第229回短編小説新人賞 選評 『ゆにこぉん・プリン』白石智
編集I 親の顔色ばかり窺って生きてきた二十代の男性が、自分の足で一歩踏み出すお話です。ストーリーにあっと驚くようなひねりはないのですが、主人公の語りの中に時々すごく光る描写があって、いいなと思いました。例えば、21枚目。「やりたくもないことをやって、給料をもらい、社会に適応するライセンスをもらう。それでいい。悲しみはあるのに大きな喜びはない。うっすらとした絶望の中で生きていく。そう思っていた」とか。
編集E わかります。ここ、いいですよね。
編集I 私が同じことを考えているから共感したというわけではなく、主人公の気持ちが読み手にちゃんと伝わるような描写ができているのがよかったです。全体的に、文章はすごく読みやすいですし、私はイチ押ししています。
青木 主人公が「普通の人」なんですよね。普通の人の、普通さ加減が、すごく上手く描けていたと思います。とても好感を持ちました。
編集A お母さんの嫌な感じも、よく出せていましたよね。
青木 嫌な感じなんだけど、でも、決定的に嫌とか悪いとかって人でもないと思います。主人公も、お母さんが嫌だとか、お母さんのせいで僕はこうなったなんてことは一言も言っていない。たぶん、胸の内でもそうは思っていないんじゃないかな。主人公、気は弱いけど、優しい人だから。
編集A お母さんはそんなに多く登場してくるわけではないのですが、「お掃除は女の人にお願いすればいいのよ」、といったちょっとした台詞からも、この母親のキャラクターがよく伝わってきました。いまだ昭和の価値観で、息子を愛して大事にしてるんだけど、本当の意味で大事にはできていない。
青木 「こういうお母さん、いるよな」って、思えますよね。イメージできます。二十歳を過ぎた息子の朝食のパンに、いまだにマーマレードを塗ってあげて、それを当然のことと思っている。しかも、自家製のマーマレードです。きっと、「いいお母さん」なんですよね。自分ではそのつもりなんだろうけど、息子は苦しんでいる。
編集A 虐待家庭とかではないんだけど、じわじわと子供を追い詰めている。でもお母さん本人は、そのことに気づいていない。
編集B たぶん、夫婦仲もよくないんでしょうね。もしかしたらお母さんは、そのことにも気づいていないかもしれない。
編集A 夫のほうはもう諦めて、我関せずを決め込んでいるように見える。こちらもまた、いつも黙って新聞を読んでいる昭和のお父さんっぽいキャラクターですね。
青木 毒親というほどでもないけど、このお母さんはとにかく過干渉ですよね。それも、甘やかす一方ではなく、けっこうプレッシャーもかけてくる。だから主人公は、大人になった今でも、「僕はダメな人間だ」という自己イメージに縛られています。
編集I 「しょっちゅうお腹が痛くなるなんて、心が弱い証拠よ」みたいなことを息子に言ってますよね。これはけっこう、グサッとくる言葉だと思います。
青木 でもそんなところへ、ゆにこぉん・プリンのお兄さんが現れます。この人、すごくいい人ですよね。現実世界では、ここまでの「いい人」はなかなかいないでしょうけど、このお兄さんのことは心ゆくまで「いい人だ~!」と思うことができて、私は非常に楽しかったです。
編集A 主人公がどんよりと苦悩を抱えているのに対して、このお兄さんは割とノリで生きている感じですよね。実際はそれなりに苦労しているようなのですが、その苦労を苦労とは思っていない。そこがすごくよかったです。
青木 主人公が、「仕事辞めちゃって、親にも言えなくて……」ってぼそぼそ打ち明けたら、「へー、偉いね」ってプリンのお兄さんは言うんです。「親に余計な心配かけたくないんでしょ」って。
編集A この返しはすごくいいですよね。しかも、主人公を気遣って言ったわけではなくて、心からそう思っていて自然に出てきた言葉らしかった。
青木 このお兄さんの言葉で、主人公の心に光が差し込みますよね。「そういう考え方もあるのか」と気づかされて、パラダイムシフトが起こる。今まで、「僕はダメだ、僕はダメだ」って自分自身を追い詰めていたのですが、「ダメなんかじゃないですよ」って本気で言ってくれる人が現れて、ずっとうつむいていた顔を上げることができた。この場面はすごく良かったと思います。
編集I 終盤の、主人公の立ち直り方もよかったです。お母さんに、「ずる休みなの?」と責められかけて、ちょっと動揺するんだけど、踏みとどまって「おいしいよ」って。「僕、なにかを食べておいしいって思ったの久しぶりだった」という主人公の言い方は、全然お母さんを責めていないんですが、読者には、「あ、主人公、ちょっと変わったな」というのがよく分かる。
編集A 今までなら呑み込んでいた言葉を、気負わずにちゃんと言うことができたわけですよね。
青木 何でもないような台詞回しなんだけど、うまいですよね。
編集A お母さんが趣味で「絵手紙教室」に通っているとか、婦人会グループでバス旅行しているというのも、この母親のキャラクターにぴったり合っていて、よかったです。ほんのわずかな描写なんだけど、こういうのがあるだけで人物像を思い描ける。そのキャラクターが言いそうなこと、しそうなことを、ちゃんと書けているのはすごくいいなと思います。
編集E 主人公がこのプリン屋に就職するという終わり方だったらどうしようと思っていたのですが、そうならなかったので安心しました。
青木 わかります。プリンのお兄さんはほんとにいい人で、主人公の心を救ってくれたけど、べつにこの人がお母さんを退治してくれるわけではない。主人公が自分自身の足でちゃんと立って歩きだすというラストは、とてもよかったです。
編集D 新しい仕事は塾の先生だというのも、主人公らしくてよかったです。この主人公なら、うつむいている子供たちに、今度は手を差し伸べてあげる側になることができそうですよね。もっともお母さんは、主人公の選択が気に入らないようですが。
編集G 主人公の就職はもう決まりかけている。それはお母さんも知っているはず。なのに、「お父さんが就職の世話をしてくれる」なんて言っていて、お父さんは「そんなこと言ってない」って言っていて。最後まで家族の会話はかみ合わないのですが、でもこういう終わり方がまたいいなと思いました。
編集I ただ、主人公が道の駅で倒れた後に目を覚ましたとき、どこで横になっているのかがよく分からなかった。最後の場面も、主人公がどういう場所にいるのか、ちょっとわかりにくいですよね。描写にはところどころ抜けのようなものを感じますので、そのあたりは気をつけてほしいです。
編集E 道の駅で、バスを降りて来たお母さんと鉢合わせるのも、ちょっと偶然が過ぎる感じです。ここは、伏線を仕込んでおいてほしかったですね。例えば朝食の場面で、「お母さん今度、町内の婦人会でブドウ狩りに行くのよ」みたいなことを、ちらりと語らせておくとか。
編集H 私は、キャラクターの描き方に疑問を感じました。絶賛なさる方のほうが多かったですけど、私にはこのお母さんは、すごく作り物のキャラのように感じられてしまった。今となっては時代錯誤に思える価値観を持ち、甘やかしながらも子供を支配する親。パンにマーマレードまで塗ってあげながら、でも生活の隅々に口を出し、就職先は家から通えるところにするのが当たり前でしょうと圧をかける。「この両親の描写には昭和感がある」という話が出ましたが、まさに、ひと昔前の小説とかマンガとかでよく見かけたような、典型的な「子供に過干渉な母親と、無関心な父親」だと思います。主人公が25歳ということは、おそらくこの両親は50代前半くらいかと思いますが、今の50代には、こういう親はもうあまりいないんじゃないかな。もちろん、まったくいないわけではないでしょうし、地域によって差があったりもするでしょう。でも私にはどうにも、このお母さんのキャラクターはちょっと古いというか、類型的だなと感じられました。
編集F 私も同感です。「過干渉な母親をよく描けていた」のではなく、「過干渉の母親なら言いそうな台詞」をキャラクターに言わせているように感じられてしまいました。
編集H 主人公の青年も、「気が弱くて親に逆らえない息子」の典型的な描かれ方に思えました。私は、この作品そのものはとても好きで高評価しています。雰囲気のいい話で読みやすいですし、居場所がなくて車で寝泊まりしている人とか道の駅とかキッチンカーとか、作品設定に「今」という時代をうまく取り込んでいると思う。ちゃんと小説になっているし、エンタメにもなっている。でも、キャラクター描写だけはどうしても気になって、手放しに褒めることはできなかったです。
編集F 一番キャラが立っているかに見えるゆにこぉん・プリンのお兄さんも、実は類型的だと思います。ヒップホップ系で、刈り上げで入れ墨。なのにファンシーなエプロンしてて、すごく優しいという意外性がある。これも、「一見チャラいんだけど、中身は意外とちゃんとしているいい人」という典型です。
編集E 確かに、キャラクターはどれも、類型的と言えば類型的ですね。
編集F 類型的なキャラを出してはいけないということではないんです。でも、たとえ人物造形は多少類型的であっても、それぞれのキャラクターには、それぞれの固有な背景があるはずです。「その背景を背負った、そのキャラクターからしか出てこない言動」みたいなものが、当然あるはずなのですが、今作はそのあたりの描き方がちょっと弱いように思います。キャラクターが記号に感じられてしまいました。
青木 確かにね。そのキャラクターならではというオリジナルな描写が、もう少しあってもよかったかなとは思います。「気弱な青年」ではなく、こういう過去と現状を背負っている晃一くんならではのエピソード、みたいなものがほしかった。
編集E 私は、プリンのお兄さんのことを、もっと知りたかったです。現状では名前も出てこないですよね。とてもいいキャラだと思うし、主人公との絡みとかももっと読ませてほしかった。
編集A プリンのお兄さんの日常は、もう少し知りたいですよね。何の工場で働いているのかとか。同居のおばあさんとどんな会話をしているのかとか。
編集F どうして「プリン」を選んだのか、どうして主人公にこんなに親切にしてくれるのかとかね。もっといろいろ書けただろうにと思えて、すごくもったいない気がします。
青木 ただ、確かにキャラクターの描き方は記号的かもしれないけど、でもこの作者は、記号の使い方を心得ていらっしゃると思います。そしてそれは、すごく高いスキルだと思う。
編集F 技術面では結構レベルが高いと思います。記号的キャラクターを描くのも、決して悪くはない。読者が理解しやすいから、共感も得やすいですよね。実際、この作品の好感度は非常に高いと思います。ただ、もう少し読み手のハートに強く刺さる何かがほしかった。作者の「ここが描きたかったんだ!」という熱量が、この作品からはちょっと感じられなかったです。
編集A 確かに、全体的にやや薄味ではありますよね。ただ、現状これはこれで、それなりにまとまっている作品だと思います。登場人物にはもう少し具体的な厚みをつけたほうがいいにしても、それ以上はちょっと手を入れようがないんじゃないかな。作品そのものの熱量が低く感じられてしまうというのは、書き手の個性によるところも大きいですから。
青木 この作者さんは、スキルで書ける人だと思いますので、無理に熱量を込めようとするのではなく、むしろ「セオリー通りに書く」ということを意識した方がいいのではないでしょうか。それこそ、『小説の書き方』みたいな本を読んで、セオリーを論理的に学んで、その通りに書く。
編集B この作者は頭で考えて書く人なのかなというのは、私も感じました。
青木 まずはセオリー通りに物語を作り、そこに後から自分なりのエモさを乗せていく、というやり方のほうが、この作者には合っているように思います。確かに、薄味と言われればちょっと薄味かもしれないけど、私はこの作者は、自分なりの萌えはちゃんと持っていらっしゃるように感じました。プリンのお兄さんには、私はじゅうぶんエモさを感じましたよ。
編集B 読み手に伝わりにくいのは、作品全体の密度が低いからではと思います。たぶん、30枚の枠に対して、30枚の話を作ろうとしているんじゃないかな。これはこの作者だけでなく、投稿者全体に申し上げたいのですが、30枚の話を書くときは、まず50枚くらいの話を考えてほしい。そこからどんどん密度を上げて縮めていって、それでようやく、しっかりした30枚の物語ができあがるんです。最初から「30枚の話を」と思って考え始めたら、できあがったものは薄味になってしまう。
編集F ただ、それでできあがるのは、基本のストーリー部分だけですよね。そこに、作者の情熱や萌え、エモさを盛り込もうとするなら、その分の枚数もキープしておく必要があると思います。
編集B それは確かに。なら、30枚の話を書くためには、まずは40枚くらいの話を用意し、密度を上げて25枚くらいに圧縮する。そして残り5枚を使って、「ここが書きたかったんだ!」という萌えの部分を思いきり表現する。それくらいの配分がいいのではないでしょうか。
青木 そうですね。書き方は人それぞれだとは思いますが、その配分は、ほとんどの書き手にお勧めできるものかと思います。もちろん、この作者さんにも有効だと思う。まずは試してみてほしいですね。
編集F セオリー通りにきっちり作られたお話に、自分独自のエモさを加えられれば、読者を強く惹きつけることが可能になります。作者にはぜひ、自分の情熱がどこにあるのかを探ってみてほしいなと思います。