第230回短編小説新人賞 選評『三連符』高代旭
編集D とても親しい友人、それも、兄のように慕っていた人を亡くした主人公の、心の内が描かれた作品でした。一人称の語りの中に、主人公の思いのたけがこもっていて、とてもよかったと思います。
青木 てらいなく、真正面から「人の気持ち」を描いた作品ですよね。
編集D 実は私はずっと、「ブロマンスかな?」と思って読んでいました。主人公と「奴」が相手のことを心から思っているということがひしひしと伝わってきました。
編集C 男のニヒリズムみたいなものが感じられますね。全編シリアスで、深刻な思いを語っている話だからかもしれませんが。
青木 全体的に、レベルの高い書き手だなと思います。雰囲気がありますよね。すごくうまいですし、書き慣れていると感じます。
編集B ただ、文章には少し、一本調子なところがあるかなとも感じました。過去形の短い文章で、末尾が「~だ」「~た」「~だった」みたいなものが多いですよね。簡潔で読みやすくはあるのですが、ちょっと気になりました。
編集A 私は、ちょっとこの話をあまりうまく読み取れなかったです。「奴」が主人公に楽譜を渡したのには、どういう意味があるのでしょう? わざわざ妹に、「俺が死んだら、あいつに渡してくれ」と頼んでいたわけですよね。この楽譜を手にした主人公に、何をどんな風に思ってもらいたかったのでしょうか?
編集C この曲にどんなメッセージが込められているのかは、明確にはわかりませんね。
編集A 主人公が有名なアーティストなら、「この曲に日の目を見させてくれ」ということかもしれないけど、彼はバックミュージシャンという設定です。この曲が世に出る可能性は低い。
青木 いやいや、これは、仕事には関係ないと思います。この楽譜は、あくまでこのお兄さんの個人的な思いの結晶だという気がする。
編集A では「実は、俺は音楽を続けてたよ」という意味なのかな? 「諦めてなんていなかったんだよ」という。
青木 でもそれなら生前に、もっと早い段階で明かしていればよかったのではないでしょうか。主人公とは深い絆があるのですから、なにも隠したりしなくてもと思うのですが。
編集C このお兄さんは、妹のために音楽の道を諦めたんですよね。でも、それを妹の心の負担にはさせたくなかった。だから妹と主人公に対しては、「音楽はもうすっぱりやめたんだ」と、表面上は訣別したふりをしていたのではないでしょうか?
青木 でも妹の千代ちゃんは、もう何年も前に結婚して、子供もいる。もう兄妹の生活は分かれています。千代ちゃんは新たに自分の家庭を築き、幸せに暮らしているんですよね。だったら、「ほんの趣味程度だけど、また音楽を始めたんだ」と二人に明かしても、何の問題もなかったのではないでしょうか。むしろ、心優しい千代ちゃんは喜んでくれそうに思いますが。
編集A 「奴」は、楽譜をこっそり主人公に渡そうとしたわけではありません。妹経由で主人公に届けている。ということは、それを妹が見ることも承知しているということですよね。今さら千代ちゃんが、「お兄ちゃんは私の犠牲になったんだ」なんて傷つくわけもない。実際千代ちゃんは、「なんで内緒にしてたんだろう?」と言っています。私も同じ感想を持ちました。「また曲を作り始めたんだ」ということを、音楽への熱い思いを共有できる主人公にもひた隠し、一人暮らしの部屋の中で、なぜ楽譜を台所の吊戸棚の奥に隠すのか。
編集B なんだかちょっと、芝居がかってますよね。何か深い意味がありそうに感じます。
編集A だから、この遺言のような曲の中に、何かしらメッセージがこめられているのかなと推測したのですが……。
青木 この曲は、「三連符が多用されたスロウな長調」ということですよね。この小説のタイトルも『三連符』ですから、ここが話の中心ポイントなのは間違いないと思います。オタマジャクシがどうのという比喩も、繰り返し出てきますね。私は音楽には詳しくないので、ちょっと自信がないのですが、この三連符の三つのオタマジャクシというのは、主人公と「奴」と千代ちゃんを意味しているととらえていいのでしょうか?
編集C たぶんそうだろうと思います。ただ、主人公とお兄さんはギター弾きのように描かれていますよね。それなら、音符よりコード進行のほうが、二人の共通言語としてふさわしいんじゃないかな? と思いました。
青木 とにかく、その三連符が多用されているということは、三人が仲良く手をつないでいるということを表現した曲、と考えればいいのかな? 「俺たち三人は、いつでも心がつながっているんだよ」みたいな。
編集A でも、もし「三人の絆は永遠だ」ということを伝えたかったのだとしたら、この曲は、主人公と千代ちゃんの二人に向けて作ったものということになる。なら、「二人に渡したいものがある」と言うはずじゃないかな。でも実際は、妹に「あいつに渡してくれ」と頼んでいる。つまりこの曲は、「奴」から主人公への贈り物だということになります。「奴」の、主人公への思いがこもったもの、と見るべきですよね。
編集D 実際、そういうことが書かれていた箇所もありましたね。「奴」は、「俺が死んだら、おまえは荒野に一人ぽっちで残されてしまう」というふうに、すごく心配していた。「それが、このノートを遺した意味だ」と。
編集A はい。だからこそ、この曲のメッセージが「三人はいつも一緒だよ」ということなら、矛盾を感じます。この三人は、過去には心の手を握り合って、辛い青年期を何とか生きてきた。でも今、三人のうち一人は別の家庭を持ち、もう一人はこの世からいなくなろうとしている。残された主人公は一人ぼっちになる。それを憂えた「奴」が、「俺は死んでもお前とつながっているよ」と励ますための曲だということなら、これは「二人の絆」を表した曲になるべきではないでしょうか。「三連符」を主眼とすると、そこがズレてしまう。
青木 互いに支え合って生きてきた三人の輪から、千代ちゃんはもう外れていますからね。心の絆は消えていないでしょうけど、千代ちゃんの手はもう、夫と子供につながれている。
編集A 主人公と千代ちゃんが、お互いに「恋人としては、合わないな」と感じたというところは、よかったと思います。あくまで、全員が均等な位置関係でつながれていたほうが、「三人は兄妹同然」という感じが強く出ますから。でも、主人公と千代ちゃんの人生が分かれたからこそ、今「奴」が亡くなると、主人公は取り残されて一人になる。そのことを、死にゆく「奴」がひどく心配して遺してくれた曲なのに、その曲のメッセージが「三人はいつも一緒だ」では、話としてまとまっていないと感じざるを得ません。
編集D 同感です。この設定だと、千代ちゃんはもう関係ない。本作は、「奴」と主人公、この二人の思い合いが描かれている話だと思います。だからこそ私も、「ブロマンスかな?」と思ったので。
編集C 「三連符」というアイテムを、強調しすぎたのかもしれませんね。いつも人を気遣って遠慮してばかりだった「奴」が、それでも音楽への気持ちを抑えられず、だれにも内緒で作っていた曲を、主人公がラストで一人奏でる。「弾きながら、あいつを思った。涙がこぼれた。」、といった感じで終わってもよかったんじゃないでしょうか。
編集A それも、「あいつに渡してくれ」と言づけられたものではなく、遺品の中からたまたま見つかった楽譜だったとか。「なんで内緒にしてたんだよ……」と思いながら弾いてみたら、温かな優しいメロディーで、主人公の胸にじんと熱く沁みたとか。
編集E そういうほうが、より自然かもしれませんね。
青木 確かに。現状では、このお兄さんの思いが、ちょっと重すぎるように感じます。
編集C 「お前が心配だ」「お前のために曲を残した。探してくれ」「この曲を弾くたびに思い出してくれ」「俺たちはいつまでも一緒だぞ」と、深い愛情は感じますが、念押ししすぎかな……という気はちょっとする。
編集A そもそも、「曲を残す」というのも変な話だと思います。「お前のことをいつも思っているよ」と伝えたいなら、手紙でも書けばよかったのに。
編集B いや、主人公と「奴」は、音楽でもつながっているわけですから、音楽を通して思いのたけを伝えようとするのはおかしくないと思います。
編集A でも、その「思いのたけ」の中身が三連符=「俺たち三人はずっと一緒」では、話がつながらないですよね。もう三人ではなくなるから、主人公は孤独になり、それを「奴」は心配しているというのに。
青木 加えて、「奴が死ぬと、俺は荒野に寂しく一人ぽっち」みたいなところも、やや大げさすぎる感じで、引っかかりました。どうしてそんなに孤独になるのでしょう? この主人公には、「奴」以外に親しい人はいないのかな?
編集A 「奴」以外に、友人と呼べる人がただの一人もいないというのは、ちょっと不自然ですよね。プロのミュージシャンになってそれなりの年数も経っているようですし、志を同じくする仲間に出会っていてもおかしくはないと思うのですが。
編集B まるで、「心のつながっている人間は、この広い世界に三人きり」、みたいな感じですね。
編集A 主人公たちがティーンエイジャーなら、こういうメンタリティーもわからないでもないのですが、この三人、もう結構な大人ですよね。私はピンと来ないところがいくつかあって、話に入り込めなかったです。
編集C 若くして死んでいく、「奴」の無念さか、ままならない人生というものへの怒りか。作者に描きたいものが強くあるのはすごく伝わってくるのですが、それがどういうものなのかが、はっきりしなかった。このお兄さんは、音楽に関しては天才と言っていいほどの人だったのに、家庭環境に恵まれず、生活に追われて働き通しの日々を送った挙句に、亡くなってしまったんですよね。はたから見ると、ずいぶん報われることの少ない人生だったようにも思えますが、本人はどう感じていたのでしょう?
青木 どんなに辛い思いをしていても決して顔には出さず、ひたすら周囲に気を遣い、弱音も吐かずに頑張って頑張って……この健気なお兄さんのことを思うと、すごく切ない気持ちになりますよね。でも、大事な妹が幸せな人生をつかむまで、ちゃんと育て上げることはできた。本人は意外と満足していたかもしれません。人を憎んだり、人生を恨んだりするお人柄とは思えない。とはいえ、もちろん、割り切れない思いもいろいろあったはずだろうとは思います。
編集C たとえばそういうあたりをじっくり掘り下げれば、もっとドラマ性の高い作品になったと思います。非常に惜しいです。書きようによっては、読者が引き込まれて号泣するような話にもできたと思います。
青木 筆力そのものはすごく高い書き手ですから、それは十分可能だったと思います。確かにもったいないですね。
編集A 現状では、「奴」の半生を断片的に説明しただけで終わっている。ちょっと起伏が足りないので、たとえば「奴と俺」について、もう少し具体的なエピソードを増やし、現在進行形で話を盛り上げるなどしてほしかったです。「音楽」という要素にも、もっと必然性を持たせてほしい。現状では、ほかの要素であっても、この話は成り立つように感じます。「絵画」でも「スポーツ」でも。
青木 確かに。「天才だったのに、不幸な事情で道を断たれた」という展開にできるものなら、置き換えが可能ですね。
編集C 高校時代にやっていたというコピーバンドも、どういうジャンルなのかわからないですよね。ロックなのかフォークなのかヘビメタなのか。
編集A 「奴」が主人公に贈った曲がどんな感じのものなのかも、「三連符が多用されたスロウな長調」では、読者には伝わりにくい。この作品からは、「音楽」が聴こえてきませんでした。そこが一番重要な要素だと思うのですが。
編集C やはり音楽ものは、音楽が聴こえてこないと、読者が話に入り込めませんよね。
青木 小説に音楽を持ち込むのは、非常に難しいですよね。ただ逆に、この二つがピタッとハマれば、爆発的な効果を上げることにもなります。
編集C 読者が自主的に脳内補完して、本物の「音」を聴いてくれますからね。ラストで演奏される曲を、読者がもし聴けていたら、非常に吸引力のある物語になっていたと思います。
編集A 文章自体はすごくうまいから、するする読んでしまうのですが、こういう切ない話を書くのなら、ベタでもいいからもっと描写して盛り上げて、読者を感情移入させてほしかったなと思います。
青木 あと、これは現代の話なのでしょうか? 主人公たちは中年と言えるほど年を取っていないように思えるのに、高校生の頃に「レコードはすたれ、CDが主流になっていた」らしい。ちょっと時代がよくわかりませんでした。こういうあたりの書き方にも、細かい配慮があったほうがよかったですね。
編集C それにしても私たち、「奴」「奴」って連呼しちゃってますが、このお兄さん、名前が出てこないんですよね。
編集D これは、わざとなのかな? もう亡くなっている人だから、あえて名前を出さなかったということでしょうか?
青木 作者的には、何らかの意図があったのかもしれないですね。ただ、『三連符』という「三人の物語」を書きたかったということなら、やはり三人全員の名前を明らかにしたほうがよかったかなと思います。
編集C 読んでいて、あともう少しで作品のテーマや作者の意図がつかめそうなのに、つかめないのが、すごくモヤっとしました。本当にもったいないなと思います。
編集A 「今ひとつ腑に落ちない……」という感想が多めになってしまったのは、残念でしたね。純粋な点数としては、この作品が、今回の中で一番高かったです。
編集E 私は高評価しています。確かに、物語的には引っかかる点はいろいろあるのですが、このリズム感のある文章が私は好きでした。多少の齟齬があっても気にならず、感情移入して押し流されるように読みました。
編集C ハマる人には、強くハマる作風なのかもしれませんね。ただ、できることなら、多くの読者を獲得できる書き手になってほしい。こんなに優れた文章力をお持ちなのですから。
青木 リーダビリティは非常に高いですよね。エピソードの精度が上がれば、作品の完成度は一気に高まると思います。「人の気持ち」や「人とのつながり」を中心テーマに据え、ブレずに最後まで書ききっているのもよかった。今後もぜひ頑張ってほしいですね。