第231回短編小説新人賞 選評 『怪物譚』秋畑義定
編集B 江戸時代の、にんぎょう作りの職人のお話です。「にんぎょう」とは、見世物小屋に卸す、作り物の怪物の剥製のこと。主人公は素行が悪く、まったく褒められた人間ではありませんが、職人としての腕は一流で、にんぎょう作りを究めたいという思いの強さは常軌を逸しているほどです。高みを目指すため、禁断の道にもためらいなく踏み込んでいく姿には、凄みがありました。怪物を作ることに執念を燃やす主人公こそが、まさに怪物。ずっしりと読み応えのある作品で、私はイチ押しにしています。
編集A 私も非常に面白く読みました。けっこう淡々と描かれているのに、迫力がありますよね。本当にすごいと思った。同時に、辛い話だなとも思いました。
青木 辛すぎますよね。ちょっともう、言葉にできないです。でも、作品としては素晴らしかった。
編集B ただ、これは時代ものなので、言葉の用い方にもう少し気を配ったほうがいいかもしれません。例えば11枚目に、「日本唯一の国際港を擁する長崎」とありますが、当時の国名は「日本」ではないですよね。「国際港」という言い方も明治以降だと思う。ところどころ、語句が現代のものになってしまっています。
青木 時代ものを書き慣れている、というわけではないのかもしれませんね。
編集B 4枚目の「親の因果が子に祟り」というのも、正しくは「親の因果が子に報い」だと思います。そういうちょっと気になる点はありつつも、それでも時代感はちゃんとある。「出戻りの年増を紹介されて女房をもらうことになった」とか、その奥さんのお多恵さんが、長いこと不在だった夫を、何も聞かずにすすんで受け入れるとか。「現代ならこうはいかないな」という感覚がナチュラルに描けていてよかったです。
青木 文章には独特のリズム、グルーブ感がありますよね。書き手がノリにノッて書いている感じが伝わってきます。こういう作品、私は好きですね。
編集B 気がついたら、作品世界に引きずり込まれて、読まされていました。勢いは途中で落ちるどころか、むしろ加速して、話はどんどん深まっていく。最後まで期待を裏切りませんでした。
青木 キャラクターの描き方もよかったと思います。ちょっとロードノベルっぽい話で、居場所を追われたり師を求めたりして、主人公はさすらうように各地を渡り歩いていきます。その先々でいろいろな人と出会うわけですが、そのちょっとした登場人物たちが、ちゃんとキャラが立っているんですよね。記号ではなく、生きている人間として描けていました。
編集A 各々のキャラクターが、目に見える感じですよね。そんなにあれこれ細かく描写しているわけでもないのに、映像がちゃんと浮かびます。
青木 新太郎は不思議と主人公に懐いているとか、お多恵さんはあまり学はなさそうだけど、夫のことが大好きなんだろうなとか。それほどはっきりとは書いていないのに、すごく伝わってきます。
編集B 見世物小屋の末成り顔の亭主ですら、姿が目に浮かびます。ほんのわずかな時間しか登場してこないのに。
青木 中でも、陳雲和尚のキャラはすごくよかったです。お坊さんなのに、妖気の漂う奇怪なものにどうしようもなく心惹かれてしまう。そんな己を恥じているのに、抗うことができない。
編集B いいですよね。民を救うことに人生を捧げた誰からも信頼される老僧なのに、「実はグロが好き」という秘密を抱えている。
青木 宗教に生きているのに、相容れない趣向を手放すことができない。主人公が人間の道を踏み外すことに気づいていても、見て見ぬふりをします。高齢になって悟るどころか、ますます欲に支配されていくという、人間の業みたいなものを感じますよね。
編集E 剥製を作る描写に真実味があったのも、とてもよかったと思います。ちょっとネットで検索しました、という感じではないですよね。それなりにしっかりと調べたうえで書いているのではと思えます。ところどころで固有名詞を混ぜ込んだりするのも非常にうまくて、「もしかしてこの話は、現実にあったことではないだろうか」と思わせてくれます。
編集B 「山村よりは漁村の方が余所者に寛容である」とか、ちょっとした描写にもリアリティがありました。こういうあたりも、作品世界をしっかり維持できているポイントだと感じます。
編集D ラストの締めくくり方も、余韻があってよかったと思います。これを蛇足と思う読者もいるのかもしれないけれど、私はすごく好きでした。
編集E 主人公が己のすべてを注ぎ込んだ鬼気迫る作品が、言語も文化も異なる場所でひっそりと息づいているというのがいいですよね。遠い北の異国の保管庫の奥で、あの醜怪な「にんぎょう」が妖しい熱気をたたえたまま静かにたたずんでいるのかと思うと、なんとも凄みのある終わり方だなと思いました。
編集D 主人公の妄執がここに結実したんだなと思えて、感慨深いですよね。この「クンストカメラ」というのは実在するようですが、そんなに有名なものでもないと思うので、ほんの一行二行でいいから、説明があると分かりやすかったと思います。
編集B ちょっと調べてみたら、実際かなりエグい物も収蔵されているらしく、この話の「にんぎょう」がそこにあっても違和感はない雰囲気でした。
編集A 「これ、本当にあったことなんじゃないの?」と思える終わり方は、ぞくぞくしますね。
青木 時代小説って、こうして酔わせてくれますよね。読者を作品世界に入り込ませる描き方ができているのは、すごくよかったです。文章も、しっかりと文語調で書くことができていました。
編集E 原稿をパッと見たとき、漢字が多めで、文章の仰々しさが伝わってきました。それもまた、世界観につながっていますよね。
青木 はい。なのに、決して読みにくくはない。どんなに文章がぎちぎちでも、リズムがあれば自然に読めます。だから、リーダビリティは高いです。
編集B ただ、現状では、主人公の追い求めているものが何なのかという点が、ちょっと漠然としていると思いました。この主人公は、単に「とにかくすごいもの」を作りたいのではない。最終的に目指しているのは、「本物の怪物」と認められるものを作り上げることですよね。人造物だと見破ることができないもの。専門家にさえ「これは実在した怪物のミイラに違いない」と思われるものを作りたかったのだろうと思います。だったら、そこをもう少しはっきりと打ち出しておいた方がいいと思う。でないと、ラストで「獣なのか人造物なのか、それさえついにわからなかった」となっても、「主人公がついに到達した」感が薄い。
青木 そうですね。主人公が「完成品」と思うものが何なのかということをもう少し明確にしておいた方が、このラストが活きますね。
編集A それに、陳雲和尚を殺す展開になる理由も、さらに明確になると思います。
編集B 例えば、わらすぼを見た陳雲から「こういう作り物にひどく興味があって」と言われた際に、「ひと目で人造物だとわかってしまうのか!」と愕然とし、悔しくてたまらなくなるとか。師匠に弟子入りする場面でも、「技がすごいから」ではなく、「本物にしか見えないものを作れるから」が理由だということを、もう少し強調するとか。この話がたどり着きたい場所を念頭に置いたエピソード作りができていたら、完成度はより高まっただろうと思います。
編集A 現状でも完成度は十分高いと思います。そして何より、面白い。問答無用で引き込まれて、ぐいぐい読まされました。
青木 ただ、この「子殺し」展開だけは、あまりに辛すぎると思います。もちろん、この要素があってこその、この話なんですけど、それにしても……。
編集C 読み始めたときから危うい雰囲気の漂う作品でしたが、師匠に弟子入りした後ぐらいから、残酷度が一気に増しますよね。師匠が殺されて命からがら逃げ帰った主人公の前に、「小さな男の子」である息子が登場する場面では、思わずギクリとさせられました。
編集B 「あ、これはヤバい」って、思いますよね。よくない未来が予想できてしまう。
編集A 息子の新太郎がまた、すごくいい子で、最初から懐いてくれる。にっこり笑って手をつないでくれたり、連れ出されてもおとなしく従って、わがままひとつ言わないんです。
青木 だから余計に、「やめて……」と思いながら読みました。新太郎がかわいくて、かわいそうで、ほんとに辛い。
編集C 家を出た主人公は、お多恵さんのことなんてかけらも思い出しはしない。新太郎が衰弱して死に至る様も、淡々と観察している。こういう、人間らしい情を全く感じさせない描写からも、主人公のキャラクターがすごく伝わってきました。
青木 淡々としているからこそ、怖いですよね。怖いけれど、すごい話だなと思う。外道の道ではあっても、その道を究めたいという、ある種の芸術家の妄執のようなものを、この作品は描き切っていたと思います。
編集A 人間の醜い部分、見てはいけない部分を正面から描いていて、圧倒されますね。
編集D 多方面への「配慮」が多く求められる今の世相の中、よく臆せずこういう作品を書き切ったなと思います。その点でも、私は今作を高く評価しています。
青木 筆力が抜群にありますよね。
編集B 絶賛している人は多いし、私もその一人です。ただ、この作品に賞を与えられるかというと……、正直ためらいがあります。
編集A すごい作品だし、よくぞ描き切ったとも思うのですが、本能的な抵抗感が生じますね。
編集B 小説にモラルを持ち込むのは無粋だとは思うけれど、受賞となると話はまたちょっと違ってきます。今作を、本賞の受賞作とするかどうか……。
青木 でも、こういう作品を書いてはいけないとは、私は絶対に言いたくないです。「子殺し」に対する生理的な嫌悪感はありますが、今作に込められた作者の情熱もまた、ひしひしと伝わってきます。そういうものを読者に感じさせていること自体、すごいですよね。
編集A そこは同感です。非常に出来のいい作品なのは間違いない。とはいえ、今回は非常にレベルが高く、票数で拮抗している作品や上回っている作品もあります。それらを話し合ったうえで検討しましょう。受賞に至らなかったとしても、とても魅力ある作品を書かれる方ですので、また挑戦して新しい作品を読ませていただきたいですね。
編集E この筆力と熱量で、次はどんな作品を書いてくださるのかと思うと、非常に期待が高まりますね。