第232回短編小説新人賞 選評 『兄の鳥葬』飛鳥休暇
編集A 昔からの掟に従って皆が暮らしている、とある辺境の村。そこに生まれ、そこで生きる少女の、一人称で語られる物語です。現代社会とは大きく違う感覚や価値観が、作品の中では「当たり前のこと」として自然に描かれていて、よかったと思います。世界観がしっかりと構築できていました。
青木 「ファンタジーっぽい作品、来た!」と思って、個人的にはすごく嬉しかったです。
編集E ファンタジー作品かもしれませんが、舞台のモデルはチベットあたりではないかと思います。今も鳥葬が残っている文化圏ですので。羊毛が重要な収入源になっている、というのも同じだと思います。
編集A 具体的な国名や地名は出てこないから、どのくらいのファンタジー度合いなのかはわかりませんが、モデルとなるものはあるということですね。
青木 だから、作品内にリアリティがあるのでしょうね。
編集A 私は、今回の中ではこの作品をイチ推ししています。28枚の短い物語の中に、いろんなものがギュッと詰め込まれていて、すごいなと思いました。古い掟をずっと守り続けている古い村。その中で黙々と暮らしている人々。そこにおいては、「死」というものへの向き合い方も、現代社会とは違います。「殺人」というのは、どんな理由があれ、現代ではタブーです。でも、必ずしもそうではない世界、そうではない暮らし、そうではない人々というものがあり、作者はそういうものを淡々と描いている。けれどもちろん、そこに葛藤はある。罪の意識もある。心を揺らしながら、悲しみに耐えながら、でも、仕方のないことと受け入れて生きている。考えさせられる点や、一つには絞り切れないほどのいろいろなテーマがこの短編には詰め込まれています。それでいて、一つの物語としてちゃんと形を成していました。すごく力量のある書き手だなと思います。
青木 同感です。本作は、とても深いテーマをいくつも内包していますよね。その中でも私は、「民族VS個」というテーマが、すごく心に刺さりました。主人公が暮らしている村、すなわち、主人公が所属している民族というものは、これ自体が一つの命と言えるのではないでしょうか。その命を維持することが、この村の中では最優先されている。個は民族のために生きる。民族を生かすために個が犠牲になっても、それは仕方のないことであり、当たり前のこと。個人的な幸せを追求するのではなく、民族全体にとってより良い行動をすることこそが重要だと考える、そういう村で主人公は暮らしています。
そういう観点から見ると、主人公のお兄さんは、民族に対する反逆者とも言えると思います。外国の本を読んだり海に行きたいと願ったりというのは、知性や好奇心の表れであり、「個の満足」の追求でもありますよね。集団全体の利益より、個人的な満足を優先するということです。いっぽう主人公は、集団の中で掟に従って生きることを選んでいる。これは決して、どちらが正しいというものではありません。でも最終的にお兄さんは、この村の中で命を奪われざるを得なかった。身体的に、村に貢献できない存在だったからです。生きること自体が、彼には苦しいことでもあった。
外の世界に人一倍憧れていたのに、人一倍体が弱くて、個人の幸福を追求するどころか、生を全うすることすらできなかった。その悲しい人生を思うと、胸が締めつけられます。
編集A 誰が悪いわけではないというのが、また辛いですよね。このお兄さんは、決して冷遇されているわけではなかった。村人から疎まれていたわけでもないし、家族はみんなお兄さんのことを心から愛し、最善を尽くしていた。お兄さん自身も、「何らかの方法で、少しでも村の役に立てれば」と願っていた。でも、それは叶わなかった。病気はひどくなるばかりで。
青木 ただ、主人公はべつに民族の掟に逆らう気は全然ないんだけれど、ラストでお兄さんについて、「生まれ変わるならもうこの村の子として生まれないでほしい」とも思っているんです。実は、現在の村のありように反発している。あくまで無意識レベルで、ですが。
編集E 主人公は、「兄殺しの自分」の原罪意識を、逃げずに背負っていますよね。直接手を下したのはお父さんであって、主人公ではないのですが、主人公は「自分が殺した」という思いを胸に抱いたまま暮らし続けている。ここがまたいいなと思いました。
編集A 事実としては「殺した」「死なせた」ということにはなりますが、主人公は、お兄さんが苦しい思いをしていることに、これ以上耐えられなかったわけですよね。もう楽にしてあげたかった。ある意味、救ったとも言えると思います。
編集E 主人公はお兄さんを死の方向に導きましたが、でもそれは、お兄さんの魂を解放したということでもあります。病気の体という苦しい縛りからお兄さんを解き放って自由にしたという誇りが、主人公が今後も変わらぬ暮らしを続けていく力の源になっているのではないでしょうか。本作は、主人公がただ哀しみを抱えているというだけの物語ではないと思います。
青木 はい、非常に複雑な構造になっていますよね。主人公がお兄さんに手をかけたことは、お兄さんが民族に殉じるのを手伝ったとも言えると思います。また、お兄さんの亡骸を鳥が食べ、その鳥をまた、別の生き物が食べる。もしかしたら、主人公が食べることだってあるかもしれない。そういう命の循環の中にお兄さんを入れてあげたということでもあります。「兄殺し」は「兄の解放」でもあり、さらに、永遠に続く生命の循環にもつながっていくものだと思います。
編集A 夕食の肉を食べながら、「この鳥は、おにいの肉を食べた鳥だろうか。」と思ったりするなんて、現代の我々の日常ではあり得ないことですよね。でも、この作品世界ではあり得る。そういう描写をナチュラルにできているのはいいなと思いました。ラストでは、大空を舞う鳥を見上げながら、「あれがおにいの体を食べた鳥だったらいいな。山の向こうへ飛び立ってほしい。そして次に生まれ変わるときは、どうかこの村ではない場所で生まれて、大きな海を自由に泳ぎ回って……」と願っている。小さな村に暮らす小さな少女の、切なくもはるかな思い。そういうものを描けているのが、すごくよかったです。
青木 お兄さんに対しては「どうか来世こそ自由に生きて……」と思っている一方で、自分はこの先も、小さな村で一生を過ごしていくことを当たり前のように思っている。こういうあたりも、読んでいて胸が痛いですね。もっと自由に生きていいのにと思いつつ、でも、それを選択しない彼女の気持ちもわかります。
編集A お父さんとお母さんの気持ちもわかりますよね。特にお父さんは、自分の息子を直接手にかけたわけだけど、息子を愛していることもまた、明確にわかります。生活が苦しくても高い薬を買い続け、病床を慰めるために外国の本や辞書まで買ってあげたりしている。
青木 行数的にはほんのわずかな描写なのに、ちゃんと伝わってきますよね。
編集C 主人公が、恋愛感情のないままソンギと結婚することを自然に受け入れているのも、この村社会のありようをよく伝えていると思います。
青木 ソンギのほうも、主人公との結婚を自然なことと考えていますよね。気のいい少年といった感じで、好感を持てるキャラでした。この作品には、嫌な人とか横暴な人がまったく出てこない。
編集A 小さな集落の中で、慎ましく淡々と生きている人々。すごく想像がつくというか、リアリティをもって描けていると思います。
青木 とても美しくて切ない民族の話だなと思いました。
編集E 日本もかつては、「個の気持ちは抑えて、全体のために奉仕することが美徳」みたいな考え方があったわけで、そういう点では、現代の日本の読者にとっても受け入れやすい話になっていると思います。
青木 そうですね。今は個を大事にする社会になりつつあるけど、以前はこの村のような社会だったこともありましたし、そういう社会だったからこそ生き延びてこられた、というところもあります。社会を、集団を優先すること自体は、完全に否定されるべきことではありません。しかしそれには個の犠牲が伴うわけです。深いテーマです。物語の全体に漂っている諦念は、まったく別世界のものではないように感じられます。
編集E 現代を舞台にこういう話を書こうとすると難しいですが、異国で、時代もちょっと昔で、という設定にすると、割とスルッと受け入れて読むことができますね。
編集A こういうテーマを書こうとするとき、やっぱりファンタジーって、すごく適してますよね。
青木 はい。そういう意味でもファンタジーって、とても重要なジャンルだと思います。この作者は文章がしっかりしているので、ファンタジー世界をちゃんと成立させることができています。
編集A 描き方もうまいですよね。特に、お兄さんが死にかけている場面。お兄さんの苦しい呼吸音と、となりの部屋でおばあさんが機を織っている音とが重なる。「かこんかこん、ひゅーひゅー」のところなんて、かなり恐ろしい場面でもありました。静かな家の中に、規則的な日常の音と、死にかかっている人間の立てる音が同時に響いている。派手な描写ではないのに、大きな効果を上げています。
編集E あえていえば、ちょっと時間軸がわかりづらいところはあるかもしれない。現在シーンと過去シーンが、何度か行ったり来たりしますので。同じような毎日が続く小さな村の中での、現在と、ほんの少し過去の話が並行して描かれるので、ちょっと混乱しやすい。もう少しだけ書き方に工夫してみてはと思います。
編集A 私は、現在と過去を行き来すること自体はそんなに引っかかりませんでしたが、時制を変える際に「******」と、記号を使って区切りをつけているのは気になりました。こういうやり方は小説的ではないと思います。
編集C ただ、冒頭に鳥葬後のシーンを持ってきたのは、話の掴みとして良かったと思います。
編集A やっぱり、ギョッとしますよね。一文目から、「おにいの死体には今日も鳥が群がっている」、なんて。
編集C しかも、「わたしが殺したおにい」とはっきり書いています。読者としては、「どういうこと?」って前のめりになりますよね。そうやって読者の気持ちをつかんでいるんだけれど、それでいて、いたずらに扇情的な話を書こうとしているわけではない。
青木 作者が、グッとこらえているようですよね。こういう話の場合、例えば主人公の結婚相手が意地の悪い村長の息子だったりとか、お兄さんのことで家族が村人からひどい扱いを受けているとか、つい書いてしまいそうになるのですが、そんな安易なキャラも設定も出てきません。だからこそ、民族全体の悲しみへと話が深まっていく。
編集A この抑制的な感じが、すごくいいなと思いました。これ、盛り上げようと思えば、いくらでも盛り上げられるストーリーですよね。なのにそうはしていない。主人公の悲しみを前面に押し出すとか、キャラ同士に大きな衝突をさせるとか、そういうところが一つもなかったです。
青木 主人公がお兄さんを殺す場面で、「おにい、いま楽にしてあげるよ」なんて台詞を言わせることもしなかった。そういう書き方もできたのに、そうしなかったところが、作者のセンスの良さだと思います。
編集A 見方を変えると、エンタメ性はちょっと薄いかなとは思います。話に大きなアクションがなかったですから。
編集C でも、こういう静かな方向性のエンタメも、あるのではないでしょうか。私はとても好きで、高評価しています。短編として完成されていて、修正が必要な点は特に見当たらない。ただ、この書き方のままで長編化させるのは、ちょっと難しいかもしれないです。
編集A 長編を書くなら、もう少し人間ドラマが必要になると思います。それも、現在形で展開していくドラマが。
編集D この主人公とお兄さんの間には、兄妹愛を超えた感情がありましたよね。私はここがとても素敵で、大きな萌えポイントだと感じました。こういうあたりをもっと深めていけば、エンタメ度も上がるのではないでしょうか。この作者さんは、静かな話だけでなく、人間ドラマも書ける方なのではと思います。
編集E 息子を殺した後で、お父さんが「チュムカは、わたしたちの息子は立派に生きたよ」と言うシーンなんて、すごく心に残りました。
編集D 家族みんなが彼を大事に思っているのに殺さざるを得なかったという展開は、淡々と語られているからこそ余計に、読み手の胸に刺さりますよね。
青木 悪いキャラクターが出てきて、主人公がそれを華々しくやっつけるみたいな話は、エンタメとして爽快感があるし引き込まれますが、この作者がそういうものを好まないのであれば、無理に書けと私は言いたくないです。
編集A この静かな抑制的な感じも、すごく魅力がありますよね。
編集C もし、作者がエンタメ志向でないのなら、純文学とかに方向を変えてもいいですしね。そのあたりは作者の気持ち次第だと思います。
編集A 本作は、いろいろなテーマがぎゅっと詰め込まれていて、読みごたえがありました。描かれているものは濃厚なのですが、十二歳の少女が淡々と語る物語なので、さらりと読めるものになっている。完成度の非常に高い作品で、とても良かったと思います。