第229回短編小説新人賞 選評 『ねずみ花火』鷹岡柊斗
編集A おじいちゃんが突然亡くなってしまった、中1の男の子のお話です。とはいっても、沈鬱なムードはありません。むしろ、みずみずしさすら感じる作品でしたね。
編集B 火葬されるのを待ったり、お骨上げをしたりするのと並行して、回想シーンがいくつも挟み込まれます。遺体の状態が酷いために、直接お別れを言うことはできなかった主人公ですが、思い出をあれこれ振り返るうちに、だんだんと「おじいちゃんの死」を受け入れていく。いいお話ですね。
編集C この主人公は、生前のおじいちゃんと、そんなに多くの時間を過ごしたわけではないですよね。年に数回、家に泊まりに行く程度の距離感で、さほど親密だったわけではない。子供の認識力ですから、いわば記号的な「おじいちゃん、おばあちゃん」なんです。だから、突然「亡くなったよ」と言われても、悲しいという感情はすぐさま湧いてこない。こういうあたりに、すごくリアルさを感じました。
編集D わかります。主人公は、中学生になって半年も経っていない。まだまだ子供ですよね。中1男子の素直な感覚って、こんなものだろうなと思わされます。
編集C しかも、お棺の中のご遺体と対面できなかったから、よけいに「おじいちゃんは死んだ」という実感が持てない。もう一生会えないということは頭では分かっているんだけど、死のショックよりも、思い出のほうが先に湧き上がってくる。それも、結構どうでもいいような思い出だったりするんです。「そういえば、こんなことあったよなあ」みたいな記憶をつらつら辿りながら、徐々に死の実感へと近づいていく。本作は、そういうことを描いた作品だろうと思いました。お葬式で泣くというのは、大人の感覚ですよね。でも主人公はまだ子供だから、お葬式なのにあれこれ思い出して、なんだか笑っちゃったりする。バカな話をして、盛り上がっちゃったりする。その後にようやく、悲しみとか淋しさという感情にたどり着く。こういう、子供なりの死への向き合い方の描写に、とても現実味があったと思います。私はそのように読み取れたので、高得点をつけました。
編集E ただ、主人公とおじいちゃんの関係は、実際そんなに深くなかったんだろうなと思います。この主人公、べつにおじいちゃんが大好きだったわけではなく、普通に親類関係といった感じの距離感ですよね。まあそこが、リアルと言えばリアルなのですが。
青木 あと、おじいさんの人物像が最後まで定まりきらなかったのは、ちょっと気になりました。こういう話なら、おじいさんとの思い出話を通して、おじいさんがどんな人だったのかということを読者に伝える必要があると思うのですが、現状ではそこがまだうまくいっていなかった。
編集E 一人でお泊まりする孫を気遣ってくれたり、ポテトチップスを手作りしてくれたり、優しいおじいちゃんなのかなと思える場面もあるのですが、一番印象に残ったのは、孫の陰毛をからかう話。作者は、この回想シーンに最も力を入れて書いているように感じられましたが、あんまりいいエピソードではないですよね。
青木 思春期の性が絡む生々しい話で、本作に適しているエピソードとは思えなかったです。なのにこの場面は、いくつかの回想シーンの中でも一番長いし、内容的にも一番印象に残ってしまう。これではちょっと、おじいちゃんの人間的魅力が伝わってこないです。
編集F でもじゃあ、このおじいちゃんが嫌な人物かというと、そんなことは全然ない。どこにでもいそうな普通のおじいちゃんです。現実の人間はそういうものかとも思いますが、小説で描くキャラとしてはちょっと中途半端な気がします。
青木 もう少し、キャラクター像を逆転させる流れがあってもよかったんじゃないかな。最初のあたりの回想シーンでは、酒飲みでデリカシーがなくて、ほんとにどうしようもないおじいちゃん。でもだんだん、「こんないいところもあった」「あんなこともしてくれた」みたいなことを思い出してきて、主人公の胸にじんわりと温かいものが湧いてくる。それにつれて、「おじいちゃんはもういないんだ」という喪失感もまた、じわじわとせり上がってくる、みたいな。
編集A そういう話の流れなら、もっと感動的になったかもしれませんね。いろいろ盛り上げ方があったでしょうに、なんだかもったいないなという気がします。
編集B あと、状況設定にも引っかかるところがありました。おじいちゃんは、「一人で田舎の実家に帰っているときに心臓発作で倒れた」らしいですが、これは、おじいさんの実家を指すのか? 主人公にとっては、祖父母の家が「親の実家」になるはずですが、その祖父に、さらに実家があるということでしょうか?
青木 私もここは気になりました。主人公の曽祖父にあたる人の家が、離れた場所にまだ残っているということなのかな?
編集F あり得ないことではないでしょうが、読者はちょっと引っかかりますよね。相当古い家でしょうし。
編集E もう誰も住んでないわけですよね。おじいちゃん、何をしに実家に行ったのかな?
編集A おばあさんは同行していないみたいですね。だから、発作で倒れたのに発見が遅れ、亡くなってしまった。
青木 おじいちゃん、実家に秘密のコレクションでも隠していたのかな? ここはほんとに、気になりますね。
編集F もう少し何か言及があればよかったですね。例えば「墓掃除に行っていた」とか。先祖代々のお墓がその実家の近くにあって、おじいちゃんが一人で管理していたとか。
編集A それなら、おじいちゃんの人物像を伝えるエピソードにもなりますよね。日頃は酒飲みでトラブルメーカーなんだけど、先祖供養とかは意外とちゃんとやる人なのだということを、読者に伝えられます。
青木 でも考えてみたら、べつに実家で亡くなる必要はないような……? 自宅の裏のジャガイモ畑で倒れた、でもよくないですか?
編集A 孫に手作りポテチをふるまおうと、実は一生懸命世話をしていた、とかね。それもまた、人物像に厚みを与えるエピソードになりますよね。
編集G でもこの話は、おじいちゃんが日常の生活圏から離れたところで人知れず亡くなっていたから、主人公はその死を実感できずにいる、というところがスタート地点なのだと思います。裏の畑で亡くなったんだったら、主人公もすぐに駆け付けることができてしまいますよね。
編集H でも、「実家の実家で亡くなった」という設定はどうにも意味深で、引っかかってしまいます。ここは何とか解消したい。
青木 なじみではない居酒屋にふらっと入って、そこで発作を起こして倒れるというのはどうでしょう? 身分証なんて持ち歩かないおじいちゃんだから、家族に連絡がいくまで時間がかかってしまった。
編集G それだと、周囲の人がすぐに救急車を呼ぶでしょうから、遺体が腐敗しないですね。
編集E そもそも、おじいちゃんの遺体が「腐敗していた」という要素に必要性はあるのでしょうか?
編集G 「腐敗していたから、遺体を見れなかった」「見れなかったから、死の実感を持てなかった」、というのが、あくまでこの話の出発点なのですから、そこは必要だと思います。
編集F 「顔を見れない」理由は、「腐敗しているから」でなくても、主人公が死んだおじいちゃんに直面するのが怖くて、「見ずに済ませた」ということでもいいのではないでしょうか。結果的に「死に顔を見ていないので、実感が持てない」という流れになれば、それでいいのでは?
編集C いえ、「見ることはできたのに、あえて見なかった」のではなく、「物理的に見られなかった」という選択肢のない状況だったからこそ、死の実感を持てず、とりとめのない思い出が浮かんできた、という話の流れなのだと思います。
編集G 同感です。「見ることは不可能だった」からこそ、死を受け入れていくのに、思い出をたどるという過程が必要だった。この作品は、そういうことを描いているのだろうと思います。
編集E 「遺体の損傷」がどうしても必要な要素なら、「実家の実家」という混乱を招くワードは出さずに、「交通事故で顔がぐちゃぐちゃになって」といった設定でも話は成立すると思います。でも、「損傷」って、そんなに必要でしょうか?
青木 遺体はきれいなままなんだけど、大人たちが「子供が見るもんじゃありません」って言って見せてくれなかった、ということでもよかったんじゃないでしょうか。
編集G でも、「見ようと思えば見られる」というのと、「見たくても、見ることは不可能」というのは、状況が違うと思います。
編集B うーん、これはちょっと、結論は出ないですね。ここから先は、作者の判断になると思います。ただ、「腐敗した遺体」というのは、かなりのパワーワードです。しかも、物語の割と初めのあたりに登場しますよね。インパクトが強すぎて、多くの読者は気になってしまうと思う。
編集A 事件性を感じますよね。全体的に穏やかな雰囲気のお話ですから、目立った不穏さに引っかかってしまいます。話の本筋に大きく関係しないなら、もう少し違う書き方をしてもよかったかもしれません。いろんな意見が出ましたので、参考にしつつ、再考してみてほしいですね。
編集E あとは、ストーリーに起伏がほしかったです。というか、現状、ストーリーはほぼないですよね。火葬場でお骨上げをする場面の合間に思い出話が差し込まれているだけで、話の筋にあたるものは見えてこなかった。もう少しテーマというか、この話で描きたかったものは何かということが、伝わるとよかった。
編集F 回想シーンが、本当にただの「場面」になってしまっていて、エピソードになり得ていないんですよね。その思い出の場面を通して、作者が何を描こうとしているかが重要なのであって、「回想シーン」=「エピソード」ではない、ということは分かってほしいです。
編集A 雰囲気のいい作品ではあるのですが、何か一つ、終盤に印象的なシーンがほしかったですね。
編集E 最後の思い出話がおじいちゃんとねずみ花火をしたことですから、作者はここを、一番感慨深い場面として描いているのではないかと思います。タイトルもまさに、「ねずみ花火」ですし。ただ、このキーとなる要素が、現在の場面にリンクしてこない。現状では、単なる「思い出話の一つ」になってしまっています。ここは、もっとどうにかできたのでは。
編集A 例えばおじいちゃんのお棺の中に、主人公たちがこっそりねずみ花火を入れるというのはどうでしょう。火葬が始まったら、中でパンパンパン! って。それで、お母さんたちに怒られるとか。
青木 以前おじいちゃんと約束していたとかね。「俺が死んだときには、お棺にねずみ花火を入れるんだぞ。内緒の約束だぞ」って。大人たちからは大目玉を食らうんだけど、二人は秘密を守って、何も言わない。
編集E それなら、いとこの健も、しっかり話に絡むことができますね。今は主人公の聞き役でしかない感じなので。
青木 主人公が「いちおう僕、ねずみ花火持ってきたんだよね」って言ったら、健もにやっと笑って、「俺も」ってポケットから取り出す、なんて場面があったらよかったかも。もう少し他のキャラクターも絡めて、エピソードを作ったほうがいいと思います。
編集E 場面に誰がいるのかといった所も、あまり見えてこなかったです。ばあばやお父さんが急に出現してきたように感じられるシーンがあったりするので、描写にはもう少し注意が必要かなと思います。
編集A なんだかいろいろ淡いというか、工夫の余地があるというか。描き方次第で、もっと心に深く残る話になったのにと思えて、惜しいですね。
青木 最初のあたりでも申し上げましたが、これはおじいちゃんとお別れする物語なのですから、おじいちゃんのキャラをもうちょっと魅力的にしたほうがいいんじゃないかなという気がします。エピソードがもっと欲しかったですね。例えば、嫌なところもあるおじいちゃんなんだけど、主人公が何か疑われるような状況になったときに、おじいちゃんだけは信じてくれたとか。
編集A おじいちゃんが、「お前だけだぞ」って言って、何かしてくれたことがあったけど、実はこっそり、健にも同じことをやっていたとか。
青木 このおじいちゃん、そういうことしていそう(笑)。でも、そんなところも全部含めて、憎めないおじいちゃんだった、となればよかったですね。
編集A 三階から落ちても無傷だったという「不死身伝説」を持つおじいちゃんなのに、敷居につまづいて死んじゃった、なんてエピソードでも、このおじいちゃんらしかったかもしれないですね。
編集E 手作りのポテトチップスを孫たちは全然好きではなかったのに、「あいつらにごちそうしてやらにゃあ」ってジャガイモ畑でせっせと働いていて死んじゃった、とかでもいい。情はあるのに不器用なおじいちゃんの、空回りの優しいエピソードとかがあったら、私は号泣していたと思います。
編集D でも、現状では無理にドラマを作らない、等身大の中学生男子の話になっていて、とてもリアリティがあったと思います。私は、そこはすごく良かったと思う。
青木 そうですね。フックはない。けれどもその分、リアリティがある。ここをどう評価するかは、難しい問題ですね。
編集A この作者には「作意」がないですよね。小説を書こうとする人は大概、エンタメっぽい演出を無意識レベルでしてしまうものではと思うのですが、この作者にはそれが感じられない。
青木 確かに。我々はつい、「こうしたらもっと泣かせられるのに」とか「もう少しキャラを立てて」とか考えてしまいますが、この作者はそういう作品を目指してはいないのかもしれない。
編集A 作者さんは、割とお若い方です。もしかしたら、自分の体験をもとに、感性のまま、等身大の中学生男子を描いたのかもしれないですね。一切の脚色なしで。
編集F だから、「死」を扱った話なのに、こんなにもピュアな雰囲気が漂っているのかもしれませんね。変に背伸びをせず、作者は自分に書ける話をただ書いた。
編集B そう考えると、貴重な作品ではありますね。歳をとってしまうと、こういう感性を持ち続けることは難しい。
編集A 歳を重ねたり、書きなれていくうちに、こういう話は書けなくなってしまうかもしれません。ぜひ今のうちに、自分の周りで起きること、自分が経験したことなどを文章化してストックしていってほしい。それは将来きっと、この作者の財産になると思います。
青木 そうですね。今はまだあれこれ考えないで、自分の素直な気持ちを文章にしていけばいい時期かと思います。おそらく作者さんはまだ、自分がどういうジャンルに進みたいかなんてことは、意識していないのではと思います。純文学をやりたいのか、エンタメを目指すのか、そこによってもアドバイスは違ってくる。いずれにせよ、計算やテクニックといったものも、いつかは身につけなければならなくなるでしょう。でも、それは今ではないという気がする。まだしばらくの間は、今の自分にしか書けないものを書き続けていけばいいんじゃないかな。そういう時期を通り抜けた先に、進むべき方向はきっと見えてくるだろうと思います。
編集A 常に自分の気持ちに正直に、書き続けていってほしいですね。