第234回短編小説新人賞 選評 『グリル並木のオムライス』中野直

編集A イチ推しの多い作品です。この作者は書き慣れた方でしょうね。読んでいて安心感があります。

青木 完成度がすごく高いですよね。

編集B どう批評しようか、なんて気持ちを忘れさせてくれる作品でした。いち読者としてすごく楽しく読めました。

青木 わかります。もう、終始にこにこしながら読んじゃいました。

編集B 深刻になりかねない題材を、コミカルに描けているのがすごくよかった。ちゃんとエンタメ作品になっていました。

編集A 書き手の力量を感じますよね。

編集B しかも、たった30枚の中で時間がきちんと流れています。これ、けっこう何ヵ月にもわたる話なのですが、すごく自然に読めますよね。ちょっと段落が細切れになっているところは気になるのですが、でもなかなかこんなふうに上手には収められないと思う。場面の切り取り方がすごくうまいですよね。例えば22枚目で、主人公がみどりさんに「こんな時期に告白されても、先輩困ったりしませんかね?」と相談をしています。でも、それ以前のところに「実は私、好きな人がいるんですけど」とみどりさんに切り出している場面はないんです。その場面は省略されている。でも、相談している場面を読むだけで、「そんな微妙な話題を打ち明けるほど、主人公はみどりさんにもう心を開いているんだな」ということがちゃんと読者に伝わります。すべてを一から全部書くのではなく、読者に想像させてわかってもらう。そういう書き方ができていました。情報の出し方がうまいので、話がテンポよく進んでいきますよね。こうしたあたりからも、非常に達者な書き手だなと感じました。

青木 同感です。しかもこのシーン、みどりさんのアドバイスもすごくいいですよね。「結果はなんだっていいの。先輩がおじさんになった時、そういえばあの日、勇気を振り絞って気持ちを伝えてくれた女の子がいたなーって思い出してくれたらそれでいいの。思い出を作ってあげたらいいじゃない」って。

編集A すでに年輪を重ねてきた人だからこそ言える言葉ですよね。だから、主人公の心にもしっかりと響いた。

青木 みどりさんが自分で経験してきた中で学びとったことだから、すごく説得力もあります。取って付けたようなアドバイスではないからこそ、主人公も自然に受け入れられた。それどころか、「どうしよう、もっとみどりさんと話してたい」なんて気持ちにもなっている。主人公がみどりさんのことを好きになっていくのがよくわかるし、こんな素敵な助言ができるみどりさんを読者も好きになりますよね。

編集A 作者ご自身の人生の経験値が、作品にも活かされているのだろうなと思います。素晴らしいことですよね。

青木 冒頭のあたりの書き方も、非常にうまいなと思います。「お父さんに彼女がいる」なんて内容をいきなり書いてますけど、これを書き慣れていない人が書いたら、「ぎすぎすした家庭なの?」「娘とお父さんはうまくいってないの?」なんてふうに一瞬で誤解されてしまいかねないところです。でもこの作者は、とてもいい塩梅で文章を書けている。続く父と娘の場面も、詳しい説明みたいなものは何もないんだけど、この主人公とお父さん、悪い関係ではないんだろうなということがなんとなく伝わってきますよね。

編集A 行き当たりばったりの文章ではないですね。作者は、話を練りきった上で書いていると思います。

編集B 登場人物の描き方もとても良かったです。私は、主人公とその友達の三人組の会話がすごく好きでした。「遥のお母さんになるかもしれない人? 見たい見たい!」とか「友達のおっさん連れてくるわけないじゃん」なんて会話のノリが、とても楽しかった。

青木 この子たちの関係、すごくいいですよね。とってもかわいいです。

編集A 言いたいことを好きに言う遠慮のない仲でありながら、ちゃんと気を遣い合ってもいる。みんな優しくていい子で、とても仲良しなんだなとわかります。

青木 この作品、場面がポンポンポンって変わっていきますよね。家庭、みどりさん、三人組、みどりさん、三人組って。ストーリーがちょっと進むと三人組が出てきて、「で、どうなった?」「えー、ほんとに!?」みたいなことをワイワイ言い合うという、このリズムがなんともいいですよね。

編集B 菜々子ちゃんが若さに任せて、「五十歳超えると、相手はおばちゃんしかいないのか」みたいな失礼なことも言ってるんだけど、まあ仲がいいからこそ言えるのかなと思いました。

青木 で、主人公がそれをお父さんにそのまま言うと、お父さんは「ハハハ」と怒りもしない。主人公とお父さんの関係性の良さがわかりますよね。お父さんがいい人なんだなっていうのもわかる。「ハハハじゃないよ、まったく」という語りがまた、笑いを誘ってきます。

編集A このお父さんは割と派手な業界にいるのに、浮ついたところがないですよね。みどりさんはかつては主人公からしてもきれいな女性だったようですが、いまはどこから見ても「小太りのおばさん」。だけど、お父さんはみどりさんの内面の素晴らしさをちゃんと見続けていた。「きちっとおばさんになったみどりさんを、父は見捨てたりしなかった」という文章には、胸に沁みてくるものがありました。みどりさんはおおらかで明るくて元気いっぱいで、でも辛い病気も経験している。そしてそれは今もまだ続いているとわかってくると、なんだか切なくなります。

編集B いろいろ経験した上での、今の明るいみどりさんなんだなとわかると、読者もみどりさんのことを好きになりますよね。

編集A 主人公も最初は「えー、これがお父さんの彼女?」と思っていたのに、だんだん「なんだかほっとする」に変わっていき、それがさらに「この人を支えてあげたい。幸せになってもらいたい」に変わっていく。この流れがすごく自然だし、感動的でもありますよね。読んでいるこちらも心が温かくなります。

青木 みどりさんは主人公のお弁当を毎日作ってくれますが、好きな人の娘におもねっている感じも、恩着せがましい感じも一切ないですよね。「あたしが作ってあげたいだけだから」とカラッとしている。そこに大きな愛と優しさを感じます。

編集A かわいさのかけらもない「男の弁当」なんだけど、「病気のせいで味覚が落ちて、こういうのしか作れないの」という事情がわかると切なくなりますよね。本人が明るくしているのでなおさら

編集B そのお弁当を菜々子と麻衣が本気で「おいしい」と言ってくれるんですよね。それで主人公も誇らしい気持ちになれる、っていうのがまたいい。

青木 脇役のキャラクターたちが、素敵な存在として機能していますよね。主人公の叔母さんである「綾ちゃん」もとてもよかった。この物語で絶対に必要なキャラというわけではないのですが、この人が登場することでストーリーがひと味深まります。

編集A 綾ちゃんは、早くにお母さんを亡くした姪っ子の世話を頑張っているうちに、婚期を逃しちゃったという背景もあるのかなと思います。綾ちゃんもきっとすごく優しい人なんですよね。

青木 で、主人公が「綾ちゃんが結婚するから、お父さんは彼女を」みたいなことを言いかけたら、即座に「そんな人じゃないでしょ」と否定してくれるんです。この一言で、お父さんと綾ちゃんとの間の信頼関係がわかりますよね。

編集B 長々と説明しているわけじゃないのに、ちょっとした描写でキャラクターの人柄や関係性がちゃんと伝わってきます。書いていなくても読者が想像できる。ほんとにうまいですよね。

編集A 登場人物たちはそんなに楽な人生を送っているわけではなくて、けっこう辛いものを抱えていたりするんだけど、それを地道に乗り越えて明るく生きてますよね。シリアスに傾きそうな題材を、ユーモアのある楽しい作品に仕立てあげられるというのは、この作者の素晴らしい持ち味だなと思います。

編集B 「新しいお母さんと仲良くなっていく話」なのですが、それだけではない要素がいっぱい詰まっています。しかも、それが作品を豊かなものにしている。

編集A 話の肝の部分となる「信頼と実績」の描き方もすごくうまいです。菜々子ちゃんが両親の話をしているんだけど、「ママが歳をとってもパパの心はぐらつかない。ママにはアレがあるんだって」の「アレ」のところが、どうしても思い出せない。読者も「なにそれ、知りたい!」って思いますよね。そうやって引っ張っておいて、いつもの分かれ道のところで「あー!これだこれ!」って。

編集B これ、読者はちゃんと覚えてますよね。家電のマルタの看板。最初に出てきたときにはほんのりコミカルなただの情景描写かと思っていたのですが、まさかこれほど重要な要素だったとは。一本取られたという感じです。伏線がしっかり張られていて、しかもその張り方が全然わざとらしくない。そして抜群の効果を上げている。本当にうまいと思います。

編集A 計算され尽くされているようで、計算高さは感じない。「そうきたか!」と思えるので、むしろすがすがしいです。それにこの「信頼と実績」は、菜々子ちゃんの両親だけでなく、お父さんとみどりさんの関係でもあり、お父さんと綾ちゃんとの関係でもあり、みどりさんと主人公が今築こうとしているものでもあります。胸にじんと来るテーマですよね。

青木 文章も、作者独自の文体が確立されていると思います。過剰な描写とか、変にキラキラしたところはないのに、味がある。私はすごく好きです。台詞回しにもセンスの良さが感じられますよね。

編集B ただ、時々ヒヤッとするところもあるにはありました。例えば、みどりさんが突然お弁当作りを始めるエピソード。主人公の意向を事前に聞くこともなく、一方的にお弁当を渡して、通学路にまでついてくる。ただでさえ17歳という難しい年頃に加え、みどりさんは「お父さんの彼女」という非常に微妙な立ち位置です。そして現場監督のような男弁当。主人公がいい子だから結果的にうまい方向に転んだものの、思春期女子なら「うざっ!」「本気で嫌なんですけど」と思う可能性もじゅうぶんありました。

編集C 幼少期の、みどりさんとの初顔合わせの日のことも、私はかなり引っかかりました。7歳の子どもに「この人がお母さんになったら嬉しい?」「YESならオムライス、NOならハンバーグ」って選ばせるのは、あまりに酷ですよね。ちょっとデリカシーに欠けるような気がしました。実際主人公は、そのことを長く引きずっているわけですし

青木 自分のせいでお父さんを不幸にしてしまったのでは、と気に病んでますよね。

編集C そのあたりをスルーしたまま、最終的にハートウォーミングな話のようにまとめられてしまった印象で、私は素直に感動し損ねてしまいました。

編集A 確かに「この人のこの言動、ちょっと無神経だな」と感じられるところはいくつかありました。ただ本作は「過去にいろいろ失敗してきた人が再生していく話」でもあるので、それもまたこのお話の味かな、と。

青木 そうですね。「オムライス事件」のあと、たぶんお父さんは「あー、失敗しちゃったな」と後悔したと思います。

編集B 十年前のお父さんは、みどりさんといい感じになって、ちょっと浮かれちゃってたんでしょうね。主人公には産みのお母さんの思い出はほとんどないわけですから、「まさか嫌がったりはしないだろう」と高を括っていた。

青木 やらかしちゃいましたよね。でも人生って、そういうことの繰り返しだと思います。誰もみんな、最初から正しいことばかりはできないです。

編集A そういうちょっと間違っちゃった人が、年月をかけて、マイナスをプラスに転換していくという話なんだろうと思います。大人たちだけでなく、主人公自身も、この話の中でいい成長を見せてますよね。

編集C 主人公はいい子だと思いますし、友人二人も好感度が高いです。ただ、作中で何度も「50歳を超えると、おばちゃんしか相手は残っていない」とか「おばちゃんの方はラッキーだ」とか、失礼な言葉も連発しています。いくら17歳の発言とはいえ、こういう書き方そのものに、若干まだ配慮が行き届いていない部分を感じてしまいました。

編集A それは確かに。みどりさん自身も、やたら「私はもうおばちゃんだから」みたいなことを口にしていますが、こういう決めつけるような書き方をするときは、少し注意したほうがいいと思います。

青木 コメディタッチの小説だと、冗談のつもりで、年齢や容姿や経歴を卑下する言葉を書いてしまうことがあります。でも本来は笑うようなことではありません。読者の中には当然、みどりさんと同じ年齢だったり、独身だったりする方もいらっしゃいます。その方たちがどういう気持ちでこの文章を読むのかという点について、もうちょっと意識があってもよかったかなと思います。

編集D あと、主人公は17歳の女の子に設定されていますが、実際に主人公と同世代の読者にはあまり刺さらない話なのかもとも思います。等身大ではなく、「大人から見た高校生の話」という印象を受けました。

編集A 確かにこれは、若い人にはあまり良さが伝わらないかもしれない。それなりに人生経験を積んだ読者の方が、読んでいてぐっと来るものがある作品かもしれないなと思います。

青木 高校生がどう思うか、聞いてみたいですね。私は大好きです。ラストの場面とか特に。みどりさんの体重で自転車が全然進まなくて、主人公が息を切らしながら「今度、うちで、三人でご飯でも」と改まって言うところ。すごくかわいいですよね。

編集A 主人公がオムライスを出したら、みどりさんはきっと気づくんじゃないかな。気づくけど、でも何も言わずに、泣きながら黙って食べるんじゃないかななんて思います。

編集B 逆にお父さんはたぶん忘れてますね(笑)。また能天気にちょっと無神経なことを言っちゃって、娘に睨まれる。

青木 主人公が先輩のことで悩んでいるとき、みどりさんが自分の経験から培った親身なアドバイスをくれて、主人公は勇気を持てた。そして今度は若い主人公のほうが、ちょっと尻込みしているみどりさんを励ましてあげている。登場人物たちが幸せになる未来が想像できて、読者も幸せになりますよね。

編集A とてもいい話だと思います。ぜひ、たくさんの人に読んでいただきたいですね。