第233回短編小説新人賞 選評『発光する車谷くん』 岡林石子
編集E 作品の内容が内容だけに、最初はイチ推しするのをためらいました……。でも、やっぱり勇気をもって正直に言うことにしました。イチ推しです(笑)。なんて楽しいお話だろうと思いながら読みました。読む人を笑顔にさせてくれる作品って、素晴らしいなと思います。
編集C 読み始めたときは、ちょっと頭が追いつかなかったです。「まさか、そんな話のわけないよね?」と思いながら序盤のあたりを何度も読み直して、「本当にそういう話なんだ……」と理解したときには呆然としましたね。でも、面白かったです(笑)。しっかりとしたエンタメ作品でした。
青木 まさに文字通り、声をあげて笑いながら読みました。コメディを書くのって、ものすごくテクニックが必要なことです。この作者は「書くスキル」の非常に高い方だと思います。
編集C アイデアはとても奇抜なんだけれど、でも意外と、その奇抜さ以外のところはすごく緻密に書かれているんです。ちゃんとした計算の上で成り立っていると思う。だから、奇抜さに一瞬ギョッとしてしまいますが、どうかそこで放り出さずに、最後まで読んでみてほしいです。読み進めると、実はこれは、なかなか感動的なお話でもあるんですよね。
青木 泣かされますよね。亡くなったご主人に関するところとか。
編集C 闘病しているあたりの描写なんて、淡々と語られているけれど、すごく切なかったです。くどくど書かれていないのに、主人公とご主人がどんなに辛い思いをしたのか、すごく伝わってきました。
編集A でも、そんな中にも、大笑いさせる場面をしっかりと入れてくるんですよね。
編集E 亡くなる一週間前の場面ですよね。あそこは最高でした。
編集C 死期が近い夫から、「なんで俺を運命の人って思ったの?」と聞かれて、主人公はとうとう白状してしまう。「あそこが光ってたから」。
編集E にわかには信じがたい告白(笑)。和彦さん、驚いて、呆れて、でも最後には大笑いしますよね。
編集C 機械がピーピー鳴って。看護師さんがバタバタ走ってきて。
青木 「笑わせないでください!」って叱られて。
編集C で、続く一行で、「夫婦の最後の長尺の会話だった」と落とす。この緩急のつけ方。「笑わせ」と「泣かせ」の重ね方。見事です。
青木 9枚目のところも、同じくです。和彦と結婚してすごく幸せで……という描写の後でふいに、「五年前、和彦は死んでしまった」で場面をスッと閉じている。一行空けて、次はもう別の場面へ。うまいですね。
編集C キャラクターの描き方もよかったと思います。初っ端から下ネタを堂々と語っている人物なのに、主人公のことを読者が嫌いにならないですよね。ユーモア感のあふれる楽しい文章で、すらすら読まされてしまいます。
編集E ご主人のことをすごく愛しているのも、ナチュラルに伝わってきました。ロマンチックではないのに、本当に仲の良いご夫婦だったんだなとわかります。
編集C 終盤では、車谷君のほうに気持ちが一気に傾いていくんだけど、それでも読んでいて嫌な気はしなかったですね。
編集D ただ、ちょっと急すぎる感じはあったかなと思います。その直前まで和彦さんのことを引きずっているようだったのに、車谷君が倒れたら、短時間の間に一気に「好きで好きで仕方ない!」にまで高まっている。若干、違和感があるような気がしました。
編集C この主人公は、すごく素直な人なんじゃないかな。和彦のことを忘れられないのも、車谷君になんだか心惹かれるのも、同じく素直な気持ち。未亡人が新しい恋に進む話って大概、「亡き夫への気持ちにやっと踏ん切りがついたので、ようやく次の人へ……」みたいに、段階を踏む展開になることが多いと思うのですが、この主人公は和彦さんを好きなまま、シームレスに車谷君のことを好きになっている。そこが逆に、私はいいなと思いました。
青木 それに、主人公も一応は混乱して、気持ちがグルグルしていましたしね。自分を責めてもいた。その描写がまた面白かったです。「死ぬ為に生きた和彦の姿を忘れた事なんてない。なのに! 車谷のイチモツが発光して見えるなんて! 私は、最低だ! クズだ!」って(笑)。本人は真剣なのに、読者は笑っちゃいますよね。心境の変化を責める気にはなれなかったです。
編集C 車谷君が倒れたとき、目覚めを待つ間に、主人公の気持ちがどんどん盛り上がっていきますよね。静かに寝顔を見つめていたのが、「好きで好きで仕方ない!」と高まったところで、フッと車谷が目を覚まし、同時にフッとあそこに光が灯って……なんてあたりも、緩急のつけ方がうまいなと思いました。
青木 私は、18枚目の描写が忘れられないです。和彦さんは、自然に死にたいから抗がん剤治療はしたくないと言ったのに、主人公がどうしてもと食い下がって、和彦さんは仕方なく受け入れた。でもその結果、彼はどんどんやせ衰え、ひたすらに苦しい時間を過ごすことになった。「私は私の後悔を無視して、治療を続けて欲しいと医者に迫った。治療の継続を懇願しておいて、和彦の惨い姿を見ては、こんな筈ではなかったと、医者を恨んだ」。この文章は、誰にでも書けるものではないと思います。素晴らしいですね。
編集C 基本コメディなのに、胸を突かれる話にもなっていて、読みごたえがありますよね。
編集A で、そういったシリアスな辛い場面の後で、必ずまた笑わせてくれる。
青木 そうなんです。主人公が感極まって、「車谷くんは生きてるよ!」と叫んだら、「タに濁点をお願いします。クルマダニです」って(笑)。この作者は本当に、コメディのツボを押さえている。
編集E キャラクターの描き方が全般的にうまかったと思います。一人称小説なので、主人公の主観を通してしか見られないのですが、和彦さんも車谷君もとても生き生きしていて、人物像がしっかりと伝わってきました。
編集C ものすごく詳細に説明されているわけではないのに、二人の顔が見えますよね。二人の姿が映像として浮かんでくるし、どんなふうにしゃべるのかもわかります。肉声が聞こえてくる気がする。
青木 キャラクターに「抜き」を作るのもうまいですよね。例えば、「車谷君の第三要素は、割り箸を割るのが物凄くうまいことだ」とか。「なにそれ」って笑っちゃうようなどうでもいい話なんだけど、でもそういうものこそがキャラクターに、立体感や親近感を与えるのだと思います。さらにこの、一見どうでもいいような「割り箸」エピソードが、亡くなった和彦さんとの思い出にもつながっていきます。こういうあたりもうまいなと思いました。
編集C 事務所の所長の描写もよかったです。主人公は「車谷くんのこと、誰にもバレてない」って思ってたんだけど、所長は見抜いてたんですね。事務所でうたた寝しているだけのおじさんではなかった。キャラクターに奥行きが感じられました。
青木 「小松倉所長」という名前がまたなんとも、妙な現実味がありますよね。「こういう人、会社にいそう」って思える感じです。「車谷虎男」という、いかにも作り物感のあるネーミングも面白い。一方で亡くなったご主人の名前は、さらりと「和彦」。これがまた自然で、一発ですっと頭に入ってきます。この作者は本当にセンスがいいなと思います。
編集C 文章のリズムもすごくいい。非常にノリのいい文章ですよね。読んでいて気持ちがいいです。
青木 このグルーブ感とユーモア感のある文章は、私も大好きです。
編集C ただ、1枚目から「イチモツ」という単語が出てきてしまうと、びっくりして後ずさる読者もいるのではと思います。これ、何かに変更できないかな。手とか額とか、「イチモツ」以外の何かが光っているという話に変えられないものでしょうか……?
青木 それは私も考えてみたのですが……。うーん、やっぱりちょっと難しいですかね。
編集A 体の別のところが光る話だと、「へー」というくらいの反応にとどまってしまったと思います。ここまでは笑えなかったでしょうね。
編集E 「イチモツ」だからこそ「運命の相手」につながっているところもあるわけで、やっぱり代替はきかないと思います。
編集C ただ、車谷君の方はそれでいいのかな? というのは、少々気になりますね。主人公にとっては「運命」なんだろうけど、車谷君にとってはどうなのでしょう。
青木 そこはもう、信じるしかないかな。だって光ってますからね(笑)。それに倒れる以前から、車谷君の方も主人公を意識している感じは多少あったと思います。
編集C ありましたね。それは、なぜだかしょっちゅう自分の股間を凝視してくる人だから……という理由だったのかもしれないですが(笑)。
編集A 主人公と車谷君は、それまでさほど距離が近いわけではなかったのに、どうしてある日いきなり光り始めたのでしょう? そのあたりの理由とかシステムは、ちょっとよくわからなかったです。
編集C まあでも、そこは理屈じゃないというか。
青木 主人公は38歳で、自分のことを「派遣事務のおばちゃんである」と言っていますが、この「おばちゃん」はちょっと言い過ぎかなと思いました。「おばちゃん寄りのお姉さんにしておこう」なんてあたりの描写もすごく楽しいのですが、主人公と同世代の読者が読んだとき、ちょっと複雑な気持ちになるかもしれないです。
編集C この主人公は若干、「あたしはもうおばさんだから」みたいなことを語りすぎかもしれませんね。
青木 そんなに自虐的にならなくてもいいのに、とは思いました。ですがこのあたりは、すぐにでも修正可能なので、それほど大きな問題点ではないと思います。
編集C ただ、やはりと言うべきか、高評価していない人も複数います。予想はなんとなくつきますが、いちおう理由を教えてもらえますか?
編集D ご想像の通りです。確かにすごく面白いし、笑いながら読みましたが、この作品は「下ネタ」に寄りかかりすぎていると思います。話の最初から最後まで、「イチモツが光る」という要素に貫かれている。先ほど、「光っているのが体の他の部位だったら、ここまで面白くはならなかっただろう」という意見が出ましたが、まさにそこに尽きると思います。これ、「ちょっとした下ネタ」ではないですよね。かなりパンチのあるネタです。読者はどうしてもそこに目を奪われてしまう。文章力がどうの、書き手の手腕がどうのという評価とは、また別軸の問題です。
編集C よくわかります。私も最初、「これは奇をてらっている作品なのかな。わざと下ネタをぶつけているの?」と、少々警戒しながら読みました。もっとも、読み終わった今では、この作品を大好きになりましたが。
編集D 確かに楽しめる話だし、テクニカルでもあるのですが、下ネタだから笑いにつながっているという点は否めないと思います。そういう要素抜きでも、果たしてこの面白さを表現できるのかどうかが知りたいです。この一作では判断が難しいなと思います。
青木 確かにそこは、気になる点ではありますね。もし可能なら「次作はぜひ、下ネタ抜きのコメディを」と、リクエストしてみてはどうでしょう。
編集E そうですね。この作者のほかの作品も、ぜひ読んでみたいです。
青木 私はこの作者は、とても筆力の高い方だと思います。下ネタを封印しても、変わらずにすごく面白い話を書いてくれるんじゃないかな。
編集C じゅうぶん書けますよね。というのも、この作者は細かい部分の描写が非常にうまいんです。例えば、和彦が末期のガンだと診断を下された後、二人で病院の食堂に寄ってうどんを食べるシーンがありますよね。ここで和彦が、セルフの水を取りに行きながら、「色々面倒くさいな」ってぼやくんですけど、「その面倒くさいは、決して水のことじゃない」というのを、主人公はわかっていますよね。和彦は和彦で、「面倒くさいって何?」って奥さんが怒りだす可能性を、ちゃんとわかっている。わかっているから、わざと逃げ道のある言い方を選んでいる。それをまた、主人公側もわかっている。お互いにすべてわかっているけれど、でも言葉にはしないという、この繊細な心情の描き方。この作者は人間の心の機微を深く理解していて、それを直接的にではなく、一見何でもないような描写を通して表現することができる人だなと感じました。
青木 だから、読者を笑わせながらも、切なさのにじむ話が書けているんですよね。
編集C 突拍子もない話なのに、細部の描き方にはすごくリアリティがあります。余命いくばくもないと知らされて受け止めきれず、家に帰りたくないから食堂に入った。うどんを頼んだら、おつゆが変な色だった。「これで430円? ぼられてる」と主人公は思った。和彦も「430円か……」とつぶやきながら、でもいつも通り、私に割り箸を割ってくれた……と、どうでもいいといえばどうでもいいような描写なんですが、あるとないとでは全然違う。こういう描写があることで、その場の生っぽい空気感がすごく伝わってきます。
青木 人物描写にしろ場面描写にしろ、解像度がすごく高いですよね。プレハブの工事現場事務所という主人公の職場に関しても、すごく現実感のある描写ができていたと思います。
編集E 主人公が車谷君のことを、「足が短い」だの「ぽっちゃり体形」だの「指がブヨブヨ」だのと言いながら、「好きで好きで仕方ない!」となっているところも、なんだか面白いし、よかったです。かっこいいから好きになったわけじゃないんですよね。地に足のついた愛情なんだなと思えました。
編集C 和彦が闘病しているあたりの描写も、とてもリアルでした。こういう精度の高い描写ができる人は「笑い」にこだわる必要もなく、淡々としたお話を書いても読者を引き込むことができるのではないかと思います。サービス精神が旺盛なのか、すぐ読者を笑わせようとしてくれるんだけど(笑)、シリアスな作品も書ける人だと思う。
青木 そうですね。なので、コメディに限定しなくてもよいので、下ネタだけは一回避けてもらって、あとは書きたいように好きに書いた作品を、また読ませていただきたいですね。とはいえ、コメディの才能がある人って本当に稀なので、やっぱりコメディも書き続けていってほしいなとは思います。センスがないと書けないジャンルですから。それにコメディって、人の心を救うところもあると私は思っています。
編集A 「下ネタ」が引っかかりつつも、結果的にはかなりの絶賛を浴びることとなりました。非常に期待が高まりますね。次作を楽しみに待ちたいと思います。