第231回短編小説新人賞 選評 『夏の橋渡り』つなべ夏

編集E 主人公が高校生だったときの、とある事件の真相が明らかになり、何年も抱え続けていた罪悪感が晴れるというお話です。さわやかなラストになっていて、よかったですね。

青木 ミステリーとしても楽しめましたよね。「相貌失認」の主人公が、告白してきた男の子を勘違いするという流れと、「ナッツアレルギー」という要素をうまく絡み合わせて、一つの話としてまとめ上げていました。

編集E そこへさらに、「唇を触る癖」という伏線をさりげなく張っていたりする。

青木 そう、ラストにもう一回、どんでん返しが用意されています。真相を知った読者は、もう一度冒頭シーンに戻って二人のやり取りを読み返し、「そういうことだったのね」と納得する。ギミックをうまく利かせられていましたよね。非常にテクニカルな作品だなと思って、私は高評価しています。

編集E 30枚以内の短編という枠にも、ぴったりフィットしていました。まとまりがいいですよね。

編集C 展開の巧みさもいいなと思いましたが、登場人物たちの細かい心の機微を描けているのもすごくよかったです。悪気はなくとも人を傷つけてしまった過去の出来事によって、後悔やザラついた気持ちを抱えているんですよね。主人公だけでなく、長谷川君も、辻君も、そのくすぶった心情がよく伝わってきました。

青木 ラストの、「有志で全員分の名札を作った」というエピソードも、おそらくそういうことでしょうね。かつて主人公を大勢で責めたことを、サッカー部のマネージャーを筆頭に、女の子たちは後悔している。

編集C 主人公は辻君にナッツを食べさせていなかったし、長谷川君も、やっと主人公に謝ることができました。あの日辻君は、長谷川君のやったことをわかっている上でかばったんだけど、自分がしたことがいたたまれない長谷川君は、辻君から距離を置いた。二人の友情はいったん崩れたけれど、おそらく今日再会すれば、二人はまた関係を取り戻せる。そういう様々な、あの日高校生だったみんなの後悔が、この同窓会で全部解消するんだなと思えました。

青木 ただ私、高校時代の回想シーンを読んでいて、どっちが辻君で、どっちが長谷川君なのか、ときどきよくわからなくなりました。

編集C 主人公目線で書かれているからなのかなと思いました。この主人公には「二人の男の子の見分けがつかない」というところがキーになっている話ですから。

編集B でも、こういう「視覚情報に頼れない」人は、もう少し「声」とかの聴覚情報に敏感になるものではないでしょうか? なぜか主人公はいつも、視覚情報に注意を向けてますよね。友人たちの「制服の着崩し方や、髪形、爪の色、アクセサリーのデザイン」の変化にいつも注意を払っていたり、「私服だと特徴がある分、見分けやすいはずだ」と考えたり。でも、そういう「見た目」より、声やしゃべり方などで人を判別しようとする方が、こういう場合自然ではないかなと思ったのですが。

編集A 実際、「アーモンドチョコを渡していた」と告発された場面では、「ついさっき、私を好きだといった声だ」と思っていますよね。「声」で、その人が誰なのかを認識している。

編集B 他にももう少しあちこちで、「聴覚情報」に関する描写を入れておくとよかったかもしれません。「相貌失認」の人の暮らしには、そうでない人とどんな違いがあるのか、もうちょっと調べて盛り込んでほしかったです。

編集C ただ、長谷川君はあまりしゃべらなかったとあるので、区別をつけられるほどの「声」の情報もなかったのかもしれません。主人公は、二人とそんなに親しいわけではなかったですし。

青木 もしかしたら、辻君と長谷川君は、声がけっこう似ていたのかもしれないですね。

編集B 読者に伝わるよう、作中でそういった点に触れてもらえるとありがたかったです。

編集D 私も、長谷川君と辻君がごっちゃになってしまって、すんなり読めなかった一人です。途中で、「えっと、この子は誰だっけ?」となってしまって、少し戻って読み返したりしました。主人公にとっては「よくわからない」状態でいいのですが、読者には混乱なく読んでもらえるよう、もう少し書き方を工夫したほうがいいかなと思います。

青木 そうですね。私は本作をミステリーとして読みました。ミステリー作品というものに明確に振りきるなら、キャラはもうちょっとわかりやすく、記号化して描いたほうがいいと思います。ただ、もし作者がこれを「登場人物の心情を描いた作品」として書いているのであれば、逆に、もう少しキャラクターにしっかりと肉付けをする必要があると思います。

編集D また、話がちょっと込み入りすぎているのも気になりました。「相貌失認」に、「見分けのつかない男の子たち」に、「ナッツアレルギー」。でも、実は「アーモンドは大丈夫」だったりする。そのうえ、回想シーンと現在シーンが並行して進んでいてと、少々複雑です。企みをもって書けているのはすごくいいとは思いますが、30枚の中で仕掛けが二重三重になっていると、ちょっと飲み込みづらいというか、するっとは理解しにくいです。

青木 確かに。この「ナッツアレルギー」という要素は、入れない方法もあったんじゃないかな。主要な要素は、「相貌失認のせいで、辻君と長谷川君の見分けがつかない」ということだけに抑えて、もう少しわかりやすい仕掛けにできたかもしれませんね。

編集D それと、主人公たちは今大学生ということなら、高校生だったのはせいぜい数年前ということになりますよね。細かいところですが、最近の教育現場では、アレルギー対策は結構きちんと取られていると思います。「個人で気をつけて」という感じでは、あまりないんじゃないかな。

編集A 学校側には責任が生じるので、それなりにしっかりと食事の管理をしているはずですよね。下手をすると、生死にも関わります。

編集D そういうことも踏まえると、やっぱり「ナッツアレルギー」ではなく、別の仕掛けでもよかったのではという気がします。いろいろな要素を盛り込んできた意欲は、本当にすごいとは思うのですが。

青木 もう少し話を整理できたら、今のままの詰め込み感でも大丈夫という気がしなくはないのですが、「ちょっとわかりにくかった」という感想も多い以上、もう少し工夫の余地はありそうですね。

編集E ちなみに、少し疑問に感じた点があるのですが、辻君が倒れた場面で、長谷川君は「あっ、自分がくるみのドレッシングを食べさせたせいだ!」と、すでに気づいているわけですよね。しかしそれをわかっていながら、「清野さんがアーモンドをあげたらしい」と、告げ口のようなことをした。これは、長谷川君が清野さんに腹を立てていたから、ということでしょうか。

編集A そうでしょうね。自分を辻君と間違えた挙句、なぜか辻君にだけ謝りに行ってチョコまで渡している。自分には何のフォローもない。だからムカついて、つい口が滑ったということかと思います。

編集E ただ長谷川君は、フラれた腹いせに主人公を陥れようとは、特に考えてはいなかったですよね。辻君の方にちょっとした仕返しをしようとして、ドレッシングをこっそりと混ぜた。それさえもそんなに大きな悪意ではなかった。だから、辻君が倒れた瞬間にはもう、「しまった、大変なことをしてしまった!」と後悔し始めているはずだと思います。なのになぜ、さらに事態を複雑化させる方向に動いてしまったのだろう、と

青木 まあ、まだ高校生ですからね。パニックになって、ついやってしまったのではないでしょうか。

編集D 確かにこれは、好きだった女の子にすることではないかもしれませんね。わざわざ名指しで、罪をなすりつけようとしている。

編集B 自分が犯人だと自覚しているからこそ、「まずい!」と思い、とっさに他の人に疑惑の目を向けさせようとしてしまったというのは、決して褒められたことではありませんが、思考の流れとしてはわかります。どちらかというと私は、その後が理解しがたい。
長谷川君は、そんな自分の言動に、いっそう後悔と罪悪感を募らせたはずですよね。だったらもっと早く、「アーモンドは原因ではない」ことを主人公に伝えて、安心させてあげればよかったのに。

編集A 結局、今に至るまで、何年もずっとみんなに誤解させたまま、ほったらかしにしている状況ですよね。

編集B これが高2の初夏の事件だったということは、主人公は卒業するまで一年半以上もの間、「あの子が辻君をひどい目にあわせたんだよ」と後ろ指をさされて過ごしたということになります。これは辛い。毎日が針の筵だったのではと思います。そんな主人公を横目で見ながら、長谷川君も辻君も、何の行動も起こさなかった。

編集C ただ、「アーモンドのせいではない」ことが知れ渡ると、「では、どうしてアレルギー反応を起こしたの?」ということになり、真犯人探しが始まってしまいかねないですよね。辻君は主人公より、親友の長谷川君の方を大事に思っていますから、長谷川君が責められる事態を避けようとしたのかなと思うのですが。

編集B でも辻君は、無事に戻ってきた後、「自分がやらかしたんだ」と言ってますよね。それは嘘だけど、長谷川君が自分自身を責めないように「そういうこと」にして、一件落着とした。だったらそれを、他のクラスメイトにも言えばよかっただけなのでは?

編集A 同感です。辻君が復帰したとき、おそらくクラスメイトや部活仲間たちは、「大丈夫か? ひどい目にあったな」と、声をかけたと思います。そのとき、「いや、俺がうっかり、くるみのドレッシングを口に入れちゃったんだ。アーモンドは平気なんだよ」って答えればよかったですよね。実際、アーモンドは平気なのですから。それなら、主人公もほっとしただろうし、周囲も「清野さんのせいではなかったのか」と思い直して、問題なく収まったはずです。長谷川君だけは内心いたたまれないでしょうけど、とにかく、何の罪もない主人公が何年も苦しみ続ける事態にはならずに済んだ。

編集D 長谷川君が犯人だとは他の人に悟らせないままで、主人公へのみんなの誤解を解く方法はいくらでもあったのに、二人はそうしなかったですよね。これが小中学生なら、「うまく行動に移せずにぐずぐずしているうちに時間が経ってしまって」ということもあるかもしれませんが、高校生なら、もう少し何かしら対処できてもいいはずではないでしょうか。

編集A そう考えると、辻君も長谷川君もよくないですね。二人が口をつぐんでいるから、周囲は主人公を犯人だと思い込み続けた。そのせいで主人公がどんなに辛い思いをしてきたかと考えると、本当にかわいそうです。

編集B 現在シーンで長谷川君は「好きな子をかばわなかったこと、ずっと後悔してる」と言っていますが、これも少し違うと思います。あの日長谷川君は、わざわざ主人公を名指しした。「かばってあげなかった」のではなく、「積極的に罪を着せた」んです。なのに今、主人公に謝罪するにあたっても、「君をかばってあげられなかった」といったスタンスを取っている。主人公が気づいて追及しなかったら、本当の真相も明かさずに済ませたかもしれない。こう考えると、長谷川君にいい印象を持ちづらいですよね。

編集C 私は、長谷川君は、他人を傷つけて自分を守ろうとするような子じゃないと信じたいです。辻君だって、長谷川君をかばいたいあまりに、積極的な行動が取れなかったんじゃないかな。まだ十代だし、「こうしなきゃ」と頭では思っても、うまくできないということはあると思います。ただ、こうやって読者から不必要に反感を持たれてしまっているわけなので、書き手はもう少し描写の塩梅を考える必要があったかなとも思います。「チョコをあげたのは清野さんだ」と言ってしまったのは、別に意図的ではない、主人公を陥れようとしたわけではないということを、もっと読者に分かってもらえる描き方ができたかもしれません。

編集B あるいは、長谷川君ではなく、女子マネージャーが「清野さんが辻君にアーモンドチョコを渡してるところを、さっき見かけたけど」と言い出す展開にするとか。

青木 で、長谷川君は、「そこで君をかばってあげることもできたのに、僕はそうしなかった」と悔やんでいるとかね。そういった経緯の方が、読者は受け入れやすかったと思います。

編集D この事件が、主人公の高校生活にどれほどのダメージを負わせたのかについては、作中でもう少し具体的な言及があったほうがよかったと思います。時間が経つうちにみんなの記憶も多少薄れ、主人公はそれなりに普通の毎日に戻れたのか。それとも、友人たちにずっと避けられて、孤独な高校生活を送ったのか。それによって、長谷川君たちの行いをどう判断するかも変わってくると思います。

青木 そうですね。特に、沙織ちゃんが変わらず友達でいてくれたのかどうかは、非常に気になります。

編集D 冒頭で、同窓会に行けずにいるという時点で、暗い高校生活だったんだろうなと私は推測しました。こんなに事件を引きずっているということは、楽しい日々ではなかったのではないかと。

編集B ただ、辛いだけの高校時代だったのなら、おそらく同窓会の通知が来た時点で、「欠席」を選んでいるはずですよね。一応出席するつもりで会場近くまで来ているし、「しゃべりたい友達はたくさんいる」とも言っていますから、四面楚歌で卒業まで過ごしたというわけでもなさそうですね。

編集A でも、当時の仲良しが何人もいるということなら、出欠を決める前に、まずLINEとかで「行く? どうする?」みたいなやり取りをするものではないでしょうか。現状の主人公の様子からは、そういう友達がいるような感じを受けないですよね。

編集B 「沙織からは、『気にせずおいでよ。待ってるよ!』というメールをもらったけれど」みたいな描写が、ちらっとでもあると、主人公の状況が少しは推測できたのですが。

編集A ミステリー要素の入った作品だからということもあるかもしれないですけど、登場人物の状況や背景の説明に、やや不足気味なところがありましたね。

編集E ただ、最後の場面はとても雰囲気よくまとめられていたと思います。キャラクターの苦悩が和らいだことで、希望の見えるラストになっていましたよね。川とか空気とかの風景描写には清らかさが感じられて、私はとても好きでした。

編集C 現在シーンの中では、二人の人物が橋の上で立ち話をしているだけなのに、全体的にはとても起伏のある物語を作れていたのもよかったと思います。二人の気持ちに、ちゃんとビフォーアフターの変化が生まれていました。

編集A 「橋の上」というシチュエーションが、主人公の「迷い」を象徴していますよね。同窓会に行くか行かないかを迷って動けずにいた主人公ですが、最終的には「行く」決断をし、向こう岸に渡ることを選んだ。何年間も宙ぶらりんだった後悔の気持ちが、やっと落ち着き先を得たわけです。橋の下を流れている川は、時間の経過や気持ちの変化を表しているのかなと思いました。「過去を水に薄めながら、流れに背中を押されて、前に進めるような気がした」という一文は、とても印象的でした。

編集E 登場人物たちの心情と風景描写が、うまく重なっていますよね。

編集B 「相貌失認」という要素自体が、とても面白いと思いました。主人公自身が相手を認識できていないという状況は、マンガやアニメ、ドラマといった視覚的な作品では描きにくい。小説の強みを活かした作品だなと思います。

青木 最後にどんでん返しが用意されているのも、よかったですね。私は本作をテクニカルなミステリーとして読み、その点を高評価したわけですが、作者はどういうつもりで描いているのか、そこは気になります。ミステリー作品であるなら、キャラクターはもっと記号化して、仕掛けも分かりやすいものにしたほうがいいと思います。でも、もし青春ものとして書いているのなら逆に、もっと状況を詳細に描いて、キャラクターの心情を深めたほうがいい。どちらにより比重を置くのかによって、アドバイスも違ってきます。ここから先は、作者の判断になりますね。

編集C 私は、十代の多感な時期の少年少女の様子が、よく描けているなと思って、そこに心惹かれました。長谷川君というキャラクターは、一部の読者には好感を持たれなかったようですが、私は好きでした。好きな子である主人公を目の前にしたときの長谷川君の緊張感や、慣れていない感じは、学生だからこその初々しさで、いとおしいなと思いました。橋の上で二人が黙って川を見下ろしている場面なども、静かな美しい映像が見えるようで素敵でした。ちょっと詩的な、繊細な空気感の描写も魅力的でした。