第235回短編小説新人賞 選評『虚構の代替品』あみに

編集A 主人公は、事故死した子供のクローンとして作られた女の子。コピー元の少女と寸分たがわぬ思考や振る舞いを要求される彼女の、10年以上にもわたる神経を張り詰めた暮らしぶりと、そこからの解放を描いた作品です。身代わりとして作られたクローンの悲哀というのは、SFというジャンルの中で様々に描かれてきた定番のテーマではありますが、でもやっぱり面白いですよね。

青木 「ちょっとでもミスをしたら殺されてしまうかも!」という危機と常に隣りあわせという状況は、緊迫感があって引き込まれますよね。

編集A コピー元の少女、仮に「本体子ちゃん」とでも呼べばいいのかな? その本体子ちゃんの日記の通りに生きていかなければならないというのは、本当に大変なことだっただろうと思います。テストでわざと一問だけ間違えるとか、誕生日パーティーに招待するためにまったく同じ人数の友だちを作るとか。しかもそれが、生きるか死ぬかに直結しているのですから、一日たりとも気が抜けない。

青木 主人公は懸命に努力を続け、薄氷を踏むような思いで過ごす日々を耐え抜いてきた。本体子ちゃんが亡くなった年齢をついに超え、「今日からもう、私は自由なんだ!」となるラストには、すがすがしさを感じました。

編集A 今日までの主人公の苦労を考えると、読者も「本当に良かったね」と思えますよね。

編集D ただ、主人公はこの後本当に、自由に生きられるのでしょうか? そこは大きく疑問を感じます。

編集A 本体子ちゃんの日記はもう終わってしまっているのですから、ここから先は、主人公のやりたいように生きていけるのではないですか?

青木 これまでは、一挙手一投足を過去の本体子ちゃんと比べられてきましたが、今後はもう比較対象がないわけですからね。「昔と違う! ダメじゃないか!」という判定を下されることはなくなると思います。

編集D でもこの両親は、あくまで「本体子そっくり」の娘を求めているのだと思います。18歳になったからといって、「ご苦労様。後は好きにしていいわよ」とはならないでしょう。

編集C 同感です。異様なほど本体子ちゃんに執着しているこの両親が、クローンの勝手を許すようには思えないです。「自由に生きる? そんなことさせるもんですか。処分しましょう」なんてことにもなりかねない。

編集D 「親も高齢になってきたから」みたいなことが語られてはいますが、とはいえ主人公はまだ高校生。この後は大学に進学するらしいですし、まだ当分は親の力なしには生きていけないですよね。反旗を翻すには時期尚早ではないでしょうか。日記からは解放されたのですから、少し神経を緩めて、でも本体子ちゃんらしい振る舞いは大きく変えずに暮らし続けていく方が、安全だと思うのですが。

編集C 主人公が独り立ちするとか、親の庇護下から完全に外れるというタイミングでこれをやるのならわかるのですが、今はまだ危険ですよね。

青木 言われてみれば、確かに。せめて、「この後は海外留学することが決まっている。今後は親の目から外れて生きられる」みたいなことが示唆されていたらよかったですね。それなら、「これからは、自分らしさを少しずつ外に出していこう」と考えても、そんなに違和感はなかったと思います。

編集B 今回の主人公の行動は、長年抑えつけられていた反発心とか反抗心によるものではないかと思います。今日まで主人公は、日記通りに振る舞わなければ殺されてしまうという恐怖心を常に抱えながら、ギリギリのところでバランスを保って何とか生きてきた。その日記に縛られた生活が、今やっと終わる。「どう? この長く辛い日々を私は乗り切ったのよ!」と叫びたいような思いを、抑えきれなかったのではないでしょうか。

編集D その気持ちはすごくわかるのですが、「とにかく生き延びること」が目的なのであれば、やっぱり「自分らしさ」を表に出すのは、今このタイミングではないと思います。

編集A この両親、すごく怖いですよね。すでに一度、期待通りにならなかったクローンを「処理」しているらしい。それはやっぱり、殺したってことなのでしょうか。

青木 お金持ちらしいですから、殺し屋でも雇ってこっそり始末させたのかもしれません。ただ、お父さんが「二回目は怪しまれる」と言っていますよね。ということは、「クローンを処理する」ことは非合法なのだろうと思います。では、「クローンを作る」ことは? 作るだけなら合法なのでしょうか?

編集D 「今や人のクローンは一般に普及し」とありますから、一応合法なのではないでしょうか。

青木 その場合、戸籍とかはどうなるのでしょう? 亡くなった娘さんのクローンは、その娘さんと同一人物という扱いになるのでしょうか?

編集A うーん、生まれた年が違うわけですから、そうはならないでしょうね。

青木 では、戸籍には妹として記載されるのかな? それともクローンは、戸籍に正式に登録されるような扱いは受けられないのでしょうか?

編集D そのあたりはよくわからないですね。この作品の舞台である近未来社会において、クローンというものが社会的・法律的にどういう立ち位置に定められているのかは、読んでいてもはっきり見えてこなかったです。もう少し設定をしっかりと作ったうえで、説明なり描写なりする必要があったと思います。

青木 そもそも主人公は、自分がクローンだと知らずに育ったのでしょうか? 現状では、小学生のとき、両親が夜中に言い争っているのをたまたま聞いてはじめて知った、みたいに書かれていますが、もしそれまで自分を「両親の本物の娘」と思って生きてきたのなら、親たちのこんな短い会話を一度聞いただけで、「そうか、私はクローンだったのか!」と思うというのは、ちょっと考えにくいように感じます。

編集A 「自分は人間である」ということに何の疑いも持たず暮らしていたのなら、急に「あの子はクローンだから」みたいなことを耳にしても、すぐには受け入れられないでしょうね。

編集D 「幾度となく聞かされた思い出話と、渡された日記帳」とありましたが、これはどういう状況でなされたことなのでしょう? 「あなたにはすてきなお姉さんがいたの。見習ってね」みたいなことなのか、それとも「あなたはクローンなのだから、この通りにしなさい」とはっきり伝えたのか。書き方があいまいで、よくわからないです。

青木 「自分は人間だと思っていたら、実はクローンだった!」というのと、「自分がクローンなのは知っていたけど、まさか殺される危険があるとまでは思ってもみなかった!」というのでは、受け取る衝撃の種類は違うものになると思います。また、主人公は「処理されるかもしれない恐怖」に関してはいろいろ語っているのですが、本体子ちゃんのことをどう思っているかとか、処理されてしまった第1クローンに対してどんな思いを抱いているかとか、そういうことにはあまり触れていませんね。この辺りに関して、主人公の心情をもう少し掘り下げてもよかったのではと思います。

編集A 私は、この両親の気持ちもよくわからなかったです。どうしてここまで、本体子ちゃんの再現に執着しているのでしょう? もちろん自分の娘だからというのはわかるのですが、それにしても常軌を逸していますよね。

青木 自分の子どもを亡くしてしまったら、「この手に取り戻したい!」と切望する気持ちはわかります。そこに理屈はいらないと思う。ただ、今の子ももう少しかわいがってもいいはずなのでは、とは思いますね。たとえクローンであっても、本体子ちゃんそっくりの子どもが、いま目の前で笑っていたりするわけですよね。赤ちゃんの頃からずっと育てているんだし、普通、情が湧いたりするものじゃないかな。少々英語の出来が悪かったとしても。

編集B 姿かたちが似ているからこそ、ほんのちょっとの違いも許せなかったのではないでしょうか。私はその気持ちは、わかるような気がします。「あのかわいい子がまた戻ってきてくれた」と思っていたのに、ちょっとした場面で「本物のあの子だったら、こんなことをするわけがない」という点があれこれ目に付いてしまって、どうしても受け入れられない。「違う! この子は偽物だ! 失敗作だ!」と思えて、我慢ならない。

編集A でも、日記を渡してその日記通りの言動を求める、テストの点や友人の数さえぴったり一致しなければ満足しないというのは、やはり行き過ぎだと思います。私はもう少し、この両親のことが知りたかったですね。両親と本体子ちゃんとのエピソードを何か盛り込んでおいてほしかった。この両親がどんなに本体子ちゃんを愛していたのか。「こういう理由で、どうしてもその死を受け入れられないのだ」みたいなことが伝わってくれば、もう少し話に納得感があったのではと思います。

青木 そうですね。この両親があまり愛情深い人物には思えないので、本体子ちゃんへの固執ぶりを、読者がいまひとつ呑み込みにくい。父親と母親は違うキャラクターなので、考え方も違うはずだし、彼らの中での関係性もあるはずです。主人公も親に対して、憎んでいるのか、恐れつつも愛しているのか、ただの生命線だと思っているのか、はっきりしない。それによって、話に乗り切れないところがあったように思います。

編集D 先ほども出ましたが、作品設定がぼんやりしているのはかなり気になりました。特にクローンというSF要素に関しては、もう少ししっかりと設定を詰める必要があると思います。

編集B 話の前提や設定に疑問点があると、そこが気になってしまって、読者が話に没入できないですからね。

編集D 舞台設定の説明らしきものは、あることはあるんです。ラスト手前のところで、13行にわたって説明されています。ただ、その説明の内容はよくわからなかった。

編集A 「今やクローンは、DNAを保存した時点の年齢分寿命が短くなるという宿命から解き放たれた」というあたりですね。私も正直、うまく理解できなかったです。

青木 今までは、クローンの寿命は短かったということでしょうか? 例えば、本体子ちゃんの本来の寿命は70歳だったとします。で、本体子ちゃんは17歳で亡くなったから、その遺伝子から作られたクローンは、70-17=53ということで、53歳までしか生きられなかった。しかし、近年クローン技術が進み、本来の寿命の70歳を全うすることができるようになったと。

編集D だとしても、その説明がこの話とどう関係するのか、よくわからないです。「寿命を決定づける遺伝子」というのは、テロメアのことを言っているのかなと思うのですが

青木 でも、本体子ちゃんは交通事故で亡くなっているので、寿命は関係ないですよね。

編集D なので、この説明を書くことで作者が何を伝えようとしたのか、どうにも汲み取れなかったです。

編集A 科学技術がこれくらいまで発展している未来世界なんですよ、ということを言おうとしたのかな? うーん、よくわからないですね。

編集D 「今や人のクローンは一般に普及し、自らの遺伝子情報を保存しておく人がほとんどだ」ともありますが、ここまでいくと、社会構造そのものに大きな変化が出ているはずだと思います。「一般に普及し」ということは、既に社会のあちこちにクローン人間が存在しているということですよね。お金持ちがこっそりクローンを作ったり、こっそり処理したり、なんてレベルをとうに超えた世界になっていなければおかしいと思います。

編集A 現状では、描かれている未来社会は「クローン」という要素以外、現実と大差ない感じですね。

編集C むしろ、「デパートの外商」とか「新聞」とか、妙に昭和感のある要素が出てきていて、私はそこもちょっと気になりました。

編集A 冒頭のあたりは、ちょっとわかりにくかったですね。「風にはためきひらひらと揺れる」というのも、「髪」に対して使う表現ではないように思います。長々と詳細に外見描写や場面描写をしている割に、あまり映像が見えてこなかった。

青木 喫茶店の場面も、こんなに長く書く必要はなかったんじゃないかなと思います。ここは話の本筋にはあまり関係ないところですよね。

編集A 冒頭シーンのあたりは、要は「主人公はいかにもお金持ちのお嬢様然とした格好をしてコーヒーを飲んでいるけれど、実は本人の好みではない。そこには大きな理由がある」ということを匂わせようとしているのだと思います。でも、不要な描写が多くて、肝心なところが読み手にうまく伝わってこない。この辺りはもう少し整理したほうがいいですね。大事な冒頭シーンだからつい力が入りすぎてしまったのかなと思いますが、一度書き上げた後は少し時間を置いてから読み直し、客観的な目で推敲してほしいです。この作者さんなら、自分で気づいて修正できるのではと思います。

青木 主人公がクローンであるということは、最初は伏せられていましたよね。途中からじわじわと「もしかして」と読者が気づくという書き方になっています。もちろん演出としてわざとそうしているのだろうし、それ自体は悪くないのですが、隠し事があるせいで読者が主人公に入り込みにくくなっている。真相を最初から明かすことはさりげなく避けながらも、もう少し主人公の内面を織り交ぜた描写をしたほうがいいのではと思いました。

編集B 「ブランドのコートに、オーダーメイドのハイヒール。こんな格好は、本当は好きじゃない。それでも身に着けているのは、親がそう望んでいると私が知っているからだ」とかね。

青木 はい。「それでも、こんな生活も今日が最後だと思えば、自然と笑いがこみ上げ、足取りが軽くなってくる」「しかし、最後まで油断してはいけない。私は改めて気を引き締めた」といった感じに、主人公の気持ちの部分を、冒頭でもっと読者に伝えたほうがいいと思います。

編集A ラストの締めの部分も、ちょっともったいないというか、疑問を感じました。「新聞の読者欄」の話題が急に引き合いに出されて終わっているのですが、そもそもこの「ぴーすけ」の話自体、そんなに重要なエピソードとは思えなかったです。10年以上にもわたる、ヒリヒリと神経をすり減らす壮絶な日々。そんな日々を生き抜いた話の終わりが「読者投稿してみようかな」という締めくくりで、本当にいいの? と思えて、引っかかりました。

編集B 作者が主人公の心情に今ひとつ入り込んでいないように感じられるのは、気になるところですね。

青木 私は最初、この話は「親は自分の思う通りの完全さを子供に望んでしまう」というようなことがテーマなのかなと思っていたのですが、最後まで読むと、あまりそういうところには焦点が当たっていなかったですね。主人公の辛い日々がしっかりと描かれていた割に、ラストはなんだかぴんとこない締めくくりになっていました。もっと切ない話にもできたと思うのですが、作者はそういう方向は望んでいないということでしょうか?

編集A そのあたりもよくわからないですね。ただ、このラストがうまいオチになっているとはあまり思えなかったです。作者がどういう方向性でこの話を書いているのかについて、もう少し明確にしたほうがいいかもしれませんね。

青木 「日記」を重要アイテムとして持ってきているのは、すごく面白いなと思いました。もし作者が「ギミックのある話」を書きたいのであれば、この「日記」はもっといろいろな使い方ができたと思います。例えば、「本体子ちゃんの日記かと思っていたら、実は第1クローンの日記だった」なんて真相でも面白くなりそうですよね。あるいは「本体子ちゃん自体も、実はクローンだった」とか。

編集B 日記も、親から与えられたものではなく、主人公が偶然見つけたものにするとかね。読んでみたら思いもかけない怖いことがいろいろ書いてあって、主人公は恐れおののく。

青木 この主人公が「実は第5クローンだった」とわかるとかね。前の4体のクローンが、それぞれ日記を残していたりして。あるいは、「実は親もクローンだった」とか。

編集B 次のクローンへのメッセージが書き残されているかもしれませんね。「私はもうすぐ処分されると思う」「これを読んでいるあなた、どうか気をつけて。どうか生き延びて」とか。

編集A 「英語とピアノを頑張って!」とかね。「私はそこで失敗したから」って。

青木 それまで自分は人間だと思っていた主人公も、日記を読むと思い当たる節がいろいろあったりして、震え上がりますよね。「私、本当にクローンなんだ! 私も処分されるかもしれないんだ!」って。

編集A 極端に言えば、この話は「クローン」でなくても作れたと思います。「出来のいいお姉さんのようにならなきゃダメよ!」でもいいし、「亡くなった娘そっくりの子供を養子にする」という設定でもいい。

青木 すでに何人も養子にしては、「処分」してるとかね。その歴代の養子の日記を主人公が見つけて、真相を知る。

編集D 養子の話にするなら、SF設定の粗が気になることもなくなりますね。

編集A ただ、作者は「クローン」という要素こそ使いたかったのかなという気もします。もしそうなら、やはり設定部分はしっかりと詰める必要がありますね。そして、この話の中で自分が描きたいことは何なのかという点についても、改めて向き合ってみてほしいです。

青木 超常的な設定は物語性があるし、キャラクターの個性が際立って面白いです。だからこそ世界観をしっかり構築し、その場にいるキャラクターの価値観や心情について考えてほしい。今回はもう一歩の部分がありましたが、オリジナルの設定にチャレンジしたということを評価したいです。書いて初めて気づくこともあります。まだまだいくらでも面白くできる可能性を秘めていると思うし、長編にだってできるかもしれない。せっかくいい話のタネを思いついているのですから、それを最大限に活かす方法を、ぜひじっくりと考えてみてほしいですね。