第227回短編小説新人賞 選評 『トンネル』池田佑

編集I 田舎へ引っ越してきた12歳の少年と、クラスメイトの少女との、淡い心の触れ合いを描いた作品です。主人公も新島さんも、妹のはるちゃんも、みんな素朴ないい子ですよね。変にスレたりしていないのが、とても好印象でした。それでいて、それぞれ家庭に事情があり、実はちょっとした翳りを抱えていたりするのも切なかったです。

編集C ただ、ラストが唐突に終わっていますよね。このラストシーンをどう受け止めればいいのか、私はよくわからなかったです。

編集D 私もです。最後が尻切れトンボみたいになっているように感じて、気になりました。もう少し筆を費やしてくれてもよかったのではと思います。

編集E ラストの場面で、新島さんがトンネルに寝転がっていますよね。これは、車に轢かれて死のうとしたということでしょうか? お父さんが再婚したことが受け入れられず、亡くなったお母さんと同じ死に方をしようとした?

青木 「死んでもいい」という捨て鉢な気持ちはあったかもしれないですが、積極的に死のうとしたわけではないと思います。でも、お父さんが再婚したということは、亡くなったお母さんの影が、いろんな意味でどんどん薄くなってきているということですよね。新島さんはお母さんの死をまだ受け入れられないし、忘れたくもない。だから、お母さんが亡くなった場所で、同じように冷たい地面に寝転がって、あの日のことを再現してみようとしたのではないでしょうか。車にはねられて、大怪我を負ったまま長いこと打ち捨てられていたお母さんは、どんなにつらい気持ちだっただろうかと思いながら。

編集B お母さんの気持ちになってみようとしたんでしょうね。ひどく苦しんだであろうお母さんのことを、自分だけはずっと忘れないよという思いで。

青木 事故後、早めに発見されていれば、お母さんは死なずに済んだかもしれなかった。でも実際は誰にも見つけてもらえず、長時間苦しんだあげく、一人きりで亡くなってしまった。やはりそこが、新島さんの中で、すごく大きな傷になっているのだろうなと思います。

編集E そこへ主人公が現れた。「死んでもいいや」と思って寝転がっていたんだけど、自分は打ち捨てられなかった。主人公がちゃんと見つけてくれた。それにより、新島さんの心が少し救済された、ということでしょうか。

編集B そうだと思います。まあ、この出来事ひとつで、新島さんがきっぱり前を向くわけではないにしても、「もうちょっと生きてみようかな」くらいには思えるようになったということかと。

編集H 今、新島さんには、気持ちに寄り添ってくれる主人公という存在があるわけですからね。主人公側としても、「明るくて親切な女の子」という表面的なところしか知らなかった新島さんの、素の部分に一歩近づくことができた。

青木 心が触れ合う距離になったということですよね。ボーイ・ミーツ・ガール的な話なのだと思います。

編集B 小学生同士ですから、ここからすぐ恋愛が始まるというわけではないでしょうけど、淡い初恋みたいな感じかなと思います。

編集H 純粋な友情ということでもいいですよね。そこは、読む人次第ということで。

編集E 私も、そういった話なのかなと思いはしたのですが、どうにも確信が持てなかったです。ラストをあえて明確にせず、解釈を読者にゆだねるという書き方はありますが、今作は「ゆだねる」というより、放り投げ感が強いように感じます。

編集C 同感です。少なくとも、読者が腑に落ちるという結末の描き方ではなかったと思います。

編集B でも、ラストで二人がこれ以上あれやこれや会話したり、距離が近づきすぎたりしては、話が間延びするんじゃないかな。私はこのラスト、好きですね。

青木 私もです。ちょっと物足りないくらいでバサっと切っているのが、いいなと思いました。

編集C ただ、現状では主人公の話にはなっていないですよね。そして、主人公の目を通して新島さんの救済を描いたというには、新島さんの描き方が足りないと思う。最後のたった3枚で、「新島さんが家出」→「見つかって幕」となるのは、あまりに駆け足すぎる。むしろ、新島さんが家出をしてからが、話の本番になるはずだと思うのですが。

編集D 私もそう思います。「新島さんが行方不明!?」という急展開になったかと思えば、次のシーンですぐに見つかって、ちょっと犬の話をして終わってしまう。これでは、どう話がオチたのか、よく分からないです。そんなに長々書く必要はないけど、全体のバランスを見て、二人の心の触れ合いや、新島さんがどんなふうに気持ちを持ち直したかというところが、もう少し描かれてもよかったのではと思います。

編集C それに、主人公が新島さんを救ったというには、主人公は傍観者的立場でしかない印象です。主人公は、新島さんにさほど関わっているわけではないですよね。新島さんのほうが、時折ちらりと、心の内を見せてくれただけで。

編集D 新島さんの心情を思うと、私はすごく悲しくなります。非業の死を遂げたお母さんも辛かっただろうし、そんなふうにお母さんを亡くした新島さんの辛さも、想像に余りある。しかも、お父さんは早々に再婚してしまいますよね。新島さんの気持ちに関係なく、よその女性が家に入ってきて、新しいお母さんの座についてしまった。そんなの嫌なんだけど、でも、自分はまだ小学生だから、どこにも逃げられない。ラストで、「死んでもいい」と思いながらトンネルに寝転がっているというのは、そのどうしようもない閉塞感や絶望感を象徴している場面でもあるのかなと思います。思ったのですが、ただ、ラストシーンがあまりにも短く切り上げられていて、「あれっ?」と肩透かしを食ってしまった。もう少しじっくりと、新島さんの気持ちに寄り添いながら読み終わらせてほしかったです。

編集A 新島さんの抱えている状況は、本当にかわいそうですよね。ただ私はそこに、「かわいそう」以上のものも感じてしまいました。というのも、新島さんのお父さん、再婚するの早すぎませんか?

編集I そこは私も非常に気になりました。お母さんが亡くなったのは一月で、その年の8月にはもう再婚している。奥さんの死後、たった7か月しか経っていない。

編集D しかも、8月に入籍ということなら、それ以前から付き合っていたということになる。ある日突然奥さんが悲惨な亡くなり方をしたら、ショックでしばらく気持ちの整理がつかないのが普通じゃないかな。なのに、数か月後にはもう他の女性と関係を持っているだなんて、これは尋常ではないですよね。

編集A もしかしてこの二人は、お母さんの存命中から付き合っていたのではないでしょうか? つまり、不倫していた。

編集F それは私も思いました。そうでないと、たった7か月後に再婚だなんて、ちょっと考えられない。以前からこの二人は結婚したがっていたのでは。

編集G てことは、この二人にとって、新島さんのお母さんは邪魔だったということですよね。できるなら消えてほしかった。

編集B え、ちょっと待って。どういうこと?

編集A お母さんはひき逃げに遭った。目撃者はおらず、長時間ほったらかされた挙句に亡くなった。そして、どうやら犯人は捕まっていないらしい。

編集G このお母さんに死んでほしいのは誰かと考えるとお父さんと不倫相手の計画殺人疑惑が浮かび上がってきます。

編集D いやいや、まさかそんな。

編集B いくらなんでも深読みのし過ぎでは?

編集C でも確かに、それなら早すぎる再婚の説明がつきます。

編集A そして、新島さんは、その真相に気づいている。だから主人公にだけこっそり、「はやすぎない?」と、声に出さないで伝えた。目の前に、お母さんを殺した犯人がいるから。

編集G この女性やお父さんの側も、「娘に気づかれてるかも?」と警戒しているのではないでしょうか。だから、他人とあまり接触させないように、ファミレスでは電話を素早く切り上げて戻ってきたり、家出されると髪を振り乱して探し回ったりしている。

編集F 私はこれらのエピソードは、新しいお母さんはすごく優しいいい人で、新島さんのことを本気で心配しているということを表しているのかと思いましたけど。

青木 私は、不倫していたのかな、そのことで新島さんは傷ついていたのかなと思いましたが、「殺人」ルートは思いつきませんでした。それだと確かに辻褄は合いますが、主題が変わってしまう。

編集D いや、待ってください。もし本当にそんな真相だとしたら、あまりにも新島さんが悲惨すぎます。大好きなお母さんを殺したのは、実のお父さんと新しいお母さんで、それに気づいていながら、これからも一緒に暮らさなければいけないなんて。精神的にも物理的にも、逃げ場がないじゃないですか。そんな絶望的な状況ってない。これ、そんな話ですか?

編集G まあ私も、それほど本気で共謀殺人だと思っているわけではないです。ラストの場面には、わずかではありますが、救いや希望が見えますよね。こういう結末にしているからには、「実はどす黒い真相が」という話ではないのだろうと思います。ただ、要素の散りばめ方や設定には、もう少し注意したほうがいいと思う。でないとこんなふうに、思ってもみない誤解を招く危険があります。

編集F 私は、殺人の可能性までは考えませんでしたが、「ホラー作品かな?」とは思いました。何しろ1枚目から、「通学路には小さな墓地が二カ所と薄暗いトンネル道が一本あって、妹はそこを『おばけが出そう』だと怖がった」なんて書かれていますので。

編集I 私も2枚目の、「(トンネルの)暗がりにもう一人いたことに気づいた」のところで、「ホラーかな」と思いました。

編集A 3枚目では、片目が飛び出した子猫の死体が転がっています。

青木 次の場面で新島さんがハンカチを差し出して、「(死んだ)猫くるんだやつじゃないから安心して」と言うのも、ちょっとギョッとする冗談ですよね。主人公と新島さんが雨宿りをする場面も、豪雨と雷が恐ろしげでした。

編集G 主人公のおばあさんの庭には、飼っていた動物たちのお墓がたくさんあるらしいですし。

編集C そして主人公のお母さんは、猫のお墓に毎日花を供える優しいはなちゃんの行動を、なぜか「奇行」と呼んでひどく嫌がっています。なんだか薄気味悪い感じのエピソードが多い。

青木 新しくやって来た仔犬の名前が「ネロ」だというのも、少々引っかかります。「太郎」とか「ジョン」とか、健康的なごく普通の名前でよかったのに。

編集A 『フランダースの犬』のネロなのか、ローマ帝国の残虐な皇帝のほうなのかはわかりませんが、どちらにしろ「死」がチラつく名前ですよね。

青木 そもそもタイトルが『トンネル』。ここからしてもう、明るい話とは思えないです。

編集G そのトンネルは、目玉の飛び出した猫の死骸が転がっている場所でもあり、新島さんのお母さんが苦しみ抜いて亡くなった場所でもある。

編集F 殺人ではなかったにしても、お母さんの亡くなり方にはけっこう疑問を感じます。「深夜に歩いて帰宅」って、どういう事情だったのでしょう?

編集C 仕事帰りだったのかな。でも、夜勤明けなら、帰るのは朝方ですよね。

編集G それに、田舎なら車移動が基本ではないでしょうか。せめて自転車にでも乗るならまだしも。

青木 トンネルって、昼間でも怖いですよね。薄暗いし、外から見えにくいし、逃げ場もないし。深夜に女性が一人で歩くなんて、ちょっと考えにくい。ここは、もう少し理由付けが必要かと思います。

編集G 「トンネル」とか「ひき逃げ」なんて要素は無くして、仕事から疲れて帰宅途中のお母さんが、車の単独事故を起こして亡くなったという設定でもよかったのではないでしょうか。それなら、「もしかして、殺された?」なんて疑問を感じなくて済んだと思います。

編集A この「トンネル内でひき逃げに遭った」というエピソードは、「長時間、誰にも見つけられなかった」ことを成り立たせるためのものではないでしょうか?

青木 それは考えられますね。そして、そういう悲惨な亡くなり方をしたお母さんの苦しみを思い、新島さんは今も苦しみ続けているのだ、という状況設定を、作者は作りたかったのではないでしょうか。

編集A ただ、この「ひき逃げ」という設定は、例えば先ほど出た「単独事故」だとか、他のものに変えることは可能だと思います。ことさらにひどい亡くなり方をさせなくても、母親が死んでしまうだけで、子供には十分残酷なことですから。

編集D 新島さんを「かわいそう」な子にするための演出は、少々やりすぎな感がありますね。

編集C 「父親の早すぎる再婚」も、新島さんを辛い状況に追い込むための作為的な展開に感じられてしまいました。

青木 お父さんの再婚は、せめて、奥さんが亡くなって3年後くらいに設定したほうが良かったですね。それなら、「このお父さん、ちょっと常軌を逸している」と読者に思われずに済みます。やはり七か月というのは、あまりにも短すぎる。

編集F まだ小学生で、12歳。「新しいお母さん」に対して、一番センシティブな年頃だと思います。しかも新島さんは、交通事故の話題を出されただけでぼろぼろ涙を流すほど、今も深く傷ついている。なのに、半年ちょっとで再婚だなんて。このお父さん、無神経どころのレベルではない。

編集A だからどうしても、「お母さんの死は、事故ではなかったのでは?」という疑念が頭をかすめてしまうんです。そういう黒い真相がある話でないのなら、「犯人は後日捕まった」くらいのことは書いておいてほしかった。それだけでも、読者の誤った憶測を封じることができたはずです。

青木 話に入れ込む要素だとか、描写の仕方だとか、全体的にちょっとほのめかし感が強いですよね。だから、読者がつい裏を読み取ろうとしてしまう。でも、そういう「隠された闇の真相」がない話なのであれば、書き方の塩梅にもう少し注意が必要だと思います。

編集C 不穏な要素を入れすぎてしまったことで、思いがけないほどの疑惑やホラー感が生み出されてしまっているということは、作者がもし意図したところでないのならお伝えしたいですね。

編集H でも、描かれている子供たちに、「子供らしさ」がちゃんと出ているのはすごく良かったと思います。視点人物の子供が、やけに高い語彙力を発揮しているような作品を時折見かけますが、今作はちゃんと年齢相応の語りができていて、すんなりと入り込んで読むことができました。妹のはるちゃんが、ファミレスで「お父さんいないもん!」って叫ぶところなんて、本当に切なかった。

青木 この一言は胸を突かれますよね。主人公が、妹を猫かわいがりしたりしないで、でもちゃんと面倒を見ているあたりにも、リアルな家族の空気感がよく出ていたと思います。

編集C ただ、今作の「子供」の描き方は、若干古いような気がします。「ネットを繋ぐ」なんて言っていたり。ラストで「スマホ」が出てきますから、舞台は現代のはずなのですが、なんだかちょっと昭和感がある。

編集D わかります。大人がノスタルジーを感じるような「子供」ですよね。だから、その「スマホ」が出てくる時点までは、現代といっても少し以前のことなのかなと思って読んでいました。いつの時代の話なのかは、もう少し早い段階で明らかにした方がいいと思います。

編集H 作者は、自分の子供時代の感覚で「子供」を描いているのかもしれませんね。でも、書き手が20歳なら、子供時代は10年も前。書き手が30歳なら、子供時代は20年も前のことになる。デジタルネイティブも低年齢化していますし、子供を書くときには、ちょっとそのあたりにも注意が必要かなと思います。

編集G ただまあ、田舎が舞台なので、ものすごく大きな欠点というほどでもないかなと思います。主人公が、小学生最後の夏に経験した、切なくてほろ苦いボーイ・ミーツ・ガール物語。気になる点は色々ありましたが、瑞々しさのある作品になっていたと思います。

青木 新島さんは、過去の出来事のせいで、「死」というものに近づきすぎていたんですよね。だから猫の死体にも簡単に触れてしまう。でも、主人公と心が触れ合うことによって、生きる世界へと引き戻された。かすかな光が見えるラストになっていたのは良かったです。読む側としても救われました。

編集F トンネルで出会った二人が、トンネルで心を近づけ、未来へ一歩踏み出していく話。ちょっと誤解を招きやすい書き方になっていたので、そこは注意が必要ですが、作者が描こうとした物語自体は魅力的だったと思います。今後もぜひ頑張ってほしいですね。