第233回短編小説新人賞 選評 『もしもの同居人』明海透
編集A パラレルワールド系のお話ですね。私はイチ推しにしました。ある日、アパートに帰ってみたら、そこにもう一人の「俺」がいた。どうやら、アパートの中でだけ、二つの世界が重なって存在しているらしい。俺と「俺」との、奇妙な共同生活が始まった……。この設定は非常に面白いなと思いました。
青木 面白いですよね。私もこの話、大好きです。
編集D お互い、相手の世界の情景は見えるのに、触れることはできない。見えるというのも、半透明に見えるだけ。だから、同じ場所に同じものが置いてある場合、微妙に輪郭がブレて二重に見えるというわけです。パラレルワールドの設定がちゃんと考えられていて、うまいなと思いました。
編集C ひとまず今夜は寝ようと布団を持ち上げたら、「掛け布団が幽体離脱した」というのも、笑えました。
青木 取り壊し予定のボロアパートで、住んでいるのは自分一人しかいない、というのも、物語の舞台としていい雰囲気だったと思います。
編集C ちょっと不思議なことが起こっても、あまり違和感がないですよね。二つの世界が重なり合う場所で、俺と「俺」とが一緒に暮らし始め、そのうちに少しずついろんな違いが浮かび上がってきて……というストーリーはよかったと思います。
青木 ただ、この話、もっと面白くすることもできる気がします。たとえば冒頭。主人公は、仕事帰りにコンビニに寄って、買い物をしてからアパートに帰る。そのアパートは取り壊しが近い建物で……と、描写や説明が順を追って書かれていますが、私だったらもう、アパートの扉を開けるシーンから始めます。古いアパートの扉をガタピシ言わせながらグイッと開けたら、目の前に半裸の男が立っていた。ギョッとしてお互いに、「おまえ誰だ!?」と叫ぶ。そこから話が転がっていく。もっと面白くできるからという理由で評価を下げるのもおかしいのですが、あちこちで、そこを掘り下げてくれと思わずにはいられませんでした。
編集A 何なら、「着替えの途中」ではなく、「風呂から出たて」に変えてもいいですよね。ガチャッとドアを開けたら、目の前に男の尻があった。なぜか自分と同じ場所にあざがあるのを瞬時に見て取りながらも、「誰だおまえは!?」でもいい。
青木 できれば冒頭1行目から読者を作品世界に引き込みたいので、状況説明は後回しでいいです。とにかくもう、インパクトのあるシーンで話を始めてしまいましょう。
編集C コンビニや引っ越しの事情は、後からいくらでも説明できますからね。
青木 はい。それと、説明はできるだけ会話でしてみてください。テンポの良い会話で、ポンポンポンと。コメディで会話は重要です。この場合は登場人物がふたりだけで、遠慮しあう仲でもないのですから、漫才だと思って喋らせたほうがよかったと思います。
編集C 冒頭から、地の文での説明や描写が割と続くので、読む側はちょっとダレてしまいますね。
編集A 作者はひょっとしたら、「コンビニに寄るか寄らないかの違いから世界が分岐したのでは?」という仮説を主人公に立てさせる前段階として、まずは「コンビニに寄る」場面を描写しておかなければ、と考えたのかもしれない。でも結局、「どちらの場合でもシュークリームは買えたのだから、影響はなかった」ということになって、分岐の発端ははっきりしませんでした。「コンビニ」は、この話において決定的なポイントではない。ならばそこを省いてでも、まずは二人を出会わせ、掛け合いで話を進めていったほうが得策と思います。仮説に関するところは、「いつから分岐したんだろう?」「俺はいつも通り、会社を出て電車に乗って、コンビニに寄って帰ってきたぞ」「俺は今日は寄らなかった」「それだ!」なんてやりとりでも済みますよね。どちらにせよその後、「寄ったから俺は、シュークリームのラスト一個を滑り込みで買えたんだ。はっはっは」「俺だって買えたぜ、ほら」「えっ……じゃあ、コンビニは関係ないじゃないか!」となるのですから。
編集C そんなふうに会話で状況を描いてくれたほうが、説明文を読むより、読者はずっと楽しいですね。
青木 お互いが同一人物なのかどうかを確認しあうくだりも、地の文で説明してますよね。「生年月日、血液型、出身地などの個人情報、果ては自分しか知らないであろう情報の応酬になった。結果、すべての問答は完全に一致したのだった」。こういうあたりも全部、会話でやったほうがいい。「生年月日は?」「〇年〇月〇日」「同じだ。血液型は?」「〇型」「それも一緒。じゃあ出身地は?」「〇県〇市〇〇町」「えーっ、そこも同じなのかよ」って。
編集A で、それだけではまだ信じられないから、さらにツッコミ合う。「昨日はいたパンツの色は?」とか、「風呂入ったら、どこから洗う?」とか。
青木 その合間に、「だいたい俺、お前ほど太ってないぞ!」「なんだと!? おまえこそ」というような喧嘩もちょっと挟んでみる。
編集C そこからさらに、本人しか知らない情報を出し合っていく。当然、人には言えない恥ずかしい内容が多くなりますから、会話も一層面白くなりますよね。
編集A 「小学校時代の一番恥ずかしい思い出はだな……あれは、小学3年生、三学期のことだった……」「おい、まさか……!」「珍しく雪が降った日の、昼休みが終わった、国語の時間……」「やめろ! もういい!」「雪まみれになってはしゃぎすぎた俺は、どうしても我慢できず、隣の席の木下さんのランドセルに……」「うぎゃ―――!! 言うなー! 言わないでくれ~~~!」とか(笑)。
編集C もう主人公、悶絶しちゃう(笑)。二人で悶絶しあう。
青木 最大の秘密である「初めて書いたラブレターの書き出し」を、歯を食いしばりながら白状し合うところも、ぜひ実際の場面として描写してほしかったですね。最高に面白くなったと思います。
編集E これ、そういう掛け合いでもっと面白くなったはずの話なんですよね。
編集C 「俺同士」の会話だから、非常にテンポの良いボケとツッコミが展開できたはずだと思います。
編集A SF要素の絡む設定部分に、しっかりとした理屈をつけようとしているのは、とてもよかったです。作者は、すごく考えてこの話を作ってますよね。そこはいいのですが、書き方が真面目すぎて、理屈っぽくなってしまっているのは、もったいなかったなと思います。
編集C 真面目に説明されているから、読む側も考えながら読んでしまいますよね。勢いよく読むことができない。
青木 確かに、ちょっとテンポが悪いかなという気はしますね。
編集C もっと思い切って、エンタメ方向に振ってもいいのに、と感じました。
編集A いろいろちゃんと考えられていたのですが、扉を出入りして実験する場面は、少々わかりにくかったです。主人公は、「思った通りだ」「確信を得た」みたいに語っていますが、読者にはどういうことだかよくわからないですよね。二つの次元の重なり方の説明が、あまりうまくいっていなかったように思います。
編集C これ、アパートの部屋の内部だけが二重になっている、ってことなんですよね? だから、玄関ドアの外側には、それぞれ分岐した一つだけの世界が広がっていると。読み進むとなんとなくわかってくるんですが、わかるまではモヤモヤしますよね。ここに関しては二人の会話で説明されていたものの、逆にそれが、ちょっとわかりにくかったです。
編集D ラストのあたりも、ちょっときれいにまとめすぎかなと思いました。「人生は否応なく選択を迫ってくる。そうして世界は分岐して無数に広がっていくのだろう」「日々の努力と一歩を踏み出す勇気があれば、どの選択肢も正解ルートになり得る。この一か月はそんなことを学んだ気がした」。かっこいい締め括り方ですが、そこまで大きな話にしなくていいし、ちょっと教訓めいてしまうなと思いました。
青木 そうですね。懸命に仕事に取り組んでいたほうは目に見える成果を上げ、適当に働いていたほうは会社でパッとしない。自業自得だよな、ちょっと反省したよ、俺も今後は頑張ろうと思う……。至極真っ当ですが、多くの読者は必ずしも、そういう展開を求めているわけではないように思います。
編集A お仕事小説ではないわけですしね。
編集E それ以上に、この二人があれこれ面白いことをするところを見たかったです。もし私が「もう一人の私」に出会ったとしたら、まずは自分の顔を正面から見て、観察しますね。「こんな顔してたのか」「この髪形、意外と似合ってないな」「こんなに左右不対称なのか」とか……。
青木 作者がお仕事小説として書いていたとしたら、会社のエピソードについては、柏木さんか仕事内容か、どちらかに絞って細かく書いたほうがよかったと思う。ファッションチェックもいいですね。自分では見られない自分、他人の目に映る自分を観察するチャンスですから。主観と客観のずれを描写してほしい。ツーショット写真とかも撮ってみたいですね。どんなふうに映るのかな? 映らないのかな? 「おい、実験してみようぜ」なんて場面がほしかったですね。コメディにするなら、思いついた面白そうなことを、全部やってみてほしかった。
編集E せっかくの機会なんだから、活かしたいですよね。
青木 「分岐の理由は」とか「俺とあいつの違いは」とか、難しい方向に話を詰めすぎなくても、この「自分が二人いる」という状況を使って、もっと単純に楽しい場面を作ってみてはと思います。例えば、冷蔵庫を開けたらシュークリームが1個あって、輪郭はブレてない。「このシュークリーム、どっちのだ?」「同時に取ってみようぜ」「よし。せーの!」「やった、俺のほうだ!」「くっそー」みたいな。
編集E 朝起きて身支度するときも、ボロアパートの狭い洗面所で、押し合いへし合い喧嘩してるとかね。「どけ!」「おまえこそ!」って。重なり合うから、同じ場所に立ったら鏡には一人しか映らないんだろうけど、ブレて見づらいとか。で、歯磨きしながら、「おまえの歯ブラシ使ってるみたいで、気持ち悪いな」「こっちのセリフだ!」って。
編集C 面白い会話が延々できますよね。二人の一日を追うだけでも面白そう。そうやってワーワーギャーギャーやっているのを、楽しく読みたいです。
青木 お互いの世界は微妙に違うらしいですから、そこももう少し掘り下げてみればよかったんじゃないかな。「こないださ、こんなトラブル起こったじゃん? あれ、あの後どうした?」「へ? べつにうまくいってるけど」「えーっ、どうやったんだよ?」みたいなこと、どんどん話し合っていけばいいのにと思いましたね。
編集A 普通は、そういうところを知りたくなるものじゃないでしょうか。せっかくなんだからいろいろ聞いて、あれこれ情報交換したい。
青木 その割にこの二人は、毎晩暇つぶしに人生ゲームをやっているらしい。この状況でそんな展開になるかなと、やや不思議に思いました。
編集A おそらく、「同じ人間でも、ちょっとした行動の差で人生は分岐する」というテーマに絡めているのだろうとは思いますが、こういうあたりにもちょっと真面目さを感じました。
青木 主人公と柏木さんとの仲も、進展しなかったですね。せっかく、ラブレターがどうのというくだりがあるのですから、柏木さんとうまくいくところで終わってほしかったかな。
編集A 「俺」の方はさくっと攻略してますから、主人公にもじゅうぶん可能性はあると思います。
青木 いろいろ聞けばいいと思いますね。「こないだ、こんなふうに話しかけてみたんだけど……」「そんなんじゃダメじゃないか」「じゃあ、どう言えばいいんだよ?」って。
編集A でも、この主人公は「カンニングはやめておく」という人なので、それはできなかったんじゃないですか?
青木 うーん、立派だとは思うけれど……。この場合は、カンニングしてもいいんじゃないでしょうか。
編集C だって、自分自身ですものね。
青木 それに、もう一つの世界は、こちらの世界とはいろいろ違うらしいですから。何かを教えてもらっても、それがうまく役立つかはわからないはずです。
編集A 主人公をそこまで「正しい人」にしなくてもいいですよね。例えば主人公が、「俺」から聞いた情報を元に、ちょっとズルをしようとする。そうしたら、うまくいくどころか、とんでもない事態を引き起こしてしまい、主人公は頭を抱える。そういう展開の方が、話が躍動的になったと思います。
編集E あるいは、どちらの世界でも柏木さんとは付き合えていなくて、二人で力を合わせて攻略しようとするとかね。「俺は動物園に誘うから、おまえは水族館に誘ってみて」なんて打ち合わせをして。
編集A で、「やった、うまくいったぞ!」「俺も! 一緒に写真撮ったんだ」「俺も!」ってなって、「せーの」で見せ合ったら、全然別人だったとか。
編集C 「俺の世界の柏木さんは、この人だぞ」「はあ!?」ってね。そういうの、いくらでも作れると思います。これ、いくらでも面白くできる話だと思う。
編集A もっといろいろ盛り込んで、話を膨らませて、楽しい掛け合いも増やして。30枚では難しいと思うので、もう少し長いバージョンで書いてみるというのはどうでしょうか。
編集C それはいいですね。ぜひ読んでみたい。これ、もともとの設定がすごく魅力的なので、読んでいると「もっとこうしたらいいのに」というアイデアが無限に湧いてくる感じです。せっかくのこの設定を、もっと活かす方法を考えてみてほしい。
編集D こういうSF要素が絡む作品って、設定に何かしらの齟齬や疑問点が目立つことが多いのですが、本作にはそれがあまりなかったと思います。うまく考えられていました。
青木 「俺が二人いる!」っていう、話の基本部分がすごく面白いですよね。大枠はうまく作れているので、それを活かすために次に必要になってくるのは、構成とリーダビリティです。リーダビリティを上げるには、やっぱり会話だと思います。とにかくまず、テンポの良い会話で読者を引き込むことを意識してほしいですね。
編集A やはり、ちょっと真面目に考えすぎかなと思います。そこは長所でもあるとは思うのですが、せっかくのポテンシャルを小さな枠に押し込めてしまっているように感じます。もっと思い切ってはっちゃけていい。自由に想像の翼を広げていいんですよ、ということは、強くお伝えしたいですね。