第231回短編小説新人賞 選評 『宝くじの行方』山田麻矢

編集A とてもかわいいお話ですね。私は大好きです。

編集B 私もです。

青木 「いいものを読ませてもらったなあ」という気持ちになりました。

編集A 人間くさい主人公に、すごく親近感がわきました。

青木 人物像が、ありありと浮かびますよね。小さな会社に長年勤めている、43歳の独身女性。そんなにやりがいのある仕事ではないし、お給料も高くはないけど、職場の居心地はいい。唯一の趣味は、ときどき宝くじを買うこと。

編集B 「才気のある方ではない由起子は、このぬるま湯のような会社で経理事務をしていたら、転職の機会も結婚の機会も逃し、あっという間に二十数年もたってしまった」という一文は、すごくうまいと思います。これだけで、主人公がどういう人物なのか、だいたいの想像がつく。

青木 でも、彼女はべつに不幸なわけではないんです。自分の生活をちゃんと自分で支え、自分なりの楽しみも見つけて、普通に暮らしている。派手で壮大な物語もいいけど、こういうごく普通の人物が主人公のお話も、またいいですよね。

編集B でもある日、目の前をすり抜けていった当選金の100万円に、心がぐらぐら揺れてしまうんですよね。「本当は自分のものだったのに」なんて思ったり。最終的には、「たかだか100万円程度でプライドを捨てたくない」と凛々しく気持ちを切り替えるのですが、それでも枕に顔をうずめて、「来世は勝ーつ!」って(笑)。

編集C そこ! その場面、一番好きでした。

編集A 来世って(笑)。43歳なんて、まだまだ人生これからなのに。

青木 でも、職場に若い子が次々入ってきては、おじさんたちにかわいがられつつも、すぐまた辞めていってしまうのを長年見続けているから、ついつい年寄り気分になってしまうんでしょうね。

編集A そのうえ、若くてかわいくて恋人もいるという、自分よりはるかに幸せであろう萌ちゃんに、さらなる大きな幸運が舞い込んでくる。しかも、自分の目の前をかすめていった幸運がです。これはやはり、平常心ではいられないですよね。

青木 非常に厳しいです。世を恨んでも仕方ない状況かと思えるのですが、でも主人公は恨まない。

編集C 自分の心に必死でブレーキをかけようとしている様が、なんとも健気でかわいいです。

青木 それも、道徳的に自分を戒めるのではなくて、「来世は勝つ!」ですからね(笑)。

編集A でも、翌日になって事態は一変。萌ちゃんがひったくりにあって、くじもなくなってしまいます。ちょっと怪我もして痛々しい萌ちゃんから、「実は、半分ずつ山分けしようと思ってたんです」と打ち明けられ、もうお金のことなんてどうでもよくなってしまう。主人公はやっぱり、すごくいい人ですよね。

青木 昨日は「ほんとは私のものじゃない?」なんて、けっこう本気で思っていたりしたのですが、萌ちゃんの思いを聞くうちに、主人公の気持ちはどんどん変化していきます。ここの気持ちの流れも、とてもうまく描けていたと思います。

編集A だって100万円ですからね。きっぱりあきらめたつもりでも、やっぱりモヤモヤしたものは多少残っていたわけです。でも萌ちゃんに、「もしかしたら長谷川さんが当ててたのかもしれないのに」と言われて、内心を言い当てられた気がして、思わずドキッとする。

青木 そして、「そんなことを思ってくれてたのか!」って、ちょっと胸が熱くなる。そうしたらもう、「私の取り分なんていらない。全額二人で使ってほしい」と、心から思うようになる。萌ちゃんもいい子だし、主人公もいい人で、読者の気持ちもほっこりしますね。それに「そのお金、ほんとはその先輩の手に入るはずだったものじゃない?」って言ってくれたのは、萌ちゃんの彼氏さんでした。この彼氏さんも、すごくいい人だなと思います。

編集D 出てくる人がみんないい人ばかりで、本来なら「あり得ない」はずなのに、不思議と気にならなかったですね。すごく気持ちよく読めました。

編集B 主人公の心に湧いてくる黒い感情を、ちゃんと描いているからだと思います。それがいいスパイスになっている。

青木 「あのお金、私のものなのに」ってね。「あの子が急に気持ちを変えなければ、私が手にしていたはずなのに」って。

編集A そこからさらに、「あの子は私よりずっと幸せなのに。神様さえあの子の味方なのか」なんてことまで考えている。

編集D それが、萌ちゃんから「本来あなたのものなのに」と言われて、今度は一転、申し訳ない気持ちを抱く。この流れは秀逸だと思いました。

編集A そういう細かい心の動きを、よく書けていましたよね。いい人ばかりが出てくるいい話なんだけど、絵空事には感じない。キャラクターの心情の変化に、非常に共感できました。私はこの主人公が大好きです。友達になりたい。

青木 ごく普通の、どこにでもいそうな善良な人を描いている作品です。だから、読み手も自然にキャラクターに寄り添うことができるんですね。

編集A 自分がもしこの主人公の立場だったら、やっぱり同じようなことを考えるだろうなと思いました。読者が主人公の味方になれる話を、すらりと書けているのがとてもよかったです。

青木 単に「いい話」というだけではなくて、読んでいてすごく楽しくもありましたね。萌ちゃんがひったくりにあって、会社のみんなが「大丈夫?」って心配しているときに、主人公は一人、「例の物」が気になって仕方がない(笑)。

編集B 「100万円」という金額の設定は、絶妙だったと思います。「もうちょっとで手に入ったのに!」って思うとすごく惜しいんだけど、状況によっては「まあいいか」と自分をなだめられるギリギリの金額です。これがもし1億円だったら、諦めるのはちょっと難しいと思う。「せめて半分くらい寄こせ」って気持ちが捨てられなくて、ずっと悶々としてしまいそうです。

編集C これ、100万円を誰も手にしていないから、平和的な終わり方ができているのだと思います。もし本当に山分けして50万円ずつ、ってことになったら、それもなんだか中途半端な額ですよね。心から満足、ということにはならなかったんじゃないかな。結局お金が誰の手にも渡ることなく消えてしまった、というラストだからこそ、いい話として締めくくれているのだと思います。

編集A 最後の「くじさん、どこへ行ってしまったの」というのが、私はすごくかわいいと思いました。つい独り言を言ってしまう、独身の中年女性。「こういう人、いそう」って思えるし、人柄が伝わってくる。ユーモアのある書き味で、にこにこしながら読める作品です。

青木 会話もすごく自然に読めました。リーダビリティは高いですね。字面もいいと思います。パッと紙面を見たときの、漢字の混ざり具合がちょうどよかったです。

編集C ストーリー自体はコンパクトで、大きなドラマがあるわけではない。読み始めたときには、ちょっと起伏の少ない作品かなと思ったのですが、最後まで読み終えると、なんだか心に残るいい話だなと思って、私は評価を上げました。

編集A 表面上は、大きなことは何も起こってないみたいなんですが、心の中ではいろんな葛藤がありましたよね。そこがちゃんとドラマになっていたと思います。

編集B 一見地味だけど、ひったくりにあうとか、ちゃんと事件も起こっています。心情的な紆余曲折もある。実は起伏のある話だと思います。

青木 しかも、主人公がラストで一段階成長していますよね。自分の幸せについて、「いつか庭付き一戸建ての家で、犬猫を飼えたら」というぼんやりとしたイメージしか持っていなかったのが、「ペット可の物件に引っ越す」ことを本気で考え始めている。43歳の主人公が、「人より遅いかもしれないけど、それでもやってみよう」と一歩踏み出している姿が、とてもいいなと思いました。読み終えて、読者が幸せな気持ちになれます。

編集D 読後感が非常に良い作品でしたね。

編集A 読んでいて、引っかかるところがないですよね。ツッコミどころがほとんどない。それでいて、ちゃんと心に残る話になっています。

編集E せっかくの選評という場なので、何か改善点があればどなたか。いや、全然出てこないですね(笑)。ここまで賛辞が続くのはすごいです。

編集A あえて絞り出すとするなら、若干、話が短いかもしれない。ほぼ25枚くらいだから、書こうと思えばもう少し長く書ける。とはいえ、物語が不足している印象はないですよね。

編集B 「ここはもっとふくらませたほうが」と思うようなところは、特になかったです。これはこれで完成されている。

青木 粗探しをすれば、直したほうがいいかなと思える細かい点はいくつかあります。でも、それをしてしまうと、この作品のせっかくのいいところが消えてしまいかねない。だから、私はあえて申し上げません。この作者には、このまま進んでいってほしいです。

編集C しいて申し上げるとすれば、今後についてですかね。この作風のままで長編を書いたら、若干盛り上がりに欠ける可能性があるかもしれません。長い尺の中で読者を引っ張るには、何かしら大きな山場も必要になってくると思います。

編集B 登場人物たちも、長編のキャラクターにするには、ちょっと善人すぎるかもしれない。「くじさん、どこへ行ってしまったの」というかわいらしい終わり方も、短編だからこれでOKだけど、長編の締めくくりに持ってくるのは難しいです。

編集C 短編と長編では、書き方も構成も、いろいろ違ってきますからね。

編集A 無理に長編を書こうとしなくてもいいんじゃないかな。私としては、こういうちっちゃな幸せの話を、たくさん書いてほしいです。

青木 長いものも、この作者さんなら書けるんじゃないかと思います。会社の同僚とか、由起子さんがかわいがっている近所の猫とか、小さなエピソードをちゃんと膨らませていって、大きな物語にできる書き手ではないかという気がする。それに、文章がすごくうまいですよね。読者に負担をかけずに、スーッと読ませることができている。これはすごく大事なことだと思います。

編集A かわいらしくて、楽しくて、心に残る。不思議な魅力に満ちた作品で、すごくよかったと思います。