第234回短編小説新人賞 選評『りりうむ』波止場裕

編集D 「エキセントリック」という若手ボーイズグループが好きで、ファンアートを投稿したりしている「あたし」が主人公のお話です。同じくファンアートを投稿しているアカウントから「いいね」をもらい、どんな人だろうと思ってプロフィールを見ているうちに、今度はすっかりその人の虜になってしまいました。あまり露出を好まない人物らしく、アカウント名はひらがな一文字だけ。主人公はその人を密かに「りりうむ」と名付け、決して直接のやり取りはしないで、スマホ越しにその人のつぶやきや作品にそっと接しては、静かにときめいているという、この状況設定からして、私はすごくいいなと思いました。スマホを通してつながる、でも手には触れられない世界というものを生きている現代の若者のありようが、とてもうまく描かれていたと思います。

編集A 描かれている内容とテーマが、本当に「今」をとらえてますよね。

編集D 文章にも、若い書き手ならではの勢いやグルーヴを感じました。「りりうむ」本人は最後まで話に登場してこないのですが、主人公が憧れや崇拝を込めて語る言葉から、その人物造形が浮かび上がってくる感じでした。作者のこの若い感性はとても魅力的だなと思い、私はイチ推しにしています。

編集C ところどころに、すごく印象的な文章があったと思います。例えば、14枚目の「りりうむはあたしの神様だけれど、あたしの信仰は完全なものになれない」とか。24枚目の「呼吸のたびに胸の中の空洞を思って、意味もなくTwitterをひらいたりして、自傷行為のように泣くだろう」とか。胸に刺さる言葉だなと感じられて、とても良かったです。

青木 私は、この作品のテーマは「喪失」なのかなと思いながら読んでいました。会ったこともない人と、一方向ずつではありながらも「いいね」という気持ちでつながっていて、主人公はもう、それだけで嬉しい。なのに、エキセンのメンバーが結婚を発表して、ショックを受けたのか、りりうむは自分のアカウントをまるごと消してしまった。主人公は今まで、りりうむの意思を素直に尊重して、画像も情報も一切保存してきませんでした。だから、りりうむがアカウントを消してしまった瞬間に、りりうむに関する一切のものがなくなってしまった。本当に、何一つ残っていない。

編集A こういう喪失の仕方もまた、今どきならではのものだなと思います。互いに一方的に「いいね」を押すだけの間柄。直接のやり取りはない。相手の顔も、名前も、性別も何一つ知らない。そんな本来つながれないはずの人と、スマホを介してつながることができるというのが、現代の人間関係の一面です。でもそのつながりは、本当に細い糸でしかなくて、「アカウント削除」のボタン一つで、煙のように消えてしまうものでもある。

青木 主人公はあっという間に、りりうむに関するものを何もかも失ってしまった。本当は最初から何も得ていなかったんだけど、でも、失ってしまったんです。この突き落とされたような喪失感というものを描いているのは、とても良かったなと思います。りりうむと親しいらしい人物、椎名さんに働きかければ、再びりりうむまでたどり着くことは可能かもしれない。でもそういうことじゃないんだという、主人公のこの気持ちもよくわかりますよね。

編集A 「りりうむ」という愛してやまない対象を、ふいに失った主人公の心情を思うと、切ないです。

青木 胸を刺す話だし、文章にグルーヴ感があるのもとてもいい。恋愛小説といってもいいと思います。「この作品、すごくいいな。大好きだな」と思いながら読んでいました。ただ、ちょっとスキル的にもう一歩のところもあって、イチ推しにはできなかったです。本当はしたかったんですけど。「小説には勢いがあれば、もうそれだけでいいじゃないか」とも思ったんですが、推しきれませんでした。

編集A 確かに、まだあまり書き慣れていないのかなという印象を受けますね。文章もちょっとわかりにくいところがありました。例えば1枚目。「べつに親しくなりたいわけでも」から始まった文章は、6行にわたって続きます。続く一文、「思考を阻む絶対的な低体温が、それまで胸の内に溶ける余裕のあった『好き』とか『楽しい』とかいう気持ちの溶解度を下げ、固体として溶け残った分がざらざらと体外へ落ちていく」というのも、持って回った表現になっていて、読者がすんなり理解しにくい。こういう文章があちこちに出てくるのは、ちょっと気になりました。

青木 特に前半部分は、文章がまだうまく整理されていないところが多かったと思います。全体として、詩的な表現や堅苦しい言い回しが多くて、上滑っているようにも感じられました。

編集D 終盤の畳みかけるような語りは、切なさと勢いが混ざり合っていて、とてもよかったと思います。ラストの一文もすごくいい。ただ、「りりうむのいる東京に、雨が降る」とか、「どうかこの世界が、できるだけあなたを傷つけないように」とか、ちょっと感傷的すぎるかなと感じるところもありました。そこがこの作品の魅力でもあるので、表裏一体だなとは思うものの、書き手があまりに感傷に浸りすぎると、読者はかえって醒めてしまうということもありますから、若干意識したほうがいいかなという気はします。

編集A 頭の中に浮かんだ言葉を、そのままライブ感覚で書いているような印象を受けました。それがグルーヴ感につながっているところもあるのですが、もう少し磨いて洗練させた方がいいと思います。あとはエキセンの曲がどういうものなのかも、よくわからなかったです。ラップと歌が掛け合いになる、といった説明や、メジャーデビューやメンバー構成については書かれているのですが、肝心の「曲」に関してはほとんど言及がなく、どんな歌詞なのか、どんな曲調なのかわからない。文章から彼らの「音楽」は聴こえてこなかった。

青木 確かに。まあこの話の中心は主人公とりりうむですから、そんなに詳しく書かなくてもいいとは思うのですが、やはり「エキセン」も重要な要素の一つですので、彼らの楽曲についてもう少し説明なり描写なりはあってもよかったですね。

編集A 主人公はたまたま彼らの曲を聴いて、「あ、いいな」と思ったわけですよね。そのとき、どこがどんな風に「いい」と思ったのでしょう? そのあたりを、もうちょっと書いておいてほしかったです。曲について言葉で直接表現するのが難しいということであれば、例えば、その曲を初めて聴いたときの主人公の体感とかを描いてみてもいい。「私はそのとき電車の中にいたのに、心地よい風が体を吹き抜けた気がした」とか。

青木 そうですね。五感を使った表現は難しいのですが、感覚が読者に伝わりやすいのでおすすめです。私は曲よりも、主人公とりりうむがどんなイラストを描いているのかが気になりました。特にりりうむの絵は、主人公をあれほど夢中にさせたのですから、その魅力をもう少し読者に伝える必要があったと思います。

編集A りりうむを好きになって以来、主人公にとってエキセンそのものはそれほど重要ではなくなっていますよね。メンバーの結婚が発表されても、「真っ先に浮かんだのはりりうむのことだった」わけです。「りりうむは大丈夫なの!? ショック受けてない!?」ということが一番気になった。主人公をそこまで惚れこませているのですから、りりうむの描く絵にはそれなりのインパクトや魅力があったのだろうと思うのですが、読んでいてどうにも、その絵が見えてこなかった。

青木 「厚塗りっぽい筆致と透明感のある水彩調の色使いが混在した画風」とか、説明されている箇所も一応あるのですが、映像は浮かんでこないですね。どちらかというとテキスト優位の書き手なのかな。言葉を駆使している感じはあるのですが、読者に映像を想起させる描写にはなっていなかったです。

編集A 現代の若者のリアルな感覚が描かれた、感性が勝負になる作品の割に、ちょっと理屈が先に立っている感じがしたため、物語世界に入り込めなかったです。

青木 でも、映像が浮かぶような文章を書くのは訓練すればできることです。自分の文章を読んだ読者が、それをどうとらえるかということに意識を向けてみてほしいですね。シンプルな言葉でも表現はできるし、単純だからむしろインパクトが残ることもあります。私は頭に映像が浮かばないタイプなので、ビジュアルが大事なシーンだと思ったら、イメージに合う風景を見に行ったり、画像を探したり、自分で描いたりすることもあります。言葉が上滑りしないよう、「この文章で、この描写でうまく伝わるかな?」ということを考えてみてほしい。あと、詩的な表現を入れようとしすぎて、肝心な情報がぼやけているところもありますので、5W1Hという基本に立ち返ることも忘れないでください。他の作家さんの本を「この人はどういうふうに表現しているかな?」と意識しながら読むのもいいですね。文章がブラッシュアップされてくれば、この作者の持っているセンスとか繊細さみたいなものが、うまく前面に出てくるのではと思います。

編集A 欲を言えば、こういうスタイルの作品であれば、うまい比喩表現みたいなものが、時折ちらっと出てきてほしいかなと思います。「文章から映像が浮かばない」のも、何かにたとえて表現することがまだうまくできていないからなのではという気がします。かといって、比喩表現だらけになるのもよくない。30枚の短編であれば、どこかに2、3個、きらりと光る比喩があるくらいがちょうどいいかなと思います。

青木 全体的にストーリーが平坦なのも、やっぱり気になるところです。この作品は、言ってみればスマホの中だけ、ネットの中だけでの話ですよね。閉じられた狭い世界しか描かれていないので、ちょっと息苦しいです。一人称小説なので、主人公の心情は描かれているものの、最初から最後までずっと同じテンションで話が続いている。もう少し緩急が欲しいところです。

編集A この作品のラストには心情的な盛り上がり部分があるとは思いますが、読者が主人公の心の動きを最初から追いながら読める物語にはなっていなかったと思います。話のスタート地点での主人公の状況や心情というものがよくわからないので、それがどう変化していったのかということがわかりにくかった。

青木 椎名さんとか、もう少し登場させてもよかったですよね。現状では、主人公の内面語りのみで最後まで押し切っていますが、そういう世界に第三者を登場させると、話の色がパッと変わったりします。それだけでも、小説のテンポに変化が生じると思います。

編集A 現実の世界で、誰かと会話をしているとよかったですね。大学に行ったとき、友人とちょっと立ち話するとか。べつに、特に意味のない会話でいいんです。

青木 そうそう。可愛い犬を散歩させてる人とすれ違ったとか、アパートの階段で時々猫が寝てるとか、そんなちょっとしたエピソードでいい。そういった「抜け」があるほうが、小説はぐっと読みやすいものになります。

編集A 現状のように「りりうむ、りりうむ、りりうむ」ばかりを詰め込んでしまうと、かえって平板になってしまいます。あえて、ノイズになる意味のないものを適度に入れたほうが、話にメリハリがついたと思います。

編集B 作者はこの作品を、すごくのめりこんで書いたのかなと思います。主人公の内面を描こうとする熱量の高さは、作品からひしひしと伝わってきました。そこはすごくよかったです。ただ、それは短編だからこそうまく機能したのかなとも感じました。

編集D 同感です。私はこの作品がとても魅力的だと思っているのですが、今の書き方のままで長編を、というとちょっと難しいかもしれませんね。

青木 ただ、ここまでいろいろ指摘しておいて何なのですが、この作者は、今の書き方を無理して変える必要はないとも思います。あまり技術的な方向に走ってほしくない。

編集A わかります。頭でっかちになって、セオリー頼りになってほしくないですよね。

青木 この選評で言われたことを丸呑みして、「わかりました。じゃあ、文章は短めに、語句は平易なものにして、エピソードを作って、なにげない会話も入れて、気の利いた比喩表現を30枚の中に3個入れて」みたいにして書いていったら、かえって「上手いけどつまらない」小説になってしまうかもという懸念があります。

編集A この作者はむしろ、今の方向性のまま突き抜けたほうがいいような気がします。まずは思いきり感傷的になってもいいし、自分が良いと思う文章を前のめりになって書き続けてほしい。いろいろ言っておいてナンですが、この場で何を言われようが気にしないで、突っ走ってほしいです。それで唯一無二の書き手になってほしい。とにかく量を書いて、書き慣れていってほしいですね。

青木 「もっとこうしてみては?」みたいなアドバイスは、いくらでもできるんです。でも他人から与えられたものって、あまり血肉にならないですよね。特にこの作者さんの場合、これからいろいろな作品を書いていく中で、自己流のバランス感覚を自分自身でつかんでいく方が合っているのではという気がします。そういうのって、書き続ける中で自然に身につくものでもありますのでね。やってみて気づくということを繰り返してほしいです。変にスキルに走って、今の勢いや感性を失ってしまうほうがもったいないと思います。

編集A 書いて書いて書きまくって、突き抜けた先に、他の誰にも書けないものを書ける域に達してほしいですね。そのためにも、「今の自分はこんな作品を書きたいんだ。誰に何と言われようと書くんだ」という気持ちを、何よりも大切にしてもらいたいなと思います。