第234回短編小説新人賞 選評『ビードロの便り』渡辺梨花
編集B 二十年もの間、年に数回ほどの連絡を取り合ってきた男女のお話です。男女の心の交流の話なのに、恋愛ではなくあくまで友情であるというのが、逆に新鮮でした。「僕」が語る「十和子さん」についての描写が美しいのも、すごくよかった。「氷上に転がるビー玉のような声」とか、「真夏の暑さを一瞬忘れさせてくれる品のいい風鈴や、少しだけ気温の低い木陰のような涼しさ」とか、非常に透明感のある表現ですよね。話のどこかでちらりと恋愛要素が混ざってくるのかなとも思っていたのですが、最後まで気持ちのいい友情関係がキープされていて、私は好感を持ちました。こういう関係性が、実際にあれば素敵だなと思います。
青木 非常に雰囲気のいい作品ですよね。小学生時代の暑中見舞い葉書きから始まった二人のやり取りが、途中からメールに変わったり、話題に恋バナが加わったりしながら、大人になった今もゆるく続いているという、この関係性がなんともよかったです。ラストで久しぶりの再会を果たした二人ですが、この先もずっと友情は続いていきそうで、ほっこりした気持ちで読み終われますよね。こんな純粋な男女の友情ってほんとにあるの? と思いながらも、「あるかも。いや、どうかあってほしい」と思わせてくれる話でした。私は大好きです。
編集A 私も好きは好きなのですが、同時にちょっと物足りなさも感じました。大きく盛り上がる前に話が終わってしまった、という印象です。穏やかできれいなメロディーなんだけど歌詞はついていない曲、とでもいうのかな。気持ちのいい空気感は全体に漂っているんですが、何を描きたかったのか、何を訴えかけたかったのかという点が、今ひとつ伝わってこなかったです。
青木 確かに、作者の思いや意図は、やや伝わりにくい書き方になっていましたね。特に、情報の出し方があまりうまくいっていないところがあって、気になりました。そもそも主人公の性別すら、最初はわからないですよね。
編集B 2枚目の中ごろに「僕も」と出てきて初めて、「あ、男の子だったのか」と気づきました。
青木 しかもこの冒頭シーンは、実は過去の場面なんですよね。この物語のメインは、二人が29歳になり、十和子さんはもうすぐ結婚する、そして二人は思わぬ再会を果たすという「現在」にあると思います。ですが郵便受けのシーンが冒頭に置かれていることによって、読者は「主人公はたった今、暑中見舞いの葉書きを受け取ったところだな。この物語はここから始まるのだな」と勘違いをしてしまう。
編集B 大事な冒頭シーンなのですから、この場面が過去の出来事だということは、わかりやすく伝えてほしかったですね。
編集A 加えて、もう少し細かい描写も入れておいたほうが、場面の状況がもっと伝わりやすかったと思います。例えば、「スーツのネクタイを緩めながら、ポストから葉書きを取り出した」とでも書けば、読者は「主人公は社会人なんだろうな」と思うでしょうし、「ランドセルをカタカタいわせながら」とでも書けば、「小学生」という情報を伝えることができます。
青木 「小学生からもらい始めた暑中見舞いのハガキも、これで17枚目になる」、なんて一文でも入れたら、主人公の年齢もだいたい絞り込めますしね。
編集A さりげなく情報を盛り込む書き方はいろいろあるので、工夫してみてほしいです。
青木 冒頭シーンにこの場面を持ってくる意味も、あまりよくわからなかったです。冒頭の一文目から「来年以降の暑中見舞いはメールにしようと心に決めた」とあって、なんだか意味深ですよね。「心に決めた」とまで言うからには、どんな深い事情があるのだろうかと気になりましたが、実際はそれほど深刻な理由ではありませんでした。だったら、この場面から話を始めなくてもよかったんじゃないかな。読者はまだ、十和子さんが誰なのか、主人公とどういう関係なのかをよく知らない状態なのですから、「一体どういうこと? 何の話?」って、あまり混乱させないほうがいいと思います。
編集A たしかに冒頭シーンは、ちょっとわかりにくかったですね。今どういう状況なのか、これからどんな話が始まろうとしているのかを、読者がつかみづらい。
青木 長編はまた別なのですが、短編の場合は、あらかじめ情報を整理して、冒頭のあたりにうまく入れこんだほうがいいと思います。慣れるまでは意識して取り組んでみてほしいですね。
編集A それにしても、主人公と十和子さんって割と近所に住んでるんですよね。なのに、中学校を卒業して以来、会ったことがない。でも、年に数回のやり取りは途切れずずっと続いているって、なかなかない関係性ですね。
青木 なんだか尊いものを感じますよね。この二人の関係性は、本当に美しいなと思いました。中学最後の「あの日」の場面描写もすごくよかった。「一番乗り、とっちゃってごめんねえ」って笑うところとか、印象的ですよね。十和子さんはその日、下駄箱にラブレターを入れようと思っていたのに、主人公のせいで入れられなくなって。でもそのことがあったからこそ、大人になった今、「初恋の君」と結婚できることになったというのは、話の流れとしてとてもいいなと思いました。
編集C ただ、主人公と十和子さんって、共通の趣味とか話題とかは、ほぼないみたいですよね。それでよくここまで付き合いが続いたなというのは、ちょっと引っかかるところではあります。
編集A 確かに。毎年の暑中見舞いで出す話題といえば、温暖化についてですしね。
編集D 主人公は心優しい男の子なんだろうなとは思いますが、ちょっと現実味がないかなとも感じました。恋愛感情もない女性と、「地球が心配だ」とか「緑のカーテンを作った」とか、そんな他愛ないやり取りを二十年も続けられる男性って、なかなかいないのではと思います。
編集A しかも、主人公はそんなやり取りを嫌々続けているわけではありませんよね。むしろ、十和子さんとつながりを持てていることを嬉しく思っている。
青木 温暖化の話、私は好きですよ。当たり障りがないけど、二人だけの大事な話題って雰囲気があります。この主人公は、あくまで女子側が望む、「こうだったら素敵なのに」という男の子として描かれているのかもしれませんね。
編集B それにもしかしたら、二人の間にこれといった共通項がなかったからこそ、清く淡いつながりが長続きしたのかもしれないなと思います。
青木 なるほど。「私たち親友だよね」みたいな、直接的な濃いつながり方だと逆に壊れやすかったりするけど、時々メールや電話をするだけという淡い関係のほうが、かえって長持ちするということかもしれませんね。
編集B そういう関係のほうが心地いいというか、気を遣いすぎなくて済むので、気楽に続けられるのかもしれないです。
編集A 主人公には、十和子さんへの恋愛感情が、本当にかけらもなかったのでしょうか? 実は本人すら気づいていなかったほのかな想いがあって、それが後半であらわになる、みたいな話になるのかなとも思っていたのですが、最後まで読むと、あくまでも純粋でさわやかな友情以上のものではなかったようですね。
青木 十和子さんから「私、結婚するの」って聞かされたときに、主人公の感情が爆発したほうがよかったですか?
編集A うーん、なにも「ふざけんな!」などとブチ切れてほしかったわけではないのですが(笑)、なぜか心がざわついて本心からの「おめでとう」を言えなかったとか、つい黙り込んでしまって、十和子さんに「どうかした?」って心配されるとか、何かちょっとしたことがあってもいいような気はしました。
青木 あるいは動揺するあまり、逆にぺらぺら喋りまくっちゃうとかね。「そっかーそっかー、やあやあよかったね、うんうんほんとにめでたいよおめでとう!」って。そういう反応にしちゃっても可愛かったと思います。
編集C それで電話を切った後に、一人でズーンと落ち込むとか(笑)。そういう展開になったりするのかなと思いきや、そういった心の揺らぎは全く描かれていませんでした。話の前半部分では、主人公が十和子さんに淡い想いを寄せているのではと感じるところも見受けられたのですが、ラストシーンの描き方を見ると、これは本当に純粋な友情話なのかなと思います。
編集A これはこれで大変美しい関係だとは思いますけど、「君のお役に立ててうれしいよ」だけで話が終わってしまうのは、物分かりが良すぎて肩すかしをくらうというか、小説として少々盛り上がりに欠けるような気がします。
編集B 確かに、作中で主人公の感情があまり揺れ動いていないので、読者のほうもあまり、ドキドキしたりキュンとなったりはしない。それを物足りないと感じる人がいるのもわかります。でも、だからこそ綺麗ないい話にまとまっているとも言えるわけで、私はそこがすごくいいなと思いました。
青木 私もです。この作品を、恋愛絡みで盛り上がるような話にはしてほしくない気がする。だから、穏やかな主人公のままで、美しい友情のままで話が着地したのは、良かったなと思いました。
編集A ただ、単なる友情話にするのなら、このラストシーンは印象的すぎるのではないでしょうか。大きな向日葵を一輪抱いて日傘を差している十和子さんと、向日葵の花束を手にしている主人公が、ある夏の日の昼下がり、十五年ぶりに邂逅する。地の文にも、映画のワンシーンのようだ、みたいなことが書かれていましたよね。主人公の心の中に恋心のようなものが全くなく、「今後もときどきメールとかしようね」という気持ちだけなら、このラストシーンは美しすぎると思います。もちろん、大きな意味がなければ美しいシーンを描いてはいけない、というわけではないのですが……。もしこの場面で、主人公が心の中でそっと秘めた想いに区切りをつける様子が描かれていたなら、読者の心にもっと深く沁みたのではないかと思います。
編集B 確かに、ただの友情話にしてはやや映像が美しすぎますね。
編集D 私は、十和子さんの口調が古風なのが、割と引っかかりました。「~かしらね」「~わね」みたいな語尾が頻出しますが、現代の29歳でこんな言葉遣いをする女性はあまりいないのではと思います。
編集A 「あらおめでとう」とか「それはそれは、ご愁傷さまでした」なんかもそうですよね。十和子さんらしい上品さが出ている口調だし、好きか嫌いかで言えば好きなんですけど、今どきの女性の喋り方ではないな、と正直思います。
編集C 歯医者さんという職業も、十和子さんには微妙に合っていないんじゃないかな。大口開けている患者と毎日向き合って、機械でウィーンって虫歯を削ったりしているのは、あまりイメージできないですよね。
編集A 喋り方も立ち居振る舞いも楚々として美しいから、裕福な家に生まれておっとり育てられたのかなと、私は勝手に想像しながら読んでいました。ひと昔前の、品のいいお嬢様という感じですね。
編集D 二人がメールでやり取りするというのも、ひと昔前の感があるなと思いました。LINEなんかは使わないのでしょうか。29歳同士なら、そちらのほうが自然な気がするのですが。
編集C 近況をポンポンとやり取りしてますし、LINEのほうが向いてるように思えますよね。
編集A もしかしてこれ、作品舞台は現代ではないのでしょうか? 実は十和子さんだけでなく主人公の口調にも、ちょっと丁寧で古めかしいところがあったりするんですよね。
青木 「下駄箱にラブレターを入れる」というのも、古いと言えば古いような気がします。
編集A メールが普通にできるということなら昭和ではないでしょうけど、作中の「現在」が平成中期くらいという可能性はあると思います。
編集C もしそうなら、何かしら時代を特定できるアイテムを盛り込むなどして、さりげなく読者に伝えてほしいですね。現代の物語っぽく描かれている以上、読者はそのつもりで読みますから。
編集A この作者さんは、ノスタルジックな雰囲気の作品が好きなのかもしれませんね。このちょっと古めかしい空気感や文体には、この作者独特の持ち味もあると思います。
青木 同感です。もし今、ご自分では気がついていらっしゃらないのであれば、今後ちょっと意識してみてもいいかもしれませんね。武器にもなり得るオリジナリティだと思います。品がよくてきれいで、とても気持ちよく読める作品でした。
編集A 作品の雰囲気や世界観はとてもいいと思いますので、そこはぜひ失うことなく、書き続けていってほしいですね。