第228回短編小説新人賞 選評 『浅ましき化け物』祇光瞭咲
編集A 人魚伝説を軸にした、ホラーテイストの作品です。とにかくもう、抜群に面白かったですね。
青木 話に引き込まれて、30枚をあっという間に読み終わりました。本当に面白かったです。
編集E ただ、時代設定はいつなのか、よく分かりませんでした。明治、大正、昭和……いや、とらえ方によっては、平成でも令和でも成立するかもしれない。
青木 私も同じことを思いました。スマホやパソコンは登場してこないのですが、「〇〇がない」というのは、確かな根拠にはならないですからね。実際、「令和」という仮定で少し読み直してみたのですが、さほど違和感はありませんでした。
編集D でも、時代が平成や令和なら、「民俗学者が人魚伝説を本気で信じていて、それを、科学を信奉する学生が論破しようとする」という状況はちょっと変だと思います。
青木 それはそうですね。だから、昭和以前の話だろうとは思うのですが、そこから先が、決め手がない。
編集C 私は最初、「音助」という名前から、江戸時代の話かと思って読んでいたのですが、「スーツ」という言葉がでてきて「あ、違った」と思い直しました。
青木 「音助」も「玄之勝」も、なかなか古めかしい名前ではありますが、でもそういうお名前の方が現代に全くいらっしゃらないとも限らないですし……本作において、「名前」は根拠として弱いですね。
編集F 「数百年前に書かれたと思しき日記」が登場してきますよね。そして、その日記が書かれたのは、どうやら江戸時代のことらしい。
編集D このあたりも、実ははっきりしないんです。「(住職の日記は)時代を下っても続いていき、江戸幕府の設立と終焉までを綴っていた」とあるのですが、これは、「日記を書き始めたのは江戸時代よりもさらに前」と解釈することもできる。安土桃山や戦国時代さえ含まれるのかもしれない。
編集B そもそも、江戸時代だけでも、260年以上ありますからね。作中の「今」がいつぐらいで、そこを起点にした「数百年前の日記」がいつのものになるのかは、見当がつかないです。
編集A 私は、なんとなくの雰囲気から、日記に書かれている「六兵衛」のくだりは、やはり江戸時代かなと思いました。でも、「そこから数百年後以降」となると……範囲が広すぎますね。昭和だって余裕で含まれてしまう。
編集E 1枚目に「近代に入り」という言葉が出てきますよね。ここから考えると、作中の「今」は明治頃なのかなとも思えるのですが。
編集G でも、「近代」というのは後世の歴史家による分類なので、今まさに明治時代を生きている人は、「明治になったので、いま時代は近代に入った」とは思わないでしょう。
編集D ただ、同じく1枚目に、「安政の大地震」が出てきます。これは江戸時代後期のことですから、これを引き合いに出しているということは、「明治」の線は濃厚かと思います。もし「今」が昭和なら、「関東大震災」が出てくるのが自然だと思いますので。
編集G 関東大震災は、大正12年。ということは、それ以前なら、「大正」も候補に上がりますね。
青木 作品の雰囲気からしても、「明治・大正」の可能性は高いと思います。ただ、「低血糖」なんて言葉が出てきますよね。これは、昭和にならないと登場しないんじゃないかな。
編集E 「民俗学者」や「推理小説」も、引っかかりますね。
編集G 「著作にサインを求め」というのも気になりました。全体に、「この時代に、そういう言葉が使われていたか」ということを、書き手があまり考えていない印象を受けます。
編集E 作品舞台がいつの時代なのかということは、大体でいいから、わかるようにしておいてほしいですね。でないと、気になって話に入り込めない。
編集D それも、できるだけ早めに伝えてほしいです。唯一のはっきりした手掛かり、「江戸幕府の設立から終焉まで」という言葉も、登場するのは終わりから3枚目と、ちょっと遅いです。
青木 私は「時代がいつか」については、途中でもう、いったん脇に置くことにしました。そこを気にしていると、作品に集中できなかったので。でも、「脇には置けない。時代問題が引っかかって読みにくい」と感じる読者も相当数いると思われます。せっかくこんな面白い話を思いついたというのに、作者は非常にもったいないことをしているなと感じました。
編集G べつに西暦〇〇年とまで特定しろということではないんです。でも、作者がどの程度の年代を想定しているのかということくらいは、読者が楽に読み取れる書き方をしてほしい。
編集B 作品舞台の文化レベルがわからないと、読者がイメージを描きにくいですよね。雰囲気的には明治~昭和初期あたりかと思えますが、明治と大正と昭和初期とでは、社会も文化も全然違います。
編集D せっかく、冒頭あたりで主人公が長距離移動しているようなのですから、移動手段をちょこっと描いておけばよかったですね。車なのか馬車なのか汽車なのか。それとも、徒歩以外に選択肢はないのか。そういったことを冒頭でちらりと提示してくれるだけでいいんです。
編集G あるいはいっそ、年代を特定されそうなアイテムは一切出さずに、「いつの時代か」をフワッと曖昧にさせたまま書くか、ですね。そういう書き方も、一方法としてはあると思います。
青木 確かにありますね。ただ今作は、「何百年も生きている」ということが肝となる話ですよね。こういう話において、時間の経過や、時代の移り変わりというのはかなり重要なポイントです。だからやはり、「曖昧にする」のではなく、「さりげなく示す」方向で書いた方がいいと思います。そんなに難しく考えなくても、例えば、「汽車から降りたら、燃料のすすで顔が真っ黒になった」、なんて描写をちらりと入れておけば、それだけで「ああ、蒸気機関車の時代か」とわかりますよね。そういった書き方の工夫をしてみてはと思います。
編集G あと、「人魚」に関しても、いろいろ気になる点がありました。一番大きく引っかかったのは、なぜこの人魚は寺に来るまで六兵衛を食べなかったのか、です。お腹がすいている状態でおんぶされているのですから、後ろからガブッと食いつけばよかったのでは。
編集C しかも、寺についた後も、なぜか二日目の晩に六兵衛を食べている。ここの理由がわからないです。どうして二日目に? というか、そもそも薬屋で人を食べようとはしなかったのかな?
編集G 「いろいろ食べさせようとはしたのだが、何も口にせず、弱るばかりだった」みたいなことが書かれていますよね。ということは、薬屋にいたときから、食べ物を口元まで持っていって、「ほら、お食べ」みたいなことは何度もやっているのだと思われます。どうしてそのときに、差し出された手をガブッとやらなかったのかな。
青木 捕まっている状態でそういうことをするのはまずいと、本能的に判断していたのでしょうか。
編集G でも、終盤の檻の中での様子とかを見ると、この人魚に状況やタイミングを考える知性がありそうには思えないです。とにかくもう、手が届くところに人間がいたら即食いついている。
編集E もしかしたら人魚は、自分を助けてくれた六兵衛の優しさをなんとなく理解していて、長いこと食べるのを我慢していたのかもしれないですね。
編集B 薬屋にいたときも、人魚の世話をしていたのは六兵衛だろうと思います。人魚は六兵衛の善意を感じてなんとか踏みとどまっていたんだけど、寺での二日目の夜にとうとう耐え切れなくなって、食べてしまったのかも。
編集D その後はもう、タガが外れちゃって、手当たり次第に人間を襲ってしまうようになった。自分に良くしてくれた六兵衛を食べてしまった後では、もう我慢する理由は何もないですから。
青木 人魚の側にも、六兵衛への想いがあったということですね。自分を愛してくれた人を食べてしまった、人魚の哀しみ。これをテーマにしたら、すごく面白い話になりそうですね。
編集C ただ、本作はあくまで、「怪物に道理は通じず、慕情も持たず、恩に報いることもない」、というスタンスの作品だと思います。無私の愛情を捧げたのに、怪物はそんなものどうとも思っていなくて、哀れ六兵衛は食われてしまった。この残酷さというか、絶望的な分かり合えなさみたいなものを描き出しているのが、この作品のいいところだと思います。人魚に心があるように描いたら、まったく別の話になってしまうと思う。
編集I この人魚は、人間しか食べないのでしょうか? おそらく六兵衛は、お刺身とか生魚とかを食べさせようと試みたでしょうけど、それすら口にしなかったということですよね。ということは、海に暮らしているときから、人肉のみが食料ということなのでしょうか?
編集G そのあたりをどういう設定にしているのか、作品からは読み取れないですね。ただ、「人間=唯一の食料」ということなら、六兵衛に拾われた後、なぜすぐに人間を食べようとしなかったのか、やっぱり腑に落ちないなとは思います。
編集I あと、「住職は、少しずつ人魚の肉を食べていた」というようなことが書かれていますが、人魚の肉って、何度も食べないと不老長寿を維持できないのでしょうか? 一回だけではダメなのですか?
編集G そのあたりに関しても、作者の設定次第だと思います。ただ、冒頭シーンにちらりと出てくる「八尾比丘尼伝説」においては、一度食べるだけで効果はずっと続く、ということになっていたと思います。
編集I ラストの檻の中の人魚は、「鱗がほとんど剥がされていた」らしいですが、剥がしたのは住職ですよね。でも、住職は「ちょっとずつ肉を食べている」はずではなかったかな。どうして鱗が全部剥がされているのでしょう? 人魚って、人間を不老長寿にする効能がある割に、自分の傷は治せないのかな? なんだかいろいろ、釈然としないところがありました。
編集G 「人魚」をモチーフにした作品はたくさんありますが、どれも設定はまちまちです。本作における「人魚」がどういう設定なのかということは、やはりもう少し読者にわかるように書いておいてほしかったですね。
編集D 音助と玄之勝は、割と長いこと文通していたわけですよね。住職は、いつどのタイミングで、玄之勝に入れ替わったのでしょう?
編集H 音助と玄之勝は、人魚伝説のある古寺で落ち合うことにしていて、玄之勝の方が先に到着した。で、人魚のことを知られたくない住職は玄之勝を殺し、自分が玄之勝に成りすまして、音助の到着を待っていた、ということかと思います。
編集G でも、玄之勝が知っていたということは、その筋ではこの寺は、「人魚にかかわりがある寺」としてけっこう有名なはずでは?
編集F しかもその割に、周辺の住民は、「あれのことだろうか」と首をかしげるくらいにしか、その寺のことを認識していないらしい。でも、そんな知られていない寺の割に、堂々とした佇まいの楼門があり、本堂もそれなりにしっかりとした建物であるように感じられます。作中に疑問を感じる点がいくつもあって、引っかかりました。
編集D 語りの視点にブレがあるのも気になりました。主人公視点と神視点、作者視点などが微妙に混ざってしまっています。主人公目線の作品として書くのであれば、「本作ではあえてその寺の名を伏せている」、という文章は入れない方がいいです。
編集C そういえば、「日記」として書かれている部分にも、ちょっと妙なところがありました。普通は日記に、「はたしてそれから、六兵衛の人魚はどうなったか。」なんて、読者の興味を煽るような文章は書かないですよね。
編集E 玄之勝(住職)が、音助に日記を差し出す場面がありますが、ここも無理があると思います。何百年分もの日記は、そんな簡単に差し出せる分量ではないと思う。一年で一冊としても、何百冊もあるはずですから。
編集G ちょっといろいろ、説明が足りなかったり、矛盾があったり、詰めが甘かったりするところが多かったですね。
編集E ただ、それでもなおぐいぐい読まされるほどに、話は面白いんですよね。
編集C 引っかかりポイントがこんなにあるのに、それをものともせず引き込まれました。これはすごいことだなと思います。
編集B 企みのある作品で、しかもそれをちゃんと意図通り成功させているのはとても良かったです。
青木 ケレン味がありますよね。文章もうまいと思います。簡潔な文章や会話でポンポンポンと話が進んでいく。とても気持ちよく読めました。
編集D それでいて、文章には生々しさもちゃんとある。人魚の描写とか、人魚が人間を食らう場面とか、遺体の描写とか。終盤のスプラッタ場面も、分量としてはたいして多くない。なのに、端的な描写で十二分に凄惨さを伝えることができていました。
青木 ラストも、「ほんの好奇心、だったのだ」でブツッと終わらせています。こういうあたりもうまいですよね。たぶん多くの投稿者さんが、ここからつい、もう五行ほど余分に書いてしまうと思います。そこを一文でスパッと終わらせているのはすごくいい。
編集D しかもこのラストの一文は、日記の最後の部分のリフレインになっています。こういうあたりも非常にうまいなと思いました。
編集E ちゃんとテーマがあるのもよかったです。六兵衛が人魚に惚れた挙句あっさり食われてしまうとか、主人公がこのあと好奇心に負けて身を滅ぼしそうであるとか、つくづく人間って愚かだなと思わされます。
編集C ただ、この「恐ろしい怪物よりも、もっと恐ろしいのは人間です」というオチは、割と定番だと思います。私は途中でオチが見えてしまったので、そこはちょっと残念でした。
編集H でもこれはチェーンホラーですよね。予想した定番のオチに話が収まるのは、そんなに悪くないのではと私は思いました。それが気持ちいい読者もいると思いますので。
編集C チェーンになるオチ自体は変えなくてもいいと思いますが、もうほんのちょっと、なにかあってもよかった。例えばラストで、この先どうしようかと呆然としている主人公に、人魚が自分の肉を、なぜか笑いながら差し出してきて、主人公は震えながらそれを受け取るとか。
青木 なるほど。単に「人間が浅ましいから」だけではなくて、人魚の方でも誘っていて、それがチェーンが続いていく理由でもあるというわけですね。
編集C はい。そういう意外性とかオリジナリティみたいなものを、ラストにもうひと筆、加味してくれたらなとは少々思いました。あくまで一提案ですけど。
編集D そんなふうに読者がいろんな想像を付け加えたくなるくらい、ポテンシャルの高い作品でした。
青木 元々すごく面白い話だからこそ、「こうしたら、さらによくなるのでは!?」って、つい熱くなっちゃうんですよね。気になる点はやや多めでしたが、そのほとんどが、割と簡単に修正できるものだったと思います。「読者がどんなところで引っかかるのか」については、選評を読めば、この作者さんならすぐに理解してくれるんじゃないかな。なんといっても、リーダビリティの高さという点ではピカイチでした。雰囲気のある作品になっていて、とても良かったと思います。