第228回短編小説新人賞 選評 『冬乙女の口づけ』桐生燈子

編集A 翻訳文学を思わせる文体で描かれたファンタジー作品です。舞台は、架空の中世・東欧あたりなのかな? とても雰囲気のある作品でしたね。

青木 読み始めてまもなく、「ファンタジーだ!」と気づき、非常に嬉しかったです。「こういうのを待っていた!」と、ワクワクしながら読みました。ただ

編集A はい。登場人物がちょっと多すぎますね。何人ものキャラクターたちと、その相関関係を頭に入れるのが大変でした。

編集B 主人公のアルドナ、お母さんのカリタ、お祖母さんのルータ、その兄のジャネク、もう一人姉がいてこれがサルメ、そしてサルメとジャネクの乳兄弟のイーシ

青木 これだけいると、さすがに読んでいてこんがらがってしまいました。文章中に「イーシが」「ルータが」と出てきても、瞬間的にパッと思い浮かべられない。「誰だったっけ?」となってしまいます。せっかくのファンタジー作品なのに、没入して読むことができなくて残念でした。読者の足を止めさせてしまうのは、すごくもったいないことだなと思います。

編集A 私は途中で家系図を自作して、それを横目で見ながら読みました。でも、普通の読者はそこまでしてくれません。

編集C 「■■■」なんて名前の人物も出てきましたが、このネーミングにはどういう意味があるのでしょう?

青木 推察するに、「魔女の名前だから、人間には聞き取れないし、発音もできない」ということではないでしょうか。「人ならざるもの」、ということを表現したかったのかなと、私は解釈しました。

編集C なるほど。作者なりの工夫であり、世界観へのこだわりでもあるのでしょうね。ただ、人物名が「■■■」では読みにくいし、作品世界へも入りこみにくい。一、二ヵ所で印象的に出てくるとかならまだしも、後半では「■■■」という表記が文中に連発されています。これに関しては、再考してみてもいいんじゃないかなと思います。

編集D 同感です。アイディアそのものは面白いと思いますが、この話において、どうしても「■■■」という読めない名前を使う必要があった、とは感じられなかったです。

編集C それに、主人公はアルドナに設定されているのに、アルドナはあまり話の中心にはいませんよね。ジャネクに長年執心されている赤毛の女性、■■■の半生のほうが、よほど大きなドラマを抱えています。だったらむしろ、こちらを主人公に据えたほうが良かったのではないでしょうか。もちろんその場合には、名前をつけて登場させることになるでしょうけど。

編集E そもそも、この赤毛の女性は人間なのですか? それとも、本物の魔女? 病気のお母さんと細々暮らしている貧しい娘かと思えば、冷たい息を吹きかけて人間を死なせたり、顔がいろいろ変わったりしていますが

編集A 生前は人間だったけど、「冬の娘たち」に連れ去られ、その一員になったみたいなイメージなのかな?

編集E その「冬の娘たち」とは、結局誰なのですか? 「冬乙女」とはまた別物? 「■■■」という名前の赤毛の女性が、死んだ後に「冬乙女」という魔女になったということでしょうか? ちょっとそのあたりが、うまく読み取れなかったのですが

編集A 実は私もです。だからあくまで推測なのですが、男に虐げられてきた人間の女性が、この世ならざる次元で魔女っぽい存在になり、「冬乙女」と称される集団に迎え入れられる、ということではないでしょうか。「雪の娘」とか「冬の娘」とかという言葉は、「冬乙女」の言い換えで、同じ存在だろうと思います。

編集E では、「冬乙女」という固有の人物がいるわけではないのですね?

青木 そういうことだと思います。男性に虐げられている女性がいよいよ苦境に陥ったときに、かつて同じ立場にいた「冬乙女」なるものが現れて、男たちを排除してくれる。でもその存在は実体ではなくて、言ってみれば概念に近いもの。

編集C 「虐げられる女」という立場を脱却し、魔女のような不思議な力を持ち、復讐の代行人と化した概念、みたいな感じでしょうか。

編集D でも、この赤毛の女性がかつて普通の人間だったなら、そのときの名前が「■■■」であるというのは、ちょっと理屈が通らないように思います。

編集C 「両親からもらった■■■という名前が、自分を縛り付けていた」みたいなことがちらりと語られていますが、ここの意味もよく分からなかったです。

青木 言われてみれば、確かに。「■■■」という名前をどうしても作中で用いたいということであれば、読者を納得させられる理由付けが、もう少しほしかったですね。

編集F それから、ジャネクがアルドナを強引に引き取ったのは、「後継ぎがほしい」という理由からですよね。なので私は最初、アルドナを男の子かと思っていました。

青木 私もです。「娘」だとわかるのは4枚目で、ちょっと時間がかかりすぎています。こういう基本的な情報は、冒頭で伝えたほうがいい。

編集F 「後継ぎがほしい」という割に、誰かと結婚させるわけでもなく、跡取りとしての教育をするでもない。ジャネクの真意はよく分かりませんでした。一体何がしたかったのかな?

編集C 私は、ジャネクがアルドナを手籠めにして後継ぎを生ませようという考えなのかなと思ったのですが、そういう展開でもなかったですね。

編集A ラストのあたりで、「冬乙女を呼び寄せる生け贄にするために、アルドナを呼び寄せた」みたいなことが書かれていますが、ジャネクが本気でそういうことを画策していたという印象も受けなかったですね。

編集F 引き取ったアルドナに豪勢な暮らしをさせ、勉強は勧めるものの強制はしない。やりたいようにやらせてくれて、時には優しい顔すら見せてくれる。厳しい面はありつつも、特別ひどいおじいちゃんであるようには感じられなかったです。

編集G まあ、過去にいろいろひどいことをしてきたとは言えると思います。それでも、この時代、この社会であれば、ジャネクのやった程度のことは、「地獄に落とすべき」というほどでもないように思います。

青木 仮に本当に、「若い娘を強引にさらってきて、手籠めにした」とかという展開があったとしても、ファンタジー世界では「ありえる話」ですからね。中世っぽいファンタジー世界なら、なおさらです。この作者さんは、ファンタジーの文法というものを心得ている方だろうとお見受けするのですが、その割に女性キャラたちの思考や言動が、作品世界に今ひとつマッチしていないように感じました。

編集E 物の見方がちょっと一面的というか、現代の価値観が混ざり込んでいる感じですよね。あと私は、サルメとイーシが手に手を取って屋敷から逃げ出すあたりもよくわからなかったです。「悪魔だと父にも弟にも罵られたわ」という台詞がありますが、これはどういう意味なのでしょう?

編集D 単純に考えて、二人は同性の恋人同士だったということなのでは? それが、サルメの父と兄から不興を買った。

青木 おそらくそうでしょうね。ただ、「同性愛」という要素は、この話において、ちょっとノイズになっているかなと思います。

編集C 「男なんてくそくらえ」みたいな物語だから、女性同士の強い結びつきを話に入れ込んだのかもしれないけど、「冬乙女」たちの抱えている壮絶な思いは、恋だの愛だのとは次元が違いますからね。

編集A もっとずっと大きなものですよね。長い歴史の中で、男たちによる理不尽な支配にあえいできた女たちが、ついに反旗を翻すというか、神やこの世を捨ててでも虐げられる存在には甘んじないぞという。

編集G ただ、「歴史的な男たちの非道さに、ついに立ち向かった女たち」をメインテーマとして描いたにしては、「この一族の話」に寄りすぎていると感じました。社会全体、世界全体における「男たち」ではなくて、これはあくまで「ジャネクがひどい奴だから復讐する」という話ですよね。

編集A 確かに。そして、ジャネク自体、男尊女卑の父親の影響を受けてこうなったのだろうなと思います。カリタの弟も、長ずるにつれて、ジャネクの影響を受けて横暴になってしまったらしい。要するに、「この家で育つと、そういう男になる」わけで、「男性一般」の話にはなっていない。

編集C 「冬乙女の伝説」というものが、割と最初のあたりで提示されているのですが、その内容は「女たちよ、貞操を守れ」という男性に都合のいい訓話でしかない。せっかく「冬乙女」という要素を読者に伝えるチャンスなのに、テーマに繋がっていないのが引っかかりました。「冬乙女」は、自分勝手で横暴な男たちを罰する存在なのですから、伝説の内容はむしろ真逆になってしまっている。ここは設定がブレている気がして、気になりました。わざと反対のことを書いて、終盤での反転効果を狙ったのかもしれないけど、現状ではそこをうまく演出できていない。

編集D 読み終えてみると、これは「男vs女」という壮大なテーマが設定されている話だったのですが、かなり終盤まで来ないとそれがわからないですよね。こんな大きなテーマがあるのなら、やはりそれは作品の最初のあたりで、何らかの形で読者に提示してほしいです。加えて、作品舞台の世界観みたいなものも、ちょっとでいいから示しておいてほしい。でないと、ここがどういう世界なのか、何を描こうとしている話なのかを分からないまま、読者は架空世界を歩まされることになる。

編集B 作者は、描きたい雰囲気とかビジュアルとかをしっかりと持っていますよね。それはよくわかる。ただ、それを文章で描き出すために必要な情報の整理が、まだうまくいっていないと感じます。

編集A そうですね。翻訳調のちょっとわかりづらい感じの文章も含めて、この作者の持ち味かなとは思うのですが、それを差し引いても読みにくいところがありました。

編集B 癖のある文章が読みづらいことと、情報が整理されていないからわかりづらいことは、別問題として考えた方がいいと思います。本作は時系列が非常にごちゃごちゃしていますし、単純に主人公が今どこにいるのかとか、今がどういう場面なのかということも分かりにくかった。読者が努力しなくても内容を把握できる描き方をすることに、もう少し意識的になったほうがいいと思います。

編集A 登場人物が多いから、余計にややこしいですしね。

編集C 祖父から孫までの三代にわたる一族の話をぎゅうぎゅうに詰め込んだのは、長きにわたって男たちに虐げられてきた女たちが、時を超えて「冬乙女」として復讐するという壮大な物語を描こうとしたためかと思います。でも、そんな一大サーガを30枚の中で描こうというのは、やはり無理があります。

編集B 30枚しかないのですから、ワンエピソードしか描けないんです。「一族の物語」はやめて、焦点は一つに絞ったほうがいい。

編集D 短編という形で描きたいのであれば、「冬乙女」を核に据えて、連作短編にしてみるのはどうでしょう?

青木 それはいいアイディアだと思います。アルドナ編、カリタ編、ルータ編というふうにね。そうやって、中心に主役をしっかりと据えて書けば、軸のある物語になっただろうと思います。現状では、主人公のアルドナに、あまり重心が置かれていないですよね。何人もの登場人物が同じくらいの濃さや分量で描かれていて、物語が散漫になってしまっています。

編集B すごくいいテーマを持ってきているのに、今ひとつそこを印象的に描き出せていなかったのは非常にもったいなかったです。でも、この作者は、作品世界を非常にしっかりと構築することができる人だと思います。読んでいてよく分からないところはたくさんあるんだけど、読者にうまく伝えられていないだけで、作者の中にはこの物語世界がちゃんとできあがっているのだろうと感じました。

編集A そうですね。だからこそ、こんなにも雰囲気のある作品を書けているのだと思う。雪深い森の奥に貴族っぽい邸宅が建っていて、一族の長である年老いた領主と孫娘が、使用人たちにかしずかれて裕福な生活をしているのだがって、すごくイメージが浮かびますよね。

青木 ファンタジー好きにはワクワクする設定ですよね。

編集A 冬には雪に閉ざされてしまう、辺境の館。そういう閉鎖的な場所で、男に支配されてきた女たちの苦しみとか、愛する人を手に入れられなかった男の行き場のない思いとか、多くの人間たちの様々な感情が、長い年月をかけて今もなお渦巻き続けている。この作品舞台は非常に魅力的でした。

青木 女性たちの絆の強さの描かれ方もよかったと思います。ルータと赤毛の女は、本妻と愛人という対立する立場にあるはずなのに、その立場を超えて心が強く結び合っている。この意外な感じに胸が熱くなりました。

編集A 「男」という共通する大きな敵を前にして、女たちが心を一つにするんですよね。女たちの友情というか、共闘関係を描いているあたりは、私はすごく好きでした。そういうあたりは、読みごたえのある話になっていたと思います。

青木 そして、短編でファンタジーに挑戦したという点は、私は高く評価したいです。多くの内容を入れようとし過ぎて、うまくまとまってはいないものの、文体はちゃんとファンタジーに向いたものになっていました。

編集D タイトルも、作品の雰囲気を上手に表現していて、よかったですね。

青木 この作者さんは、何かちょっとしたきっかけで、一気に突き抜ける可能性があるように感じます。指摘された点だけは今後の参考にしていただきたいなと思いますが、あとは自分を信じて、自分の描きたい世界を、このまま書き続けていってほしいですね。