第232回短編小説新人賞 選評 『川沿いに桜』寝癖
編集D 同棲していた若いカップルがマンネリに陥って、「もう別れよう」と決まったところから始まる物語です。別々の場所へ引っ越すための準備を少しずつ進めていくのですが、気持ちは何だか揺れている。いよいよもうすぐお別れというところまできて、急に方向転換して踏みとどまります。実は相手が大切な存在だったということが、土壇場でようやく、お互いに明確になったわけですね。別れるどころか、一気にプロポーズへと進み、ハッピーエンドで幕を閉じました。それだけと言えばそれだけの話なのですが、結衣と陽司の息の合った日常的なやり取りが、すごくいい感じに描けていたと思います。お似合いの二人がうっかり別れてしまわなくて、本当によかった。「こんな恋愛ができたらいいな」と思って、いろんな場面でキュンキュンしながら読みました。私はイチ推しにしています。
編集A この二人は、すごく気が合ってますよね。別れることが決まった後も仲がいいし。
編集D スーパーの買い物帰りに、以前行ったお花見のことを思い出しながらテンポよく交わす会話とか、ものすごく好きでした。
青木 「鬼に金棒」「虎に翼」「弁慶に薙刀」……と続いていくところですね。
編集A で、「もういいよ」「かぶってんじゃん」ってツッコミが入ったりする。リズムの合った、安定した掛け合いです。
編集D 家具争奪戦の場面も、仲のいい恋人たちの軽妙なツッコミ合戦になっていて、すごく楽しかった。ほんとに、息がぴったり合っている二人です。だから、「このまま一緒にいればいいのに」ってずっと思っていました。最後にその通りになってくれて、嬉しかったです。
編集A 私は、嬉しかったというよりは、「この二人は別れないでしょ」と思いながら読んでいました。だからラストの展開には「ほら、やっぱり!」という感じです。これだけ仲良しで、価値観も合っていて、別れる理由はどこにもないと思う。むしろ、「この二人、どうして別れようとしているんだろう?」と不思議でした。
青木 私もそこが引っかかりました。こんなに気が合うというのに、なぜ? 「私たちは別れるという結論に達しました。両者とも合意しています」という、この物語の出発点に、そもそも納得感がなかったです。むしろ私は、そこに至るまでの過程を小説にしてほしかったかも。
編集D 別れる理由は、冒頭で示されている通りだと思います。お互い好きになったので同棲したけど、いつの間にか熱が冷め、結婚にも発展せず、惰性で一緒にいるだけになってしまったからだと。
青木 惰性……になってるのかな。熱量、冷めてますか? 私にはこの二人、すごくラブラブに感じられるのですが。
編集A 「別れる」と決まった後も、スキンシップが多いですよね。スーパーの行き帰りに手をつないでいたり、ソファでくっついて並んで座ってたり。冒頭シーンでは、ソファの上でいちゃついた後、床でしばらく抱きしめ合っていましたよね。「この二人、本気で別れる気はあるのかな?」と疑問でした。
青木 「別れることに合意済み」の割に、けっこうイチャイチャしてますよね。二人の関係に、特に問題はなさそうです。カップルが別れるときって、普通はもう少し、気持ちがすっかり冷めてしまったとか、何らかの出来事によって二人の仲がぎくしゃくしてしまったとか、それなりの理由や状況の変化があるものではないでしょうか。
編集A 最初の一文、「二度目の賃貸契約更新の紙切れが届いて、当たり前みたいにあたしたちの関係も更新されないことが決まった」というのは、なんだかピンと来なかったです。今のところ問題なく暮らしているなら、「とりあえずもう一度更新しようか」という方向になるほうが「当たり前みたい」なことではないでしょうか。
編集C たとえば、主人公が結婚を迫ったのに陽司が煮え切らなかったとかであれば、「それならもう別れよう」となるのはわかります。でも、そういうことでもなさそうですよね。二人とも、別れることに納得しているらしい。
編集A 本気で別れるなら、もっと事務的に淡々と引っ越しの段取りを進めていくはずではと思います。「第一回、家具争奪戦~」みたいな、楽しい盛り上がり方はしないんじゃないかな。
編集C もう別れると決めている相手と、手をつないで買い物に行って、「俺はここで結衣と二人で見るこの桜が一番綺麗だと思う」なんて言ったりするのは、個人的にはちょっと考えにくいです。
青木 「ならどうして別れるの?」って、ここでもやっぱり思ってしまいますよね。
編集A 陽司はすごく優しい男性ですよね。彼に無邪気に甘える主人公もかわいい。ソファで仲良く語らい、遠慮なく軽口を叩いてじゃれ合う二人は、本当にお似合いのカップルです。なのになぜ?
編集D でも、私はこの話に、すごく感情移入して読みました。とても素敵な恋物語だなと思ったし、ラストではちょっとウルッときちゃったくらいです。いまでもイチ推ししているのですが……個人的な好みに寄りすぎでしょうか。
青木 いえいえ、小説の感想に正しいも間違いもないですから。
編集B 実は私も、けっこう共感しながら読みました。テンポのいい掛け合いとか、ノリツッコミの感覚が、すごく若者にとって読みやすいと感じます。楽しんで読むことができる、いい作品だなと思いました。
青木 あら? 共感している読み手には、若い方が多いようですね。受け取り方の違いは、実は年代の違いだったりするのかも。
編集A もしかしたら、この作品に描かれているような恋愛のありようは、現代ではリアルなのかもしれないですね。
編集E 私はこの話を「現代のリアル」とは思いませんでしたが、「素敵だな」と思ったので、高めの点数をつけています。恋愛経験を多少積み重ねた人たちの中には、「もしあのときああしていたら、別れずにすんだかも……」みたいな未練や後悔を抱えている人も多いのではと思います。この話の恋人たちは、ぎりぎりのところで別れずにすんだ。この展開に癒される読者はいると思います。相思相愛の二人が無事にゴールインを果たす「夢小説」的な見方で、支持する読者が一定数いるのではと感じました。私もその一人です。
青木 ただ、何の出来事も起こらないまま、ラストで「好きだ。結婚しよう」となるのは、やっぱりちょっとストーリーが不足しているように私は感じます。「なぜだかスルッとうまくいきました」ということでは、ドラマとして物足りない気がする。「マンネリ気味の同棲カップルが、別れを意識して初めて、お互いの大切さに気づいた」という話なのであれば、その「気づく」きっかけになる出来事があったほうがいいのではと思います。
構成として、なぜ別れるのだろうと思わせたあとで理由に触れると、すっきりと物語が落ちますよね、それが、「ああわかる」「どっちも悪くない、でも仕方ないよね」と思うものだったりすると、共感性が増します。実は、いつもソファーの右側を取るのが嫌だったとか、小さな嘘をついていて、一緒にいるのが苦しくなっていたとか。
編集A 恋愛ものなのですから、修羅場とまではいかなくても、気持ちがぐぐっと盛り上がるようなところは欲しいですよね。
青木 はい。感情の爆発だったり、気持ちの揺れ動きだったり、何らかの激しさのようなものですね。それが欲しい。私自身、恋愛をテーマにして書くときは、そういうフックになるものを話に必ず入れますし、読むときも、そういうものを読みたいなと思います。でも……どうなんでしょう? 考えてみたらこういうのも、私の単なる好みかもしれませんね。
編集A 私も、どうせ恋愛ものを読むのなら、ちょっとドロドロしているくらいの、きれいなだけではない感情の掘り下げがあるものを読みたいと思うタイプです。でも、確かにこういうのは、一世代上の感覚と言えるのかもしれない。「そういうことを描くのが恋愛もの」と無意識に思っているところがあるかもしれないです。
編集C 本作があまりドロドロしていないのは、主人公たちがけっこう堅実な若者だからではないでしょうか? 二人は教師&公務員で、良識があって、基本的に優しい。しっかりとしたところに就職して、安定した落ち着いた人生を送っている。そういうキャラクターたちの恋愛話だから、あまり激しい展開にならなかったのかなと思います。
青木 でも、それならそれで、そこをフックにすることもできましたよね。主人公は「そろそろ結婚したい」と思っている。そういうしっかりした人生設計を立てている。でも、陽司はまだ決心がつかない。主人公は失望して別れを決心する。
編集C 主人公は中学校の教師だから、独身男性と知り合う機会が少なくて、ちょっと焦ってもいる。だから、「別れよう」と言いつつ、「お互い30歳までに相手が見つからなかったら結婚しようよ」なんて保険もかけてしまったり……とか。
編集A 陽司も本音では別れたくない。だから、別れを突きつけられて、自分の人生に真剣に向き合うことになる。
青木 で、ちょっと衝突したり、何か事件が起こったりを経て、「やっぱりこの人しかいない」とお互いに気づく。「30歳まで待つ必要、なくない?」ってことで、「じゃあ結婚しようか」となる……。
編集C そういう流れだと、話がすっきりまとまりますね。
青木 でも……もしかしたら、この「ストーリーを盛り上げて、ラストですっきりまとめよう」という感覚そのものが、古いのかもしれないですね。本作のような、なんてことのない日常のやり取りが続く中で、穏やかに話が進行するというのが、いまどきの小説なのかもしれない。なんだか私も自信がなくなってきました……。ただ、個人的な好みとして、恋愛ものならもうちょっとドラマチックにしてもよかったのでは、とだけ申し上げておきます。本作のような路線ももちろんアリだと思いますので、こういう系統の作品が好きなら、誰に何と言われようと迷わず突き進んでほしいです。
編集C あと、細かい点ですが、終盤近くで急に最寄り駅の名前が登場してきて、主人公たちが東京在住であることが判明します。こういった情報は、もっと早めに出したほうがよさそうです。
編集E 私はたまたま、作中に出てきたあたりに土地勘があるので、「中学校って、どこだろう?」「区役所勤めではなく、市役所? もしかして他県?」とか、ついいろいろ考えてしまいました。具体的な情報を出す場合は、こうした疑問が読者のノイズになってしまわないように注意したほうがよいかもしれません。それにしても、この二人の掛け合いは良かったですね。「家具争奪戦」の場面など、二人の台詞だけがかなり長く続くのですが、適度に互いの名前を入れたりして、どちらの台詞なのかがちゃんとわかるようになっていました。
編集C この二人の会話は、工夫次第でもっと面白くできるのでは、とも感じました。もう少し軽妙さが欲しいと同時に、読者をハッとさせるような台詞も交ぜてほしいところです。
青木 そうですね。もっとグルーブ感のある楽しい応酬にして、台詞のリーダビリティを上げる。それとともに、その台詞の中から、各キャラクターの人生哲学みたいなものが垣間見えるようになるといいかなと思います。それなら読者は、面白い掛け合いを楽しみつつ、キャラクターの本質にも触れることができますよね。
編集A うまいなと思える描写があちこちにありました。たとえば20枚目。「完成したジグソーパズルのピースを一つ一つ剥がしていくみたいな気持ち悪さがあった」なんて文章は、読んでいて印象に残りました。「別れる」と決めたはずなのに、それが現実として迫ってくると、違和感や寂しさを覚えてしまう。そういう微妙な気持ちを上手に表現できていたと思います。
編集B 全体的に文章が読みやすかったですよね。
青木 ラストで、「陽司は別れるつもりはなかった。だから新しい部屋も借りていなかった」というどんでん返し展開になるのも、よかったと思います。
編集E おそらく、別れ話は結衣から持ち掛けたのでしょうね。陽司は、物わかりのいい彼氏のふりをしていったんは了承したけれど、本当は別れたくなかった。
編集A 結衣が引っ越しの準備を着々と進めているのを、横目でちらちら見ながら、「いつプロポーズしよう」って逡巡していたのかもしれませんね。「どうしよう、いつ言おう」って。
青木 そう考えたら、陽司がすごくかわいいキャラに思えてきますね。ただ、そういう真相であるのなら、読み返した読者が「あ、陽司に別れる気がないことは、実はここで示されていたんだな」と後から気づけるような描写を、どこかに入れ込んでおいた方がよかったと思います。そのほうがメリハリがつきます。
しかしこういったことは、小説を書く上でのテクニックです。この作者はまず、好感度の高い恋愛を描くということに成功しています。嫌みのない物語を書けるということは素晴らしいので、そこは自信をもっていただきたいです。
編集A 陽司が状況にずるずる流されないで、最後にちゃんとプロポーズしたのはよかったです。優しいだけの男性かと思いましたが、ラストで見直しました(笑)。
編集C ハッピーエンドになることは、雰囲気からも感じ取れました。安心して読める恋愛小説になっていて、よかったと思います。評価がちょっと分かれてしまいましたが、同時にジェネレーションギャップを浮かび上がらせる作品でもありました。本作を支持する読み手も少なからずいますので、ぜひ再挑戦していただきたいですね。