第235回短編小説新人賞 選評『アイオライト』萬代あや
編集D 主人公は、アラサーの女性会社員です。さまざまなセクシュアリティを持つ人が集まる、とあるミュージックバーを気に入って行きつけにしているのですが、ある日、同じ会社の男性社員が客として来ていることに気づいて……というお話です。LGBTQに関連する話題というのは、非常にデリケートで、扱うには繊細な配慮が不可欠ですよね。この主人公、大丈夫かなと思っていたら、やっぱりいろいろやらかしちゃっていて(笑)。でも、じゃあ自分だったら間違いのない対応がちゃんと取れていただろうかと考えてみると、そんな自信は全くないです。
青木 そうですね。もし同じ立場に置かれたら、私だっていろいろやらかしちゃうかもとは思います。正解もない事柄ですしね。
編集D そういうことを考えたら、この主人公のちょっと雑な部分というのは、私は責められないなと思うし、こういうことって実際に起こりそうな出来事だなと思います。それに主人公は、自分の気遣いの足りなさについて、すごく素直に反省していますよね。そこはとても好感が持てるなと思いました。
編集A いい人なんですよね。でも、しっかり反省はしているのに、懲りずにまたやっちゃったりするんですよね(笑)。
編集D はい。そこがまた、絶妙にリアルだなと思いました。
青木 いつまた余計なことを言ってしまうのかと、見ていてちょっとヒヤヒヤするところもあるんだけど、それも込みで面白く読めました。
編集D マオさんのお店の名前が、最初は伏せられていますよね。「“多様性”を意味する名」としか書かれていない。それが、終盤で「アイオライト」だと明かされ、しかも田辺さんはその石のブレスレットをつけている。ここで主人公は、田辺さんが好きな人はマオさんであると気づくわけです。でも田辺さんは、会社を辞めて実家へ帰るとき、ブレスレットを外していました。それによって今度は、田辺さんがマオさんへの想いに終止符を打ったことが暗示されています。小道具がとてもうまく使われていて、話がきれいにまとまっていました。田辺さんのマオさんへの恋心を、「アイオライトのブレスレット」というアイテムに象徴させていたところが、すごくいいなと思います。
青木 ただ、店名を隠す必要はあったのかな……? 最初から出しておいても、特に話に支障はないように感じました。「アイオライトの石言葉は『多様性』である」ということは、さほど多くの読者が知っているわけではないでしょうし。
編集C 「アイオライト」という要素は、主人公が田辺さんに、マオさんへの恋心を問うきっかけとして話に登場してきます。ブレスレットの石と店名がリンクしていることに気づいた主人公は、思わずそこを突いてしまう。でも私は、主人公のこの言動こそが問題だと思いました。
青木 そうですね。マオさんから「他人のデリケートなプライベート部分に無遠慮に踏み込むな」と注意を受けたばかりなのに。そして、自分でもすごく反省して謝罪をしている最中だというのに、性懲りもなくまた土足で踏み込んでいる。
編集C この状況で「それはアイオライトのブレスレットですか?」と聞くことは、「あなたはマオさんが好きなの?」と訊ねることと同義です。「どうしてそんなことを聞いちゃうかなあ」と思ってしまいました。
編集A 「希未ちゃん、そういうとこだぞ」って、思わずツッコみたくなりますよね(笑)。しかもこの問いかけの台詞の前後には一行空きが使われていて、強調された形になっている。作者の中では「田辺さんの秘めた想いが、伏せられていた店名とともに今明らかになる」という、非常に重要なシーンという位置付けなのかなと思います。でも、他人の秘密にストレートに踏み込んでいる主人公がデリカシーに欠ける人物のように見えてしまうことに、もしかして作者は気づいていないのかなとも感じられて、ちょっと気になりました。
青木 後のシーンで主人公は、「田辺さんの人生ってこれでいいんでしょうか。本当に愛した人とは絶対結ばれないなんて……」と深刻に気を揉んでいますが、これも少々余計なお世話かなと思います。田辺さんは立派な社会人なのですから、自分の人生は自分で考えられるはずです。主人公が口を出す領域ではないですよね。
編集A この主人公、ほんとにいい人なんですが、ちょっとピントが外れているなと、ここでも思いますね。自分の何が問題だったのかを、ちゃんと理解しているのかなと心配になります。
青木 もちろん人間ですから、昨日の今日ですぐさま認識をすべて改めました、二度と失敗しませんとなるのは難しいと思います。ですが例えば、「田辺さんの好きな人って、もしかしてマオさんですか?」みたいなことをうっかりまた聞いてしまったときに、すぐさま「あ、しまった!」って気づいて、「すみません! 余計なこと聞いちゃいました。本当にすみません!」と謝る。そうしたら田辺さんが「いいんですよ」と穏やかに微笑み、自分からマオさんへの想いを語ってくれた。そんな展開にしておけば、読者の懸念ももう少し取り払われたのではないかと思います。
編集A ラストで、もうお別れという段になって、田辺さんは主人公を呼び止めて、わざわざ挨拶をしてくれますね。何度も「ありがとう」と言って、握手までしてくれる。田辺さんもまたすごくいい人なのですが、しみじみとした雰囲気がある割に、このラストシーンもちょっとうまく感動できなかったです。主人公は感謝されるほどのことは何もしていないし、あの件の後は、個人的な接点はなかったわけですし。
青木 田辺さんが地元に帰った理由は、むしろマオさんへの想いを主人公に知られてしまったからなのではと、ちょっと思ってしまいますね。あれから三年が経っているとのことですけど、その間ずっと、田辺さんは主人公のことを意識していたと思います。主人公を信用していないわけではないけれど、やっぱりどこか居心地の悪い思いを抱えていたのではと、つい想像してしまう。
編集A それはそうですよね。自分の秘密を知っている人がすぐ近くにいるというのは、やっぱり気持ちが落ち着かないと思います。ほんとはもう少し会社にいるつもりだったのに、退職予定が早まったのかもしれない。そのあたりのことに、主人公が全く思い至っていなさそうなのも気になりました。「『田辺さん、会社を辞めるのは私のせいですか?』と、聞こうとして聞けなかった」みたいな一文でもあれば、読者の受ける印象もまた違ったのではと思うのですが。
編集C 「田辺さんは自分の想いにケリをつけて、新しい人生を迷いなく歩いていくのだ」というような、いい話みたいに終わっているのが、ちょっと引っかかりますよね。
編集A よく考えてみたら、主人公一人が悪いわけでもないと思います。私は、こういうお店の経営者として、マオさんにも配慮が足りなかったのではと感じました。元はと言えば、お客さんの顔を映した動画をマオさんがSNSにアップしたから、こんなことになったんですよね。
青木 今の時代、こういうことは本当に気をつけないといけませんね。もしかしたらクローズドのSNSだったのかな? だからつい、マオさんも油断してしまったということかもしれない。
編集B ただ、そのあたりについては詳しい説明がありませんよね。背景事情があるのなら、やっぱりそれは書いておかないと、読者には伝わらないです。
編集A まあ、おそらく主人公は「ミュージックバー・アイオライト」のSNSのグループメンバーか何かに入っていて、例の動画を見た、ということだろうと思います。お店の特色から考えると、常連客だけを鍵付きアカウントに招待しているのかなと推測しますが、だったら最初にメンバーに迎えるときに「わかってるとは思うけど、絶対に他言無用よ」みたいなことは、マオさんはひと言注意しておくべきでしたよね。店にはいろいろな事情を抱えたお客さんが来るわけですから、店主のマオさんは、もう少し危機管理に意識を向ける必要があったと思います。
青木 しかもマオさん、翌日に主人公を呼び出して、お説教をしています。言葉は優しかったけれど、結局のところ「あなたダメじゃない、気をつけなさい」ってことですよね。
編集A これ、藪蛇ですよね。それまで主人公は、田辺さんがゲイかどうかなんてほとんど気にもしていなかったのに、マオさんに注意されたことで逆に「田辺さん、そうだったんだ」と気づいてしまった。
編集B 実質、マオさんがバラしたようなものですよね。はっきり言ってこれは、マオさんの失態だと思います。
編集A それに、田辺さんも田辺さんです。マオさんの店に通っていることをそこまで必死に隠したいのであれば、もっと自分で気をつけるべきだったと思います。誰かがスマホを構えているときには、ささっと逃げるとかね。カメラに向かってにこにこ手を振ってたりしてたら、それはもう、知り合いに見つけられてしまうことだってあり得ます。
青木 なんだか、登場人物が全員、ちょっとずつ配慮が足りない感じですよね。これなら「SNSで動画を見た」のではなくて、「お店で偶然出会った」という展開にしたほうがよかったのではないでしょうか。主人公も田辺さんもいい気分で酔っ払っていたら、たまたま目が合って、お互いに「あ!」って。主人公は「わー、偶然ですね!」ってはしゃいでるんだけど、田辺さんは「知られてしまった!」と動揺する。
編集C なるほど、そのほうが自然ですね。誰が悪いわけでもなくなりますから、そんなに引っかからずに読めたかもしれない。
編集A 私は、田辺さんの家庭のことも気になりました。田辺さんの「バレちゃった! どうしよう!」というパニック具合から考えるに、彼は自分の性指向を奥さんに隠しているのではないでしょうか。もし、ひた隠しにしたまま結婚して子供を作ったのであれば、奥さんがちょっと気の毒すぎると感じます。「奥さんと娘を裏切るわけにはいかない(だから片思いにとどめている)」みたいなことを語っていますが、むしろ田辺さんは、最初から奥さんを裏切っていると言えるのではないでしょうか。
編集D でも、奥さんのことを「人間としてとても尊敬のできる人です」と語っていますから、だまして利用しているとかではないと思います。ちゃんと愛情はあるのでは?
編集B しかし、「でもやっぱりそういう行為は苦しくて」とも漏らしていますよね。であれば、やはりこのご夫婦の関係には、何かしらのひずみが生じている可能性が高いと思います。田辺さんは「自分を押し殺して生きていこうと決めて結婚した」と、まるでみんなの幸せのために自分が犠牲を払うことにしたみたいに語っていますが、こんな重大なことを隠したまま結婚するのは、逆にお相手に対してひどいのではないでしょうか。田辺さんの真実をもし事前に知っていたら、奥さんは田辺さんとは結婚しなかったかもしれない。
編集A 田辺さんの「奥さんに恋愛感情は持てないし、行為も苦しい」なんて本心を、娘さんも生まれた今になって、もしも奥さんが知ってしまったらと思うと、ちょっと言葉が出ないです。なのに田辺さんの言動からは、奥さんへの申し訳なさみたいな感情は見えてこないですね。
青木 作者が設定したであろう本来の田辺さんは、むしろ優しすぎるほど優しくて、思いやり深い人なのだろうと思います。だからこれは、描き方の問題ではないでしょうか。もう少し田辺さんに、自分の苦しみだけでなく、奥さんや娘さんへの思いを語らせてあげればよかった。
編集A 田辺さんの奥さんが、なにもかも納得ずくで結婚しているということならいいんです。「恋愛感情はなくていいから、家族として一緒に生きていきましょう」ということであれば、何も問題はない。そういう読者が納得できる事情説明なり描写なりを、入れておいてくれたらよかったのですが。
編集B 娘さんも、実は奥さんの連れ子であるとかね。血はつながっていないけど、田辺さんは我が子と思ってすごく可愛がっているとか。
編集C あるいは、田辺さんはゲイではなくバイセクシャルである、という設定でもよかったですよね。今はマオさんに惹かれているけど、女性をまったく愛せないわけではないということなら、ご夫婦の未来にも光が灯る余地はあります。
編集A やりようはいくらでもありますよね。とにかく、読者が寄り添いやすい登場人物の描き方を、もう少し意識してみてはと思います。
青木 そういう点においては、私はマオさんが主人公にお説教をするというところも、若干気になりました。小説において、作者の考える正論を登場人物に正面切って言わせるという書き方は、あまりおすすめできないです。
編集C 同じ言わせるにしても、こんな一般論みたいな説教ではなくて、マオさんならではの言葉にしてほしかったなと思います。
青木 ぶっとんだ体験談とかね。マオさんには、他がどうあろうと、自分はこれでいくという覚悟のようなものがあるのではないかと思います。別に切羽つまってなくてもいいので、個人体験や意見を聞かせてくれたら、それがマオさんのキャラクターとしての魅力になり、田辺さんがマオさんを愛することにも納得できたと思います。マオさんはどういう人なのか、どういう生い立ちでここまで来たのかを突き詰めていけば、ここでマオさんが何を話すかというのは作者にはわかるでしょう。最大公約数的な正論をマオさんが言うにしても、それはそれで、たどり着いた答えだと思わせてほしい。どう伝えるかが小説家の技術です。
編集B 主人公の希未さんは、等身大の、ごく普通の女性だと思います。特に偏見とかもなく、むしろセクシュアリティに関してはフラットな感覚を持っているようにさえ感じられる。でも、LGBTQを取り扱う話の主人公に据えるには、若干配慮に欠けるところが目立つかなと思いました。悪い人では全くないので、余計に残念感があります。
編集C ちなみに、文中に「性的志向」と書かれている箇所があるのですが、正しくは「性的指向」です。題材が題材だけに、こういう辺りはもうちょっと気をつけたほうがいいかなと思います。
青木 マオさんも、本来はものすごく素敵な人なんですよね。田辺さんは長いこと片思いし続けているし、主人公だって、人としてマオさんが大好きです。店にはマオさんファンの客が足しげく通ってくる。人生経験も豊富そうで、懐の深い人物なのだろうなと思います。キャラとしては十分立っていますので、その魅力をもっと前面に出してほしかったですね。
編集C 作中に出てくるミュージックバーは、すごく雰囲気のいいところだなと感じました。こんなお店があったら、ぜひ行ってみたいです。そういうものを描き出せているのは、とてもよかった。
編集D 私はやっぱり、「考えさせられる話だな」という点を評価したいです。この作品を読んで私が一番に思ったのは、「主人公と同じ立場だったら、私もいろいろ配慮の足りない言動をしてしまうだろうな」ということでした。そして、「じゃあどんな言動をすべきなんだろう?」とずっと考え続けているんですが、いまだ答えは出ないです。
青木 難しい問題ですよね。私も「自分だってやりかねないな」と強く感じます。世の中の多くの人もそうだと思います。
編集C だから、主人公たちが突出してダメな人間というわけではないんですよね。むしろ、いろいろ間違えながら不器用に生きている姿には、すごく共感が持てました。
編集B 最後をちょっと、きれいにまとめすぎてしまったのかもしれませんね。「まあ、これでよかったんだよね」というラストにするのではなく、「ああ、失敗しちゃったなあ」と後悔するんだけど、もうどうしようもないというような、ほろ苦さのにじむ結末にしてもよかったのではないでしょうか。
青木 そうですね。現状でも、登場人物たち全員がちょっとずつ傷ついている話ではありますので、そういうあたりをうまくまとめられれば、深みのあるヒューマンドラマに仕上げることができたかもしれません。
編集B この主人公は、明るくて素直でちょっとうっかり屋さん。嫌みのないキャラで、おそらくは作者ご自身が持っておられる資質ではないかと思います。ただ、現状ではまだ、作者は主人公の目でしか物語を見ていないように感じられる。キャラクターの内面を掘り下げつつ物語をコントロールするためには、もう少し客観性が必要になります。もっと思いきって目線を引き上げ、作品全体を俯瞰することを意識してみたら、個々のキャラクターに目が行き届き、奥行きのある「人間」を描いた物語になったのではないかと思います。
青木 すべては描き方次第ということですよね。改善例は評中にたくさん出てきたと思いますので、それらを参考にしつつ、またがんばってみてほしいですね。