第233回短編小説新人賞 選評『奇跡の一枚』 あいうちあい

編集B カメラ好きの高校生、「僕」のお話です。ある日主人公は、自分には出生時に亡くなった双子の弟がいたことを知らされ、動揺します。生死の分かれ目は紙一重でしかなく、人生とは偶然の産物。自らの生存理由に疑問を感じた「僕」は、この世界への信頼と興味を失ってしまいました。しかし、父親から強く勧められ、半ば義務的に写真を撮り続けている中で、あるとき、奇跡の瞬間とでもいうべき場面に出会います。その一瞬の風景は、雷に打たれたような気づきを主人公にもたらしました。「いま生きてここにいるということが、すでに奇跡なのだ」ということを、魂のレベルで理解した主人公は、再び、生きることへの意欲と喜びを取り戻していきます。感動的なお話で、私は高得点をつけました。

青木 澄んだ空気感のある、美しい作品でしたね。カタルシスを感じられる話になっているのも、すごくよかったです。

編集B 根源的な問いに向き合って苦悩する思春期の少年の内面や思考が、丁寧に描けていたと思います。情景描写も、非常にきれいでした。

青木 多くの行数が、描写に使われていましたね。それは、「カメラ」が軸となる作品だからでもあると思います。作者は、レンズを通して見える情景と、主人公の心象風景というものを、重ね合わせて描写している。そうすることでテーマを描き出そうとしている。非常にチャレンジングですよね。そこは高く評価したいです。昨今は、読む側も書く側も、長い描写を避ける傾向があるように思いますが、本作には、あくまで文章を使って表現しようという意欲が感じられました。おそらく作者は、描写することが好きなんでしょうね。

編集E 情景描写がしっかりとなされている作品で、私もすごくいいなと思いながら読みました。ただ、主人公の思考や感情までもが、すべて地の文で延々と説明されていて、ちょっと息苦しさも感じましたね。

編集D 逆に、とても重要な要素である「カメラ」に関しては、描写が不足気味だったと思います。冒頭から登場する「一眼レフカメラ」ですが、これがフィルム式なのかデジタル式なのか、よくわからない。撮った写真をその場で確認しているような場面があることにはありますが、描写があいまいではっきりしないです。ラスト近くの「データを確認する」という箇所でようやく、「デジタルだろうな」と見当がつくわけですが、これでは遅すぎると思います。全体的に描写はとても情緒的で良かったのですが、カメラに関するディテールの甘さはすごく気になりました。

編集A カメラ好きの父と息子の会話なら、もうちょっと専門的な内容が混じってもいいはずですよね。レンズがどうの、シャッター速度がどうの、露出が、角度が、構図がと。けれど、技術的な話はほとんど出てこない。

編集C 割と、精神的なことばかり話していますよね。「悲しい気持ちの時に撮った写真は色が褪せる。嬉しい気持ちの時は鮮やかに撮れる」とか、「撮る人の見ている世界と、撮れた写真を見る人が受け取る世界は違う」とか。もちろん、この作品のテーマ自体が精神的なものだから、ということもあるとは思いますが、会話や描写にはもう少し具体的な要素を盛り込んだほうが、実感のある話になった気がします。

編集A このお父さん、ちょっと難しいことを言いすぎじゃないでしょうか。きれいな写真を撮るコツを尋ねたら、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従うのだ」、と。カメラ初心者の息子が聞きたかったのは、そういうことではないだろうとも思うのですが。

編集C 唐突にカントやヘラクレイトスの話が出てくるので、親子の会話としては違和感が否めませんでした。こんな会話をする父と息子は、現実にはあまりいないんじゃないかな。

青木 このお父さんは、どんな仕事をしている人なのでしょう。理知的な顔をしていて、家には図書館のような書斎があって、日常会話に哲学や観念をしょっちゅう持ち込んでくる。もしかしたら、大学の哲学科の教授とかなのかな。それでいて、キャンプ旅行や登山にも詳しくて、テント設営も手慣れたもの。どういう職業の人なのかすごく気になるのですが、書かれてはいませんでした。

編集C 学者っぽい感じは強くしますね。ただ、もし本当に哲学科の教授という設定なのであれば、もう少しそれらしさを出してほしい。哲学の専門家ならではのちょっとした雑学を台詞に盛り込むとか。

青木 あと、「書斎で会話」とか「並んで座って会話」といった場面が多いので、もう少し動きをつけたほうがいいかなと思います。せめて、歩きながら会話させるとかね。

編集A お父さんのカメラ歴も気になりました。単なる趣味にしては、自分が撮る写真への要求水準が高い。かなりの腕前だからこそ、息子にもいろいろ教えを授けているのだろうとは思うのですが、その割にカメラは一台しか持っていないみたいで、引っかかります。お気に入りのカメラを十台以上持っている、みたいなほうがそれらしいですよね。

青木 もし少し専門的なことをちらっとでも盛り込んだほうがいいかもですね。読者の中にはカメラ好きな方もきっといらっしゃるでしょうから、そういう「その分野に詳しい人」が読んだときに「これは違う」と思われないためにも、細かいところに気を遣っておいたほうがいいと思います。

編集A 構造的には、この作品において「カメラ」そのものが、すごく重要なアイテムになっているわけではないですよね。現代の青少年なら、写真はスマートフォンで撮る人の方が多いと思いますし。

編集E ラストの場面で、「写真展に応募する気持ちになった」ことが、苦悩から抜け出したことを象徴しているかのように描かれていますが、ここもなんだか引っかかりました。精神的な成長を描いている作品なのに、「他者からの評価を求める」方向に行くのは、若干違うような気がします。

編集A ところで、この作品の舞台は北海道でしょうか? 雪の描写が多いし、何より「家から歩いてすぐのところに、鮭が遡上する川がある」。なかなかない住環境なので、ここはもう少し説明があってもよかったかもしれません。

青木 家から車で少し行ったところにある湖のことも気になります。「日本で十の指に入るほど大きい湖がある景勝地」は、どこなのでしょう。こういうあたりは、固有名詞を出してくれてもよかったと思いますね。そのほうが、読者はイメージしやすかったと思う。

編集A いろいろ情報が出てきて匂わされているのに、はっきりとは明かされないという状態は、読者のストレスになる可能性もありますよね。

編集D 手掛かりだけ盛り込みながらも、具体的な地名は出さないという書き方をしている投稿作品を、割合よく見かけます。ですが、場所などが明確に決まっている場合は、はっきり書いていいのではと思います。本作においても、作者は作品舞台に土地勘を持っていそうですよね。知っている場所を描いているのではと感じました。

青木 とある地方、とある地域を知っているというのは、小説を書くにあたって大きな強みになります。もっと思いきって前面に出してもいいんじゃないかな。この作品も「北海道の美しい自然が、僕に大いなる気づきをもたらしてくれた」という話にしてもよかったのではと思います。

編集A あと、描写には視覚情報が多かったですが、せっかく北国が舞台なら、冬に金属のカメラを触ったときの冷たさとか、シャッターを押す指がかじかむ感じなども盛り込まれていたらよかったなと思います。肉体感覚を交えた描写をしたほうが、話に臨場感が出ます。

青木 時系列も、もう少し整えたほうがいいですね。高校生の「現在」から話が始まり、いったん「初めてカメラを使った日」に戻り、「そこから一年経った頃」のキャンプの日へと飛び、「その後」にフォトコンテストに応募。で、また現在に戻ったかと思いきや、今度は「あの湖から一年と少し経った今年の夏」の誕生日へと、かなりごちゃごちゃしています。これでは読者が混乱してしまう。短編なので、構成はもう少しシンプルにしたほうがいいと思います。回想シーンも、一つか二つ程度にとどめたほうがいいでしょうね。

編集C テーマがしっかりとあるのはとても良かったと思います。終盤で主人公が、「僕の存在もまた奇跡なのだ!」と気づきを得る場面には、若々しいきらめき感がありました。主人公と同じく、今まさに「生きる意味」に悩んでいる思春期の読者には、共感を呼ぶ作品なのかもしれない。ただ、ちょっとストレートにテーマを書きすぎかなという気もしますね。

編集A 現状の書き方だと、描かれている内容が「作者の主張」のように感じられてしまいます。作者の考える「正解」を、作者に代わって、登場人物に言わせているように思えてしまう。でも、これは小説作品なのですから、「生きていることは奇跡だ」というテーマも、あくまで「僕」というキャラクターが作中で得た気づきなのだという描き方を意識したほうがよいと思います。

編集C 「生きる意味とは」とか「人生とは」みたいな、哲学的な大きな問いを胸に抱くこと自体は、誰しもあると思います。ただ現実で、そういう事柄を面と向かって家族と話し合うのは、なかなかできないですよね。やっぱり、気恥ずかしいですから。

青木 確かに。もちろん、そういう「気恥ずかしい」ことをも正面切って描けるのが、小説というものだとは思います。ただそれは、登場人物たちに直接テーマを語らせるということではないです。テーマはむしろ、語らないほうがいい。にじみ出ればいいんです。そして、テーマが自然とにじみ出るだけのものは、この作者は自分の内側にちゃんと持っていると思います。

編集A 主人公が自身の存在意義に正面から向き合って思い悩むという、この青い感じは、私はすごく魅力的だと思いました。ただやっぱり、たった30枚で根源的な問いに答えを出そうというのは、無理があるように感じます。過去に多くの作家が取り組んできたテーマですし、どうしても、既視感のある型通りの話になってしまいがちです。

編集B 一番の盛り上がりどころである、終盤の主人公の気づきの場面も、ちょっとよくわからない部分がありました。「僕の存在もまた、奇跡だったのか」という答えにたどり着いた後で、さらに「じゃあもう一つの意味は」という問いかけが続き、「同じ瞬間は二度とない。すべてが一期一会」ということが「二つ目の気づき」のように書かれています。でも、「同じ川は二度と撮ることができない」というのは、気づきを得る以前の場面にも既に出てきている言葉ですよね。単純に、「僕の存在もまた奇跡なのだ!」という気づきをクライマックスにすればよかったのではと感じて、ここはちょっと引っかかりました。せっかく、胸が熱くなるような高揚感のある場面だったのですが。

青木 ちょっと詰め込みすぎというか、考えすぎているように感じますね。時系列などもそうですが、もっと素直に、シンプルに書いてもよいのではないでしょうか。そのほうが、今作の雰囲気にもテーマにも、マッチしたと思います。

編集A この主人公は、高校生にしてはやや幼い印象を受けますね。「生きる意味」をここまで真剣に悩むキャラクターであれば、現在の「僕」を中学生くらいに設定したほうが、話が自然になったように思います。

編集C 確かに。「この回答が得られない限り、今後の人生を歩むことはできない」とまでの深刻な状態に陥るのは、高校生ではちょっと考えにくいです。

編集E ラストが「何をおねだりしようかな」といった文章で終わっているのも、引っかかりました。このお話の締めくくりがこれでいいの? という気がして。

編集A 同感です。これ、アイデンティティの危機を乗り越えて、主人公が一段成長しましたという話ですよね。ならば最後は「おねだり」ではなくて、「がんばってアルバイトをして、登山用具を揃えるぞ」などに持っていってほしかった。

編集C そういう点でも、主人公は中学生だったほうが、この話にフィットしたように思いますね。全体的に、人物造形がちょっとぼんやりとしていて、現実味が薄いように感じられました。

青木 父と子の心のつながりが重要なポイントとなる作品なのですから、どういうお父さんなのか、どういう息子なのかということを、もう少し深く掘り下げて描く必要がありましたね。

編集C 特にこのお父さんは、立派な人すぎて、読んでいてちょっと辛いものがありました。カメラのことも人生のことも、何でも知っているし、いつも深い思索を巡らせている。素晴らしい人物だとは思いますが、常に高い位置から息子を教え導いている感じで、あまり魅力的には感じられなかったです。主人公はこのお父さんのことを心から尊敬しているようですが、十代の子の多くは、こういう大人を苦手に思うんじゃないかな。高校生の頃の私だったら、きっと反発していたと思います。

青木 完璧な人間より、どこかに「抜け」のようなものがある人物の方が、魅力を感じることもありますよね。

編集A このお父さんをあまり学者っぽく描くのではなくて、あくまでも一例ですが、酪農家にしてみてはどうでしょう。「カントは言った。認識が対象に従うのではなく」と語っているお父さんの後ろで牛が鳴いていたら、それだけで面白いし、雰囲気もなごみますよね。

編集C なるほど(笑)。哲学と牛という対比がいいですね。このお父さんに、俄然、興味が湧きます。

青木 夜中に急にヤギが産気づいて、お父さんが徹夜でお産を手伝って仔ヤギを取り上げる、なんて場面があってもいいですよね。それを見た主人公が、「うちの父さん、やっぱりすごい!」と感動するとか。

編集C それもいいですね。特に十代の子であれば、難解なことを知っているとかより、生きるパワーにあふれたお父さんのほうを尊敬するのではと思います。

青木 あるいは、学者だけれども、ちょっと情けない一面もあるように描くとかね。何でもいいのですが、「いまだに自転車にうまく乗れなくて、先週も川に落ちちゃった」とか、「キャンプをしに行ったはいいけれど、テントをうまく張れなくて四苦八苦している」とか。

編集C それが「抜け」ということですよね。なにも長々と書く必要もない。ほんの少しでいいんです。「このお父さんは勉強ばかりしてきたから、アウトドアは苦手なんだな」とか、「息子にいいところを見せようとして、少し空回りしちゃってるな」みたいなことを、ほんの一瞬、読者に感じさせることができれば、それだけでキャラクターが一気に立体的になります。

青木 今までに何度も申し上げていることですが、やはり私としては、キャラ表を書いてみることをお勧めします。その内容は作中に出さなくてもいいんです。ただ作って、自分で知っておくだけでいい。

編集A その登場人物がどういう性格なのか、どういう人生を送ってきたのか、過去にどんなエピソードがあるのか。そういう「キャラクターの背景」の部分を作者が把握さえしていれば、描写に自然ににじみ出るでしょうし、描かれた言動にも説得力が生まれるはずだと思います。

編集C そして、できればキャラクターには「愛嬌」を持たせてほしい。このお父さんは、学者肌で思慮深く、大人の余裕で息子を守り導き、カメラやキャンプ、山登りにも詳しい。すごい人物だとは思いますが、ちょっと「できすぎ」とも感じられて、私は親しみを持てなかったです。もう少し人間味のあるキャラクター作りを意識してみてはと思います。

青木 ただ、もしかしたら作者は「きれいなものを書きたい」のかもしれませんね。描かれている情景は「ツツジが満開になった公園に、満天の星がきらめく夜の湖、天使のはしごが差し込む雪の川辺」と、非常に美しいですよね。そういう「きれいなものが好き」「きれいなものを描きたい」「美しい描写に、自分の気持ちを乗せたい」という状態に、いま作者がいるのであれば、むしろ心ゆくまで美しい小説を書きまくってほしい。そして、そうやって書き続けているうちに、少し違うものを書いてみたいという気持ちが、ひょっこり生まれたりするかもしれない。自分が何を書きたいか、書くことで気づく場合があります。納得できないまま従うくらいなら、思いのまま書いてみたほうがいいです。

編集C 書きたいものが変わってくることもありますからね。「もう少しアクティブなストーリーにしてみよう」「破天荒なキャラも登場させてみよう」と思うときが、そのうち来るかもしれない。そんなとき、「そういえば前に、選評で何か言われたことがあったような」と思い出して参考にしていただくだけでも、こちらとしては嬉しいですね。

青木 この選評でどんなアドバイスを受けようと、無理に従う必要など全くありません。そんなことより、自分の正直な気持ちを、一番大切にしてほしい。自分が今、心から書きたいと思う物語を、誰にも遠慮せずに書いていってほしいです。