということなのでは? ヤドセンが自分に気づくかどうか、わざと試したみたということなのかも。
青木 もしそうであるなら、その説明はちょっと入れておくべきかなと思います。入れることで彼女の心情も際立ちます。
編集C 「そーた」が主人公たちの部屋へ上がり込んでくる場面も、ちょっと疑問を感じました。このとき主人公は26歳ですよね。ということは、心愛が姿を消してから7年後の場面ということになる。7年も経っているというのに、未だに「心愛はどこだ!?」と怒鳴り込んでくるのは妙だと思います。
青木 これ、今日が初めてではないんですよ。しょっちゅうこんなふうにやって来ているんです。「近所から苦情ばかりくる」みたいなことが書かれています。
編集C それはそうなのですが、「教えろ」「知らない」「教えろ」「知らない」という問答を7年間もずっとくり返しているというのは、どうにも不自然ではないでしょうか?
編集B 時間が経過している感じが、ちょっとうまく出ていないのはありますね。「二十六なんて、店では最高齢だ」と語っているところで、読者が「あの水族館のシーンから7年も経ったのか」と、パッと理解しにくい。その直前に回想シーンが来ていることもあって、「現在」がいつなのかを読者がつかみにくいんです。心愛が姿を消して、その直後に「そーた」が怒鳴り込んできた、という印象を受けてしまう。
編集A 時系列はわかりにくいですよね。途中で過去に戻ったりしていますし。
編集C 冒頭にいきなり数字で「2」と書かれていて、「何だろう?」と不思議に思っていたのですが、場面が変わると今度は「1」になり、回想シーンが終わると次は「3」になる。そこで、これが時系列の順番を表しているのだろうと気づきました。
編集A そうでしょうね。私も最初は書き間違いか何かかと思っていましたが、場面を1→2→3の順番に並べ替えてみると、時間の流れとぴったり合います。ただ、時系列の順番を数字で表示するという書き方は、やめたほうがいいと思う。小説を書く以上、文章で読者に理解してもらえることを目指してほしいです。
青木 特に短編においては、時系列はあまり崩さないほうがいいと思います。時間が行ったり来たりしては、読者が混乱しやすいですから。この作品なら、無理に回想シーンを挟む構成にしなくても、主人公と心愛の出会いから順番に書いていけばよかったですよね。それで十分成り立つと思います。
編集A 作者としては、水族館で始まり、水族館で終わる物語にしたかったのかもしれませんね。
青木 もしそういうことなら、冒頭にちょっとだけ水族館のシーンを持ってきてはと思います。明らかにプロローグっぽい短い場面をひとまず出しておいてから、二人の出会いの場面に戻り、中学、高校、水族館のシーンへと順に進んで、心愛ちゃんがいなくなる。そこから7年が経ち、主人公もまた地元を出て行き、さらに半年後、水族館で心愛ちゃんを見かける。
編集A それなら読者も、話の流れを理解しやすいですね。
青木 ただ、ラストの場面に出てくる娘を連れた女性は、本当に心愛ちゃんなのかどうかもわからないな、とも思います。まったくの別人に心愛ちゃんの面影を重ねているのかもしれないし、この母娘自体が、主人公が見た幻だったのかもしれない。
編集A そうですね。でも、これが本物の心愛ちゃんであってもなくても、主人公は心愛ちゃんの幸せをいつでも願っているし、主人公の目を通してこの物語を読んできた読者もまた、心愛ちゃんが今こんなふうに幸せだったらいいなと思いながら読める。そこが、この作品の素晴らしいところだと思います。
青木 はい。主人公の気持ちに、読者がすごく共感できますよね。
編集C 主人公はあえて声をかけることなく、その場を後にする。幸せそうな母娘の姿だけが読者の心に残ります。心愛ちゃんが本物なのかどうかを明かさずに話が終わっているのは、とても良かったなと思います。
編集A 描写が映像的なのもよかったです。水族館のシーンにはきらめき感があって、とても印象的でした。「心愛は鍋の中で崩れた豆腐みたいに笑った」なんて表現も、目に見える感じですよね。中でも私は、主人公が地元を出る際に、心愛のおばあちゃんをバスの窓越しに見かける場面がとても好きでした。
青木 わかります。この話の中で唯一、主人公と心愛ちゃんをかわいがってくれた人物ですよね。このおばあちゃんから愛情を受けていたからこそ、妊娠した心愛ちゃんは地元を出て、自分と子供をしっかりと守ることができたのかなと思います。「そーた」に殴られたりし続けながらも、「誰かに大事にされたことがある」という核のようなものが、心愛ちゃんの中に失われずに残っていたということでしょうね。そして心愛ちゃんの唯一無二だった主人公にも、きっとその核はある。そう信じることができました。
編集A このおばあちゃんは、主人公にとっても何らかの救いをもたらしてくれた人物だと思います。生まれた町を今こそ後にする、というときにこのおばあちゃんを登場させているのは、すごくいい。最後に会ったときよりずっと年を取って衰えたおばあちゃんを、主人公を乗せたバスが追い抜いていく。主人公は気づくけど、おばあちゃんは気づかない。バス越しに目に入るのはほんの一瞬なんだけど、胸に沁みる場面でした。映画のワンシーンのようで、記憶に残りますね。
編集D 気になる点は多少ありつつも、心情的にはとても引き込まれて読める作品でした。この作者は、前回も最終選考に残られた方です。そのときの作品はSF設定に少し難がある感じだったのですが、現実を舞台にした今作にはリアリティがあって、読者がより没入しやすい仕上がりになっていたと思います。
青木 大きな架空世界を設定するより、現実の人間の気持ちを少しずつ積み重ねて描くほうが向いている方なのかもしれませんね。前回より格段に進歩していると思いますので、ぜひこの調子で頑張っていただきたいですね。