第230回短編小説新人賞 選評 『少女はサファイアの涙を流す』荒野羊仔

編集E 非常に美しい世界観を持ったファンタジー作品です。私はイチ押しにしました。

編集D 「宝石の涙を流す少女」という題材は、ベタと言われればそうなのですが、やはりとてもきれいで魅力的ですよね。

青木 主人公の女の子が、流されるように各地を転々としていく。これは、ファンタジーのロードノベルだと思います。何かを探して淡々と進んでいく旅小説、みたいな雰囲気がすごくよかった。ただ、そういう系統の話には必ず、最終的な目標が何かあるはずです。例えば『指輪物語』なら、「指輪を捨てること」が旅の目的でしたよね。おそらくこの作品においては、「海が見たい」というのが一応の最終目標だろうとは思うのですが、ちょっとそのあたりがぼんやりしているように感じました。

編集E サファイアの涙を流す少女が、まだ見ぬ海を目指すわけですよね。主人公の悲痛な思いの結晶であるサファイアと、宝石のように青い海とがリンクして、私はすごく美しいイメージでいいなと思いました。

編集B でも、「海を見たい」という目標は、行商人に連れて行かれる馬車の中で、「どうせ死ぬなら、せめてその前に自分は何をしたいのか?」と自問した結果、思いついたものですよね。「私の望みって何だろう?」とわざわざ考えなければ出てこなかったという時点で、動機としては若干弱い。もう少し、「幼い頃からの夢だった」とか、「とある出来事をきっかけに、海に憧れるようになった」とか、強いモチベーションが感じられる描写なりエピソードなりがあったらよかったと思いました。

青木 話が始まって間もなくの2枚目に、「たったひとつ、この世界には足りないものがある」、とありますよね。おそらくそれは、「リュカがいない」ということを指しているのだろうと思いますが、でも、「リュカ」と「海」との間には繋がりがないですよね。ラストで、リュカと過ごした日々を幸せな思い出として昇華させた主人公が、なぜ「海を見に行こう」と旅立つのか、ちょっとよくわからなかったです。現状の書き方では、「足りないもの=海を見ること」になってしまうんじゃないかな。

編集C 冒頭で示唆された「足りないもの」を満たすために、主人公はラストで目標に向かって歩き始めるわけですからね。少々、話の組み立てがうまくいっていない感じがあります。

青木 そもそも、どうしてラストで旅立つのか、そこもよくわからなかったです。辛い流浪の日々の果てに、やっと安心して過ごせる場所にたどり着いたのですから、このままこのお屋敷で、優しい旦那様にお仕えして暮らしていけばいいのではないでしょうか?

編集C その幸せな暮らしを捨ててまで海を見に行くのですから、「海を見る」ことが主人公にとってなぜそんなにも重要なのか、その理由を読者に納得させる必要がありましたね。

青木 あと、この話は「旦那様」から始まりますよね。「優しい旦那様」がまず登場してきて、そのあと、主人公の辛かった過去の回想が始まる。だからこの作品は、親に虐待された挙句売られたり、助けてくれたリュカと死に別れたり、いろいろ悲しい目に遭ったけれども、最終的に心安らげる人に出会えましたという話なのかなと思っていました。でも、ラストで主人公が旦那様の元から旅立つということは、「旦那様」は終着点ではなかったということですよね。その場合、冒頭シーンを「旦那様」にするのは、ちょっと適切ではないかなと思います。

編集C 主人公を救ってくれた重要人物は二人登場しますが、このラストを見る限り、主人公が大切に思っているのは「旦那様」よりも「リュカ」のほうでしょうね。

青木 本作は、「リュカとの旅の日々が、どれほど幸福で価値あるものであったか」ということを、主人公が後に再発見する話ではないかと思います。だとするなら、やはり「旦那様」から話を始めるのはやめたほうがいい。この話のヒーローはリュカで、旦那様は脇役に過ぎないのですから。

編集C リュカとの旅の果てに旦那様にたどり着いたのではなく、旦那様のもとで心を回復させることができたから、リュカと暮らした日々の価値と幸福さに改めて気づけた、という話なんですよね。

青木 今の書き方では、主人公にとって一番大切な人物が、リュカなのか旦那様なのかよくわからない。だから、話もなんだかぼんやりしてしまって、何を描いた作品なのかも曖昧に感じられてしまいます。まずは、物語の構成を見直したほうがいいと思いますね。

編集D 例えばですが、リュカと旅をしているところから始めて、旅の描写の合間に、主人公の辛い過去が少しずつ明かされる。そしてリュカと死に別れて、絶望の果てに旦那様にたどり着き、最初は心を閉ざしていたんだけど、ラストでようやくリュカとの思い出を話しながら、今度は喜びの涙を流すことができたというような流れにすると、話がうまくまとまるのではないかと思います。

編集B リュカとの旅の日々は、もう少ししっかりと描いてほしかった。主人公にとって一番大切な人物である割に、リュカは短い枚数しか登場してこない。むしろ、今は亡きリュカを主人公が思い返しているところのほうが分量が多い印象です。「あの旅の日々の価値と幸福さ」が話の重要ポイントなのですから、その具体的描写にこそ筆を費やしてほしかった。

青木 確かに。それと、人物描写も不足気味だと思います。重要なキャラなのに、リュカがどういう人物なのかは、ちょっと掴みにくかったですね。いろいろ過去がありそうなのに、まったく描かれていないですし。

編集C 世捨て人っぽいというか、人目を避けて暮らしている感じがありましたよね。主人公の中に自分と似たものを感じ、旅の連れにしてくれたのかなと思います。お互いに相手の境遇は尋ねず、「その沈黙が何よりも心地よかった」とある。そんなリュカだからこそ主人公は心を預けられたのだろうとは思いますが、読者としてはもう少しいろいろ知りたかったですね。

編集B 行き場のない主人公を拾ってくれた上、どんなに生活が苦しくてもミリアムの涙の宝石を売ろうとは絶対にしなかった。すごく優しい人なのだなとは思います。ただ、現状では無口でクールな印象が強く、人となりがつかめず、あまり深く思い入れはできなかった。

編集D 私もです。だから、リュカが死んだ場面でも、読んでいてあまり心が動かなかった。主人公は泣かず、羊の内臓の中にリュカが隠した宝石を見つけてはじめて泣くわけですが、ここでも読み手の感情は、主人公ほどには盛り上がりにくいように思います。

編集C リュカとフィルは魅力的にしようと思えばいくらでもできるキャラだと思うのに、すごくもったいない。喋らない男と、人懐こい犬の組み合わせなんて、最高じゃないですか?

青木 非常においしいですよね(笑)。リュカの過去に関しては、そんなに詳しく書く必要はないですけど、読者が「もしかして、こういうことなのかな?」と想像を広げられるよすがになるものを、もう少し入れておいてくれたら、とは思いますね。そういうのがちょっとあるだけでも、読者のキャラクターに対するのめり込み度はかなり変わってきますから。

編集C そして、旦那様の描き方には、もう少し注意が必要かなと思います。私は冒頭のシーンを読んで、主人公と旦那様の関係をちょっと誤解してしまいました。「もしかしてこの二人は、深い仲なの?」と。

編集D なんだか、一緒のベッドで眠った翌朝の二人、のように感じられてしまいますよね。

編集C 読み進むと、そんな関係ではないということはわかってくるのですが、なんといっても冒頭シーンですから。場面描写が不足気味なのもあり、内容もよく分からないまま、そういう印象を持ってしまいました。そういった意味でもやはり、冒頭を「旦那様」で始めるのはやめたほうがいいのではと思います。そもそも冒頭シーンは、旦那様の部屋なのでしょうか? それとも、主人公の部屋? もし旦那様の部屋なのだとしたら、「埃っぽい部屋」というのは妙です。一方、ここが主人公が寝起きする使用人部屋だとするなら、大きなお屋敷の旦那様が先に起きて使用人の部屋に赴き、「おはよう」「よく眠れた?」なんて声をかけるのは考えられないことです。この場面における人物の位置関係や、今どんな格好をしているのかといったこともよく分からなかった。大事な冒頭シーンですから、もう少し読者が正しいイメージを持てる描写を心がけたほうがいいと思います。

編集D 作者は、旦那様をすごく優しい人物として描こうとしたのではないかと思うのですが。主人公を「使用人」というポジションにしなくてもよかったのでは。放浪していたところを拾われ、居候させてもらっている、くらいの状況設定でもよかったのではないでしょうか。主人公は「かわいそうな女の子」として描こうとされている意図を感じますから、「お客様扱いされるのでは贅沢すぎる」と作者は考えたのかもしれないけど、その結果旦那様の優しさが、使用人に向けるにしては過度なものになってしまっていました。

青木 人物の描写の塩梅が、ちょっとうまくいっていないように感じますね。加えて、現代における小説のリーダビリティということを考えると、もう少しキャラクター性も高めたほうがいいように思います。作品の設定は魅力的なのですが、キャラが少し弱いように思いました。

編集D どんなに美しい世界観の作品であっても、その中で生きている登場人物たちの感情が伝わってこないと、読者の心には刺さりにくい。もう少し、心情描写に力を入れてほしかった。

編集C 特に、この話において一番重要な、主人公とリュカとの心の交流の部分を、読者にしっかり伝わるように描いてほしかったと思います。

青木 同感です。終盤で主人公が喜びの涙を流すクライマックスシーンは、それなりに胸に迫っては来るのですが、でも同時に、「え、そんなにリュカのこと好きだったの?」という気もちょっとしてしまいますね。「いつの間に、それほどの強い気持ちになっていたの?」と。

編集C 二人の旅の日々は、現状だとただ黙って移動してるだけにも読み取れてしまいますから、「あの輝いていた幸せな日々」と言われても、ピンと来にくい感じがある。そんなに長々と書く必要はありませんが、ちょっとした印象的な会話とか、心温まるエピソードとか、ほんの一つ二つでいいから何かほしかった。そういうものがあれば、主人公が涙を流すこのクライマックスシーンで、読者の胸もギュッと締め付けられたかと思います。

編集A これは私の推測ですが、主人公からリュカへの気持ちは、おそらく恋愛感情ではないですよね。本作は、辛い境遇のせいで家族的な愛情に飢えていた主人公が、旅をしながらいろいろな人と出会い、「愛」を体験していく話だろうと思います。両親からひどい扱いを受け続けてきたからこそ、リュカとの旅暮らしが「美しい喜びの日々」になったのでしょうし、そのひどい親でさえ、高熱にうなされる主人公を心配して看病してくれた日もあった。そういう「愛情のある・なし」という状況の描き方に、もっとくっきりと落差をつけたほうがいいのではと思います。愛を得た「幸福」があるからこそ、失ったときは「絶望」となる。そして「絶望」の状況にいたからこそ、誰かの愛に救われれば、震えるほどの「幸福」を感じられる。そこのメリハリがもっと強調されていれば、より思い入れしやすい作品になったのではないでしょうか。

編集C やや語りが淡々としすぎているんですよね。辛い目に遭いすぎて、心を殺して生きている女の子の一人語りだから、というのはわかるのですが、何かしらの工夫の余地はまだあると思います。

編集A リュカを女性に設定するというのも、一案だったかもしれません。

青木 そうですね。そのほうが、「旦那様」という存在との違いも際立ちます。そもそも、「拾った男」と「拾われた女の子」という関係は、ちょっと生々しいとも言えますし。

編集C 女性同士なら、年が離れていてもいろいろ会話もしやすいでしょうし、「旅の日々」がもっといきいきしたものになったかもしれませんね。

編集D リュカとの関係性は「疑似家族」という前提の元、私は個人的にはリュカは男性のほうが、トキメキ感のある話になって引かれるかなと思います。ただ、リュカに関してはあまりにも描写がなく、外見はおろか、年齢すらわからない。これでは、疑似家族になるにしても、お兄さん代わりなのか、お父さん代わりなのかもイメージしにくい。

編集A 旦那様に関しても同じです。年齢も外見も分からない。

編集E 私は主人公に非常に共鳴しながら読みましたが、それでも主人公の像が思い描けなかったです。情景描写はよくできているのに、人物描写は弱いのが気になりました。

編集C せめて、髪や目の色くらいはどこかで出してほしかった。宝石がこぼれ落ちる主人公の瞳が何色なのかは、読者が映像を思い浮かべるのに必要な情報だったと思います。髪の色もブロンドなのか黒色なのかで、話の雰囲気が違ってきますよね。

青木 金髪碧眼の北欧系なのか、それとも、黒い瞳に黒い髪の大陸系か。それだけでもかなり、作品の雰囲気は変わりますよね。ギリシャ系、南洋系、ケルト系ひとくちにファンタジーと言っても、作品世界はいろいろです。登場人物の詳細なルックス描写は、必ずしも必要というわけではありませんが、読者が脳内で像を結べる手がかりくらいは欲しいところです。

編集A 疑似家族として心がつながる話なら、主要人物たちのだいたいの年齢差くらいは読者に伝えたほうがいいですね。フィルの姿も「ふわふわの犬」としか描写がなく、読んでいてうまく映像化できませんでした。

青木 無理に頑張ってたくさん描写しなくても、ちょっとした言葉をちらっと入れるだけで、読者にさりげなく情報を伝えることは可能です。「老いた旦那様」とあれば、もうそれだけで映像は浮かぶし、「リュカは、若いときにいろいろあったのかもしれない」という一文でもあれば、年齢の範囲も狭まってくる。フィルだって、「じゃれついて立ち上がると、私の背丈ほどになる」とでもあれば、「大型犬なんだな」とわかります。

編集C この物語を書いているとき、作者の脳裏にはちゃんと映像が映し出されているのだろうと思いますから、それをしっかりと文章化して読者に伝えてほしいですね。せっかく魅力的な設定なのですから。

編集E はっきりとしたテーマがあるお話なのはとても良かったです。「悲しみよりも、喜びのほうが価値がある」ということを、宝石の色に関連づけて描き出そうとしていますよね。終盤で、主人公がリュカを思って流す涙が、彼を失くしたことを嘆く悲しみの青ではなく、今も二人を繋いでいる深い思い、広義の意味での「愛」を象徴する暁色だったという展開は、すごく胸に刺さりました。

編集B 「感情によって、涙の宝石の色が変わる」という設定は、とてもよかったですね。ただ、この「色」に関しては、今ひとつ効果的に使いきれていなかったと感じました。「暁の色」「暁と雲の境目のような淡く眩い色」「橙と桃色が混ざった色」「暁にも黄昏にも似た色」いろんな言葉で表現しすぎているので、どんな色なのか、逆にイメージしにくい。

編集A ラストで主人公が「暁色のサファイアだけを持っていく」と言っていますが、このサファイアがどの時点で流した涙のことなのか、よくわからないですね。

編集B 「青いサファイアが最も価値がある」はずだったのに、「もっと価値が高いのは、実は暁色だ」という話になり、でも旦那様は、「心が無価値なんてことはないから、どんな色のサファイアにも価値がある」といったことも言っている。宝石の色に関する表現やエピソードがごちゃごちゃしていて、結局、サファイアの色の価値をどう捉えればいいのか、混乱してしまいました。

青木 作者にとって重要な要素だからこそ、サファイアに関する描写に、つい力が入りすぎてしまったのかもしれないですね。

編集E この作者は、美しいイメージを描きたい気持ちが強い書き手なのだろうなと思います。たとえば冒頭の一文も、描写の仕方がしっかりとファンタジー的で、私はすんなり話に入れました。

編集C 詩的な文章で物語が幕を開けるのはいいですよね。ただ、話が進むにつれ、文章がどんどん淡々とした感じになっていって、個人的には残念でした。現状ではこの作品は、小説というより、長い物語のダイジェストという印象がぬぐえないように思います。

青木 枚数との兼ね合いもありますよね。30枚でロードノベルを書くのは、かなり難しいと思う。この話は設定も世界観もとてもきれいで素敵なのですから、もっとエピソードを練って、長編にしてみてはどうかなと思います。

編集A ただ、設定部分には粗も目立ちました。この作品世界がどういう社会制度で成り立っているのかは、非常にぼんやりとしています。例えば、この「旦那様」は貴族なのでしょうか? それなら領地からいくらでも連れてくればいいので「働き手がいない」というのはおかしな話です。単にお金持ちということなら、どういったルートで収入を得ているのでしょう? 羊飼いであるリュカがなぜ大陸移動説を知っているのかも、街の「情報屋」なるものがどういうものなのかもよく分からない。登場人物たちがどんな服を着てどんな靴を履いているのかさえ、イメージしにくかったです。

編集C 議論の中で、「描写が足りなくて、イメージしにくい」という指摘が何度も出てきましたが、それはやはり、設定がまだ十分に詰められていないからだろうと思います。
ざっくりでもいいので地図を描いたり、キャラクター表を作ってみるといいかもしれません。そういうものがあるとないとでは、作品にどういった設定や描写を盛り込むかの取捨選択のしやすさもずいぶん違ってきますから。

青木 技術的な点に関しては、『ファンタジー小説を書くには』みたいな本でも一冊読んでみたら、一通りのノウハウは知ることができると思うので、一応おすすめしておきます。でも私はとにかく、「ファンタジーに挑戦した」という心意気は高く評価したい。この作者は、「ファンタジーを書きたい」という気持ちの強い方なのかなと思います。引っかかる点はいろいろありつつも、本作からは、作者のファンタジーへの情熱というものをすごく感じますよね。

編集C この美しいファンタジー世界を思い浮かべられるのは、一つの才能だと思います。

青木 技術的な面は、これからいくらでも伸ばしていけますので、今の、「こういう世界が書きたいんだ!」という気持ちは、どうか大事にしてほしい。そのうえで、指摘された点も参考にしてもらえれば嬉しいです。

編集C 設定やエピソードを練り直して、長編に書き直してもいいですよね。できあがったなら、ぜひノベル大賞へ。もちろん、新たな短編作品もお待ちしております。