第231回短編小説新人賞 選評 『最後のご飯』瀬木逢涼

編集E 職場で疲弊しすぎて死すら頭をよぎる状態の主人公が、不思議な居酒屋に辿り着き、心を癒されて生き方を変えるお話です。低評価をつけている人は一人もいないですね。

編集A 読みながら、読者も癒される話だと思います。こんな温かな居酒屋さん、現実にあってほしいですよね。

編集C 私、13枚目の「ご飯、食べな。お腹いっぱいになったら、頑張れることだってある」という女将さんの台詞が、すごく心に残りました。

青木 文章も読みやすくてよかったですね。

編集D 何かしら辛い状況を抱えて参っている人が、引き寄せられるように足を踏み入れる居酒屋。明るい女将さんと懐かしいお料理が、毎回お客の心を癒してくれてというのは、連作短編にもうってつけの設定ですよね。とても魅力的だなと思いました。

青木 女将さんが出してくれる素朴なお料理も、おいしそうでしたね。

編集D シンプルでありふれた料理であることこそが、よかったと思います。凝った華やかな料理ではなく、お母さんを思い出させるような家庭料理だったからこそ、主人公の心は癒されたわけです。ここは読者も共感しやすいし、納得感があったと思う。

編集B あくまで個人の感想ですが、私は料理の場面で「おいしそう」とはそれほど感じませんでした。食べた、咀嚼した、飲み込んだ、甘い、美味しい。描写がやや表面的で、読者が主人公と一体になってそのおいしさを味わえる描き方には、まだなっていなかったように思います。「おいしさ」というものを読者に共有してもらうには、料理そのものの描写や「○○した」という行為の説明だけでなく、香りや触感、質感や温度や音など、様々な感覚に訴えかける必要があります。女将さんの料理が魂に沁み入るほどおいしかったから、主人公の人生は変わったわけですよね。この小説において「おいしさ」はとても重要なポイントだと思うので、読者の胸にもそのおいしさが沁みる描写にしてほしかったです。また、主人公は女将さんの味噌汁を食べて、「お母さんの味噌汁の味だ」と感動していますが、でも主人公のお母さんの味噌汁って、市販の顆粒出汁とお手頃価格の味噌で作る「普通の」味噌汁ですよね。ということは、この女将さんの味噌汁も、味は割と普通だったのでしょうか。

編集A その「普通の味噌汁」こそが、主人公の心に刺さったということなのでは?

編集B 「普通の味噌汁」でいいなら、冒頭シーンで主人公自身が作って食べています。頻繁に食べているけど、さして感動はないらしい。でも、女将さんの味噌汁には泣くほど心を動かされている。何がどう違ったのでしょう? 主人公が何をもって、「母さんの味噌汁の味だ」と感じたのか。自分は少し引っかかってしまいました。

編集C 確かに、分かりやすい特徴があったらよかったかもしれませんね。味噌はどういう味なのか。あるいは、いつも具だくさんで、汁より具のほうが多いとか、何か。

青木 「よく卵を入れてくれていた」みたいなので、それが「息子に少しでも栄養を摂らせよう」と思ってのことだったとかね。そういう背景がちらっとでも語られていたら、お母さんの愛情深さがより伝わってきたと思います。

編集C こういう「ご飯もの」の小説においては、ご飯がおいしそうかどうかはもちろん大事なことですけど、単に「おいしそう」に描写すればいいわけではなく、そこにキャラクターの心情がプラスされていることが大事なのかなと思います。その人物にとって、なぜその料理が特別なのか。なぜそんなにも思い入れがあるのか。そこが描かれていると、読み手の共感度はぐっと深まってくる。この話で言うなら、味噌汁にまつわるお母さんの思い出をもっと描く、ということですね。どんなに忙しいときでも、味噌汁だけは欠かさずに作ってくれたとか。すごく落ち込んだ日に、お母さんがそっと出してくれた味噌汁を泣きながら食べたとか。そういったエピソードが、何かしらあると入り込みやすかったかもしれません。

青木 お母さんは「事故で亡くなった」らしいですが、あまり詳しく書かれていなくて、状況がほとんどわかりませんね。ここに関しても、もう少し描写や説明がほしかったです。

編集C お母さんと交わした最後の会話は書かれているのですが、そこまで読み手の心に残らない印象です。「他愛ない会話」なりに、お母さんのお人柄がもっと伝わってくる部分があるとよかったかもしれません。

青木 急な事故で親御さんを亡くすというのは、非常にしんどいことだと思います。だから、生前のお母さんはどんな人だったのかとか、その死を受けて主人公は今どういう心境なのかとか、もう少しいろいろ書かれていると、読者はもっと主人公の気持ちに寄り添って読めたのではないでしょうか。それに、今の書き方だと、職場が辛いから「もう死にたい。死ぬ前にもう一度母さんの味噌汁が飲みたい」と思っているということなのか、それとも、母親を亡くして気落ちしている上に職場の大変さが加わってとうとう耐えきれなくなったということなのか、その辺りも曖昧なように感じます。

編集A そもそも私は、この主人公が「仕事が大変で死にたくなっている」という設定に、今ひとつ納得感を得られなかったです。確かに、生活保護の窓口の仕事は大変だろうと思います。でも、職場のシーンを読む限りでは、主人公はそれほど絶望感を抱えている感じには見えないですよね。強面の申請希望者にも毅然とした態度で応じ、ちゃっかり仕事を押しつけてくる先輩にはチクリと嫌味を返したりしている。どこか余裕があるように感じました。

編集B 課長や先輩たちに内心で毒づくことができているのも、ある意味健全な反応だと思います。もちろん人にはよると思いますが、本気で死に傾くほど精神的に追い詰められている状況なら、こうはならないのではないかな?と

編集A この作品が、「職場で辛い思いをしている主人公」を描こうとしているのは伝わってきますから、読者としても、本当は同情しながら読みたいんです。でも今のままでは、ちょっと主人公の気持ちに寄り添いにくい。

編集B ちなみに現状の描き方では、「生活保護申請者の多くは不正受給目当て」という印象を読者に与えかねない点も、少々引っかかりました。

青木 生活保護課の窓口に来る人の多くが、複雑な事情を抱えていると思います。それは、外側からだとなかなかわかりにくいですよね。序盤に出てくるヤンキー青年だって、実は悲惨な状況を抱えて窮地に陥っているのかもしれない。福祉は繊細な仕事です。人間関係の不遇を嘆く装置として使うだけなら、違う職場の方がよかったと思います。

編集C この主人公に関して、「仕事が大変で不満を持っている」ということしか描かれていないから、読者が心を寄せづらいんですよね。ここに何かエピソードをプラスして、主人公の人となりを読者に伝えてほしい。それも、読者が共感しやすくなる、魅力的な人となりだといいなと思います。例えば、不器用で失敗ばかりだけど、何事にも常に全力で取り組んでいるとか。申請者についつい同情しちゃって、仕事の範囲を超えてまで助けようとするとか。

青木 例のヤンキー青年の申請を通そうと、すごく頑張るとか、ですね。周囲はそろって「放っておけ」と忠告するんだけど、主人公は一人、何とか力になりたいと奔走する。なのに、結局はお金目当てだとわかり、裏切られた主人公はひどく傷ついてしまう。職場では「そら見たことか」と責め立てられ、打ちのめされた主人公は死ぬことすら考え始める例えばそんな展開だったら、読者も主人公がかわいそうになってのめり込めるし、「最果て」という居酒屋にたどり着く流れにも説得力が生まれたと思います。

編集C 主人公はそんなにも優しい人だからこそ、「最後のご飯」を食べさせて死にゆく人を癒してあげるという、ぴったりの仕事に就けたんだなと、読者は納得できますよね。

青木 「死ぬ一歩手前の人が来る居酒屋」というアイディア自体は、すごく面白いと思ました。いろんな話が作れそうですよね。それこそ、連作短編にもできるでしょうし。

編集A 毎回いろんな客が訪れては、「死ぬ前に食べたい料理」にまつわる、それぞれの過去や思い出を語る。とても魅力的な物語になると思います。

編集B ただ、この居酒屋の細かい設定が、ちょっと気になってしまいました。このお店は、作中世界において実在するのでしょうか。それとも、あの世とこの世の間にあるような類のお店なのかな?

編集A 実在はするけど、「死にたい」と本気で思っている人にしか見つけられない店、みたいな感じかと思いました。元気な人は、目の前にあってもまったく気づかないような。

編集C 私は、ファンタジー設定のお店かと思って読んでいました。行けるのは一度だけで、どんなに探しても二度はたどり着けないとか。

編集B でも、主人公はこの店からいったん戻りますよね。一応年度末までしっかり役所の仕事を続け、退職後に改めて店に赴き、後継者として働き始めた。ということは、「死にたい」人でなくても行くことは可能だし、ファンタジーのお店でもないのかな、と感じました。女将さんの言葉で、「年寄りになってから、旦那と始めたお店だ」みたいなことが、ちらりと語られてもいますね。店の赤提灯も、オープン時よりだいぶくたびれている。そういう描写から、「少なくとも最初は、実在の居酒屋としてスタートしたのでは?」と思ったのですが

青木 ただ、主人公が訪れた時点で、この女将さんはもう霊体であるらしい。本体は病院で眠っているとのこと。それだと、実体のない存在が料理を作り、実在するお店を切り盛りしているという状況ですね。

編集A いつからか、霊体がもてなし役を務める店になった、ということなのかな? それなら、ラストで後継者になっている主人公もまた、本体はどこかで眠っていて、霊体になって店に来ているのでしょうか?

編集B 「死にかけ一歩手前の客が来る」というのも、正確にどういう状況を指しているかは曖昧ですよね。「死にたい」と思っている生者が迷い込んでくるのか、それとも、もうこの世から旅立った人が、あの世に行く手前で立ち寄る店なのか。

編集A ラストで店を訪れた上司に対して、「幽霊はそっちだろう」と思っていますよね。ということは、死んだ後に霊体となって訪れる店なのかな。でも主人公は、生きたまま訪れ、また帰っていってますよね。

青木 そういえばこのお店に、病院から電話がかかってきていましたね。あれは実在の病院からだと思います。それならやはり、この居酒屋は実在する。でも女将さんは霊体でうーん? よくわからないですね。ただ、女将さんが、「自分の本体が死にかかってる!」と病院へダーッと駆けつけ、「いやー、まだ死なないみたいだわー」と戻ってくるというくだりは、なんだか面白くて好きですけど(笑)。

編集B 私は、中盤に登場するおじいさんが面白かったです。焼酎の種類を聞いても答えなかったくせに、適当に出してみたら、「馬鹿、芋じゃねぇか!」って(笑)。

編集C カウンターの内側に立ったらお客の望むものが自然とわかる、というシステムではないようですね。でも、なぜかピンポイントで「思い出のご飯」を出せてもいる。私はそこが少々引っかかりました。女将さんは主人公のことを何も知らないはずなのに、「母さんの味噌汁」を出してくれましたよね。主人公もまた、何も知らないまま、「そら豆と塩昆布のおにぎり」を出すことができている。こういう辺りにも、何かしら説明がついていてほしかったです。

編集B 居酒屋についての疑問点や矛盾点は、確かに散見されましたね。書き始める前に、もう少ししっかりと設定を詰めておくとよかったのかもしれません。

編集A 設定がきちんと定まっていれば、描写や展開も自然と、矛盾のない範囲に収めやすいですからね。話を思いついた後にちょっと一呼吸おいて、基本設定を整えてほしかったですね。

編集B あと、技術的なところでは、台詞を置く位置をもう少し考えてみてほしいです。会話の途中に割と長めの描写や説明を挟む、という書き方をしているところが多いのですが、台詞と台詞の間が開きすぎてわかりにくい。今読んでいる台詞は、どういう台詞を受けての返答だったのか、内容を忘れてしまって、いちいち前に戻って読み直したりしました。こういうあたりの書き方には、もう少し工夫の余地があったかもしれません。

編集D でも、30枚の中に、起伏のあるストーリーを作れていたと思います。そこがすごくよかった。

青木 構成力が高いですよね。最初のあたりで主人公にパワハラをしていた上司が、ラストで「死にたくなっている人」として登場してくるという展開も、いいオチになっていたと思います。このラストシーンを効果的にするためには、この上司を、もっとキャラクターとして立たせておいたら、さらに良かったですね。全体として、登場人物の作り込みが少し不足している印象を受けます。

編集A 店と同じく、登場人物に関しても、キャラ表を作るなどして、書き始める前に設定を詰めておいてほしかったですね。話のアイディア自体は、すごくよかったと思います。ほろりとする人情ものを書きたい方なのかなという気がしました。物語づくりのセンスを十分お持ちだと感じますので、ぜひこのまま書き続けていってほしいですね。